「どうせ女は…」加藤陽子さんが今も許せない「グロテスク」な言葉

「どうせ女は…」加藤陽子さんが今も許せない「グロテスク」な言葉

加藤陽子東京大教授=東京都千代田区で2019年3月20日、長谷川直亮撮影拡大
加藤陽子東京大教授=東京都千代田区で2019年3月20日、長谷川直亮撮影

「私、へこたれていませんよ」。張りのある朗らかな声が印象に残った。歴史学者の加藤陽子・東京大教授だ。日本近代史の優れた研究者として知られるが、政府に任命拒否された日本学術会議の新会員候補6人のうちの一人となり、昨秋は「渦中の人」になった。それでも前向きに自らの道を究める加藤さん、女性として苦労したことはなかったのだろうか。東大の女子学生の少なさや選択的夫婦別姓の問題など、ジェンダーに関するあれこれを聞いてみた。【牧野宏美/統合デジタル取材センター】

生き方選べなかった「祖母」や母

――加藤さんが学生、教員として長く過ごしてきた東大ですが、女子学生の比率は現在でも約2割にとどまり、少数派です。もともとは、なぜ東大を選んだのですか。

 ◆実は、私の生い立ちが関係しています。自己決定権や個人の尊厳の問題に、早くから敏感にならざるを得ない家庭環境でした。1923年生まれの父は44年に応召、ソ連の国境と近い満州(現中国東北部)の東寧というところの守備隊に送られ、同年10月に熊本予備士官学校に入るため内地へ戻りました。幹部候補生試験に合格できたことで死地を脱することができ、本土決戦要員として高知の高角砲陣地で終戦を迎えます。戦後に結婚しますが、最初の妻を結核で亡くし後妻を迎えます。それが私の母でした。私と姉は父母の子ですが、我が家には亡くなった先妻さんの母が同居していました。父はこの「義母」を、この時代にはよくあった道義心によるものでしょうが、最期まで面倒をみていました。

家族の仲は悪くはなかったのですが、時に「祖母」と母との間に子どもでもわかる緊張感が漂うことがあり、私は幼い頃から2人をかわいそうだと思っていました。自分の意見を述べたり、生き方を決めたりできなかったからです。「祖母」には他にも実の娘がおりましたから、本当は彼女と暮らしたかったかもしれない。母の心情はなお複雑であったでしょう。そのような環境で育ちますと、女性も自分の望む生き方を自分で言えなければ駄目だなと、またそれを言える力を持たなければ駄目だなと自然に考えるようになりました。

 東大を選んだのはかなり自覚的だったと思います。学問を学べば生き方の選択肢も広がり、自己決定権も増すと素朴に信じていたと思います。

――入ってみてどうでしたか。

東京大赤門(本郷キャンパス)=東京都内で2020年12月9日、中村琢磨撮影拡大
東京大赤門(本郷キャンパス)=東京都内で2020年12月9日、中村琢磨撮影

◆とにかく「野蛮」な時代で(笑い)。体育の授業前に着替えるための女子学生用の更衣室すらありませんでした。バレーボールの授業では女子が少ないため男子と一緒に交ざって試合がなされます。男子のアタックに当たらないようコートを逃げ回る日々でした。

 女子学生の少なさは、入るのが難しい大学だからというよりは、その時代の社会構造の正確な反映なのではないかと思います。例えば、新聞社でも管理職の女性の割合は2割いっていませんね。社会の中での「自然化」された差別の正直な結果なのでしょう。

50年代、ある製鉄所で事故が起こりました。ある男性社員が徹夜で家族を看護していたための疲労が原因でした。会社はさっそく動きますが、多くは男性である社員の福利厚生ではなく、その妻らに向けての生活改善指導を始めるのです。家族が病気になれば女性が面倒を見るべきだとの前提で、会社側は「新生活運動」なるものを始めます。これは、アメリカ人の労働史・社会史の碩学(せきがく)であるアンドルー・ゴードンさんが調べた話ですが、このような「自然化」された差別が、日本社会のジェンダーギャップの根幹にしぶとくあるのだと思います。

