コロナ禍が迫る「命の選択」を避けるため、日本国民がとるべき行動

コロナ禍が迫る「命の選択」を避けるため、日本国民がとるべき行動

新型コロナウイルスは、われわれ一生活者に対しても、多くの「選択」を迫っています

Photo:PIXTA

新型コロナウイルスの感染拡大は続いており、終息にはまだまだ時間がかかりそうだ。今回のコロナ禍は「命」を含めて、医療現場や政治、社会のさまざまな局面でわれわれに「選択」を迫っている。経営学では意思決定は肝である。その状況について、医師(日本内科学会総合内科専門医)であり、かつビジネススクールで教える筆者が解説する。(中央大学大学院戦略経営研究科教授、医師 真野俊樹)

コロナで「命の選択」が迫られている
アメリカ、イタリア、スペイン

 新型コロナウイルスほどわれわれに多くの「選択」を迫るウイルスはないのではないだろうか?

 といわれても、読者の皆様はピンとこないかもしれない。それでも「命の選択」というワードは、時々見かけるようになったのではないだろうか。

 というのも、新型コロナウイルスの感染爆発が生じたアメリカ、イタリア、スペインなどの一部の地域においては、医療崩壊が発生。限られた医療資源を生かすために「誰を優先的に治療するか」という問題が発生し、すでに「命の選択」が迫られるという事態に直面しているからだ。

 つまり、医療者が「この患者は助けることが可能なので人工呼吸器をつけ、この患者はもう手遅れなので人工呼吸器を付けない」などといった選択が迫られているのだ。当然、人工呼吸器をつけなければ、その患者はすぐに死んでしまうので、まさに究極的な「命の選択」である。

 なお、ここで言っている「医療崩壊」とは、アメリカ、イタリア、スペインといった国で起きているように、1日に死者が何百人、何千人という規模で発生した状態を指している。

ドイツやスイスでは
命の選択に「社会的な合意」も

 この選択は重い。患者が不幸なだけではない。そもそも患者の命を救うことが医師の使命である。医師にとっても、これは大きなトラウマになる。実際、うつ状態になってしまう医師も出てきているという。

 その対策として、医療崩壊がおきていないドイツやスイスでは、こういった「選択」の責任を現場の医師だけに負わせることを防ぎ、「社会的な合意」を生もうとしている。

 例えばドイツでは、「COVID-19パンデミックに関連する、救急・集中治療キャパシティーの配分の決定についての臨床的・倫理的提言」というタイトルの提言が出され、イタリアやスペインのような医療崩壊が起きた場合に備えている。

 提言書の冒頭で、下記のように書かれている。

《わが国でも、治療を必要とする患者の数がキャパシティーを超える事態が起きる可能性が強い。キャパシティーが限られている時には、どの患者に集中治療を施すか、誰に施さないかを決めなくてはならない。これは現場の医療チームにとって、精神的、倫理的に大きな試練となる》

 私が寄稿したように、日本は医療キャパシティーが大きく、医療者の頑張りで、現時点では医療崩壊を起こすまでの状態にはなっていない(以前の記事「コロナで絶体絶命のイタリアと違い、日本で死者激増の可能性は低い理由」参照)。

 しかし、実はすでにわれわれには多くの選択が迫られている。

 大きな話から言えば、「緊急事態宣言による外出自粛要請をいつ解除するか」という問題では、政策決定者には「命か経済かという選択」が迫られているのではないか。

フランスでは
優先順位を付けて対応

 こんな例もある。

 フランスには「ホワイトプラン」というものがある。これは、2004年8月9日に制定された大災害を想定した緊急医療計画である。ホワイトプランでは、医療の確保と同時に優先順位を付けることになる。

 例えば、2015年にパリ市のバタクラン劇場で起きたテロのときには、フランス全土に非常事態が宣言され、国境が封鎖された。このときにホワイトプランが発令されている。そして、攻撃のあった現場に医療救護所が設置され、救護用の病院も確保された。今回もそれと同じ状況という判断で、ホワイトプランが3月7日に発令され、全国のすべての病院に緊急でない手術の延期が命じられた。

 要するに、コロナの患者を重点的に診察するため、手術にプライオリティー(優先順位)が付けられたことになる。また、できるだけ患者を早期に退院させることで病床の確保をするということも行われている。

 これらの方法によって、コロナ対策を打てる病床を確保できたのである。これも、政策決定者にとっては大きな選択であろう。実際に、コロナ以外で手術が遅れて死んでしまう患者もいると思われるからだ。

 こういったことは、ひとりの生活者としては心配であるが、自分が「選択」することではないので少し縁遠いかもしれない。しかし、新型コロナウイルスは、われわれ一生活者に対しても「選択」を迫っているのである。それはどのような場面であろうか。

