道・真偽・人・猫・衣食住・自他・生死

ぼくはしなない

ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
“じぶんじしんだから”

岡真史

==

ひとり

ひとり
ただくずれさるのを
まつだけ

岡真史

==

みちでバッタリ

みちでバッタリ
出会ったヨ
なにげなく
出会ったヨ
そして両方とも
知らんかおで
とおりすぎたヨ
でもぼくにとって
これは世の中が
ひっくりかえる
ことだヨ
あれから
なんべんも
この道を歩いたヨ
でももう一ども
会わなかったよ

岡真史

==

ぼくの心

からしをぬったよ
体に
そうしたら
ふつうになったんだ
よっぽど
あまかったネ
ぼくの心って

岡真史

==

おっくうな日

雨の日
月よう 土ようのアサ
とってもおっくうな日
こうゆう日は
風のあたるところで
アイスティなんぞを
のんだりしながら
ロシア語の
べんきょうをするのが
一ばんだ

岡真史

==

空のすべり台 

つらいくさとりがおわり
ズキンとするこしをあげて
みれば
空に七色のすべり台が
あった

じっとすべり台を
みていると
スーとひきこまれる
くものかいだんを
のぼり
七色のすべり台を
すべる
ほしのかぜをひきさき
はてしなく
すべっていく……
ろうどうあと
そんなことをかんがえたりする

岡真史

==

人間  

人間ってみんな百面相だ

岡真史

==

じゆう  おかまさふみ

はてしなく広がる大地
よるはほしをかがやかし
ひるは太ようをかがやかす
すみきった空には
青いトリがはばたいて
ぼくのかたにとまる

オオ! 自由だ!
なんていい名なんだ!
じ・ゆ・う!

ぼくの目には
大地と空とトリが
はっきりとうつっている

==

「人を幸せにする住まいのコンセプトとは」

今までの住宅
→これからの住宅

住まいは夏を旨とすべし
→人類の起源と日本の気候を考えれば「冬旨」が当然

窓は大きいに限る
→大きな窓は問題だらけ
機能を明確に丁寧な設計を

風の力を信じましょう
→風はあてにならない
省エネの過剰な期待も禁物

エアコンで暖房は無理
→エアコンは最強の省エネ暖房
ただし使いこなしには注意

吹き抜けは最高
→吹き抜けは暖房との相性ダメ
吉田兼好も「良くない」と言っている

(東大大学院 前 真之准教授)

==

ドイツと日本は、共に第二次世界大戦での敗戦国。両国とも戦後は貧しく、経済効率重視の建築物が造られま
した。ところが、現在でも新築を追求する日本に対し、ドイツでは90年代から政策が変換され、新築優先から
既存建築の改修重視へとシフトしたのでした。
具体的には、新規建築物を造る数を人口動態に合わせて適切に制限し、その分の費用を既存の建築物の改修に
投資するよう、ドイツ政府がコントロール。ドイツでは、日本の約1/15相当の新規建築物しか造れず、新築を
建築する際は、よりよい品質が求められるようになったそうです。

すると新築・改修を問わず、一つの建築物に対する予算が増え、質が向上するために、建物を長期間使う方向
へと変化しました。ドイツでは、100年経っても建物の価値が下がらないどころか、きちんと手入れをされた古
い建築物は、新築よりも価値があると見なされます。建物を長く使うので、投資回収期間も長く設定でき、日
本の3倍もの時間・労働力・費用をかけることが可能になります。そうした付加価値の高い仕事をすることは、
最終的に私たちがもっとゆったりと働き、生きられる社会につながっていくのではないでしょうか。それは、
短命な建物を建てては壊していくスクラップ&ビルドの社会とは対照的と言えるでしょう。

私はこれまで、日本では地震があるために、古い建築物を残せないのだと思っていました。しかし地震や木造
に由来する文化だからということではなく、戦後、新築優先で、建築物を残す文化を育てなかったこと、短期
間での建て替えを前提に、長期使用を想定していないことも、その一因なのだと知りました。常に新築を造る
ことを前提に経済がまわっている社会では、建物を長持ちさせる必要はなく、建物自体の価値も低くなります
。つまり、建物も薄利多売の商品となってしまい、仕事量だけは増えていくという悪循環が生まれるのです。

