人々、国々、文化、社会、ほか

アフガニスタンから見た世界と日本

 
 
アフガニスタンから見た世界と日本 

連載第8回 核兵器禁止条約批准と日本の役割 レシャード・カレッド 文化連情報 21年1月

・・・(広島や長崎の)被災者が苦しんでいる姿は方々で伝えられ、
”核のない世界”を訴える運動が世界中に広がっていきました。
しかし、核保有国は核爆弾を使用するとは言わずとも、世界中の戦場や大国の戦略のため
各種の砲弾やミサイルで劣化ウランを使っています。

アメリカの空軍で使用される30ミリ砲弾を始め、陸軍の戦車専用爆弾
(130ミリ砲弾、2・2kg)や劣化ウラン貫通体を持つ歩兵戦闘車などで使われているのです。
今や、核保有国のみならず、スウェーデン、トルコ、韓国、台湾、イスラエルなどの多くの国々
が劣化ウランが使われている兵器を保有し、対戦相手国で使用しています。

アフガニスタンにおいては、2001年のニューヨーク同時多発テロ後に米軍の爆撃が開始され、
当時の政権を司っていたタリバーンを追い出しにかかった米軍がトマホーク巡航ミサイルを始め、
クラスター爆弾など多種多様な武器を使用しました。
その頃は放射性物質が含まれていることを把握していなかったこともあって、
一般市民、特に子どもたちがその周辺で平気で暮らしていました。

毎年当地を訪れて、難民キャンプや地方で活動していた我々のチームが、ある年、
戦場カメラマンの森住卓氏とともにカーブル市から活動の主体であるカンダハール市に
向かっていた時のことです。
森住氏が日本から持参していた放射線測定器を取り出して、爆撃で崩落した橋のふもとに
近寄って測定を始めました。
森住氏は、ピーピー音が止まないことに驚いた我々に、これが、使われ放置された放射性物質の
実態であることを丁寧に説明してくれました。
その周囲には、遊牧民の家族が住み付いていて、ヒツジやヤギなどの動物が破壊された橋の下で
餌を食べていました。
私たちはその様子を呆然と見ているほかありませんでした。


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指紋押す指の無ければ外国人登録証にわが指紋なし

点訳のわが朝鮮の民族史今日も舌先のほてるまで読みぬ

金さんは1949年に両目を失明している。52年に点字の舌読を学び始めた。ハンセン病患者の多くは指先の感覚
を失い、悪化すると指そのものを失う。そうなると、点字も指では読めない。そこで、まだ感覚の残る舌先で
読むのである、、、舌を血だらけにして金さんが身につけたのは日本語点字だけではない。その後、彼は朝鮮
語点字も学んだのである。

徐京植「ディアスポラ紀行」岩波新書 2005年 202頁


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金夏日 キム・ハイル 1926- 

https://bit.ly/3bliDL9

金夏日さんは1939年13歳の時慶尚北道の村から家族で夜逃げして日本に渡り、東京で尋常小学校夜間部に通い
ながら製菓工場で働きはじめて3年後、「らい」を発症して警察を通じて多磨全生園に送られます。 
しかし45年春、家計を支えようと無断で園を出て防空壕掘りの仕事で稼ぎますが、5月25日の山の手空襲で焼け
出されます。焼夷弾の雨が降る火炎地獄の中で「どうせ無用の命だ。殺せ!」と開き直った彼に聞こえたのは
「ハイル!」と呼ぶ父の、そして母の声・・・。 
戦後は闇市に店を出したりもしましたが、病状が悪化し、群馬県草津の栗生楽泉園に入って以後そこで長く暮
らすことになります。

