「桜を見る会」前日の夕食会の費用を後援会が補填(ほてん)していた問題で、安倍晋三前首相が任意の事情聴取を受けた。安倍氏の責任や、この件から見えてきたものを考える。

 ■「言論の府」の軽視、広めた 山崎望さん(政治学者)

 一国の首相まで務めた政治家としての安倍さんの政治責任は、厳しく問われなければなりません。

 「桜を見る会」前日の夕食会の費用補填に関わったとされるのは公設第1秘書です。安倍さんには、要となる秘書の行動を統制できなかった責任があります。

 さらに安倍さんが、「事務所が補填した事実はない」などとしてきた答弁は、結果として虚偽だった可能性が高まっています。たとえ「秘書の説明を信じていた」と弁明したとしても、野党やメディアから問いただされ、大問題となっていたのに、きちんと調べて真実を明らかにしようとしませんでした。政治家としての資質に欠けており、議員辞職に値すると思います。

 民主主義には、公正な選挙で国民の代表を選ぶ、という大切な過程があります。しかし、それだけではありません。

 国会は「言論の府」と呼ばれ、国民の多様な意見を代表する政治家らが議論する場です。合意をつくり出したり、政権の対応を批判したりもする。そうした「熟議」も、民主主義の大切な要素です。

 ところが安倍さんは、「桜を見る会」の問題に限りませんが、国会で野党の追及に真摯(しんし)に対応せず、一方的な主張を繰り返しました。「選挙で選ばれた政権なのだから、野党と議論する必要はない」というのであれば、「排除の政治」であり、民主主義の形骸化です。それらをもたらした政治責任も、大きいと思います。

 国会での議論を軽視する姿勢は、官僚たちにも広がりました。森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題では、官僚らによる事実と異なる答弁が139回にものぼりました。事実を曲げてまでも時の権力者を守り、自らの身も守る。官僚が「全体の奉仕者」であることを忘れ、「首相官邸の部品」と化してしまいました。安倍1強の長期化と官邸主導の弊害でしょう。

 安倍さんは国会できちんと説明すべきです。それも非公開の場で一方的に「報告」するのではなく、参考人や証人として、野党をはじめとする議員と向き合い、きちんとコミュニケーションをとることです。そこから政治責任を果たしていくべきです。菅義偉首相も当時、官房長官として安倍首相の説明を追認してきました。今、この問題についてどう考えているのかを明言すべきです。

 日本社会は、見かけは、選挙も公正になされ、三権分立も確保されている。自由民主主義を規定した憲法も改正されていません。しかし、政治の中身は、徐々に権威主義的な体制に向かっているのではないでしょうか。これは、間違いなく、戦後民主主義の危機です。(聞き手・桜井泉)

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 やまざきのぞむ 1974年生まれ。駒沢大学教授。著書に「来たるべきデモクラシー」、編著に「奇妙なナショナリズムの時代」。

 ■検察、政治介入へリベンジ 魚住昭さん(ジャーナリスト

 検察首脳の人事に介入して、支配下に置くことは、自民党政権の長年の悲願でしたが、それはなかなか実現できませんでした。検察官が裁判官に準じる手厚い身分保障を与えられており、政界の腐敗を摘発する検察への国民の支持も強かったからです。

 例えば、ロッキード事件で逮捕・起訴された田中角栄元首相は「闇将軍」として政界に君臨し、法相に自分の息のかかった政治家を次々と送り込んで検察に圧力をかけ続けましたが、検察側の防御が固く検察首脳人事に手を触れることはできませんでした。

 1995年にも、吉永祐介検事総長の後任に、自民党に近いとされた根来泰周(ねごろやすちか)・東京高検検事長を押し込もうとする動きがあったと言われています。根来氏が63歳の定年を迎える前に吉永氏が辞任すれば、もくろみ通りでしたが、吉永氏は辞めず、根来氏は検事総長になれませんでした。

 検察は、政権側からの圧力をことごとく退け、人事の自立性を守ってきました。

 それが崩れたきっかけは、2010年に発覚した大阪地検特捜部による証拠改ざん事件でした。検察の威信は地に落ち、特捜部廃止論さえ湧き起こりました。

 翌年、検察当局は、政界汚職などを捜査する独自捜査部門を縮小する組織改革を発表し、当時の笠間治雄検事総長は会見で、「特捜部の原点は財政経済事件。政治家を捕まえるためにできたわけではない」とまで発言。政界がらみの事件は当面やらないとも聞き取れる内容でした。

