鬼は「人の血肉」を食べずに生きられない、今の世の中の「カネ」に似ている、ほか

鬼は「人の血肉」を食べずに生きられない、今の世の中の「カネ」に似ている

2020年12月4日 「協同労働」実現する労働者協同組合法が成立

鬼は「栄養価の高い人の血肉」を食べずに生きられないというのが、今の世の中の「カネ」に似ているように
感じる。みんな限りない経済成長を信じていて、カネなしでは生きられないと思い込んでいる。そのカネは人
の働きからしか得られないから、何とかしてたくさんの人を犠牲にして奪い取ろうとするのだ。人の上に立つ
という幻想で搾取したり、生活のため、生きるためという幻想で、「カネという他者の血肉」を食べなければ
生きられないと信じて込まされている。そして人々は「限りない経済成長」という神話の中で生き残ろうとし
ている。
ぼく自身は限りない成長というものも、「営利」も苦手だし好きではない。かつてぼくが中卒で働いていた時
には、カネのためなら仕事の合間に社長個人の車を洗うことも仕方ないと思っていたし、自分の思いとカネを
得るための仕事が一致しなくても、そんなものだとあきらめていた。必然的に「非営利」の活動に惹かれたし
、カネ儲けとも無縁に生きてきた。どうしても社会にある「営利を求める会社組織」というものになじめなく
て、非営利セクターにばかり関わっていた。
そんな中でついに「労働者協同組合法案」なるものが成立しそうになっている。目的は「非営利」で、組合員
が出資し、組合員の意見を反映させて「非営利の事業」に組合員自身が働くというものだ。組合員自身の人件
費も必要だから、皆で採算ベースに乗る事業のために働くのだ。
それはNPO方のように「特定の事業類型」に捉われない。これまではできなかった出資も可能になっている
。「新型コロナウイルスの影響で廃業や雇い止めが増え、将来不安が増す今で、労働者協組によって「よい仕
事」が生み出され、生き生きと働く人が増えることが期待される」とされている。
ぼくはこれを知った時、これこそ私が働きたかったものだと感じた。営利はどこからか利益を得なければなら
ない。他者の血肉のようなもので、ちょっとでも利益を上乗せして販売したり、マルクスの言った労働価値説
なら、「少しでも他者の労働から得たものから搾取しなければならない。それを当然としなければならないの
がこれまでの「営利活動中心の社会」だった。   
共に働くものを思い、販売する相手のことを思い、社会全体への価値の還元を思うことは一部分でしかできな
かった。ところがそれを目的にした組織を作り、自分たちで出資し、社会を改善する事業が、ついに可能とな
るのだ。
これまで、もしそんなことを実現しようと思うなら、「公的セクター」に所属し、その上司の指示に従わなけ
ればならなかった。しかし現実には「自分に従わないものは解雇する」という上司の下では、たとえそれが憲
法や法に従ったものであったとしても実現できなかった。それどころか違法なことすら命令された。そうした
中で、「公的セクター」ですら解雇されたり左遷されたりして、そこから弾かれることも少なくなかった。自
殺したとしてもその人のせいにされ、上司の違法な要求は問題にされなかった。
これからは「公的セクター」に代わる、労働者による「協同組合」が成り立つ。同じ金額で快く働くことがで
きるなら、何も「営利セクター」や「公的セクター」に働く必要はない。公立である必要はなくなるのだ。
たとえば病院であったとしても、経営者が多額の給与や配当を取らなくてもいい。利益を考えて患者を「薬と
検査漬け」にして儲けなくてもいい。自分たちで出資したり融資を受けたりして、新たな非営利事業体として
生まれ変わりさせることも可能になるのだ。一切の違法な横やりを排除して運営してもいい。それがどれほど
社会の人たちに利益を届けることだろう。
https://bit.ly/2IeF74p

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「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすて
てこそ息む。これは永遠の真理である」

1951年には国際連合に蔵相として参加し、同年9月6日、サンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席
した。その会議演説で、ジャヤワルダナは「日本の掲げた理想に、独立を望むアジアの人々が共感を覚えたこ
とを忘れないで欲しい」と述べ、また「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む(英語: Hatre
d ceases not by hatred, But by love.)」という法句経の一節を引用して、セイロン(現:スリランカ民主
社会主義共和国)は日本に対する戦時賠償請求を放棄する演説を行った、、、
蔵相をはじめとして、首相、大統領と要職を務めた。ジャヤワルダナは1977年、無投票で首相に選ばれ精力的
に活動した。1978年、第2代大統領(大統領制移行後では初)になった。しかし高まる民族間の対立を抑えるこ
とはできず、大統領任期中の1983年にはスリランカ内戦が勃発している、、、
1991年には日本の仏教関係者の招待で広島市を訪れ、広島平和記念資料館を見学している。1996年、死去に際
し献眼、角膜提供。「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言通り、左目の角膜は遺言通り長野県
の女性に移植された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ

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「インド人達よ、私はいま東京に在る。大戦が勃発したとき、会議派のある者は、圧力と妥協によって英国か
ら自治と独立への譲歩が引き出せると考えた。しかし英帝国主義は微動もしていない。英国が自発的に植民地
を放棄するであろうと期待することこそ、真夏の夜の夢に過ぎない。(中略)われわれの独立に妥協は許され
ない。真に自由を欲する者は、自らの血をもって戦いとらねばならぬ。」

1943年6月、ボースは東京から祖国インドへ向けラジオで第一声
「革命家チャンドラ・ボース 祖国解放に燃えた英雄の生涯」 稲垣武 27頁

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終戦後、イギリスは元インド国民軍将兵約20,000人を、イギリス国王に対する反逆罪で裁こうとした。しかし
、この裁判を機にインド民衆の間に独立の気運が一気に高まった。次々とゼネストや暴動が起きる中、国民会
議派も「インド国民軍将兵はインド独立のために戦った愛国者」として即時釈放を要求、1946年2月には英印軍
の水兵たちも反乱を起こし、ボンベイ、カラチ、カルカッタで数十隻の艦艇を占拠し「インド国民軍海軍」を
名乗った。水兵たちは市民に混じって官憲と市街戦を展開、英印軍の将兵たちはイギリス人上官の発砲命令を
拒否した、、、
これらインド国民軍将兵の裁判によって起こった一連の事件はインドが独立を勝ち取る大きなきっかけとなっ
た。インド独立の過程については、ガンディーやジャワハルラール・ネルーに代表されるインド国内における
大衆運動が有名だが、チャンドラ・ボースやビハーリー・ボース、A.M.ナイルらインド国民軍とその関係者が
独立に果たした役割も非常に大きな評価を受けている。実際にインドにおけるチャンドラ・ボースの位置づけ
はガンディーと同等で、ネルーより上位であり、国会での写真の飾り方はチャンドラ・ボースが最上部になっ
ている。なお1947年8月にインドが独立を獲得すると、インド政府は元インド国民軍将兵たちを表彰して年金も
給付した、、、
イギリス首相としてインドの独立を承認したクレメント・アトリーは、1956年にインドのカルカッタを訪問し
、その当時の西ベンガル州知事P.B.チャクラボーティ判事と会談を行った。チャクラボーティ判事は、「1942
年に国民会議によって開始された 『Quit India』(インドから出ていけ) 運動は完全に潰され、1944年まで
には完全に消滅していたのに、英国はなぜ戦後、あれほどの焦りの中でインドを離れたのか?」と質問したと
ころ、アトリーは「それはスバス・ボースのINA(インド国民軍)と、それが英国インド軍で引き起こした反乱
のせいだ」と答えた。続けて判事が「インド独立の承認においてマハトマ・ガンジーの『インドから出ていけ
』運動はどのような役割を果たしたのでしょうか?」と鋭く質問した。判事によれば、アトリーは皮肉な笑み
を浮かべながら「ほとんど何も無かった」と明言したという。
歴史家のエリック・ホブズボームは、「インドの独立は、ガンジーやネルーが率いた国民会議派が展開した非
暴力の独立運動によるというよりも、日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、
ビルマ(現ミャンマー)を経由し、インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされた」としている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/インド国民軍

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ソウルフードは主にケイジャン料理、クレオール料理やブラジル料理と食材やアフリカ式の料理法を共有して
いる、、、アフリカ人の奴隷とその子孫は、手に入る食料で生き延びることを余儀なくされた、、、奴隷は大
農園で捨てられる豚足、牛舌、牛の尾、ハムのかかとの部分(ハムホック)、チタリングス(豚の小腸)、豚
の耳、豚の頬肉、牛の複胃(ミノ、センマイ、ハチノス、ギアラ)や皮をもらい受けて料理を工夫し、タマネ
ギ、ニンニク、タイム、ローリエを加えて風味を良くした。さらに多くの奴隷は野生動物を捕らえて足りない
動物性蛋白質を補った、、、奴隷が農園主の邸宅の台所でコックとして働くようになると、奴隷の食文化はさ
らなる発展をとげた。鶏が手に入ればフライドチキンが食べられるようになり、、、アフリカ系アメリカ人が
雇用の乏しい南部の農村部から北部の工業地帯に移住するにしたがい、ソウルフードも人と共に移動した、、
、多くの奴隷州では奴隷が読み書きを習うことは違法であったため、ソウルフードのレシピや料理法はしばし
ば口承で伝承された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ソウルフード