https://bit.ly/2K1XSZO


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兵力の逐次投入  毎日新聞 2021年1月8日 余録

 コロナ対策で「兵力の逐次投入(ちくじとうにゅう)」との批判をよく耳にする。旧日本軍はガダルカナル
戦などで、強力な米軍に対し兵力を小出しにして次々に撃破された。中途半端な策を小出しにするのは兵法で
は禁物とされる▲旧日本軍も「戦闘を実行するにあたり、所要に充(み)たざる兵力を逐次に使用するは、大
なる過失に属す」(作戦要務令)と戒めてはいた。逐次投入は主動の利を失わせ、むだに損害を招き、ついに
は軍隊の士気を挫折(ざせつ)させると説いたのだ▲なのに旧軍が兵力の逐次使用に陥ったのは、正確な情報
収集を怠って敵の戦力をあなどり、根拠のない楽観にもとづく作戦を立てたからだ。自分らの都合の良いよう
に現実を考える楽観は結局、厳しい現実によって順次打ち砕かれた▲東京で2400人超の新規感染者が報告
される中、後手後手、小出しの対策を批判されてきた政府がようやく緊急事態宣言を出した。ただ、対象は1
都3県、施策は飲食店の時短が主軸と聞けば、またも「逐次投入」の言葉が浮かぶ▲すでに専門家からは、飲
食店の時短中心の策では2カ月後も今と同水準の感染状況が続くとの試算も出ている。飲食店時短で感染拡大
を抑えたかに見えた大阪でも再拡大の兆(きざ)しがある。人の移動、接触をより減らす策は必要ないのか▲
爆発的な感染急拡大のニュースを聞き、政府のいう「限定的、集中的」施策の効果に疑問を抱く方も多かろう
。中途半端な策でもしも緊急事態が長引けば、国民の“士気”の挫折を恐れなければなるまい。


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G7では日本だけ?=小倉孝保  毎日新聞 2021年1月8日 金言

 間もなく米国に新政権が誕生する。歴代大統領はこの時期、後任の政策を縛らないよう配慮してきた。もと
よりトランプ大統領にそんな考えはないようだ。任期終了が近づくにつれ、賛否の分かれる政策を次々と実行
している。死刑執行もその一つである。
 トランプ政権は昨年7月、連邦レベルで死刑の執行を再開した。米国では一部の州が毎年、死刑を執行して
いるが、連邦政府は2003年から17年間、これを停止してきた。
 大統領選挙後の11月19日にも、トランプ政権は刑を執行した。米国では政権移行期間に死刑を執行しな
い慣例が、131年間続いてきた。これが破られたのは、「自由の女神」の除幕式に出席したクリーブランド
大統領以来というから驚きだ。さらにトランプ政権は今月にも執行を予定しており、国際人権団体から、「駆
け込み執行」と批判が出るのも当然だ。
 トランプ氏がそこまで死刑にこだわる背景に、バイデン次期大統領の姿勢が指摘されている。バイデン氏は
かつて死刑を支持していたが、今は反対の立場である。選挙でも、連邦政府として執行しないことを公約し、
死刑を維持する州に対し、執行の停止を求めることを明らかにしている。
 新政権になると、米国で死刑廃止の動きが加速すると考えるのは弁護士の杉浦正健(せいけん)さん(86
)だ。杉浦さんは法相を務めた05年10月から約1年間、死刑執行書に署名しなかった。
 弁護士に復帰し、今は日本弁護士連合会が死刑廃止実現のために作った組織の顧問に就いている。「アメリ
カが死刑廃止に動いたとき、さて日本はどうするのでしょう。中国などと一緒に死刑維持を主張し続けられま
すか」と杉浦さんは言う。
 経済協力開発機構(OECD)加盟37カ国で死刑を維持しているのは日米韓の3カ国のみ。韓国は199
7年を最後に執行をしていない。バイデン政権誕生によって、主要7カ国(G7)首脳で死刑を支持している
のは日本の首相だけとなる。
 死刑の廃止・停止は国際潮流である。ただ、このような重要テーマについて、外圧で方針を決定するのは情
けない。私たちは今、自らこの制度について、より深く考えねばならないと思う。
 死刑について支持から反対に姿勢を変えた元最高裁判所判事、故団藤重光(だんどうしげみつ)はこう語っ
ている。「死刑の存廃は一国の文化水準を占う目安である」。世界はこの問題を通して、日本の文化レベルを
見ている。(論説委員)


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ほどよい距離感って? 
 小川さやかさん、、、 朝日新聞2021/1/8 耕論

 ■あなたが遠のく世界で
 やば、このメール返信忘れてた……。「即レス」を心がけ、その分、相手にも「いいね!」や共感を求めて
しまい、疲れていませんか。いい感じの距離感って、どんな感じなのでしょう。

