くじ引き民主主義、日本へ「当選」の市民、脱炭素提言
毎日新聞2021年3月9日「クローズアップ」
「『温室効果ガス排出実質ゼロ』の目標をどのように実現すべきでしょうか」「『気候市民会議』に参加し
て、一緒に考えてみませんか」。2020年9月、札幌市の住民基本台帳から無作為で選ばれた16歳以上の
市民3000人に、そんな文言が書かれた案内状が送られた。このうち48人から参加希望があり、札幌の「
縮図」となるように年齢や性別のバランスを考慮して10~70代の20人が選ばれた。
無作為抽出(くじ引き)で募った日本で初めての気候市民会議は、北海道大学などが研究プロジェクトとし
て試行し、札幌市も協力した。札幌市は同年2月、政府に先駆けて50年までの温室効果ガス排出実質ゼロ目
標を独自に打ち出していた。実現には化石燃料に依存した従来の産業構造や生活の根本的な転換が欠かせない
。住民目線による幅広い議論で新しい合意形成のあり方を探り、寒冷地の札幌に特有の気候政策につなげる狙
いがあった。
会議は20年11~12月にオンラインで4回にわたって開催。選ばれた20人の市民は、(1)「脱炭素
社会の将来像」(2)「エネルギー」(3)「移動と都市づくり」――の三つの論点について、立場や観点の
異なる専門家11人から情報提供を受け、グループに分かれて討議を重ねた。その後、計70項目の論点ごと
に投票し、その内容を報告書としてまとめた。
報告書によると、札幌市が掲げる50年よりも早い時期に「排出実質ゼロ」を達成すべきだと考える人が3
分の1に上った。また脱炭素社会に向けて重視すべき基本方針として「無理のない段階的な取り組み」とする
ことに広範な支持が集まった。気候変動への危機感を共有しつつも、対策のための過度な負担は避けたい住民
の心理を映し出した。
一方、「経済社会システムの改革」や「自家用車の利用削減と脱マイカー社会」などの項目では、実現を強
く求める意見と反対意見に分かれた。研究代表者を務めた三上直之・北海道大准教授(環境社会学)は、こう
したばらつきが大きかった項目について「市民会議を土台に、政治的に議論を深めることが求められる」と説
明した。
三上准教授は市民会議の試みについて「住民自らが脱炭素社会への転換に向けた道筋を選択するとともに、
社会的な議論を喚起する新たな方法となり得ることが示された」と総括した。札幌市は市民会議の結果を、年
度内に策定予定の気候変動対策行動計画に「反映できるものは積極的に取り入れる」(担当者)方針だ。
参加者も手応えを感じている。大学4年生の佐々木連さん(22)は「今まで得ることができなかった考え
方に多く触れることができた」と語り、通常の生活範囲で交わらない世代や属性の人たちと議論を交わしたこ
とに大きな意義を感じたという。橋本祥子さん(35)は、「市民会議の内容が今後、選挙や住民投票の前提
になっていけばいいと感じた」と話した。
札幌の市民会議で実行委員を務めた国立環境研究所地球環境研究センターの江守正多・副センター長は、「
エネルギーの選択を含む日本の気候変動政策は、これまで専門家や業界、官僚が主導権を握って決めてきた。
だが社会の人々にとって幸せな脱炭素社会を実現するためには、コストや技術的なことだけではない多様な価
値観がもっと考慮されるべきだ。政府は国政レベルで気候市民会議を開催することを真剣に検討してほしい」
と提言する。
欧州取り組み参考に
札幌の気候市民会議が手本としたのは欧州の取り組みだ。
フランスでは19年10月、全国からくじ引きを用いて選出された150人が参加する気候市民会議が、政
府の諮問機関である経済社会環境評議会の下に発足。燃料税の引き上げに端を発した抗議デモ「黄色いベスト
運動」に苦慮したマクロン大統領が、市民の新しい政治参加の手法として開催を決めた。市民会議は「社会的
公平を守りながら30年までに温室効果ガスを40%減らす(1990年比)」ための具体的な政策提言をま
とめるため、9カ月かけて憲法改正から交通、農業、貿易などを含む広範な論点を話し合った。
20年6月に採択された提言は約150項目に及び、二酸化炭素(CO2)排出量が少ない鉄道運賃の付加
価値税(消費税)減税や、鉄道と競合する国内の航空路線の段階的な整理、低公害車を購入するための無利子
ローン導入などの案が盛り込まれた。環境に深刻な被害を与える「環境破壊罪」(エコサイド)の立法化など
急進的な主張が反映されているのが特徴だ。
英国でも「50年までの温室効果ガス排出実質ゼロ」に向けた具体的な手段を考えるため、抽選で選ばれた
108人の市民を集めた会議が20年1月に始まった。60時間にわたった会議の内容は550ページの報告
書にまとめられた。英国の市民会議の提言は、CO2を減らすため▽頻繁に飛行機を利用する人への課税▽ス
ポーツタイプ多目的車(SUV)の販売禁止▽肉消費量の2~4割削減――などの内容が含まれている。
英仏の試みで異なるのは、提言の生かし方だ。フランスでは、提言の内容をふるいにかけることなく、上下
院での採決や国民投票、行政命令として適用することがあらかじめ約束されていた。マクロン氏は提言を受け
、気候変動対策に取り組む責任を憲法に明記するため、国民投票を行う用意があると改めて表明した。一方、
英国の提言は下院で審議されるものの、政策に生かされるとまでは保証されていない。国内の環境団体からは
、議論がほごにされかねないと懸念の声も上がっている。
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●くじ引き民主主義の狙いは?