築100年の建物を改修して、住まいやオフィスとして使用するのは、ドイツでは一般的。むしろ、そうした建物
の方が年月による趣きもあり、人気があります。写真の金田さんの自宅も、築100年程度のアパートです。また
、広い敷地にある元工場などの大規模な建物が、イベントスペースやホテルとして生まれ変わることも珍しく
ありません。

https://bit.ly/30gzGHm

==

「高村光太郎全集 第十九巻」筑摩書房 より
『道程』 作:高村光太郎

どこかに通じている大道(だいどう)を
僕は歩いているのじゃない

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立っている

何という曲がりくねり

迷い まよった道だろう
自堕落(じだらく)に消え 滅びかけたあの道
絶望に閉じ込められたあの道
幼い苦悩に もみつぶされたあの道

ふり返ってみると

自分の道は 戦慄(せんりつ)に値する
支離滅裂(しりめつれつ)な
また むざんなこの光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだろう
それだのに
やっぱり これが生命(いのち)に導く道だった

そして僕は ここまで来てしまった

このさんたんたる自分の道を見て
僕は 自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ

あのやくざに見えた道の中から

生命(いのち)の意味を はっきりと
見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻(まわ)しては 目をはじき
もう此処(ここ)と思うところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ

子供になり切ったありがたさを
僕はしみじみと思った

どんな時にも 自然の手を離さなかった僕は
とうとう自分をつかまえたのだ

丁度そのとき 事態は一変した

にわかに眼前にあるものは 光を放射し
空も地面も 沸く(わく)様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして 僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした

そしてその気魄(きはく)が 宇宙に充ちみちた

驚いている僕の魂は
いきなり「歩け」という声につらぬかれた

僕は 武者ぶるいをした

僕は 子供の使命を全身に感じた
子供の使命!

僕の肩は重くなった

そして 僕はもう たよる手が無くなった
無意識に たよっていた手が無くなった
ただ この宇宙に充ちている父を信じて
自分の全身をなげうつのだ

僕は はじめ一歩も歩けない事を経験した

かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た

僕は 心を集めて父の胸にふれた

すると
僕の足は ひとりでに動き出した
不思議に僕は ある自憑(じひょう)の境を得た
僕は どう行こうとも思わない
どの道をとろうとも思わない

僕の前には広漠(こうばく)とした
岩疊な一面の風景がひろがっている

その間に花が咲き 水が流れている
石があり 絶壁(ぜっぺき)がある
それがみないきいきとしている
僕はただ あの不思議な自憑(じひょう)の
督促(とくそく)のままに歩いてゆく

しかし 四方は気味の悪いほど静かだ

恐ろしい世界の果てへ 行ってしまうのか
と思うときもある
寂しさは つんぼのように苦しいものだ
僕は その時また父にいのる
父はその風景の間に わずかながら勇ましく
同じ方へ歩いてゆく人間を 僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に 僕はふるえ立つ
声をあげて祝福を伝える
そして あの永遠の地平線を前にして
胸のすくほど深い呼吸をするのだ

僕の眼が開けるに従って

四方の風景は その部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に 小さい人間の
うじゃうじゃ はいまわって居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類というものの一部分だ

しかし人類は 無駄なものを棄て(すて)
腐(くさ)らしても惜(お)しまない

人間は 鮭の卵だ
千萬人の中で百人も残れば
人類は永遠に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類のため 人間を沢山つくるのだ

腐るものは腐れ

自然に背いたものは みな腐る
僕はいまのところ 彼等にかまっていられない
もっと この風景に養(やしな)われ
 育(はぐく)まれて
自分を自分らしく 伸ばさねばならぬ
子供は 父のいつくしみに報いた気を
燃やしているのだ

ああ

人類の道程は遠い
そしてその大道はない
自然の子供等が 全身の力で拓(ひら)いて
行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出てきても 乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に 踏み込んでゆけ