 ■貸し借り、持ち越していい 小川さやかさん(文化人類学者)
 メールにすぐ返信したり、親切を受けたらすぐお返ししたり。そうしないと不安になる。なぜなのでしょう

 人と人とのやりとりが、まるで市場交換のようになっています。「借り」はなるべくつくらない。「貸し」
はすぐに返してもらう。人間関係のトラブルのもと。そのような贈与交換ばかりだと、窮屈で楽しくないよう
に思います。
 タンザニアや、香港のタンザニア人の間で、20年ほど商慣行を研究しています。そこではレスポンスがな
いのはしょっちゅうだし、「貸し借り」を持ち越すことも多い。
 例えば、1万円貸してあげた人が10年後に成功して、ドカーンと100万円になって返ってくるかもしれ
ない。あるいは詐欺師になったとしても、自分に不審な電話があったとき「それは詐欺やで」と教えてくれる
かもしれない。「貸し借りの種」は、すぐに返ってきたら損はしないけれど、増えもしないんです。
 一種の「賭け」でもあります。100人に賭ければ、3人ぐらいは成功する。まったく返さない人もいて、
多く返してくれる人もいる。そんな緩やかさで回すことで、お互いに生きていけるようにする。「運」を贈与
交換の中に織り込むことで、支援を求めたり、手を差しのべたりすることを楽にするのです。
 資本主義の世界に生きる私たちは、社会のしがらみに頼るよりは、自分の労働を金銭に換えて自律的に生き
る方がいいと思っています。でも、自己責任というのは特殊近代的な価値観だと思います。
 もちろんタンザニアのスタイルをまねる必要はありません。でも、これだけ関係が多様化している時に、み
んな同じようにきちんとした人間関係を続けるのは、たいへんです。地域の集まりで、共働きの人も専業主婦
もいて、「1万円の会費は苦しい」と思う人もいれば「1万円では何もできない」と思う人もいる。みんなが
同じ貢献をして同じ利益を得るべきだと考えるのは、つらいじゃないですか。
 昔ながらのしがらみはちょっと面倒くさい。でも困ったときに助けあうことも必要です。それなら、これは
ビジネスであって助けあいではない、という体裁をとりながら、贈与を回す仕組みを考えてはいかがでしょう
か。
 コロナ禍で、副業やシェアといった考えが広まっています。いきなり「あした困る」ことがないよう、「小
商い」に手を出すのもいいかなと思います。そこから別の人間関係が広がり、贈与を広くうまく回す仕掛けが
できてくるかもしれません。
 資本主義の体裁をとりながら、結果として助けあっている。気がついたら、色々なものが色々なところから
手に入る。そうやって回っている世界も面白いのではないでしょうか。(聞き手・岸善樹)
    *
 おがわさやか 1978年生まれ。立命館大院先端総合学術研究科教授。「都市を生きぬくための狡知」「
チョンキンマンションのボスは知っている」


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「ルートが固定されているから、勝者と敗者が存在するんです。」(オードリー・タン)

朝日新聞2021/1/8  折々のことば:2046   鷲田清一

 学校ではみな同じコースで競争させられるが、実際の社会ではそんな勝ち負けで各人の能力が判定されるわ
けではないと、台湾のIT大臣は言う。「命の赴く方向」は人それぞれ。人は私を「天才」と呼ぶが、それは
同じ一つの判定基準という幻想から人より先に醒(さ)めたということにすぎないと。


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ペリー来航直前から頻発した地震

諸外国からの開国圧力が強まる中、大地震が続発しました。1847年5月8日には長野で善光寺地震が起きました
。善光寺の御開帳に重なったこと、山崩れで犀川にできたせき止め湖が決壊したことなどのため、1万人を超す
犠牲者が出ました。
ペリー来航直前の1853年3月11日には小田原地震が起きます。さらに、日米和親条約締結後の1854年7月9日に三
重県で伊賀上野地震が、そして12月23日に東海地震、翌24日に南海地震、26日に豊予海峡地震が発生します。
ペリーの来航や地震を受けて、翌1855年には、元号が嘉永から安政に改元されます。しかし、災異改元したも
のの、地震が続発します。3月18日に飛騨地震、9月13日に陸前地震、そして11月11日に江戸地震が発生します
。さらに、1856年8月23日に八戸沖地震、1857年10月12日に芸予地震、1858年4月9日に飛越地震と、大地震が続
発しました。
飛越地震では跡津川断層沿い、神通川流域、常願寺川流域などで山崩れが多発しました。とくに、立山連峰の
大鳶崩れによって立山カルデラに大量の土砂が流れ込んで、常願寺川にせき止め湖ができました。これが二度
にわたって決壊して下流に大被害を出しました。地震以降、急流河川の常願寺川は暴れ川となり、我が国の砂
防発祥の地となりました。

