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いやがらせをしてくる人もいますが、ぼくは親切に接しようと思います

Xi Jinping「百年に一度の局面の大きな変化」(百年未有之大変局)

(声)通学中のいやがらせ、負けない 朝日新聞 2020年10月15日
小学生 具教煌 (ク キョファン)(東京都 12)

ぼくは朝鮮学校に通う6年生です。ぼくが乗ったバスや電車の中では、上着を見て、ぼくが朝鮮人だと知った
大人がいやがらせをしてくることがあります。

ランドセルの上に自分の荷物を置いてくる人もいました。「小学生が電車で通学するな」と大声で言い、ラン
ドセルをたたいてくる人もいました。

ですが、ぼくが朝鮮人だと知りながらも、やさしく声をかけてくれる日本の方もたくさんいます。どなられた
時に、ぼくを守ってくれた方もいました。

朝鮮学校のことを色々聞いてくれたり、帰り道にサッカーをしようとさそってくれて、いっしょにしてくれた
人だっていました。ぼくはその時間がすごくうれしくて、楽しかったです。

いやがらせをしてくる人もいますが、ぼくは親切に接しようと思います。そうすれば、いやがらせがなくなる
日がくると思います。

オモニ    洪栄雄 (ホン ヨンウン)

かあちゃんと よんでいた
金がほしい時だけ オモニとよんだ
あんたが国の言葉をつかうたび耳をとじて
あんたが国の服を着るたび目をとじた
町をならんで歩いたこともないおれなのに
あんたのことを思うと いくらでも歌ができてしまう
それほどやさしい人だった

子ども心ならなんでもゆるされる そんなはずはない
どれだけきずつけて どれだけなかしたやら
今はそれを思い出して あやまってばかり
ひとつあんたに聞きたかったことがあったんだ

生きるために生まれたのかい
はたらくために生まれたのかい

あんたのことを思うと いくらでも歌ができてしまう
それほどやさしい人だったよ

あいうえお。このじで、さくぶんおかかなければならない。わたしは、しんぱいでならない。えんぴつをにぎ
りかくきになった。こどものときからこのとしまでじわぜんぜんしらない。がっこうにいきたいきもちはあり
ました。いえがびんぼうでこどものせわからなわないをする。そして、むぎつきこめつきそのひそのひむぎお
ついてわごはんおたくことがしごとでした。

彼女は、52歳になる識字教室の生徒である。貧困のため、小学校には1日も行けず、 12歳のとき(1924年前後)
から炭坑の仕事に就いた。当時は、1日に14時間働いて、給料が25銭であったという。
https://bit.ly/345YeFN

まづ、 自分の手、小学校のころは、この手で、だれかれかまわず、学校の友だち、きんぞの子、女の子をなぐ
ってきました、だが青年になったとき白紙で、まいづるで、この手で、すばらしい船をつくてきました、また
一銭五厘の赤紙で、ぐんたいにいき、たくさんの、せんし、した、なきがらをもやしてきました。そしてこの
寿町で、おきなかしで船のいろんなしごとを、この手でおもいだしたら、きりがない、はんばのしごと、ああ
この自分の手おもいだすといやな手またすきで、すきでたまらないてこの手をいまつくづくみてかんがいむじ
うです。

「先生の教え方が悪い」「わしは頭が悪いけ、もうやめる」「いままで字は知らんで過ごしてきたから、今さ
らおぼえんでもよい」「もう休む」と口ぐせのようにぶつぶつ言っていたまさよさん。もちろん文盲、全く読
めない。”ばか”と 書いても、”しね”と書 いて も、字がどんなものであるか ということすら知らなかったあ
のまさよさんが、 これだけの作文を書いたのだ。そして、今笑い話になったが、私が「おばあさんたちの子ど
も、娘、母、現在にいたるまでの生活を書いてごらん」と言ったときに、「先生はけちい、わしだちにたった
字を50しか教えておらんのに、これだけウンと書けちゅうたら、書けようごとあるか」とぷ一んとふくれたま
さよさん。そのまさよさんがここまで書けるようになったのだ。

自分の人生を語り、綴り、同座する友の自分史を聞き、読み、話しあうなかで、自分だけが苦労しているので
はないことを知ります。 これは自己解放にとって欠かせない認識です。それと同時に、自分やみなにそう強い
てきたわけ=世の中の仕組みを知っていきます。……こうして世の中の仕組みを知り、差別のからくりを知
っていくなかで、今までもっていた認識を変えていきます。字を読めない原因についても、今までは自分が
バカだからと自分のせいにしていました。世の中一般、何よりも学校はそのように教えてきました。 しかし、
自分たちの体験をよくよく見、話し、世の中の仕組み、差別のからくりを知っていくと、そうでなく、世の中
や差別のほうにこそ自分を非識字にした原因があることがわかってきます。
小沢有作 「識字の思想(下)」 「月刊社会教育」No.405 国土社