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため

==

内藤(湖南)には(富永)仲基の人と学問を紹介した論文が明治26年(1893)の雑誌『日本人』をはじめ5編も
ある。
大正14年(1925)に開かれた大阪毎日新聞15000号記念講演会の講演録「大阪の町人学者富永仲基」が
「先哲の学問」(1946年)に収録されている。

「ずいぶん若いときから私は崇拝しておりまして・・・『出定後語』という本を読んで敬服した」と話し、
『出定後語』を「仏教を批評的に研究した日本で最初の著述であります」と述べ、
「日本人が学問を研究するに、論理的基礎のうえに研究の方法を組み立てるということをしたのは、
富永仲基一人といってもよろしいくらいであります」
と絶賛している。

https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/082.html 

==

https://www.youtube.com/watch?v=Ps6Q5p0CcQw
440万年前の人類は愛妻家でイクメンだった!?

https://www.youtube.com/watch?v=0jdcR8jr3d0
370万年前の人類は虫を食べていた!

https://www.youtube.com/watch?v=_RauDD0mQS4
240万年前の人類のライバルはハイエナ!?

https://www.youtube.com/watch?v=k196j8ZkwT8
180万年前の人類はマラソンランナーだった!?

https://www.youtube.com/watch?v=Q0FAO_Ynyi0
5万5000年前 ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の出会い

https://www.youtube.com/watch?v=nLTAaFg0yWc
5万年前 ネアンデルタール人 vs. 巨大生物

https://www.youtube.com/watch?v=Q7V0ZqmnskU
4万3000年前 進化したホモ・サピエンスの狩り

https://www.youtube.com/watch?v=vOi2nZbGhWM
4万年前 ひ弱なホモ・サピエンスが集団で結束できた理由とは?

==

173年後の恩返し=小倉孝保 毎日新聞2021年3月5日金言

「英政権下のアイルランド人と米政権下の先住民。チョクトーの人々は少数者の悲哀を共有するアイルランド
人への支援をためらわなかった。」

 日本人は第二次世界大戦で歴史を区切り、「戦前」や「戦後」を意識する。アイルランドでは、「ジャガイ
モ飢饉(ききん)(1845~49年)」を近現代史の境に据える。約100万人が餓死し、人口の2割近く
が米国などへ移住した。バイデン米大統領の祖先も飢饉直後、アイルランドを離れている。
 当時、ジャガイモの疾病でアイルランドは極度の食料不足に陥っていた。それでも英政府はアイルランドか
ら英本土などに、農作物が送られるのを止めなかった。19世紀初め、アイルランドは英国に併合され、農地
の多くを英貴族が所有していた。
 このときアイルランド支援に立ち上がった中に、米国の先住民チョクトーの人々がいた。飢餓の報を受ける
や47年、集会を開いて支援を決め、170ドルを送っている。彼らはその約15年前、他の先住民と共に故
郷ミシシッピを追われ、オクラホマまでおよそ1000キロを徒歩や馬車で移動させられた。「涙の道」と呼
ばれるこの強制移住では、飢餓や病気のため3割近くが命を落としている。
 英政権下のアイルランド人と米政権下の先住民。チョクトーの人々は少数者の悲哀を共有するアイルランド
人への支援をためらわなかった。
 そして昨年、新型コロナウイルスの感染拡大で米先住民に被害が広がると、アイルランドから173年ぶり
の恩返し運動が始まる。先住民の多くは低所得層で、糖尿病などの基礎疾患に悩む人が少なくない。働く場を
失い、さらなる貧困と直面するケースも増えた。
 先住民がオンライン上でSOSを訴え、寄付を募ると、アイルランドの人々から、「今こそ170年前の恩
を返そう」「米国の兄弟姉妹のために」と支援の輪が広がった。アイルランド自身、コロナで都市封鎖を経験
しながらも、人々は過去の恩に報いたのだ。
 19世紀半ばの170ドルは現在の価値で約50万円である。飢饉の規模に比すれば大した金額ではない。
ただ、一番苦しい時に遠い国から支援してくれたことを、アイルランドの人たちは忘れなかった。寄付は昨年
後半、300万ドル(約3億2000万円)を超え、先住民の生活必需品購入などに充てられている。
 コロナを巡り世界規模のワクチン争奪戦が起きている。豊かな国々がワクチンを確保する一方、貧しい国は
購入費の算段にも事欠いている。確かに、コロナ被害は豊かな国でも深刻だ。それでも、より苦しむ人たちへ
の気遣いを忘れていては、チョクトーの人々に笑われそうだ。
(論説委員)