(1854年12月)30時間差で発生した東海地震と南海地震で西日本が広域に被災

東海地震では、静岡~三重を強い揺れと高い津波が襲い、東海道の宿場は家屋倒壊や火災被害を受けました。
このとき、伊豆半島の下田ではプチャーチンと日露交渉が行われており、戦艦ディアナ号が津波により大破し
ました。ディアナ号は修理のため伊豆の戸田に曳航中に沈没します。その後、乗船していたモジャイスキーの
指導で、日本の船大工が洋船・戸田号を建造し、乗務員をロシアに帰国させます。洋船の建造技術を学ぶきっ
かけになりました。1855年には、日露和親条約が結ばれます。
南海地震では、高知や和歌山などが強い揺れと津波に見舞われました。大坂でも、津波によって河川を遡上し
た大型船により大きな被害を受けました。1707年宝永地震と同様の被害を出したことを反省して、地震後、大
正橋東詰に大地震両川口津浪記石碑が建立されました。
南海地震のとき、和歌山の広村で、庄屋の浜口梧陵が津波から村人を救った逸話は、1896年明治三陸地震津波
のあと、小泉八雲によって「A Living God」として紹介されました。戦前の尋常小学校の教科書には「稲村の
火」として掲載されました。梧陵は現在のヤマサ醤油の当主で、地震後、私財を投じて広村堤防を築きました
。初代駅逓頭(郵政大臣に相当)にも就任しています。また、当時流行していたコレラの防疫にも意を注いだ
ようです。
実は、東海地震のときにも梧陵のような人が居ました。愛知県半田市にあるミツカンの当主だった三代中野又
左衛門が、職を失った村人の雇用確保と地元・半田復興のため、自ら資金を投じて半田運河や中埜宅本邸の大
工事を行いました。広村堤防や半田運河を歩いてみて、先人の為した仕事の凄さを実感するのも良いかもしれ
ません。

https://bit.ly/3no1hzz


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アメリカバイソン

1860年代以降は大陸横断鉄道の敷設により肉や毛皮の大規模輸送も可能となり、列車から銃によって狩猟する
ツアーが催されるなど娯楽としての乱獲も行われるようになった。当時のアメリカ政府はネイティブ・アメリ
カンへの飢餓作戦のため、彼らの主要な食料であったアメリカバイソンを保護せずむしろ積極的に殺していき
、多くのバイソンが単に射殺されたまま利用されず放置された。この作戦のため、白人支配に抵抗していたネ
イティブ・アメリカン諸部族は食糧源を失い、徐々に飢えていった。彼らは、アメリカ政府の配給する食料に
頼る生活を受け入れざるを得なくなり、これまで抵抗していた白人の行政機構に組み入れられていった。狩猟
ができなくなり、不慣れな農耕に従事せざるを得なくなった彼らの伝統文化は破壊された。バイソン駆除の背
景には牛の放牧地を増やす目的もあったとされ、バイソンが姿を消すと牛の数は急速に増えていった。