(京都精華大)学長ウスビ・サコがテレビ朝日のニュース番組「サンデーステーション」
にゲストコメンテーターとして出演します。
「サンデーステーション」は放送枠の変更に伴い、リニューアルされ、
その記念すべき第1回の放送に出演することになりました。
「新しい社会像」や「人々の価値観の変化」を捉え、
アフターコロナを生き抜くヒントが語られる予定です。
みなさまぜひご視聴ください。 

放送情報 番組名:サンデーステーション
日時:2020年10月18日(日)21:00~
放送局:テレビ朝日
https://bit.ly/3j6K1gi

東京駅丸の内側のすぐそばに、日本工業倶楽部(クラブ)の古めかしいビルが建っている。
正面玄関の上には、二つの像が寄りそうように並んでいる。
炭鉱夫と紡績女工の立像である。

経営者の団体がはいっているビルに労働者の像が飾られているのはめずらしいといえるが、
日本の資本主義が、繊維と石炭によってささえられていた歴史の名残りである、、、

1930年代の日本は、綿花を輸入し、それを加工して輸出する、
といった産業構造だったのである。
国の経済をささえた紡績労働者の生活がどのようなものだったかについては、
細井和喜蔵の「女工哀史」や山本茂実の「野麦峠」にくわしい。
東北や長野など冷害に苦しむ農家の子女たちが、親たちの借金を払うために紡績女工となって
はたらいていた。
長時間労働と栄養不足、それに綿ぼこりや湿気が多い劣悪な工場や寄宿から、
結核になって故郷に帰り、そこで死ぬひとたちが多かった。

一方、工場の動力源としての石炭は九州や北海道で採掘される。
炭鉱は暗やみの職場で、囚人たちを投入していたほどに危険できびしい労働だった。
ガス爆発や落盤などの事故や暴力団による暴力行為は日常茶飯事だった。
全国どこでもおなじような状況だったが、とりわけ1870年代(明治のはじめ)、
長崎県の離島にある三菱高島炭鉱の賃下げや虐待にたいする坑夫たちの暴動は、
毎年のように発生し、日本資本主義の恥部だった。

「政商」は明治政府の官業払い下げによって繊維産業や炭鉱をにぎり、
財閥として膨張するチャンスをつかんだ。
その後、財閥は政治資金をだして政党を動かし、企業競争が政争の原因になる
(たとえば、日本郵船事件)こともあった。

「財閥は日本最大の戦争潜在力である」(ポーレ報告、Edwin W. Pauley)として、
戦後、日本の財閥は解体され、日本は民主化の道を歩いたはずであった。

【繊維と石炭  新版「現代社会100面相」 鎌田慧 岩波ジュニア新書】

「政界と財界、それに官界を加えた三者の関係はグー・チョキ・パーだ。
財界は金を出すから政界に強い。
政治家は官僚にいばる。
しかし、財界は役人に弱い」
某・日本精工社長

彼の生涯は明治という時代精神の演じた悲劇なのです。
彼の失敗はそれぞれの領域で、明治という時代がその出発点において目指したことと、
実現し得たところとの落差を象徴しています、、、

(彼の悲劇は)彼の内面の論理と現実の理法との衝突を主要な原因としていたとすれば、
その生活をかけた同時代への批判であったと云えます、、、

「新しい科学の世の中」を漠然と信じて、これに順応することに国をあげて狂奔することが、
日本の将来に何をもたらすか、ここに彼が自分の生活をかけて、
時代の文化に提出した大きな設問があり、彼の人生問題の中心がありました。

中村光夫「二葉亭四迷伝」

マダガスカル、2000年以前と比較すると原生林の約80%が消失

森林破壊による生態系の危機が深刻化しているマダガスカル共和国で、それに拍車をかけるような動きが起こ
っている。違法伐採された木材が中国に輸出され、同国の家具業者やギター・メーカーの原材料として使用さ
れているというのだ。特に紫檀(ローズウッド)で作られたベッドには高値がつくため、次々と姿を消してい
る、、、
「マダガスカルから輸出された木材でつくられた製品にいかに高値がつこうとも、マダガスカルの地元の人た
ちに還元されるのは利益の0.1%以下にすぎない」とも指弾している。
黒檀もギターをはじめとする楽器の原材料として中国に輸出され、同国で作られたギターが国際市場に出回っ
ているという。
インド洋上に浮かぶマダガスカルは、2000年以前の状態と比較すると原生林の約80%が消失し、毎年1
0~20万ヘクタールの土地が森林破壊によって失われ、地域特有の多くの植物や動物が絶滅の危機に直面し
ている。
https://bit.ly/3o19Ce0

ERINNERN

「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在をもみることはできない」

「目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、
(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。
人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。
しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを
知らないでおこうと努めていたのであります。
当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません」

「かつておこったことに責任はない。
しかし、その歴史から生じてきたことには責任がある」

「ーー独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、
いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであった
としても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう」

「荒野の40年」 Richard Karl Freiherr von Weizsaecker(1920 – 2015)

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