性差の日本史:遊女たちのレジスタンス!!(国立歴史民俗博物館)

性差の日本史:遊女たちのレジスタンス!!(国立歴史民俗博物館)

皆様

 こんばんは。増田です。これはBCCでお知らせしています。重複・超々長文…写真をぜひご覧に入れたく…どうぞ、ご容赦を!

 

 先日、たいへん評判のいい件名展示を見てきました。千葉県の…というか東京都隣接県はみな同じでしょうけど…交通機関は東京に出ることを前提に考えられているので、県内の東西・南北の移動は大変です。電車の乗り継ぎで歴博に行こうとすると3~4回も乗り換えなければなりません。長距離運転は、ほとんどやったことのない私…子どもたちの保育園の送り迎えのために運転免許を取得しただけなので、ほぼ、駅・保育園・家・スーパーの4点移動…子どもたちが卒園したら3点移動(笑)のみ… 

 

なので、車での移動を逡巡していたのですが「会期末が近づいてしまった。これ以後は混むだろうから、今しかないっ!」 と今回、決死の覚悟(笑)を致しまして、ナビを頼りに出かけました。一度、道の分岐でナビのヤツめ(笑)が沈黙したため迷ってしまい…わわわっ⁉ と頭が真っ白状態になりましたが、何とか1時間で、たどり着けました。 

 

 結果として、本当に評判通りで、日本のジェンダー(性差)の歴史で、モヤモヤしていたところがかなり晴れました。ただ、この企画展示、パネルの説明さえ写真撮影禁止ということで、なんだかなぁ…でした。以下の歴博HPでは当然ながら(笑)展示品が綺麗に写真が見られますけど… 

企画展示|展示のご案内|国立歴史民俗博物館 (rekihaku.ac.jp)

ま、図録が、だいたい展示物・説明を入れてましたので…巻末には書き下しも…いいようなものですけど。図録は以下のようにA4版で厚さ2.5cm、オールカラーといっていいほどで、ズシリと重い1.17kg! 本当に充実した図録でネット販売もしているようです。税込み¥2500! ネット販売は送料はかかるでしょうが、それだけの価値は絶対にある! と思います…宣伝料はいただいていませんから(笑)…念のため。 

 

以下、この図録から写真を撮ったものをご紹介

 

 

 日本列島では古墳時代前期までは、普通に、3割~5割の女性首長(王)が存在していた! 少し知識はあったのですが、女性首長が葬られた全長90mの前方後円古墳と副葬品の写真は、卑弥呼のような存在が例外ではなかったことが、とてもよく分かります。 

 

 

 中期ぐらいから大規模古墳に女性首長はとても少なくなり…でも、中小古墳にはまだまだ女性も

 

 では、いつから、女性差別がはっきりしてきたのか

 

 女性差別の根源は、何と中国の律令を真似てとりいれたところから! でした。諸悪の根源は中国だった?(笑)…とはいっても、日本列島社会では、律令は律令、制度は制度であって、かなり長く女性も官人として平等に官位を得て昇進をしていたようです…その式などにも平等に出席。 

 

 中世にあっても、女性地頭もいて、財産も相続していました。近世になり、女性は「奥」に分離されましたが、「将軍・大名の妻、奧女中の政治的権能」は、かなりあったのです。 

 

 そして、近代、薩長成り上がりどもが、自由民権運動を圧殺して作った大日本帝国憲法によって、女性は法的に完全に一人前の人間とは、みなされなくなったわけです。 

 

 「第6章 性の売買と社会」展示は、本当に初めて知ったことも多くありました。中世においては「遊女屋」は独立自営で宿としても経営され、母から娘に受け継がれ、集団で居住し、仏像の胎内に納めたリストにも差別は全く見られずに遊女の名前が載せらていました。 

 

 近世遊郭が成立すると人身売買で遊女にされた女性たちは商品とされ、奴隷のように扱われるようになるのです。以下は幕末のものですが「遊女大安売」のチラシです。 


「御徳用向遊女沢山仕入」という言葉もあり、左の一番最後の追伸部分(?)には「お気に召さない遊女は取り替えます」という趣旨の文言も… 

でも、そんな中でも、遊女にされた女性たちは、せいいっぱいのレジスタンス…これは、私がそんなふうに感じたので、展示の中にはこういう言葉はありません(笑)…を行いました。 

 

梅本佐吉という遊女屋経営者は、遊女たちを虐待し続けた…裸にして縛り付けて飲食をさせなかったり、蹴ったりした…ために、たぶん、遊女たちの稼ぎもちゃんと渡さなかったのではないかと思いますが、遊女たち16人は2年かけて作戦を練り、店に放火して…大火にならないように細心の注意をしたそうです…名主のところに駆け込み、佐吉を幕府に訴えたのです。 

 

どうして、そういうことが分かるかという『梅本記』という訴訟関係の文書が保存されており、その中に遊女たちの自筆日記が綴じ込まれていたからなのです。そこには遊女たちの食事内容も詳しく書いてありました。 


 

「くさった香々で茶漬け」とか、朝晩二食なのに…これは江戸時代は普通だったようですが…二日間も「食わず」という記述もあり、これでは栄養失調になったのではないでしょうか。その上に日常的に折檻されては… 

遊女桜木の自筆日記は以下です。 


 

 

 さて、幕府のお裁きやいかに? 実はたいへんたいへん残念ながら、展示のところには結果が書いてあったのに、この図録には裁判結果が載せられてないのです。 

 

で、私のうろ覚えですが確か、佐吉と4人のリーダー格の遊女が同罪で遠島だったと思います。「なんだ!? 喧嘩両成敗なのか? 大岡裁きは無かったのか?」と、気分が悪くなったのはハッキリ覚えています。 

 

加害者も被害者も同罪!? そりゃ確かに「放火は大罪」ではありますが、遊女たちは延焼しないように気を遣い、克明な日記も出して、そうせざるを得なかった佐吉の悪行を訴えたのに… 

 

悪しき喧嘩両成敗の見本ですよね…他の12人の遊女は結局「また、売られた」というふうに書いてあった気が…4人の女性の島での扱いは、遊女時代よりは、よくなったのでしょうか? 転売された12人の遊女たちは、少しはマシになったのでしょうか… 

 

誰か、ドラマを書いてこの16人の遊女たちに賛歌を捧げてくれないかなぁ…と思ったりします。 

 

さて、大日本帝国憲法下の近代では、娼妓解放令で「自由意思で売春している」ということになって、さらにさらに被買春女性の被害は酷くなりました。 

 

本当に心が痛かったのは以下の661の展示です。「初めて客をとる女性は…肌襦袢と腰巻を楼主に剥ぎ取られ、土間に蹴落とされた。蹴落とされた女性は、木椀の中の通称『ネコメシ』を手を使わず舌を出して食べた。楼主は女性の尻を竹棒で打った。これは人間界から畜生界に身を入れたことを意味する儀式だという。土間での儀式が終わると、オトコサマを使って実技が教えられた。」… 


想像するだに気持ちが悪いんですけど… 

 

 でも、どんな時代だって、女性たちは闘ったのです。 


 

 1931年の大阪松島遊郭の娼妓たちは2度にわたってハンガーストを打ち、待遇改善要求を全て勝ち取った! ということです。いつも、こんなふうに勝利できるわけではなく、むしろ、江戸末期の梅本事件のように敗北に等しいような結果となったとしても、それでも、その経過はちゃんと記録に残っています。 

 歴博では会期末になり、ネット予約しないと見学できなくなっていると思いますが、ご都合がつきましたら、ぜひ、見学されるよう、お勧めします!!! 

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