今も怒りがわく「どうせ就職できない」

――その後研究者の道を選ばれたわけですね。女性であるという理由で障壁を感じたこともあったのでは。

◆小さい頃から、あまのじゃくだったので、周りの環境に従って生きるのは無理だろう、摩擦を起こせば周囲も自分も不幸になるだろうとの自覚がありました。一人で勝手に生きていくには、物書きか研究者の2択しかないと。研究者になってからは、もちろん、グロテスクなまでの言葉のハラスメントを多数経験してきています。なかでも忘れられないのは、84年、修士論文を書き終わり、ある研究会で発表した後の懇親会でのことです。何月何日かまで覚えていますね。24歳の時のことですが、一回り年上の日本近代史の男性研究者に「君は女性だから、どうせ就職できない。だから僕と一緒にアメリカに行こう」と言われました。二つの点で許しがたい発言です。まず「女性だから就職できない」、これは一発アウトでしょう。続く「僕と一緒にアメリカに行こう」は、私に好意を持っているような言い方ですが、研究者を目指していた私を対等に見ておらず、ばかにした話です。「逃げ道」を残した、ずるいハラスメントだといえますね。絶対に早く就職し、自力でアメリカに行って見返すしかないと決心し、5年後に共に実現させました。

ある意味この言葉ゆえに奮起した面もありますが、その時には場の雰囲気を壊さない程度にしか言い返せなかった当時の自分への悔しさもあり、怒りのエネルギーは全く減る気配がないです。何度もハラスメントを受けて、頑張る気力さえ失ってしまう女性があの頃は多かったと思います。

――約30年前に結婚して姓が変わっていますが、仕事上、不都合はなかったのですか。

◆山梨大学に任期のない職を得た春に結婚もしましたので、就職と、旧姓の「加藤」から配偶者の姓の「野島」になるのが同時でした。当時は結婚後の旧姓使用は一般的ではありませんでした。しかし、私は結婚するまでに査読誌を含め複数の論文がありましたので、研究上は旧姓を通称として使うほかありませんでした。給与の書類は戸籍名、授業計画案(シラバス)は「野島(加藤)陽子」といった併記を用いましたが、学生が教師の研究をフォローできないのはおかしいので、シラバスでの併記は大学側も当初から柔軟に認めていたと思います。

また、オープンキャンパスなど大学側の要請で講演する際など、「加藤陽子」名の方が来場者を増やせるので、大学の側も実を取る方向に動いたのでしょう。私の方もなし崩し的に旧姓使用をじわじわと既成事実化する戦法を狙いまして、「通称使用届」などを書面で出した覚えはありません。そもそも何の落ち度もない個人が、一方的に著しく時間と手間を強いられる制度の方が問題なので、悪い制度には誠実に対応しすぎないことが肝心だとの考えで来ました。

私自身は幸運にも姓が変わる不利益を学問上被ることはほぼなかったのですが、女性研究者の場合で深刻なのは、離婚したような場合、離婚した相手の姓を使い続けねばならない場合ですね。あまりにも著名な名前となっては変えがたいという側面があり、非常に悩ましい問題です。

反対派がこだわる「この国のかたち」

――選択的夫婦別姓制度の導入を求める声は多いのに、国の議論はなかなか進みません。

参院予算委員会で選択的夫婦別姓制度を巡る社民党の福島瑞穂党首の質問に答えるため挙手する丸川珠代五輪担当相(中央)=国会内で2021年3月3日午後1時42分、竹内幹撮影拡大
参院予算委員会で選択的夫婦別姓制度を巡る社民党の福島瑞穂党首の質問に答えるため挙手する丸川珠代五輪担当相(中央)=国会内で2021年3月3日午後1時42分、竹内幹撮影

◆夫婦別姓反対論者が、なぜあれほど別姓を嫌がるのか。その理由の一つは、歴史的な経緯から説明可能です。明治政府が大日本帝国憲法と皇室典範を起草するにあたっては、女帝を容認した案も途中まで準備されていました。実質的に憲法を書いたといえる内閣法制局長官の井上毅(こわし)が、女系による皇位継承は、天皇の姓が変わること(易姓)を意味するとして強く反対し、結局、明治憲法は女帝を認めず、男系による皇位継承を決定しました。この、姓が変わっては万世一系(ばんせいいっけい)という観念が崩れるとの無意識ゆえの呪縛こそが、別姓を望む他者の選択をも制限すべきだとの意識を支えているように思います。家族制度が崩壊するという理由づけも、「別姓を認めればこの国のかたちが変わる」という、意識せざる危機意識ゆえとみえます。