●チョクトー (Choctaw) 族
もともと米国南東部(ミシシッピ州、アラバマ州、ルイジアナ州)のインディアン部族である。マスコギ語族
のチョクトー語を話す。
もともとアメリカ南東部のミシシッピ川河口域に住んでいた農耕民族である。19世紀初頭に、アメリカ政府は
近隣の部族である、チェロキー族、チカソー族、ムスコギー族、セミノール族と併せ、彼らを武力によってイ
ンディアン準州(現:オクラホマ州)に強制移住させた。
オクラホマに強制移住させられた彼らは、白人の文化を積極的に採り入れ、「文明化五部族 (Five Civilized
Tribes) 」と呼ばれた。チョクトー族は、ジャガイモ飢饉の間、飢饉の救援を提供したことによる寛大さでも
有名である。
現在、このオクラホマに強制移住させられたチョクトーと、強制移住を拒否してミシシッピ州に残ったチョク
トーとに、部族は二分されている。

==

一流ホテルでの「桜を見る会」前夜祭は会費5000円では済まない。
後援会による費用補填秘匿、つまり政治資金規制法違反が疑われた。
安倍は法解釈を変えて検察人事に介入するという、疑惑追及を免れるための「秘策」に出た。
しかし物に成らず、にわかに持病の悪化を理由に退陣したのだった。
検察が補填の事実をつかみ、安倍が国会で嘘を118回ついたことが判明する。
「答弁修正」を余儀なくされた安倍は、野党に
「民間企業で社長が虚偽の説明を100回以上して『社員にだまされた』と言い訳して通用するか」
と追及されながら議員辞職する気はない。
どうせ国民はすぐに忘れると高を括(くく)っているのである、、、

書評 河谷史夫 「桜を見る会」疑惑 赤旗スクープは、こうして生まれた! 學鐙 21年春号

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「道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし」

伝教大師 最澄

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テレワーク出来ない人が支えてる文明社会の根っこの部分

藤山増昭

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「例外は原則より興味深い。正常は何物をも証明せず。例外がいっさいを証明する」

カール・シュミット

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主人公の猫は、ある時は一国の王の猫となり、ある時は船乗りの猫となり、その他、サーカスの手品つかいの
猫、どろぼうの猫、ひとりぼっちのお婆さんの猫、小さな女の子の猫…と100万回生まれかわっては、様々な飼
い主のもとで死んでゆく。その時、100万人の飼い主は猫の死にひどく悲しんでいたが、当の猫はまったく悲し
まなかった。主人公の猫は、飼い主のことが大嫌いだったのだ。
ある時、主人公の猫は誰の猫でもない野良猫となっていた。「自分だけの事が好き」な主人公の猫は、100万回
生きたことを自慢し、周囲のメス猫たちも何とか友達や恋人になろうと、プレゼントを持ってきたりして周囲
に寄ってくる。
しかし、唯一自分に関心を示さなかった一匹の白猫の興味をなんとか引こうとするうちに、いつのまにか主人
公の猫は、白猫と一緒にいたいと思うようになる。そして、白猫にプロポーズをするのであった。白猫は主人
公の猫の思いを受け入れる。
時がたつと白猫はたくさん子供を産み、段々と年老いてゆき、やがて猫の隣で静かに動かなくなっていた。そ
こで猫は初めて悲しみ、朝になっても昼になっても夕方になっても夜になっても100万回泣き続け、ある日のお
昼に猫は泣き止んだ。
そして猫も、とうとう白猫の隣で静かに動かなくなり、決して生き返らなかった。
「100万回生きたねこ」1977年

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厄介な病気を背負い込んだ人間にとって、一番欲しいのは「普通」ということである。

向田邦子 「父の詫び状」 あとがき

==

色平

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