命・心・和 > 金・物・力 ほか

労働者協同組合法の成立は企業や株主の意向に振り回される働き方から労働者を解放

斎藤幸平准教授インタビュー@12月5日、東京新聞

働きがい 豊かさ、価値の中心に

協同労働に詳しい大阪市立大大学院経済学研究科の斎藤幸平准教授(33)は、
本紙の取材に
「労働者協同組合法の成立は企業や株主の意向に振り回される働き方から労働者を解放し、
働きがいや豊かさを価値の中心に置いた働き方に変える契機になる」
と指摘。
「利潤を追求する資本主義に一石を投じることができる」
とその意義を語った。

斎藤氏は、
「政治は有権者が対等に一票を持っているが、企業の中で労働者に一票はない。
株主に意思決定権をはく奪されている」
と強調。
一方で協同労働は
「労使関係を前提とせず、自分たちが組合に出資し、ルールを定め、
何をどのように生産・販売するかを主体的に決めることができる」
という利点があると説明した。
(石川智規)

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「労使」ではなく「協同」で働く 労働者の裁量、自律性を取り戻す<協同労働法>

労働者協同組合はスペインやイタリアで19世紀に始まり、米国でも広がりつつある。今、日本で法制化され
る意義は何か。大阪市立大大学院の斎藤幸平准教授は「現場の労働条件が悪化し経済的不平等が拡大する中、
労働者が経営主体となる協同労働が広がれば、労働のあり方や生産の仕方を根本から変える可能性がある」と
指摘した。(石川智規)

◆好きな仕事を選び、嫌なら辞める自由ある
―協同労働の意義をどう捉えているか。
「私たちは好きな仕事を選び、嫌ならば辞める自由がある。しかし、資本主義における企業の目的はあくまで
も最大限の利益を出すことなので、労働者の意思を無視して命令を出し、生産性を上げようとする。つまり、
私たちはどの企業のもとで働くかを選べる自由くらいしか与えられていない」
「しかし労使関係を前提にしない、もっと別の働き方があるはずで、それが協同労働だ。必ずしも労使関係を
前提とせず労働者自らが出資し、自分たちでルールを定め、何をどう作るかを主体的に決める。株主の意向に
振り回されず労働者の意思を反映していけば、働きがいや生活の豊かさにつながるのではないか」

◆「営利目的でエッセンシャルワーク」は危険
―なぜいま協同労働に注目しているのか。
「人類の経済活動が地球を破壊する『人新世』と呼ばれる時代に突入している。際限なき利潤追求が宿命の資
本主義的な企業が、地球を破壊する構造は止められない。企業がSDGs(持続可能な開発目標)に取り組む
といっても表面的だ。利潤第一ではない、環境や地域のための協同労働が重要になる」
「社会に不可欠なエッセンシャルワークを営利目的でやるのは社会全体にとって危険で、協同労働の出番だ。
例えば保育園がもうからないとき、人件費カットや突然の閉園で保育士や親を困らせる運営企業がある。協同
労働であれば、労働者を守る道を探ることもできるし、簡単には撤退することもない」
「しかも保育や介護といった協同労働になじみやすい分野は、二酸化炭素(CO2)も出さない。気候危機の時
代に求められている働き方の可能性がここにはある」

◆コロナ禍で分かった「本当に必要な仕事」
―新型コロナウイルス感染拡大後の新しい生き方と協同労働の関係は。
「コロナ禍で明らかになったのは、どういう仕事が社会にとって本当に必要なのか、ということだ。ゴミ収集
が1週間止まれば、町はゴミだらけになる。ところが、エッセンシャルワーカーたちは、しばしば低賃金で長
時間労働を強いられている。機械化できず、生産性が低い仕事とみなされているからだ。協同労働が、労働者
の裁量や自律性を取り戻し、社会のために質の高い仕事を持続的に提供する場になってほしい」
―課題は何か。
「組合に参加する人数が増えれば、決定する人、実行する人の距離が開き、主体的な意思決定が難しくなる。
また、他の企業がコストカットを続ける中で組合の民主主義重視の運営は競争力では劣る。国や自治体が支援
をできるかが鍵となるだろう」

