じをしらないで、はじをかいた

じをしらないで、はじをかいた

「じをしらないで、はじをかいたこと。わたしのせなかに、かみで、わたしはすけべです、とはられていた。
みんながわらう。なんのことかわからん。あとで、やくにんさんにききました。くやしいので、ないていえに
かえり、おやにはなすと、しかたない、びんぼうのうえに、さべつされ、おまえもがっこうにいけなかったと
、母は、ないてはなしました」(うえだまさよ)

「夕やけを見てもあまりうつくしいと思わなかったけれど、じをおぼえてほんとうにうつくしいと思うように
なりました。みちをあるいておってもかんばんにきをつけていてならったじを見つけると大へんうれしく思い
ます」(北代巴)

「私たちは爆弾で、家も夫も失ってしまった。
私たちがキャンプに収容されたとき、アメリカ兵たちはいろいろと面倒をみてくれ、これが洞窟の中に隠れて
いた私たちを火炎放射器で撃った人たちなのだろうかと思ったさ」
石川文洋「戦場カメラマン」

文字に縁のうすい人たちは、自分をまもり、自分のしなければならない事は誠実にはなし、また隣人を愛し、
どこかに底ぬけの明るいところを持っており、また共通して時間の観念に乏しかった。
宮本常一「忘れられた日本人」

市役所に生活保護の集団申請にいった日のことたい。その日もわしは朝五時から歩いて八幡の厚生年金病院に
血を売りにいった。ひどい、どしゃぶりの雨の日やった。ところが、断られてしもうた。なにか水薬のうえに
血を落して検査するとばってん、固まるはずの血がパーッと散ってしまうとたい。薄うて粘りがないとたい、
急に体中の力がぬけてしもうて、たちあがることもできんやった。一年の間にちょうど三升六合ほど売ったわ
けたい。けんど、もうおしまいたい。どこへいってもやっぱり、使いもんにならんというて断られてしまう。
上野英信「追われゆく坑夫たち」

おキミは、みずから娼妓の引きぬきに出歩くことがあった。かの女を身うけして娼楼をいとなませる男が、日
本海側を走る鉄道の工事にかかわることになり、日本娘をふやさねばならなかったからである。工夫にやとわ
れるのは、朝鮮人の男が大半で、朝鮮や清国の女では商売にならなかった。
かれらは、日本人の監督に酷使、というより虐待され、おまけに工事は難渋をきわめた。だれもが気がたって
おり、朝鮮人工夫は、日本娘を買ってうらみをはらした。
森崎和江「からゆきさん」

「労働者協同組合には雇用者はいない。被雇用者、すなわち「雇われ者」も存在しない。ここで働くには、働
く意思、仕事をおこす意思、よい仕事をしようとする努力への意思、そして一口五万円の出資(センター事業
団のばあい)をもってするだけで足りる。なによりも「雇われ者根性」の克服が自己努力の最高目標として掲
げられているのだ」
内橋克人「共生の大地」

「道理をもって相手を説得する、けっして責めているだけではいけない。相手の立場に立って相手も幸せにす
る、そういう考え方でなければならないと考えて、実践してきました。これが伊江島の闘い方でありました」
阿波根昌鴻「命こそ宝(ヌチドゥタカラ)」

「トレランスが足りない日本社会で、われわれの同胞は、今も不当な差別待遇を受けており、
アメリカでは先のロサンゼルスの事態(韓国系商店が略奪された暴動)で、
移民たちの夢が一日にして崩れ落ちました。
今、韓国にも、フィリピンやパキスタンなどから来た10万人以上の外国人労働者がいると
聞いています。
あなたが彼らにトレランスを見せてやったか、一度振り返っていただけませんか」
「コレアン・ドライバーは、パリで眠らない」洪世和 ホン・セファ

「あの時、ホームレスの人達をいじめていた僕は、なんで、あんな事をしたのか?
なんで、あんな自分が居たのか?
何にハラをたてて、ムカついていたのか?
何がつらくて、何が不満だったのか?
自分に何が足りなかったのか?」
大阪・道頓堀「ホームレス」襲撃事件 ーー”弱者いじめ”の連鎖を断つ

元来僕は一犯一語という原則を立てていた。
それは一犯ごとに一外国語をやるという意味だ。
最初の未決監の時にはエスペラントをやった。
つぎの巣鴨ではイタリイ語をやった。
二度目の巣鴨ではドイツ語をちっと齧った。
こんども未決の時からドイツ語の続きをやっている。
で、刑期が長いことだから、これがいい加減ものになったら、
つぎにはロシア語をやってみよう。
そして出るまでにはスペイン語もちょっと囓ってみたい、とまずきめた。
今までの経験によると、ほぼ3カ月目に初歩を終えて、
6カ月目には字引なしでいい加減本が読める。
一語一年ずつしてもこれだけはやられよう。
午前中は語学の時間と決める。
「自叙伝」大杉栄(岩波文庫)

