J-WAVE JAM THE WORLD(2021/3/10) 安田菜津紀&木村紀夫 家族を奪われた福島原発事件10年を語る、都会の豊かさは地方を犠牲にした格差社会の産物、地方再生なくして日本は生き残れない、国民は未曽有の大惨事のことをわがこととして理解したのか問う
永岡です、J-WAVEのJAMTHE WORLD、グローバーさんのナビゲート、水曜日のニューススーパーバイザーはフォトジャーナリストの安田菜津紀さんでした。
文春オンライン、歴代総務大臣がNTTから接待のスキャンダルが載ります、https://bunshun.jp/articles/-/43953?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=socialLink ツイッターには内部文書入手がトレンド入り、電波停止の高市氏もこの始末、この1年ほど水曜日の文春オンライン話題→翌日元木さんの解説で詳細を知る、の繰り返し、この様子だとラスボスのS・Y氏や大元・A・S氏の名前の出てくるのも時間の問題でしょう!そして他のマスメディアは完全に死んでいます!
安田さんの気になったニュース、明日で東日本大震災10年、リスナーも心の秒針を10年前に戻してほしい、帰宅困難者になった人などあり、安田さんもコロナ禍で東北取材は困難だが、3月に東北を忘れないと言われるものの、この10年のことを国民はどう感じているのか、ジャーナリストはどう伝えたか、被災地と一見無縁でも、備蓄などしていたか、安田さんは福島の方とライヴ配信で話し、教訓が生かされず、東北以外で大災害の際にまた犠牲者、東北の被災者を2度以上苦しめたらダメ、我々の日常で災害対策は十分かと説かれて、そして3月にある課題は無数あり、福島第一原発を安田さん昨年取材、1号機にまだ瓦礫も撤去のための下準備がいり、燃料取り出しは早くて2027年=最低6年かかり、安倍氏のアンダーコントロールの嘘は冗談ではなく、事故現場は最新の注意が必要で、先月13日の地震で国民は被災者と原発を懸念して、3号館の地震計が半年以上壊れていたこと判明、そういうデタラメの積み重ねであの途方もない事故になり、各地で原発再稼働に、避難、合意形成と福島原発事件の教訓は生かされているのとか問われました。
UPCLOSE、明日の東日本大震災10年、原発事件当時福島第一原発から3kmの大熊町におられた木村紀夫さんがゲスト、今55歳、父親、妻、次女を亡くされた木村さん、福島県いわき市で避難生活の中、毎日慰霊の日と語られる木村さんとのトークです。
安田さんは今日昼にも配信トークされて、10年前、2011年3月11日、木村さんは富岡町の養豚場で働き、地震直後の職場は、トラックを洗っていたら凄い揺れで、職場が大変になり、5時過ぎ=津波襲来後に自宅に戻ったら田んぼも何もなく、家族の安否、次女は小学校、木村さんの父が迎えに行く際に地震、長女は学校にいて、父は妻を懸念して、戻り父と次女が車に乗り津波に飲まれた。
木村さんは最初捜索を試みても核事故に阻まれて、入れない、捜索目的に入れたのは11月!自衛隊の入ったのも5月、警察もそれ以前に入っても不十分、2011年11月は立入禁止制限、2時間しか入れず捜索はほとんど無理。
5年9カ月経ち、次女のマフラーと首の骨の一部が見つかった件、重機は許可が出ず手作業、それだと一生かけても終わらないほど、瓦礫の山の中での苦闘、5年9カ月経ち、現地は中間貯蔵施設の候補地になり、それで環境省も捜索で重機が入り、しかし国の姿勢に納得できず、それでも結果は出したく、2016年秋に重機を入れて1カ月で首の骨を発見。中間貯蔵施設は核廃物を「一時的」に保管するものの、その30年の期限も怪しい。マフラーはミッキーマウスのついているもの、骨の一部を見て木村さんは、見つからなければ海に流れたと整理がついたが、見つかり、津波で亡くなったか取り残されたかわからなくなり、地震後すぐに駆け付けていたら、そして原因は原発事故、そのため真っ先に捜索できず、震災直後、避難勧告の前に声を聴いていたとの証言もあり、もっと早く探していたら助かっていた可能性がある。