https://bit.ly/3pZ5Lyd


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映画のなかの19世紀中頃のダコタ(あるいはラコタ)の人たちは,馬を駆使して勇壮に野牛を狩っていた が,も
ともと彼らは野生の米やトウモロコシを栽培する農耕民であったといわれている。
他方16世紀以来,新大陸の植民者であるスペイン人たちがメキシコに馬を導入した。彼らは現在のアリゾ ナや
ニューメキシコに植民地を築き,その土地のインディアンーー総じてプエブロ・インディアンと呼ばれている
ーーをカトリックに改宗しようと企てていた。
しかしながら17世紀の終わりにプエブロ・インディアンたちは反乱を起こし,一時的ではあるが支配権を 取り
戻した。その際に,スペイン人たちの騎馬の習慣がインディアンたちにもたらされ,馬を飼育することをはじ
めた??もともと新大陸には馬はおらず、騎馬 の習慣も無かったのである。馬を利用して狩猟する方法は,18
世紀を通して平原インディアンのあいだに、瞬く間に広がったのである。
周辺の部族と同じようにダコタの人たちも馬を野牛の狩猟に使うようになるが,18世紀末にはそれが本格 化す
る。さらに彼らの一部は,それに先立つ17世紀にフランス人と接触しており,ビーバーの毛皮などの交易を通
して,銃を手に入れていたのである。彼ら は,それまで徒歩で野牛を狩り,獲物を木をV字型に組んだ犬のソ
リで運搬していたのであるから,馬と銃を使った狩猟の効率の改善は驚くべきものであったこ とは想像に難く
ない。
狩猟効率が上がること,それはすなわち彼らの食糧事情が改善することを意味した。その結果ダコタの人た ち
の人口は19世紀の前半に飛躍的に増加したのである。
ダコタ・インディアンの人口の増加は周辺の他の平原インディアンの脅威になり,なわばりをめぐって実際 に
数多くの抗争が繰り広げられた。もっともインディアンのグループどうしの抗争とは,19世紀後半に頻発した
白人がインディアンとの間で仕掛けた戦闘のよ うに平定を目的としたものーーその結果多くの殺戮が生じたー
ーではなく,相手のグループに脅威を与えれば十分といったものであった。しかしながら,長期に わたるこの
ような抗争において,劣勢の集団には他の地域への移動を余儀なくされたり,また和睦による不利な調停に屈
しなければならなかったことは事実のよ うである。
白人との長期にわたる接触の結果,インディアンのそれぞれの部族の関係が変化し,19世紀初頭にみられ るよ
うな彼らの生活様式が徐々に形成されていったのである。
白人たちは19世紀中頃からインディアンたちが狩猟を続けていた土地で野牛を大量にそして不用意に殺戮 した
ことも、インディアンの白人に対する憎悪を高めたーー白人が野牛を食用に使ってもそれは野牛の舌だけであ
った。高まったダコタの人口を確保するための 食物資源が,まさにそのとき枯渇の危機に曝されたのである。

https://bit.ly/2MLAH6Y


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そもそも政府にとって、北京に解放軍を入れるのは内外ともに悪い効果しかないことが明らかなので、絶対に
やりたくない最後の手段だった。そのため政府は最後まで無血で学生を排除しようと説得していた。
しかし、学生側のリーダーたちは説得を拒み続けた。なぜなら彼らは「虐殺が必要だ」ったからだ。
1995年製作のアメリカ製ドキュメンタリー映画「天安門THE GATE OF HEAVENLY PEACE」(日本でもちゃんと公開
済)で、学生リーダーの柴玲(チャイ・リン)が無責任にも、カメラの前ではっきりとこう言っているのだ。
「政府を追い詰めて人民を虐殺させなければ、民衆は目覚めない。だけれど、私は殺されたくないので逃げま
す」
彼女らは、政府と学生を煽って、なんとかして虐殺を起こそうとしたのである。そして、いざ軍が来るという
情報を得ると、自分たちだけCIAの手引きでこっそり海外に脱出したのだ。
軍が入ってきた時、広場に残った学生たちは柴玲たちがいなくなっていることに気づいて呆然とした。
いつの間にか中国を脱出していた柴玲たちは見てもいない「天安門の虐殺」を世界のマスコミに向けてアピー
ルした。

https://bit.ly/3hWsqJ2


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バイデンの米国と正対する日本外交の構想力 寺島実郎
・・・
問われる日本の外交構想力

西側メディアの論調に、バイデン当選に対する安堵と楽観がみられるが、短絡すぎると
言わざるをえない。
もちろん、国際協調重視のバイデンの路線は歓迎されるべきであり、環境問題におけるパリ協定
への復帰、WHOへの回帰、イラン核合意への復帰、NATOへの復帰などが想定されているが、
米国が国際秩序をリードする余力を失っていることは確かであり、先述の米国内の「分断」は、
米新政権が国民世論の安定した支持を受けながら進むことの難しさを暗示しているからである。