さいとう・こうへい 1987年生まれ。ベルリン・フンボルト大哲学科博士課程修了。主な専門は経済思想
。近著「人新世の『資本論』」(集英社新書)で資本主義システムの問題点を挙げるとともに、目指すべき働
き方として協同労働に触れ、注目されている。
https://bit.ly/3gwUEsY

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チャンドラ・ボースは、反英独立運動における最大の障害は、英印軍傭兵として使われていたインド兵である
と指摘した。ボースの画期的な指摘は、これらの将兵を英国の傭兵としてではなく、本来、独立を求めるイン
ドの愛国心のある軍人として位置付けた。そして、この愛国者を覚醒させることを、最大の重点としたのであ
る。
これは、ガンジー、ネルーが思いも掛けない盲点であった。しかも、その効果は絶大であった。実際に傭兵た
ちが各地で群発地震のように反乱を起こした。そのキッカケを作ったのはチャンドラ・ボースである。そして
英国はインド撤退に同意した。だが、ボースはインド独立を見ずに台北飛行場での事故で死亡した。
インド独立以降は、ボースを敵視したネルー王朝が続いた。本来は、インド独立の英雄として称えられるべき
チャンドラ・ボースの栄光は、いつしか歴史の物語から忘れ去られてしまった。そしてボースの出身地である
ベンガル地方はインド有数のスラム街となった。1913年に、東洋人初のノーベル文学賞を受賞したラビンドラ
ナート・タゴールの出身地であるにもかかわらずである。
https://bit.ly/2Lg9HeY

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イエスがこれら不幸な人々にみつけた最大の不幸は彼等を愛する者がいないことだった。彼等の不幸の中核に
は愛してもらえぬ惨めな孤独感と絶望が何時もどす黒く巣くっていた。必要なのは「愛」であって、病気を治
す「奇蹟」ではなかった。人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。自分の悲し
みや苦しみをわかち合い、共に泪をながしてくれる母のような同伴者を必要としている。
「イエスの生涯」 遠藤周作 p229

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イエスは何を語るだろうか。
彼らは待っていた。
そして遂にその日の午後イエスの最後の言葉を知った時、それは彼らの想像を越えたものであった。 

「主よ、彼等を許したまえ。彼等はそのなせることを知らざればなり・・・」

「主よ、主よ、なんぞ我を見棄てたまうや」

「主よ、すべてを御手に委ねたてまつる」

十字架上での三つの叫びーーこの三つの叫びは弟子たちに烈しい衝撃を与えた。
イエスは弟子たちに、怒りの言葉ひとつさえ口に出さなかった。
彼等の上に神の怒りのおりることを求めもしなかった。
罰を求めるどころか、弟子たちの救いを神にねがった。 
そういうことがありえるとは、弟子たちには考えられなかった。
だが考えられぬことをイエスはたしかに言ったのである。
十字架上での烈しい苦痛と混濁した意識のなかで、
なお自分を見棄て裏切った者たちを愛そうと必死の努力を続けたイエス。
そういうイエスを弟子たちは初めて知ったのである。 
「イエスの生涯」 遠藤周作 p211

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私たちは、コミュニケーションを欠いてはいないのであって、反対に、コミュニケーションをもちすぎている
。だが、私たちには創造が欠けている。私たちには現在に対する抵抗が欠けているのである。
ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ

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社会が貨幣の上に成り立っている限り、私たちはどこまでも貨幣に振り回されるだろう。
1995年12月パリのストライキのさいのリーフレットより

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情報ハイウェイのすばらしい点の一つは、仮想世界での公平さは現実世界での公平さよりもはるかに簡単に達
成できるということだーー仮想世界では、われわれは誰もが平等に生まれついている。
ビル・ゲイツ

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ワシントンからのよい知らせですが、議会の誰もが情報スーパーハイウェイを支持しているそうです。悪い知
らせですが、それが何を意味しているのか、誰もまるで分かっていないそうです。
エドワード・マーキー下院議員

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思うに、資本主義的民主主義国家においては、私の主張の正しさを実証するような壮大な実験にとって必要な
だけの規模の支出を計画準備するということは、戦時ではないかぎり、政治的に不可能なことのようである。
ジョン・メイナード・ケインズ、1940年7月29日

