拉致問題の前進、さらに難しく

拉致問題の前進、さらに難しく

青木理・ジャーナリスト

青木理氏=長谷川直亮撮影

青木理氏=長谷川直亮撮影

 持病の悪化を理由に退陣した安倍晋三首相。その長期執権が残した傷は数多いが、今回は政権にとって「最重要」の外交課題であったはずの拉致問題について記す。

 北朝鮮による日本人拉致問題の外交的進展は、これでさらに難しくなったのではないか。別にそれは首相が政権の座を去ってしまう「から」ではない。一応は「憲政史上最長」の政権を担ったのに、案の定というべきか、なんの進展もないまま政権の座を去る首相の「せい」である。

 

 振り返ってみれば、拉致問題が大きく動いたのは2002年9月、史上初めて実現した日朝首脳会談によるものだった。日本政府が認定する拉致被害者らのうち5人生存、8人死亡という北朝鮮側の通告は衝撃的だったし、被害者や家族の怒りや不満は当然としても、北朝鮮に拉致を認めさせて5人が生還を果たしたのは戦後日本の外交史に残る成果だった。

 当時は外務省アジア大洋州局長として事前交渉に奔走した田中均氏には幾度も話を聞いた。なぜ会談は実現し、なぜ拉致問題は動いたのか。端的に言えば、「大きな絵」を描いて交渉にあたったからだと田中氏は振り返った。概略、次のような「絵」である。

 まず、いかなる理屈をつけても拉致は国家的犯罪行為であって、北朝鮮側が譲歩しても“対価”など与えられない。だが、かといってそれでは交渉の突破口が開けない。他方、日本側にも北朝鮮との戦後処理が終わっていないという“負い目”がある。北朝鮮との間の戦後処理を終わらせて国交を正常化するのは、戦後日本外交に積み残された“宿題”のひとつでもある。

 ならば、もう少し物事を大局的に捉え、日朝が国交正常化に歩み出した際の「絵」を北朝鮮側に示す。もし日朝がその方向に進むなら、日韓の国交正常化交渉に倣うとしても、経済協力などの名目で相当な資金が北朝鮮側にもたらされる。ただ、日本としてそこに向かうためには拉致や核・ミサイル開発問題の懸念払拭(ふっしょく)が欠かせない――。

 そんな「絵」の提示に、北朝鮮側は応じた。逆に言うなら、当時の金正日政権は、かなり真剣に日朝の国交正常化を視野に入れていたことになる。

 それはともかくとしても、戦争によって相手を屈服でもさせない限り、外交とは相互にメリットがあると判断されたときにのみ前進する。つまり02年の日朝首脳会談とその準備交渉は、外交とはどういうものかを教えてくれる見本のような事例でもあった。

 加えて記せば、国際環境も会談の実現と交渉の進展を後押しした。特に00年6月、これも史上初となる南北首脳会談を成し遂げた金大中政権が韓国を率い、南北関係の和解とともに日韓関係の和解に努力したことは大きい。当時の金大統領は日朝の改善も双方の政権に促し、バックアップした。つまり、大局観や構想力ある独自外交と国際環境の歯車がかみあってこその成果だった。

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 ところが、当時は小泉政権の官房副長官だった安倍氏が、会談の合意内容などに強く反発し、会談を実現に導いた田中氏らに対しても陰に陽に批判を加え、北朝鮮との対話や交渉そのものが「弱腰」「屈辱」かのような風潮を生み出した。そして、当の安倍氏は対北朝鮮強硬派として一躍脚光を浴びる存在となった。

 拉致被害者の家族や関係者らは、当然のこととして北朝鮮への憤りが強く、そんな安倍氏に信頼を寄せた。なかでも被害者と家族の支援に集った者たちは、もともと対北朝鮮強硬論者が多かったから、同じ立場を明確に訴える首相に喝采を送った。日本社会もメディアも反北朝鮮一色のムードに染まり、その風を受けて安倍氏は政界の階段を一挙に駆けのぼった。日朝首脳会談と拉致問題がなかったなら、安倍氏がこれほど早く政権の座を射止めることはなかったろう。

 周知のように第1次政権は短命に終わったが、民主党政権の瓦解を受けた第2次政権は「憲政史上最長」を成し遂げた。この間、たしかに政権は拉致問題を「最重要」の外交課題だと繰り返してはきたが、肝心の対北朝鮮外交には大局観も構想力も感じられなかった。