まず、だれにとって「いい」のか「悪い」のかということだ。戦前では、いい姿勢と言えば、兵隊が「気をつ
けーっ」となるとき。この場合「いい」というのは明らかに上官の目から見て、上官にとって教えたり監視し
たりするのに「都合がいい」のであり、整然として美的感覚にかなっているということであって、兵隊の方か
ら言えば恐怖によって無理強いされたきわめて窮屈な姿勢に違いない。それと同じように、子どもにとって「
いい」のか、先生にとって、親にとって「いい」のか、第一に、それが問い返されなければならない。
竹内敏晴「ことばが劈(ひら)かれるとき」

工場主は子供をまれには5歳から、しばしば6歳から、たいていは8歳ないし9歳から雇いはじめる。労働時
間はしばしば毎日14から16時間(食事のための休み時間はのぞく)にもおよぶ。工場主は監督が子供を殴
ったり、虐待したりすることを許し、さらにはしばしば自分でも危害をくわえている、と。次のような一例さ
えあげられている。スコットランドのある工場主は、逃亡した16歳の労働者を馬で追いかけ、馬がかけるの
と同じはやさでむりやりに自分の前を工場へと走って帰らせ、しかもひっきりなしに長い鞭で打ちつづけてい
たのである。
エンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態」

「日本」の侵略はなにも、秀吉や近代以後の朝鮮半島や中国大陸にたいしてだけ行われたわけではありません
。古代の「日本国」は、東北人、南九州人を侵略によって征服しているのです。
網野善彦「日本の歴史をよみなおす」

たしかに、このような穢れに対する感覚のちがいが東と西の間にはあったらしい。たとえば罪人を死刑に処す
るさい、西日本、京都では放免あるいは非人に行わせていますが、東日本、鎌倉幕府に属した武士は、罪人の
首を自分で斬ってしまう。非人という職業集団は、東日本では明確に形成されなかった理由の一つは、そこに
あるのではないかと思います。
網野善彦「日本の歴史をよみなおす」

かつての軍国主義は異なった文化社会の人々を一掃殲滅することに何の躊躇も示さなかった。そして高度成長
を遂げ終えた今日の私的「安楽」主義は不快をもたらす物全てに対して無差別な一掃殲滅の行なわれることを
期待して止まない。その両者に共通して流れているものは、恐らく、不愉快な社会や事柄と対面することを怖
れ、それと相互的交渉を行なうことを恐れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を
隠し込もうとする心性である。
藤田省三 「安楽」への全体主義

敗戦後、最初の内閣だった東久邇(ひがしくに)宮内閣は、児玉誉士夫を内閣参与に使い、児玉は
政界の黒幕・辻嘉六の隠匿物資を日本自由党の結党資金(45年10月結党)として渡している。
60年安保当時の首相だった岸信介は、戦犯として巣鴨プリズンに収容されていた戦後、
児玉と親しくなっていた。
次期戦闘機はグラマン社のGrumman F11Fと内定されていたが、
最後にロッキード社のLockheed F104に変った。
ロッキード社の代理人だった児玉の要求だった。
(ヤクザと政治家 p119 鎌田慧「現代社会100面相」)

「その夜、監房の戸がもう閉ざされていあら、ラスコーリニコフは板床に横になって、
彼女のことを考えていた。
その日は、彼の敵だったすべての囚人たちが、もう彼を別な目で見るようになったような気がした。
彼は自分から話しかけてもみたし、彼らの返事にも親しさがあった。
彼はいまそれを思い出した。
しかしそうなるのが当然なのだ、いまこそすべてが変るはずではないのか?」
「罪と罰」

技術者をはじめ、公共とか公衆とかいう感覚のない人、足りない人に、どうすればそういう感覚を植えつける
ことができるかということが、これからの大きな問題である。
結局は、市民革命(羽仁五郎『都市』岩波新書)を経たかどうかということが決定的なのであろう、、、
日本の場合、完全な市民革命を経ていない。国民が市民革命の精神による自治の確立というものにもっともっ
と大きな関心をもつようにならないとだめなのではないか。自治体の確立に関心をもって、公共ということを
考えるようにならなくてはいけない。
武谷三男「安全性の考え方」

帝銀事件は、われわれに二つの重要な示唆を与えた。
一つは、われわれの個人生活が、いつ、どんな機会に「犯人」に仕立上げられるか知れないという条件の中に
棲息している不安であり、一つは、この事件に使われた未だに正体不明のその毒物が、
今度の新安保による危惧の中にも生きているということである。
松本清張「日本の黒い霧」