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いまや世界のほぼ全域の配分が完了し、残された地域の分割、征服、植民地化も進行しつつある。夜、頭上に
輝く星のことを考えてみたまえ。われわれの手のけっして届かないあの広大な世界を。できれば私は、あの星
々をも併合したい。そのことをよく夢想する。あれほど明瞭に見える星が、あれほど遠く離れているのはなん
と悲しいことか。
セシル・ローズ

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われわれの望みは、「祖国のために死んだ者たちを記念して」建てられたばかげたモニュメントの数々ーーそ
れらは、あらゆる村でわれわれに睨みをきかせているーーを破壊し尽くしてしまうことだ。そして、それらを
一掃した場所に、脱走兵のためのモニュメントを建立したいと思う。脱走兵のためのモニュメントは、戦死者
の誰もが戦争を呪い、脱走兵の幸福を羨みながら死んでいったがゆえに、戦争で死んだすべての人びとを代表
している。抵抗は脱走から生まれるのだ。
反ファシズムのパルチザン、ヴェネツィアにて、1943年

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私は、いまだかつて私たちの憲法ほど、帝国の拡張と自治のためによく工夫して計画された憲法はなかったと
確信している。
トマス・ジェファソン

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われわれは祖国のために戦っていると思っていた。だが、それが金庫のためだということにすぐ気づいたのだ
った。
アナトール・フランス

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彼らは殺戮を行ない、それを平和と呼ぶ。
タキトゥス

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反宗教的批判の根本は、人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない、
ということである。
たしかに宗教は、人間が人間らしい生き方をまだしていないか、
もうできなくなっている場合の、自己意識であり自己感情である。
けれども人間というものは、けっしてこの世界の外にうずくまっている抽象的存在ではない。
人間、それはつまり人間の世界のことであり、国家であり社会のことである。
この国家、この社会が、宗教という倒錯した世界意識をうみだすのは、
この国家、この社会が倒錯した世界であるためである。
宗教は、この世界の一般理論であり、それの百科辞典的な綱要であり、
その論理学が通俗的な形をとったものであり、それの精神主義的な名誉問題であり、
それの興奮であり、それの道徳的是認であり、それのおごそかな補足であり、
それの慰めと弁解の一般根拠でもある。
宗教が人間の本質を空想的に実現したものであるのは、
人間の本質が真の現実性を持っていないからである。
だから宗教にたいする闘争は、間接的には、宗教を精神的香科としてもちいている
この世界にたいする闘争である。
宗教上の不幸は、一つには実際の不幸のあらわれであり、
一つには実際の不幸にたいする抗議である。
宗教は、なやんでいる者のため息であり、また心のない世界の心情であるとともに
精神のない状態の精神である。
それは、民衆のアヘンである。
幻想のなかで民衆の幸福をあたえる宗教を廃棄することは、
現実のうちに民衆の幸福を要求することである。
自分の状態についての幻想をすてろと要求することは、
幻想を必要とするような状態をすてろと要求することである。
だから宗教の批判は、いずれは、宗教を後光にいただく苦しいこの世の批判にならずには
いられないものである。
【「ヘーゲル法哲学批判序説」中山元、光文社古典新訳文庫 】

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インド脱出
「1940年の11月29日、入獄中のスバース=チャンドラボースは“死に至るまでの断食”を行い、重体
になった。ボースは“生死を問わず”自由の身になる決意であった。驚いた当局は再逮捕するつもり彼を一時
釈放し、自宅に帰した。40日間、ボースは自宅の寝室を出なかったが、この間に秘密の会合を開いた。そし
て1941年1月26日深夜、自宅前に立つ監視の眼を潜って、突然行方不明になったのだった。彼はジアウ
ッディーンと名乗るムスリムに変装し、カルカッタからアフガニスタン国境へと向かった。興味深いのはこの
とき、彼を助けたのがインド共産党員であったことである。無事国境を越えた彼は耳が不自由、口もきけない
人間として、カーブルに従者タルワール一人とともに到着した。」
 ボースは(当時はイギリスと対立していた)ソ連に行くつもりで、ソ連大使に亡命を願い出たが無視され、
やむなくイタリア大使の斡旋でソ連経由でドイツに向かった。ボースはなぜ国外での活動を撰びインドを離れ
たのか。彼自身の語るところによれば、・イギリスは敗戦し、英連邦は崩壊するだろう。・にもかかわらずイ
ギリスはインドを手放さない。・反英の側で戦えばインドは独立を得るだろう。と考えたためであった。「イ
ンドを脱出してイギリスの敵と手を結び、その援助でインド解放のための軍隊を結成する」ことを目指したと
いう。<p.61-63>