届きにくい民意を反映、結論誘導排除など必要=回答・八田浩輔
なるほドリ 新しい民主主義(みんしゅしゅぎ)の取り組みがあるって聞いたけど、何のこと?
記者 選挙(せんきょ)ではなく、抽選(ちゅうせん)(くじ引き)で一般市民の中から代表を選んで国や
地域の課題を話し合う方法のことですね。「くじ引き民主主義」と呼ばれ、選挙を通してエリートに託す仕組
みでは届きにくい意見などを、直接政治に反映させる狙いがあります。
Q 実際にどんな取り組みがあるの?
A 欧州を中心にさまざまな試みが広がっています。アイルランド政府が2012年に設けた「憲法会議(
けんぽうかいぎ)」では、100人の構成員(こうせいいん)の約3分の2をくじ引きで選ばれた市民、約3
分の1を政治家が務めました。この会議の提言(ていげん)を基に、15年に国民投票(こくみんとうひょう
)が実施され、同性婚(どうせいこん)を可能とする憲法改正(かいせい)が認められました。カトリック教
徒が多く、西欧の中でも保守的と言われる同国の変化を後押ししました。ベルギーでは、くじ引きで選んだ市
民による評議会(ひょうぎかい)を常設(じょうせつ)する動きもあります。
Q 日本ではどうなの?
A 似た取り組みとしては、東京電力福島第1原発事故(げんぱつじこ)後の日本のエネルギー政策(せい
さく)を決めるため、12年に民主党政権が無作為(むさくい)に全国から集めた人たちが参加した「討論型
世論調査(とうろんがたよろんちょうさ)」の例があります。民主党政権は結果をふまえ、「30年代に原発
稼働(かどう)ゼロ」の方針を掲げました。
Q くじ引き民主主義に欠点はないの?
A 選ばれた人が政治や特定の政策課題に関心があるとは限りません。議論(ぎろん)の際には、結論(け
つろん)を誘導(ゆうどう)したと疑われないような制度設計が必要です。また、結論をどう生かすかも課題
となります。日本でも司法(しほう)の場で09年から裁判員がくじ引きで選ばれています。政治の世界でも
通常の選挙とくじ引きを併用(へいよう)する形が広がる可能性があります。(外信部)
●くじ引き民主主義、日本へ
「当選」の市民、脱炭素提言 吉田徹・北海道大教授の話
代議制を補完 吉田徹・北海道大教授(比較政治)の話
なぜ今「くじ引き」を利用した合意形成が必要とされているのか。欧州政治に詳しい吉田徹・北海道大教授
に聞いた。
先進国で政治家や政党への不信は高まっている。米国のトランプ現象や英国の欧州連合(EU)離脱など欧
米でのポピュリズムの台頭は、代議制民主主義が機能不全を起こした結果だ。「くじ引き民主主義」は、こう
した問題に対する処方箋と言える。
気候変動や格差などは何世代も先を考えなければいけない課題だ。4~5年おきの選挙を基本とする代議制
民主主義のサイクルとは一致しない。こうした長期的な課題に対し、いかにして集合的な意思決定を行い、そ
れに正当性をもたせるかを考えた時に、一般市民を抽選で選んで討議してもらう手法は適している。
分極化が進み、政治エリート間の合意がますます難しくなっている。それでも共同体としては何かを決めな
ければならない。その時に「くじ引き民主主義」は代替策にならないまでも、代議制民主主義の補完的な機能
を果たす可能性は存分にある。
歴史をさかのぼれば古代ギリシャではくじ引きを用いた民主的な意思決定が行われていた。ただ古代ギリシ
ャでそれに参加できたのは市民権を持つ成年男子のみ。現代社会では私生活でも多忙な市民に共同体の意思決
定の全てを委ねるわけにもいかない。従来の代議制と組み合わせたハイブリッドな形で新しい民主主義を展開
することが必要だ。
例えば高齢化が進む日本の市町村レベルでは議席の3分の1から半分くらいを抽選制としても良いのではな
いか。地方議会で議員のなり手だった農家や商工業は高齢化と過疎化とともに衰退する。職業政治家だけが残
り、意思決定に正当性や納得感をもてないとなれば、選挙以外の時にも有権者が前面に出る「くじ引き民主主
義」で補完せざるを得ない状況が訪れるだろう。