明治以降、近代化に向けて日本国はバク進し、そのキャタピラの下に多くの人々を蹂躙してきた。
その人々を棄民と言うなら、未帰還兵もからゆきさんも米軍基地周辺のバー街の人々も、移民も、
皆棄民である。
棄民たちは過去何一つ発言しなかった。
私はそのような人の一人一人から小さな発言を求めることを今後も続けたく思っている。
その発言は、踏みにじられた痛みに堪えかねた叫びでもあり、怨嗟の唸りでもある。
しかしそれはただ悲痛はだけではない。
冗談もとび出し、ワイセツで面白おかしくさえある。
だから人間商売やめられないなんて発言さえある。
今村昌平「遥かなる日本人」

一七 
旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり。折々人
に姿を見することあり。土淵《つちぶち》村大字飯豊《いいで》の今淵勘十郎《いまぶちかんじゅうろう》と
いう人の家にては、近き頃高等女学校にいる娘の休暇《きゅうか》にて帰りてありしが、或る日廊下《ろうか
》にてはたとザシキワラシに行き逢い大いに驚きしことあり。これはまさしく男の児なりき。同じ村山口なる
佐々木氏にては、母人《ははびと》ひとり縫物《ぬいもの》しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音
あり。この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪《あや》しと思いて板戸を開き
見るに何の影もなし。しばらくの間坐《すわ》りておればやがてまたしきりに鼻を鳴らす音あり。さては座敷
《ざしき》ワラシなりけりと思えり。この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの沙汰《さた
》なりき。この神の宿りたもう家は富貴《ふうき》自在なりということなり。
○ザシキワラシは座敷童衆なり。この神のこと『石神《いしがみ》問答』中にも記事あり。
「遠野物語」

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こうした平板で硬直した図式を、著者は「冷戦」の起源を19世紀の終わりの
グローバル経済危機にまで溯らせることで転覆させる。
世紀の変わり目に生じた、改良主義的な社会民主主義者と革命的な共産主義者との対立、
そしてアメリカとロシアという二つの大陸国家の圧倒的な巨大化が、2度の世界大戦を経て、
地球をまっぷたつに分断する対立に行きついたとする壮大な見取り図は圧巻だ。
100年の広がりで捉え直された「冷戦」は、空間的にも全世界規模で展開された
ダイナミックな過程として詳細に分析されていく、、、
重要なのは、こうした「冷戦」の歴史から私たちが何を学ぶかだ、、、
「冷戦」が日本に残した遺産は、自民党による一党支配、アメリカとの軍事同盟、
そして冷戦に規定された特殊な形態の経済である。
そして日本は「冷戦」後の新たな環境にうまく適応できず、経済的には長びく停滞に陥り、
政治的には近隣諸国との未解決な問題の山積に悩まされている。
つまり日本は、いまだに「冷戦」の亡霊に取り憑かれて、確固たる未来を見いだせぬまま、
荒野をさ迷っているのだ。
「冷戦」はすでに終わった過去ではない。
私たちにとって、不断の再考を迫ってくる現在形の歴史なのである。

壮大な見取り図による「冷戦」の歴史とさ迷う日本 「冷戦」金曜日書評 高原到 20年9月4日

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香料の最大の謎は次の問題である。香料を使う文化がその産地にあったか、、、

西洋に持って帰ると300倍、400倍になるくらい、非常に儲けが大きかった商品だった。
クローブとナツメグは両方とも木ですが、それが生えていた土地は非常に小さな、
限定された島だった。
クローブはテルナテとその周辺の島じま、ナツメグはバンダ諸島です。
どちらも小さな島です、、、

クローブ(丁子)のチェンケの丁(チェン)は、釘の形に似ているところからきています、、、

クローブ、ナツメグの香料諸島に、最初に入ってきたのはポルトガルです。
スペインはフィリピンに入って南下してポルトガルと競う。
16世紀の後半、17世紀の初めになるとオランダが入ってくる。
それから後を追っかけてイギリスが入ってきます、、、

クローブ、ナツメグは、その原産地であるテルナテやバンダ諸島にしか生えない木ではない。
ヨーロッパが最初に入ってきた16世紀に、クローブとナツメグはバンダとかテルナテにしか
なかった。
もしも、クローブとナツメグを利用する文化があったら、二つの木は、他島へ移植され
広まっていたでしょう。
原地ではこれを需要する道を知らなかった、、、

これが第一の根拠。
第二の根拠は、クローブとナツメグで少し違うんですが、原地にそれを表わす言葉が、
つまりマラヤ・インドネシア語と呼ばれている言葉であまりないんです。
ナツメグを意味するパラは、インドネシア語といえばそうなんですがやはり外来語です、、、

パラはどうもサンスクリット系らしいです、、、

マラヤ・インドネシア語でチェンケはクローブ、明らかに中国からきています。
要するにクローブ、ナツメグには現地語名がなかった。
現地語名がなかったことは、現地にクローブとナツメグを活用する文化がなかったことの証明に
なるでしょう。

スパイスロード 鶴見良行 「道のアジア史」1991年 収載

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(Irohira)
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