日本軍の侵攻とインド
ボースは1941年11月から自ら原稿を書き、百キロワットの短波放送で世界のインド人に一日45分間、
反英独立を鼓吹した。当時バンコクで結成されたインド独立連盟のメンバーもその放送を聞いていた。194
1年12月に太平洋戦争が始まり、日本軍がシンガポールを陥落させ、ビルマに迫った。その間、捕虜となっ
たイギリス軍の中のインド兵は、日本軍が協力して編成したインド国民軍に加わり、イギリス軍と戦う側に立
った。<p.79,83>

この情勢により、インド内部ではチャンドラ=ボースが日本軍とともに攻めてきてインドを
解放するのではないかという強い期待がわき起こった。ガンディーでさえ、ボースの放送の影響を受け、日本
軍の勝利、イギリス軍の敗北を予測し、「インドを立ち去れ」(クィット=インディア)運動を開始したとも
推測される。<p.140-142>

国外のボースの運動は従来はインドの独立運動に大きな影響を与えなかったとされ
ていたが、ガンディーの「インドを出て行け」の運動に強いインパクトを与え、ガンディーは当初はイギリス
の敗北を信じ、侵攻してくる日本に対して有利な交渉の余地を想定してイギリスの撤退を掲げ、非協力運動を
展開した。しかし、日本政府および日本軍側にそれに応じる構想も能力もなく、ボースの戦略は実現しなかっ
た。<p.149-152>

ボースの事故死
インパール作戦は日本軍のインド侵攻作戦ではあるが、ビルマでの優位を維持するための防衛的作戦にすぎず
、インド独立を援護するものではなかった。ボースはそれでもその戦いに賭けてインド国民軍を率いて参加し
敗れた。「ボースは日本の敗戦が見えてもくじけることはなかった。彼はインド独立の戦いは終わっていない
とし、戦争の終結間近になると、今後世界の矛盾は米英対ソ連をめぐっての展開となるだろうと考えた。従っ
て再び<敵の敵は友>という彼の政治哲学に従い、イギリスの敵ソ連に行き、ソ連との協力で反英独立闘争を
繰り広げようとした。そしてソ連に向かう途中、1945年8月18日に台北の飛行場で謎の飛行機事故死を
遂げたのである。」<p.254>

ボースは「生きている」
「インドに行った日本人は、ボースが今でも生きていると信じられているのに驚く。ネルーの生涯のライヴァ
ルであり、急進派としてガンディーに対抗して国外脱出し、独立直前に夭逝したボースは、いまや独立後のイ
ンドが実現できなかった全てのもののシンボルである。インド独立に賭けた人々の夢と願望、幻滅の全てを背
負って彼はこれまで「生きて」きた。・・・現在の人々にインドの現状への不満が存在するかぎり、ボースは
生きているとの神話はなくならず、彼は生き続けるであろう。」<p.256>

<以上 長崎暢子『インド独立 逆光のチャンドラ・ボース』1989 朝日新聞社>

======

ガンディーの意図
日本軍の侵攻が迫る中、ガンディーは何故イギリスの撤退を要求し、一見日本軍に協力するような運動を意図
したのだろうか。このような疑問について、それまで明らかでなかった第二次大戦期のインドの反英闘争の経
過を詳細に調べ、ガンディーの意図を明らかにしようとしたのが長崎暢子『インド独立』1989 朝日新聞社刊で
ある。以下にガンディーの「インドを立ち去れ」運動についての同書の記述を要約する。