また、「同盟重視」といっても「同盟国の衰退」を前提とすることを確認しておきたい。
ワシントンから聞こえてくる認識は、「米国の衰退」というよりも、「同盟国の衰退」
であることに驚かされる。
我々は、第二次大戦後の世界秩序の中核であり、「ポスト冷戦」時代には唯一の超大国といわれた
米国の衰退が問題だと思いがちだが、ワシントンの視界からは、ユーラシア東端の日本と
西端の英国という同盟国の衰退が「米国の衰退」と相俟って進行していると映る。
確かに、2000年に米英日のGDPの世界比重は49・6%と世界の半分を占めたが、
2019年のそれは34・0%にまで圧縮している。
10年後には30%を割ることは確かで、このことが「米国の思うにまかせぬ世界」
をもたらしているともいえるのである。

日本にとっての「同盟重視」の持つ新たな局面を考えさせる事態がすでに動き始めている。
それはワシントンにおける「ジャパン・ハンドラー」といわれる日米同盟で飯を食う人たち、
「日米安保マフィア」の復権である。
現状否定を前提としたトランプ政権においては「日米同盟の現状を固定化する存在」
としてジャパン・ハンドラーは排除されていた。
その意味で、トランプ政権は米軍基地縮小、地位協定改定を持ち出す好機でもあった。
だが、安倍政権はそれを持ち出すことなく、むしろトランプの理不尽な同盟コストの負担増
の要求に過剰同調するだけに終わった。

(2020年)11月12日、バイデン当選に祝意を送る形で、菅・バイデン電話協議が行われた。
バイデン側から「尖閣諸島は日米安保の対象」というメッセージが出され、日本側からは
「本領安堵を受けた御家人の喜び」のごとく受け止められ、「日米同盟の強化」をもって応じた
ことが、翌日の朝刊の一面で報じられた。
苦笑いであり、バイデンの周りに「日本人にはこれを言っておけば喜ばれる」
という助言をする人がいることを示している。

(「世界」2020年10月号掲載の)論考「ポスト・コロナの世界秩序」において、私は
日米同盟の現実を再考する素材として、尖閣問題を取り上げた。


(尖閣は日米関係を再考する起点となる。沖縄返還協定(1971年6月17日調印)の内容
を確認しておきたい。協定は厳密に書かれており、「北緯28度東経124度40分・・・」
など、6つの座標の各点を結ぶ直線が囲む区域を日本に返還するとなっており、
その区域に尖閣諸島は入っている。
つまり、敗戦から沖縄返還までの27年間、尖閣は米国の施政権下にあったわけで、
米国にとって「日中どちらかの領土か不明」という問題ではない。
にもかかわらず、72年のニクソン訪中から今日に至るで、米国は尖閣の領有権については
踏み込まない。
歴代の国務長官、国防長官などが「日米安保の対象」「条約の義務を履行する」
「同盟義務を果たす」と発言してきたが、尖閣に中国が武力行使した場合、
一次的には日本の自衛隊が動き、米軍がどう動くかは「曖昧」なのである。
日本人の多くは「沖縄の米軍基地はこのためにこそ存在している」と期待し、日米の
軍事的一体化も日本防衛のためと理解している。
だが、米国は日中の領土紛争には距離を置く姿勢を崩さない。「世界」20年10月号59p)


そして、これまでも歴代の国務長官、国防長官などが、「尖閣は日米安保の対象」
「条約の義務を履行する」「同盟義務を果たす」と発言してきたが、1972年の
沖縄返還協定以降、中国に配慮して尖閣が日本領であることにはコミットしないことに触れた。
バイデンは、従来の米国の姿勢を繰り返したにすぎないのである。

もし菅政権に多少なりとも外交力があるならば、バイデンに対して瞬時に
「それは尖閣の日本領有を認め、沖縄の米軍が共同防衛に当たることを意味するのか」
と踏み込まなければならない。
メディアもそのことを質すことなく、表層の報道をするという愚を続けてはならないのである。