 ひたすら圧力を強め続ければ、いずれ北朝鮮は膝を屈して譲歩してくる――そんな姿勢は、独裁国に憎しみをぶつける方途として一見勇ましく、耳目には心地よく感じられたとしても、外交とはそもそもどういうものかを踏まえれば、これで課題や懸案が前進させられるはずもない。

 事実、すでに結果は冷厳に示されている。合計で9年近くにも及んだ政権下、拉致問題を含む対北朝鮮外交では何ひとつ具体的な進展を見せられなかった。首相が頻繁に口にした「政治は結果がすべて」というお得意のフレーズを援用すれば、「最重要」の外交課題で何の結果も残せなかった事実は言い訳の余地がない。

 14年5月、日朝はストックホルムで拉致問題の再調査などで合意したものの、「その先の絵」を示す構想力も大局観もない外交はすぐに暗礁に乗りあげた。しかも、頼りにしていたトランプ米大統領が「圧力」から「対話」へと路線を一変させ、史上初の米朝首脳会談へとカジを切ると安倍政権も姿勢を豹変(ひょうへん)させ、「無条件での対話」を訴えはじめた。これを「柔軟」と捉えるのは、いくらなんでも過大評価だろう。ひたすら米国に追随するだけの信念なき外交に北朝鮮が応じると考える方がおめでたい。

 

 いずれにせよ、合計9年近くにも及んだ政権下、拉致問題はなんの進展もなかった。加えて政権は、ことあるごとに北朝鮮の「脅威」を国内政局に利用してきた。結果、「交渉のハードル」だけは極度に高まったままそこに残されてしまっている。

 首相が盛んにあおった反北朝鮮の風潮はある意味で日本社会に定着し、メディアでも北朝鮮への敵意や憎悪、さらには冷笑や嘲笑を浴びせるような報道、論調があふれかえっている。さらには日韓関係までが最悪の状況に陥り、足並みをそろえて北朝鮮に向き合うこともできない。背後には歴史認識の問題が横たわっていて、韓国側の態度にも瑕疵(かし)はあれ、これも安倍政権下で問題がこじれにこじれた。すなわち日韓関係の改善も一朝一夕にはいかない。

 だから次の政権がどのような政権であれ、北朝鮮との交渉に乗り出すのは容易でない。もっと言葉を正確に選んで記せば、「大きな絵」を提示して拉致問題を前進させた日朝首脳会談のように、北朝鮮側にも一定のメリットがもたらされるような「絵」を示して対話に乗り出すのは困難を極める。そんなことをした瞬間、「弱腰」「屈辱」「独裁との妥協」といった猛烈なののしりを浴びてしまいかねない。周辺の国際環境もすさんでいる。

 畢竟(ひっきょう)、北朝鮮と向き合う外交の幅と選択肢は極度に狭い。それでも批判や反発を受けることも覚悟し、大局観と構想力のある外交交渉を展開するか。あるいは、そんな面倒で危うい外交などに政治資源を投入せず、言葉だけは「最重要の課題」だと引き続き訴えつつ、課題の先送りや様子見といった形の“放置”に終始するか。私は、後者に陥ってしまう恐れが強いと憂慮する。

 それにしても、拉致問題は安倍政権がもっと冷静で真剣な交渉に取り組み、その政権下で一定の結果を出すべき外交課題だったとつくづく思う。北朝鮮への強硬ムードをあおった政権の、それがせめてもの責務であり、拉致被害者の家族や支援者らはもちろん、声の大きな対北朝鮮強硬論者らの反発も、首相だったらそれなりに制御できたろう。

 ひょっとするとそれは、北朝鮮と交渉するにあたっての大きな“財産”だったのかもしれない。しかし、安倍政権はその“財産”を生かすだけの大局観も構想力もなく、ついに政権は終幕を迎えた。

 あの会談から18年。ひたすら勇ましかったけれどなんの結果も残せず、今後に尾を引きそうな停滞条件まで作り出した政権の「罪」は大きい。

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青木理

ジャーナリスト

1966年生まれ。共同通信社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年よりフリーとして活動。主な著作に「絞首刑」(講談社)「日本会議の正体」(平凡社)など。最新刊は「暗黒のスキャンダル国家」(河出書房新社)。

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