 第二次世界大戦が拡大され、1941年12月に太平洋戦争が始まると、まもなく日本軍がシンガポールを
占領し、イギリス軍を降伏させた。これは、ガンディーにイギリスはインドを守れるだろうかという疑問を強
くさせた。アメリカや中国がインドの独立を強く求めるという国際的な圧力にもかかわらず、チャーチルは特
使クリップスをインドに派遣して、依然として自治を認めるとしても戦後のことであり、しかもムスリムや藩
王国とは別個に交渉するというコミュナル対立を利用した分割支配を続けようとしていた。そのような中でガ
ンディーは、今こそイギリスは全面的に撤退すべきであると考えた。

(引用)ガンディーは敗走するイギリス軍に対して反英大衆運動を行い、勝利者としてやって来る日本軍とイン
ド国民軍には反英、親日的、あるいは中立的インドを見せて、戦場化を避け、インド人の生命安全を保障した
うえで独立インドが日本と講和を結ぶことを想定した。これがガンディーのクウィット・インディアの構想だ
った。
<長崎暢子『インド独立 逆光のチャンドラ・ボース』1989 朝日新聞社 p.251>

しかし、日本政府及び日本軍はその構想に対応することはなかった。ガンディーとの接点はなく、むしろ会議
派を反日的と捉えていた。(大東亜共栄圏の構想にも当初はインドは含まれていなかった。)ガンディーはチ
ャンドラ=ボースとは対立していたが、当時ボースがベルリンからインドに向けて反英闘争を呼びかけていた
こと、さらにインド国民軍が日本軍に協力してインドに迫る事態をみて、日本の勝利の可能性を信じたようで
ある。一方、このガンディーの構想に対して、会議派主流のネルーらは、あくまでファシズムとの闘いを優先
し、イギリスを支援すべきであると主張し、反対した。

 このように当初は「インドを立ち去れ」運動は反対も多く、会議派の方針とはならなかったが、それが一転
して1942年8月に全面的な会議派の方針となったのは何故か。そこには日本軍のインド侵攻が停滞したこ
と、さらにミッドウェー海戦を機に日本軍の後退が始まったことが影響していると考えられる。そのような状
況の変化を見て、ガンディーは一つの譲歩をした。それはそれまではイギリス軍の駐屯を認めなかったが、戦
争継続中に限りイギリス軍が駐屯することを認めたのである。そのような妥協のうえでネルーなど会議派主流
も「インドを立ち去れ」運動を受け入れた。主流派としても、インド民衆の中に渦巻く反英感情の盛り上がり
を抑えることはできなかった。こうして42年8月8日の運動開始を迎えた。
<長崎暢子『同上書』を要約>