そして、12月7日、アーミテージ元国務副長官ら超党派の有識者グループが、
「日米同盟強化」に向けての報告書をまとめた。
日本側の受け皿ともいえる日経新聞は9日付で「米知日派が協力促す報告書」として報じ、
「日米、機密保有で中国包囲」という見出しをつけた。
知日派を親日家と誤解するのが日本の常である。
実は、このグループの報告書は2000年以来、4回出されてきており、今回が5回目である。
「集団的自衛権の行使容認」「有事法制の整備」「武器輸出三原則緩和」など、
今世紀に入っての日米同盟強化、軍事的一体化への一連の政策提起はこのグループが提起し、
日本側の利害を共有する人たちが呼応してきたといえる。
今回の報告は、明らかにバイデン新政権の対日政策を意識したもので、米英豪など英語圏5カ国
の機密共有システム(「ファイブ・アイズ」)に日本を加えようというもので、
この流れこそ、米国の戦争に日本が自動的に巻き込まれていくことを意味する。

さらに、ワシントンの一部に日米同盟の次なるステップとして、中距離核戦力(INF)を
日米共同管理で持つことを促す議論(R・ローレス元米国防総省副次官の論考、
『Wedge』2020年12月号)などが出始めていることに驚かされる。

核保有国の北朝鮮と日本、INFオプション 北朝鮮の核問題を考える
リチャード・ローレス (元米国防総省副次官〈アジア太平洋安全保障担当〉)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21411

中国・朝鮮半島情勢を睨み、日本の実質的核武装(核の傘への日本側負担増)
へ誘導する意図が窺える。
「日米の軍事的一体化」の先の危険なシナリオに気付く必要がある。

戦後75年、冷戦後30年が経過、冷戦を前提に構築された「日米安保体制」が今日も継続し、
ほぼ占領軍時代の「地位協定」を保持したまま米軍基地が存続し続け、日本人の心理には
「中国の脅威から日本を守ってくれるのはアメリカ」という固定観念が沈潜し、自立自尊への道は
むしろ後退しつつある。
「米国の保護領(プロテクトレート)日本」と受容する心理から日本人はいつ目覚めるのか。
バイデン政権と正対することが出来るか否かで、21世紀日本の運命は見えてくるであろう。

これからの日本に横たわる中国との最も大きな課題としての尖閣問題を
「軍事力ではなく、外交力で解決するシナリオ」を模索し、日米関係を考察してみたい。
まず、中国が尖閣の領有権を主張する根拠に耳を傾けてみたい。
中国は核心的利害としての「台湾は中国のもの」という認識の先に「台湾領域」として尖閣の領有
を主張しており、日清戦争後の下関条約(1895年)で日本に奪われた
台湾が1945年のアジア太平洋戦争後に中国に返還されたことにより
「中国領」になったという認識である。
だが、昨年亡くなった台湾の李登輝元総統が「歴史的に尖閣諸島が台湾領だったことはない。
台湾漁民が漁をする地域だったが」と再三発言していたごとく、尖閣は琉球の領域であった。

中国が沖縄の領有権にさえ野心を抱いているのであれば「尖閣領有」を主張する本音は
別次元のものとなるが、それも歴史的に正当性はない。
1943年11月のカイロ会談の際、戦後処理に関して、ルーズベルトが蒋介石に
琉球領有を欲しているかを打診したのに対し、台湾中国返還は明確に要求したが、
「琉球は国際機関の中美共管に委託」と主張(蒋介石日記)している。
理由は「沖縄は日清戦争以前に日本に帰属していた」ことと
米国の沖縄への関心(戦後の東アジア展開の基点として)に配慮したためという。

日本としては、自信をもって、まず、日本、米国、台湾の間で
尖閣問題への共通認識を確認し、それをもって静かに中国と向き合うことであり、
国連の安保理事会等を通じ、国際社会に日本の立場を語り続けることである。
「武力をもって紛争解決の手段としない」ことを憲法に掲げる日本は、
外交力を錬磨しなければならない。
吉田茂は若き外交官に「経綸に欠ける」と叱責していたというが、日本の政治に求められるのは
「21世紀の世界史における日本の役割」に挑む構想力である。

「脳力のレッスン」 バイデンの米国と正対する日本外交の構想力 寺島実郎 世界21年2月号


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色平

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