 これにより、検察は牙を失ったオオカミのようになり、相対的に政治の側の力が大きくなりました。それを象徴するのが、甘利明経済再生担当相(当時)側が建設会社から数百万円を受け取った問題や森友学園をめぐる公文書改ざん問題の不起訴です。

 そんな中16年、法務・検察内部で内定していた黒川弘務・法務省官房長(当時)の地方の検事長への転出人事案を首相官邸側が覆し、法務事務次官に昇格させたのです。安倍政権自民党政権の宿願をついに達成したかに見えました。さらに「桜を見る会」をめぐる疑惑が表面化した後には、政権は東京高検検事長の黒川氏が検事総長になれるように、定年延長閣議決定しました。賭けマージャンが発覚せずに黒川氏がそのまま検事総長になっていたら、立件にゴーサインを出していたとは思えません。それを期待して、定年延長したと考えるのが自然ではないでしょうか。

 安倍氏の聴取など立件に向けた動きは、黒川氏の定年延長問題で検察人事に介入してきた政治の側へのリベンジという意味もあると思います。「検察をなめんなよ」と。これを機に、検察と政治の力関係は再び変わるでしょう。(聞き手・山口栄二)

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 うおずみあきら 1951年生まれ。共同通信社でリクルート事件などを取材。著書に「冤罪(えんざい)法廷 特捜検察の落日」。

 ■国民は不満を持っていい 富永京子さん(社会学者)

 野党が国会で「桜を見る会」問題で政権を追及すると、「他に取り上げるべきことがあるだろう」という意見をよく耳にします。現状に異議を唱えても政治は変わらない、だから自民党に仕事をしてもらえばよい、という感覚もあるのかもしれません。

 昨年、在外研究でオーストリアにいた時、右翼・自由党の副首相が汚職で引責辞任した時のことを思い出します。リベラル派の私の友人は「これで政権が代わる」と歓喜していました。実際、その後に内閣不信任案が出て、自由党は野党になりました。日本はどうでしょう。私自身、「桜を見る会」問題で政治が大きく変わるとは思えない、というのが正直なところです。

 ですが、「野党がだらしないから」の一言で片付けてしまってよいのでしょうか。

 私は今年、他の研究者と共同で各政党の政治家に関する信頼度調査を行いました。立憲民主党共産党よりも自民党への信頼度が高めという結果でした。なぜでしょうか。

 多くの日本人は「仕事をしている」「結果を出している」ように見える政治を評価する傾向があります。「自己責任」が重視される世の中で、結果を出すことは、政治に限らず、企業や学校など社会一般でも評価されます。一方、今の野党のように政権を追及するのは「仕事をしているうちには入らない」と有権者は解釈しているのです。

 菅義偉首相の「ガースー」発言が炎上したのも、そんな傾向の表れかもしれません。国民は「それはパフォーマンス。仕事ではない」「とにかく結果を出せ」という反応なのではないでしょうか。

 もう一つの特徴として、「現状に満足している」と、国民の多くが思い込んでいることが挙げられます。NHK放送文化研究所の最新の調査では、今の生活について「満足」「どちらかといえば満足」を合わせ、1973年の調査開始以来最高の92%が「満足」と回答しています。

 特に今の若い世代は、生まれた時が「失われた30年」のさなかでした。「社会って、こういうもんだ」「悪いことがあれば、それは自分のせい」という意識が強い。政治に異議申し立てをしないどころか、あきらめる作法のほうが身に付いています。

 しかし私はもっと「不満」をもっていい、と思います。

 初任給が10万円余しかない、就職活動でハラスメントに遭った――。「桜を見る会」の話に関心が向かわずとも、ごく身の回りの理不尽に、人がモヤモヤした思いを持たないはずはありません。満足したふりはしなくていい。もっと政治や社会のせいにして構わない。そう思える人が増えることが、もっと多くの人が政治に関心を持つ出発点になると思います。(聞き手・稲垣直人)

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 とみながきょうこ 1986年生まれ。立命館大学准教授。デモなどの社会運動論を研究。近著に「みんなの『わがまま』入門」。