======

インド国民軍裁判はイギリスにとって大きな誤算だった。民衆のイギリスに対する怒りは逆に爆発、裁判の進
展とともに国民軍は国民的英雄に祭り上げられていった。この反英気運は信仰や民族、階級と言語、政党や党
派を越えた大きなうねりとなった。INA自体がそうしたインドが持つ幾多の矛盾を乗り越えて独立のため結
集した集団だったからでもあった。
インド議会では、国民会議派が連日、INA裁判の不当性や大衆のデモに対する不当弾圧を糾弾し、ヒンズス
タン・タイムズやドン、ステーツマンなど有力マスコミもINA裁判批判の記事やインバール作戦でのINA
の武勲話で紙面を埋めつくしたという。
民衆は街頭に出てイギリスの支配に抗議するデモ行進展開、インド各地で暴動を誘発した。裁判が開始した1
1月5日の翌日、植民地政府は「監禁中のINA将兵の中から首謀者400人を向こう6カ月の間に裁判にか
ける」と発表したことが民衆の怒りに火を注ぐ結果となったのだった。11月21日から26日にかけてのカ
ルカッタのデモはゼネストにまで発展、全市がマヒ状態に陥り、火の手はデリーやボンベイなど主要都市にも
広がった。
藤原中佐は後にこの暴動をレッド・フォートの収容所内からも感じ取ることができたと自著「F機関」に記し
ている。「レッド・フォートを囲んだ暴徒の歓声が一段と高まり、近付いたかと思うと銃声が城内にこだまし
、しばらくすると暴徒の声は怒号に変わった。キャンプのボーイが『死者何人。負傷者何人。郵便局が焼かれ
た。警察署が燃えている』など状況を逐一報告してくれ、我々は固唾を飲んで成り行きをみていた」と述べて
いる。
12月31日、シャヌワーズ被告らに無期懲役が宣告された。イギリスは判決に対するインド民衆の怒りを恐
れ、判決の公表をさけ、翌年1月3日被告3人を軍職解雇とし、釈放した。刑の執行無期延期措置を採ったわ
けで、事実上の無罪放免だった。
朗報はまたたくまにインド全域に広まり、民衆の歓喜を呼び覚ました。各地で盛大に祝賀会が開かれ、カルカ
ッタでは1月23日にチャンドラ・ボースの誕生日は町を挙げた祝典となった。
INA裁判はこれで終わったわけではなく、その他のINA将兵の対する公判はまだ続いていたが、2月に入
ると今度はボンベイのインド海軍が反乱を起こした。INA裁判に抗議するとともに、食料や給料の改善を要
求、将兵は20隻の艦船を占拠。彼らはINAのスローガンを叫び、イギリス人を襲撃した。この騒動は海軍
だけでなく、英印軍全体に波及した。
軍隊内にまでINA裁判の影響が及んだことを重視したイギリスは、直ちにINA裁判の中止を宣言、INA
将兵全員を釈放した。イギリスの敗北は近付きつつあった。イギリスにとってこれ以上のインド領有はいたず
らにイギリスの経済的、軍事的消耗を強いるだけだった。
一年後の1947年イギリスはインドへの権力委譲の準備を終えた。インドは独立した。歴史に「もし」は許
されないが、ボースが生きてインドに帰っていたら、裁判を取り巻く情勢はもっともっと激しいものだったこ
とは想像に難くない。INAは戦場から同胞を蜂起させることはできなかったが、法廷から見事にその使命を
果たしたのであった。
インド独立に果たした日本の役割は決して小さくない。インド人たちが知っている常識ををわれわれはもう少
し知っておく必要があるのではないだろうか。

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中国安徽省の医師ら6人 違法な臓器移植を行い懲役刑に
2020年12月06日 07時05分 NEWSポストセブン

中国における「違法な臓器移植」の深い闇の一端が明らかに…
臓器移植に関する正規な手続きを経ずに、交通事故の負傷者ら11人から肝臓や腎臓を違法に摘出したとして、
中国安徽省の病院勤務の医師ら6人が懲役10月~2年4月の実刑判決を受けていたことが明らかになった。複数の
中国メディアが報じている。
中国では、2015年にドナー(臓器提供者)の9割を占めていた死刑囚からの臓器移植を停止したことでドナー不
足が深刻化。現在、推定で30万人もの人々がドナーを待っている状態だという。
今回の事件では、臓器移植を担当する医師らが、ドナー不足に付け込んで、患者から多額の費用を要求した上
で、組織的に臓器摘出に関与していたとのこと。違法な臓器移植の深い闇の一端が明らかになった。中国で医
師の臓器売買グループの摘発が公表されたのは初めて。
事件の発端は、事故で死去した母親が臓器摘出を受けたことに関して疑問を持った男性による通報。警察の取
り調べを受けた同省懐遠県人民病院の集中治療室(ICU)の主任医師ら医師4人を含む医療関係者6人が犯行を自
供した。
主任医師らは2017~2018年に交通事故などの負傷者ら11人の家族に対して、「臓器移植を行えば、国の補助金
が給付される。また、臓器を移植される患者からも多額の礼金をもらうことができる」などをもちかけて臓器
移植に応じるよう説得した。
中国では2013年以降、ドナーと移植先のマッチングは正規の統一システムのもとで行われ、関係機関への報告
義務も必要だ。さらに、臓器摘出手術には赤十字社スタッフも立ち会わなければならないが、今回の事件は一
連の手続きがすべて無視されていた。
事件にかかわった主任医師ら6人は今年5月に起訴され、8月に安徽省の上訴審で故意遺体損壊罪による実刑判決
が確定した。
英BBC放送は最近、オンラインで臓器売買の「商談」がなされる中国の闇市場についてルポルタージュ番組を放
送。21歳の男性がギャンブルでの借金を返すために、腎臓を7000元(約11万2000円)で売却したと報じている
。その男性は医師グループと接触し、患者との臓器の適合性をチェックするための診断を受け、患者とのマッ
チングを確認。2週間後に近郊の農家の建物にある仮設の手術室に連れていかれて、摘出手術を受けたという。

