学術会議に政治圧力70年 発言力、弱まる一方 吉田茂首相「高度な自主性付与」のはずが

学術会議に政治圧力70年 発言力、弱まる一方 吉田茂首相「高度な自主性付与」のはずが

 日本学術会議の梶田隆章会長は16日、首相官邸で菅義偉首相と会談したが、任命拒否問題で進展はなかった。政府・自民党が圧力を強める中、岐路に立たされている学術会議はこれまで政治とどう向き合ってきたのか。その歴史を振り返った。

 「日本学術会議はもちろん国の機関ではありますが、その使命達成のためには、時々の政治的便宜のための掣肘(せいちゅう)(干渉、制約といった意味)を受けることのないよう高度の自主性が与えられておるのであります」。1949年、日本学術会議の発会式で当時の吉田茂首相はこう祝辞を述べた。

 しかし、その言葉とは裏腹に、学術会議がその後歩んだ約70年は、発言力の及ぶ範囲を徐々に狭められてきた歴史とも言える。

 連合国軍総司令部(GHQ)の主導で国内の学者を集めた「学術体制刷新委員会」が47年に組織され、日本学術会議法の要綱が練り上げられた。48年、ほぼその内容通りに学術会議法が施行された。同法で「学術会議は政府に勧告することができる」と明記したが、勧告に法的拘束力はなく、政府についても「学術会議に諮問することができる」という表現にとどまった。刷新委員会では政府に諮問を義務づける案も出たが、太平洋戦争で科学者が協力させられた反省に立ち、政治との接近に慎重だった当時の学者は自らその案を蹴ったと、広重徹著「科学の社会史」にある。

 60年代の初めまで、学術会議は存在感を見せた。54年に初めて原子力予算が成立した際は、公開、民主、自主のいわゆる「原子力3原則」を求める声明を出し、原子力基本法に盛り込まれた。56年に派遣が始まった南極観測隊の隊長や隊員の人選も担った。学術会議の要望に基づき、高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)や東京大大気海洋研究所など全国の研究者が共同で利用できる研究所の設置も進んだ。

 しかし、次第にその影響力をはぎ取られていく。50、67年と相次いで戦争・軍事目的の研究を拒否する声明を出すなど政府や与党・自民党などとの対立を辞さない姿勢が「左翼的」とみなされ、疎まれるようになったのだ。50年代に毎年数件あった政府からの諮問は62年以降、毎年1件だけに減った。

 67年、文相(当時)の諮問機関「学術審議会」が設置され、科学研究費の配分を担うことになった。学術会議は配分審査委員を推薦する形で発言力を保とうとしたが、2004年の法改正を機にその役割も失った。

 01年には、内閣府に「総合科学技術会議」(現・総合科学技術・イノベーション会議)が設置された。学術会議とともに日本の科学技術政策を推進する「車の両輪」とされたが、経済財政諮問会議と並ぶ「重要政策に関する会議」に位置づけられる総合科学技術会議の方に重みがあるのは明らかだった。総合科学技術会議のトップは首相で、学術会議会長は構成員の一人に過ぎない。

 政治からの圧力は過去の話ばかりではない。

 学術会議は文部科学省からの審議依頼を受け、13年と18年に巨額予算が必要な次世代加速器「国際リニアコライダー」(ILC)の国内誘致について審議。誘致に慎重な所見を示し、今年1月には、優先度の高い「重点大型研究計画」に選ばない決定をした。ある関係者によると、学術会議のこうした姿勢に対し、ILCを推進する議員連盟に所属する自民党議員から「学術会議は何をやっているのか」「あんな組織はつぶせ」との声が上がったという。

 今回の6人の任命拒否も、長年の政治的圧力の延長線上にあるものだったのか。任命を拒まれた一人、岡田正則・早稲田大教授(行政法学)は「政府に耳の痛い勧告をしそうな学術会議にしないために、人事に手を入れてきたのかなと思う」と指摘した。【阿部周一】


日本学術会議をめぐる主な出来事

1947年 GHQの働きかけで、国内の学者で作る「学術体制刷新委員会」設置。日本学術会議法の要綱を首相に報告

  48年 同法施行。一定の資格を有する全国の学者の選挙で会員210人を選出

  49年 首相の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として日本学術会議が発足

  56年 旧科学技術庁設置

  67年 文相(当時)の諮問機関「学術審議会」設置

  83年 学術会議法改正。会員選出方法を学協会の推薦制に

2001年 内閣府に総合科学技術会議(現・総合科学技術・イノベーション会議)設置

  04年 学術会議法を再び改正。会員選出は現会員による推薦制に

  14年 内閣人事局が発足

  15年 内閣府の有識者会議が報告書公表。学術会議の設置形態について「これを変える積極的な理由は見いだしにくい」と結論

  16年 定年を迎えた会員の補充人事案に官邸が難色

  17年 戦争・軍事目的の研究を拒否した50年と67年の二つの声明を継承する「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表

  18年 会員の補充人事案に再び官邸が難色

  20年 推薦候補105人のうち6人の任命を菅首相が拒否

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