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アウンサンは、40 年に初めてカルカッタでスバスと会う前から彼の『闘へるインド』等の著書 を読んでいた
こと、戦争中何度もスバスとコンタクトを持ちお互いの間には完全な相互信頼が あったこと等に触れている。
翻意して日本軍と戦ったアウンサンも、スバスに対する敬愛の念 は抱いていたようである。
アジアでの反英独立闘争へのスバスの登壇はあまりにも遅すぎた。既に戦況は日本にとって 圧倒的に不利であ
り、しかも日本はその戦力の大半を太平洋における米国との戦いに費やして おり、ビルマからインドに侵攻す
るというスバスの願望に答えることは戦略的にも物質的にも 不可能であった。結果としてスバスの能力とイン
ド侵攻への強い意志、さらには彼の人望と組 織力を無にした責任の大半は日本側にある。大本営は当初インド
を大東亜共栄圏の外に位置づけ、 インド独立支援が戦争遂行に果たす意味についても国家的戦略を欠いていた
と言えよう。
日本との協力関係はスバスにとって悲惨な結果に終わったが、東南アジアで結成された国民軍と 戦後彼らをめ
ぐる裁判が、インド独立の最大の切っ掛けを作り出したことに疑いの余地はない。 さらに国民軍の活躍によっ
て、英印軍におけるインド兵の英人指揮官への忠誠心が低下した事 実も英国がインドを手放す要因でもあった
。スバス自身インドに凱旋することはできなかっ たが、国民軍はインド民衆の蜂起というスバスが描いた通り
の結果を生み出した。
https://bit.ly/39IufqF
スバス・チャンドラ・ボースの再評価

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「史上最悪の作戦」

第31師団は「山を越えてやってくるのは一個連隊が限度」と見ていたイギリス軍を一個師団丸ごとで急襲する
ことに成功し、4月5日インパールの北の要衝コヒマを占領していた。コヒマはディマプルとインパールを結ぶ
街道の屈曲点に当たる要衝で、コヒマの占領は通常ならばインパールの孤立の成功を意味するはずだが、連合
軍はコヒマ南西の高地に後退し、大激戦となった「テニスコートの戦い(英語版)」(日本側呼称:コヒマ三
叉路高地の戦い)において連合軍の駆逐に失敗したため、インパールへの補給路は遮断しきれず、豊富な航空
輸送能力による補給も可能だったため、効果は薄かった。
実はこの時点で、最重要援?ルートの1つレド公路への要衝ディマプルまで、遮る連合軍部隊が存在しない状態
であったために、日本軍が前進を継続していたらディマプルは陥落していた可能性が高いと、戦後のイギリス
軍の調査で結論付けたものも存在する。ディマプルはベンガル・アッサム鉄道とコヒマ・インパールを結ぶ道
路の結節点であり、そうしたところは通常、補給物資の集積所になる。もしここを陥落させた場合、英軍は敗
走を余儀なくされ、対して日本軍はしばらくの間、補給の問題を解決でき、この作戦に勝利することができた
と英第14軍司令官のスリム中将らは指摘する。戦後、この調査報告を知った牟田口中将は、反省を一転し、作
戦失敗は佐藤の独断撤退によるという主張をするようになった。他方、日本軍の補給線は伸びきっていて、前
線の部隊には一粒の米、一発の弾薬も届かないような状況であった。つまり、明らかに攻撃の限界点を超えて
おり、日本軍はディマプル攻略どころかコヒマ維持も不可能な状態であり、たとえ強引にディマプルを攻略し
たとしても、そこで得られる物資が万一少なかったり、英軍の撤退がなく、戦いが長引いた場合には、敗走の
運命は変わらなかったろうとする者もいる。また、記録によれば、牟田口中将もディマプル攻略を強く要請し
たわけではなく、作戦開始前に佐藤中将に一度示唆し、作戦中に上官の河辺中将に一度、要請しただけであっ
た。河辺中将に作戦範囲でないとして断られると、なおも要請はしていないので、命令にはディマプル攻略は
含まれていなかった。よって、第31師団がディマプル攻略をしなかったとしても、その責任が佐藤中将の抗命
にあったとは言えず、その命令を明示的に下さなかった牟田口にもあると言える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/インパール作戦

(色平)
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