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Rangiaowhia
ランギアオフィアで何が起きたか。それは,以下のような出来事である。 
土地戦争の時代,1864 年 2 月 21 日,ワイカト地方のランギアオフィア では,マオリの老人,女性,子ども
たちが戦地パテランギ(Paterangi)の 後方支援を担っていた。ところが,植民地政府軍はランギアオフィアに
は軍人がいないことを承知で攻撃し,文字通り「無辜の民」約 250 人を虐殺 したのである。

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「力への信仰は必ずといってよいほど言葉が本来の意味・内実を喪失していくことに通じ、
対話・討論を無意味として忌避し、ひいては法の無効化(政治権力の恣意的行使)
を伴っていることを忘れてはならない」
佐藤幸治「日本国憲法論」第2版 成文堂

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コロナ禍の中で東アジア・太平洋地域の新興国における貧困層は、
これまでの減少傾向から一転して最大で1300万人も増加するとされる(世界銀行調査)。
【内田聖子「非対称な国家間のメガ協定 RCEP協定締結の持つ意味」「世界」21年1月号】

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民族が進歩的なものであるのは、あくまでそれがより強力な外的諸力から
自分を守るために固められた防御線である限りにおいてなのだ。
【ネグリ・ハート「帝国」 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 p146】

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高度成長期の地域開発を検証した宮本憲一「地域開発はこれでよいのか」
は、1960年代、地方から東京への陳情がひどくなり

「地方政治は東京の夜で決定されるようになった。
住民が地域開発計画に自発的に参加し、学習するような場はなくなった。
それどころか、進出する大工場は『租界』をつくり、地元の企業や住民を差別するようになった」
(45p)

と書いている。
巨大開発は自然を破壊するとともに、、、人間の思考や価値観を破壊し、
そして人間そのものと地域社会をも破壊していった。

【現在の「鏡」としての高度経済成長期 神子島健 「世界」21年1月号掲載】  

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これらのイメージは、いずれも事実とは大きく異なっています。
第一に、ナイチンゲールが戦場で敵味方なく看病したという記述はどこにもありません。
第二に、ナイチンゲールは“看護師は誰も自己犠牲を惜しまぬ白衣の天使であるべきだ”と強要した人ではあ
りません、、、

ナイチンゲールの8つの素顔 
“著述家”としてのナイチンゲール
“看護の発見者” としてのナイチンゲール
“教育者”としてのナイチンゲール
“優れた管理者” としてのナイチンゲール
“衛生改革者” としてのナイチンゲール
“病院建築家” としてのナイチンゲール
“統計学者” としてのナイチンゲール
 “ソーシャルワーカー” としてのナイチンゲール

https://nightingale-a.jp/8-faces/

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終戦後の占領開始当初における米国の対日戦略は「日本を中立・非武装化して中国(中華民国)をアジアの拠
点とすること」であったが、一方で日本の民主化・非軍事化が達成されれば米軍を早期に撤退させる方針でも
あった。しかし中国大陸では国共内戦において民国を主導する中国国民党は完敗を喫し、台湾島などを除く中
国本土には中国共産党一党独裁の中華人民共和国が成立した。さらには朝鮮戦争の勃発・激化をも経験した米
国は、日本を「反共の砦」と位置づけ再軍備を認める一方で、在日米軍の駐留を継続する。これが「冷戦」発
生後のいわゆる「逆コース」である、、、

日本共産党や新左翼各派は、現状の日米安保条約体制に基づく自衛隊や在日米軍には反対だが、国家の
軍備そのものを否定しているわけではない。特に日本共産党は、1946年の日本人民共和国憲法草案でも侵略戦
争は不支持としているが、これは不戦条約と同等であり、戦争や軍備自体を否定した条項はない。また日本国
憲法制定時の採決では「自衛戦争の否定」などに反対し、反対票を投じている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/非武装中立

(色平)
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