「このままでは理系も手を突っ込まれる」佐倉統・東京大大学院教授
菅義偉首相が任命を拒否した日本学術会議の新会員候補6人は、憲法や歴史学などを専門とする人文社会系の研究者たちだった。安全保障関連法をはじめ国の政策に異を唱えたことが「除外」の要因ではないかとの指摘もあるが、現状を理系の研究者たちはどう見ているのだろうか。人工知能(AI)や脳科学などを対象に、科学技術と社会との関わりを研究している東京大大学院情報学環の佐倉統(おさむ)教授は「この方向が続けば理系分野にも介入が及ぶ」と危機感を募らせる。【金志尚/統合デジタル取材センター】
学術とは100年先の子孫を豊かにするもの
――任命拒否が明るみに出て約1カ月。これまでの推移をどう見ていますか。
◆政権の真意は分かりませんが、「一線を越えたな」というのが最初の印象でした。安倍晋三前首相の時からですが、政権は自分たちの意のままに法的な手続きや制度、あるいは世論の批判を無視してさまざまなことに手を入れてきました。今回のことがただちに(戦前のような)思想弾圧になるとは思いませんが、非常に不気味であることは間違いありません。「ついにここに手を突っ込んできたのか」と不安を感じます。
これは、個々の政治信条がどうあるかに関係なく、日本の将来の根幹にかかわる問題です。たとえ学術会議に組織としての問題があったとしても、だからといって今回のような介入が許されていいはずがない。別次元の話です。
菅首相は「総合的・俯瞰(ふかん)的」という言葉で片付けようとしていますが、全く説明になっていない。いきなりこれまでのやり方を変えているわけですから、なぜあの6人が任命されなかったのか詳細な説明が必要です。
――今回の任命拒否に対し、「学問の自由」を侵害しているとの声が上がっています。
◆今の学術研究は理系文系を問わず、分野が非常に細分化されています。研究成果にどういう意義があるのか、その分野の専門家じゃないと分からない状況になっている。善しあしは別にして、現にそうなっている以上、専門家の判断を尊重する仕組みにしておかないといけない。専門的な理解のない外部の人が「これはおかしい」などと口を挟むと、学術研究が成り立たなくなってしまうからです。
今回の任命拒否のようなことを許容し続けると何が起きるか。金や権力を握っている人の意向に沿う研究しかできなくなる恐れがある。それは非常に危ういし、国の力全体をそいでいくことにもなります。
実際、歴史を見ると、何度も権力者が学問に口を出していますが、ろくなことになっていない。学術とは20年、30年、場合によっては100年先の社会や子孫を豊かにする、そんな実りを生む木のようなものです。権力者が自らの意に沿った研究しか許さなくなると、根っこの部分がどんどん小さくなっていく。それでは人々が幸せにならない。
権力の介入でだめになった旧ソ連の遺伝学
――国家権力は学術に介入すべきではないと。
◆かつてソ連にルイセンコという農学者がいました。彼は、獲得形質(置かれた環境によって元々なかった性質が備わること)が次世代にも遺伝するという科学的に誤った学説を唱えましたが、最高指導者スターリンはそれを「共産主義的だ」として支持しました。その政治的介入の結果、ルイセンコは力を得て、彼の学説に異を唱える学者は排斥されました。小麦の起源の研究で知られる著名な遺伝学者バビロフも投獄され、獄死しています。
あの頃のソ連の遺伝学のレベルは世界トップクラスでしたが、この愚行で一気にだめになります。ルイセンコは国の農業政策を任されましたが、科学的裏付けがないため農地が荒廃しました。
今挙げたのは極端な事例ですが、今回の任命拒否も方向性としては同じだと思います。権力者が学問とは別の理由で「こっちがいい」と突き進んで、学術的に意義のある考えの方が否定されるということです。私が「一線を越えた」と述べたのは、その方向に向かって確実に一歩を踏み出してしまったと感じるからです。
――学術会議は軍事研究に慎重姿勢を示す声明を出していますが、政府や自民党内にはこれを快く思っていない人もいるようです。
◆過去の反省を立脚点とするあの声明は戦争放棄をうたった憲法9条みたいなものだと私は考えています。日本のアカデミーは軍事研究をしない。そのことを示す象徴的な意味合いがあります。
歴史をさかのぼれば、科学技術は軍事とともに発展してきました。電気だろうが水道だろうがパソコンだろうが、全て軍事と関わっています。ざっくり言えば、戦争とともに科学技術が進んだのが、これまでの人類の歴史だとも言えます。
だけど、いつまでもそれでいいのでしょうか。少なくとも方向性として、今の世界はもう戦争はしないようにしようとなっています。「軍事研究ができないから技術開発もできない」ではなくて、軍事研究ができなくても同じ水準の技術を開発できる。そういう環境を作ることを考えるべきです。
あの声明は確かにきれいごとかもしれません。でもきれいごとだからこそ、憲法9条のように理念として、ある種の歯止めとして掲げておくことが必要ではないかと思います。日本はゲーム産業が非常に盛んです。例えばそういう強みを生かして、実用的な新技術を生み出すこともできるでしょう。軍事ありきの発想から脱却すべきだと私は考えています。
――政権の矛先は理系分野にも向くと思いますか。
◆今のままだと確実にそうなるでしょう。日本の技術があれば核爆弾も作れます。かつてのように危うい方向に行ってしまう可能性は常にあります。だから、手綱は常に国家権力にとって不自由な方向に締めておかないといけない。科学分野で誰が手綱を締めるのかと言ったら、今の日本では学術会議以外にはない。国から何と言われようと、そこはきつく締める必要があります。
若い専従の研究者が必要
――学術会議の現状はどう見ますか。
◆繰り返しになりますが、今回の任命拒否とは別の話です。そのことを前提にして言えば、問題はおおありだと思います。私は2006年から今年9月まで連携会員を務めました。その経験から振り返ると、万事フットワークが重い。何か提言を出すにしても、さまざまな分野の人がいろいろな意見を出すので、結局「ああでもない、こうでもない」となって、お題目的な理念だけが出てくる、というようなこともありました。しかも時間がかかるから、本来出すべきタイミングから1年くらい遅れたりする。だから実効性も伴っていない。
学術会議専従の研究者がいない点も改善すべきでしょう。会員は皆、大学や国立研究所、民間企業などとの兼務です。腰を据えて学術会議の任務に取りかかれないわけです。若手は所属先の仕事で忙しいし、中堅になると大学や研究所のマネジメントも加わってくる。その結果、一線を退いた名誉教授とかが存在感を増し、熱心に活動するような状況が出てきます。
それが必ずしも悪いわけではありませんが、日本の学術全般に関して方針を決めるには、実証的なデータや議論が必要です。やはり若くて生きのいい人が中心になって運営すべきです。そうした人材を積極的に雇用するようにしないといけないと思います。
――学術会議には年間約10億円の国費が投入されています。
◆決して十分ではないですね。専従の研究者を雇う金がない。雇えないから活動が低下する。悪循環です。米国のシンクタンクなどには、博士号を持つ専従の調査員、研究員がたくさんいます。学術会議もNPOとか財団法人に運営形態を見直すのがいいかもしれないと、個人的には考えています。
さくら・おさむ
1960年、東京都生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。三菱化成生命科学研究所特別研究員、横浜国立大経営学部助教授などを経て、2007年から現職。理化学研究所革新知能統合研究センターチームリーダー。元の専門は進化生態学、霊長類学だったが、現在は科学技術社会論に軸足を移し、AIなど科学技術と社会との関係性を考察している。著書に「『便利』は人を不幸にする」「人と『機械』をつなぐデザイン」など。