次女の骨が見つかり、木村さんはつらく、自宅は帰還困難区域、自宅に自由に入れず、核に対する思いは、再稼働など容認はあり得ない、人間の命を左右する、娘の命を奪った可能性があるものを動かすのは許せず、しかし核の上に豊かな生活はあり、それを考えるべき。木村さんはいわき市でソーラーパネル、薪ストーブと電気に頼らない生活をされて、原発に頼ることをしたくなく、木村さんは今一人暮らし、どこまで必要か、木村さんは電気を買わずソーラーパネル一つで賄えて、節電、物を買うのを考えるなどしてほしい。木村さんは電気を買わなくてもやっていけて、原発の要らない社会になって欲しい。安田さん、福島原発の電気は東京のためで大熊町のためではなく、安田さんは事故に加担したことがあり、生活の豊かさが問われていると説かれて、木村さん、そういう意識の高まりは多くの国民に浸透していない。安田さん、だからリスナーとも問題意識を共有したい。
震災から10年、メディアで節目、東北を忘れないというものはどうか、木村さんは節目について考えたことはなく、特別に思うことはない、3月11日に特別なことはしない、東北を忘れないは個人で異なり、しかし東北を思ってくれるのはずっとあって欲しい。リスナーより、メディア報道についてどう考えるか、節目以外報じないとあり、木村さんは10年でメディアの取材も多いが、伝える機会として意味はあり、伝える側、被災者には節目はないものの、災害を思う機会として3・11の意味はある。
安田さん、3月11日に集中してそれ以外の364日は無視されると説かれて、木村さんは防災の重要性を説かれて、防災は知ることが大事、木村さんの経験したもので、防災に意味があり、それは被災者の数だけあり、将来の災害で命を救うすべになる。安田さんはオンラインイベントで、被災者から、マニュアルに頼るのではなく、マニュアルを作るものだと被災者の声を紹介されて、児童館に残して大丈夫かなどあり、木村さんは未曾有の災害で先生も手本がなく大変、残念なものがあり、その上に犠牲も出る。安田さん、防災と現地のことも伝えられて、中間貯蔵施設、木村さんの自宅もその候補地になり、今後自宅をどうするかについて問われて、木村さん、自宅は売る、貸すであと25年核廃物を保管することになり、自分の土地を守り、25年後にその土地をどうするか、大熊町だから、原発事件の被災地としてやるべきことはあり、電気は地産地消、それだと防災上も有効、防災コミュニティをつくれたらいい。
安田さん、大切な家であり、中間貯蔵施設説明会に木村さんが納得されなかったものを問われて、木村さんは次女が発見されていないのに、であり、しかし環境省は行方不明者がいると知らなかった、それに呆れて納得できず。大切な土地、場所をコンクリートで固めるのは許されない。安田さんは、木村さんが大熊町の未来を考える福島再生を考えるものがあり、長野県白馬村とも安田さんつながれたもので、木村さんは伝えたい、大熊町に来てもらうのはコロナで困難で、オンラインでやり、放射線量は高く若い人を迎えるのは困難、だからオンラインは有効、これまで遺族、民話の専門家、エネルギー庁の人も参加して、木村さんの伝えたいのは2つ、防災はたくさんの教訓が被災地にあり、コロナ禍も含めて、今の(都会のみの)豊かな生活とは何か考えてほしい。大熊町の機関紙も発行するもので、フェイスブックで発信する。
木村さんの記事、ダイアログ・フォー・ピープルの昨年6月の記事にあります、https://d4p.world/news/5135/ 災害の節目、私も昨年は阪神淡路大震災25年でも東京のテレビの大半が無視なのに絶句、木村さんが疑問を呈される都会の豊かさの点は私・永岡も同感です、以上、安田さん、木村さんのお話でした。