「コモンズの悲劇」と
現在の医療の現場

 経済学には「コモンズの悲劇」という言葉がある。

 1968年、生物学者G・ハーディンは、『サイエンス』誌に「コモンズの悲劇」を発表した。「コモン(common)」とは、「共通の」「共有の」という意味を持つ英語であるが、「コモンズ(commons)」といえば、近代以前のイギリスで牧草の管理を自治的に行ってきた制度である。人びとが限られた資源を共有している場合、おのおのが自分の利益の極大化を第一義とする考え方にもとづいた行動をとるならば、共有資源は枯渇し、結果として構成者全員が生活基盤を失うと彼は主張し、次のような「コモンズの悲劇」モデルを提示したのである。

「一定の広さを持つ共有の牧草地でウシを飼育する集団がいる。他の牧夫たちに先んじて牧夫Aは、ウシを増やし、追加収入を得た。Aの考えは理に適っているので、牧夫たちはみなこぞってウシを増やした。しかし、ウシが増えれば牧草地は過密状態になり、荒廃して必然的に共倒れとなってしまう」

 現在、医療の置かれている立場も同じである。現段階では、フランスとかドイツのように、医師などの医療従事者、人工呼吸器のような医療機器、病院のベッドなどの医療資源が枯渇してきており、医療自体がコモンズになっているのである。

解決策は2つ
上意下達か、自らの判断か

 この状況に対して解決策は2つある。

 1つは上からの管理である。中国においては、ITによる管理で「どの人が模範的な行動を取り、どの人が模範的でない行動をとっているか」という情報が把握され、管理されている。模範的な人にはいい点を与え、そうでないひとにはマイナス点をつけるという、上意下達のやり方だ。さらに、無駄に医療資源を利用できないように管理することもできる。

 もう1つは、いくつかの“選択肢”の中から、自ら「どうすべきか」を判断して行動することだ。

 これには、中国とはまったく違う対応で、日本にも模範例がある。以下は筆者の著書「入門 医療経済学」からの引用である。

「ある過疎地で医師が病気になった。この過疎地には医師は一名しかいない。病気になった原因は過労である。とくに小児を中心に夜間の診察が多かったという。ここでおもしろい現象が起きた。この医師は病気にはなったが、医師が自分しかいないこともあり、なんとか診療を続けていた。しかし、医師が病気になってから、時間外の診療は激減したという。それは、医学的な知識を多少なりとも持つ近所の人たちが、子供を持つ若い夫婦に指導をしたからだという。その結果、夜間診療は減り、この過疎地では、さほど大きな医学的トラブルがないまま、その医師は回復し、再び日常業務に戻れたという」

 このような配慮がないと、サービスの提供者側が自衛のためにお客(患者)を選別し始める。「なんだ、俺は客だぞ」などと言っても、有事の場合にはどうしようもない。

 例えば、スーパーへの入店も同じだ。本当に買い物のために来ている人と、時間つぶしをしている人を区分することが必要で、中国のような管理方法は取らないまでも、入店時に目的や買いたいものを明示させることぐらいは必要かもしれないし、実際に行われるかもしれない。

現在の医療現場では
「病気の治療は平等」のはずである

 このような状況になったとき、例えば、行政が営業自粛を要請したパチンコ店などに行って感染したことがわかった場合、医療機関がどのような態度をとるのか、あるいはとるべきなのかという問題は、なかなか難しいところだ。

 もちろん、医師法19条1項では『診療に従事する医師は、診療治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない』とされているし、厚労省も発熱やせきなど新型コロナウイルス感染症の特徴的な症状があるということだけを理由に診療を断ることは、『診療拒否の正当な事由に該当しない』としている。

 しかし、医療従事者を名乗る人物が「パチンコ店に行くなら、体調が悪くなっても病院に来ないでほしい」といった内容をネットで投稿したケースもあるという。

 現状では「病気の治療は平等」であり、平時の延長である。つまり、原因が何であれ、病気であれば診察してくれる。これは平時における、生活習慣を改善せず、食べ過ぎて糖尿病になった人も、遺伝的に糖尿病になった人も同じように対応してくれるということと一緒である。

 しかし、日本にはホワイトプランはないし、ドイツやスイスのようなガイドラインはない。「コモンズの悲劇」のような「共有地」の悲劇が起きそうな場合にどのような判断を下すのか、これはなかなか難しいのではないか。

 医療崩壊を防ぐためには、いずれ日本でもドイツやスイスのような基準を作ろうという議論が出てもおかしくない。むしろ、医療者にとっては“自己防衛”のためにも、何らかの基準が欲しいところであろう。

 しかし、残念ながら、日本ではそういった基準を作るのが難しく、医療者が自ら判断しなければならない。そうなると、医療者も人間であるから、いろいろな思いが交錯するかもしれない。

 また、日本の緊急事態宣言は、いわゆる「ロックダウン」に比べて強制力が弱い。なので、医療崩壊を防いで「命の選択」になることをも防ぐために、われわれ一生活者も極力感染を避けるために「3密」を避け、今はひたすら「ステイホーム」という「選択」を行うことが、社会を守るためにも自分を守るためにも重要なのである。

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