反対論者を説得して別姓制度を実現するには、婚姻で姓が変わることの「不便さ」を強調するだけでは不十分だと思うのです。自分で姓を選べない、生まれた時の姓を名乗り続けられないことが、いかに自己決定権や個人の尊厳を奪う深刻な問題であるのか、この点から厳しく論じていかなければ、「この国のかたち」派を論破できない。覚悟が必要な大きな問題だと思います。私自身、女性が自己決定権を持つことの大切さを実感しながら生きてきたので、時間はかかっても、歴史学者として井上の主張を論駁(ろんばく)していきたいと思います。

――近代史を研究する中で、ジェンダーギャップを感じることはありましたか。

◆「歴史」という言葉は、軍功を重ねることを意味する「歴」と、祭事=政事の記録を意味する「史」から成立しました。古代ギリシャの歴史家で「歴史の父」と呼ばれたヘロドトスの書いた「歴史」というタイトルの本は、実のところ紀元前5世紀のペルシャ戦争の叙述です。このように私の専門は、本当に古くからの蓄積ある学問領域なので、戦争の語彙(ごい)、男性の語彙が圧倒的に多いのです。大局的な方向性を示す「戦略」といった語彙は日常生活でも無駄に多用されますが、具体的な手段を意味する「戦術」との対比で用いる以外はあまり意味がない。ならばということで、私は「説得の論理」といった言葉を著作では用いています。また、言葉の性差という次元以外でも、日本近代史の歴史叙述の中で女性をいかに描くかという問題は、私にとっていまだに果たせぬ課題です。

「飲み会断ります」

――東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長の女性蔑視発言はどう受け止めましたか。

◆許しがたい言葉だと思いました。まず、女性という総称指示(ジェネリックレファレンス)を用いて決めつけている点が問題です。女性を的確な話ができない人、無駄な競争心ゆえに発言を求める人といった女性観は、人類の半数にあたる女性の「個人の尊厳」への冒とくです。

自身の発言について記者会見する東京オリンピック・パラリンピック組織委の森喜朗会長(当時)=東京都内で2月4日拡大
自身の発言について記者会見する東京オリンピック・パラリンピック組織委の森喜朗会長(当時)=東京都内で2月4日

こうした認識に対抗するには、やはり意思決定の場で女性の割合を増やす必要があります。アファーマティブ・アクション(少数・弱者集団の現状に対する積極的な差別是正措置)も必要で、多様なバックボーンのある人たちを集めれば、組織にとっても、想定外の事態に対処する際に多様な英知を得られてメリットは大きいはずです。

自分のライフコースで留意してきたことは、とにかく周到に準備すること。準備し全力を尽くす。関東大震災の際に思想家の大杉栄と共に憲兵隊に殺された、女性解放運動家の伊藤野枝がある文章で述べていました。女性は「多くの不覚な違算」に囲まれていると。重要な仕事の前日に子どもが熱を出す、親が倒れるなど、想定外の「違算」に現代にいたるまで女性は直面させられています。社会の制度を変えていくとともに、「不覚」をとらない準備も大事かと思います。

でも、女性は男社会に合わせて無理をする必要はないんです。総務省の接待問題で辞任した山田真貴子・前内閣広報官が「飲み会を断らない」と言って話題になっていましたが、私は都合が悪い時は思いっきり断ります。そんなスタンスでいいんじゃないでしょうか。

――昨年は学術会議の任命拒否問題で「渦中の人」になりました。政府は拒否する姿勢を崩していませんが、現状をどう見ていますか。

◆政府の任命拒否は、法律の改正なしには行えない違法なやり方でした。現政府の決定は覆らないでしょうが、そのプロセスがいかになされたか、内閣法制局と内閣府の文書を精査すれば問題のありかが後にわかるはずです。要は、後継の内閣がこれを先例となしえないようなところまで、政治過程を明らかにしておくことです。

私は先行きを悲観していませんし、へこたれてもいません。複数のメディアの世論調査で、任命拒否についての政府の説明を「不十分」「納得できない」と考える人が5~7割いました。私の元には励ましの手紙が約50通、脅迫の手紙が2通来ています。つまり個人が政権からある意味「弾圧」「批判」された時、民主的な社会でなぜこれが起きたのか、政権の意図は何なのかを、知りたいと考える人は少なくないということです。私はこの国民世論のまっとうさに信を置きたいと思います。

かとう・ようこ

1960年、埼玉県生まれ。東京大大学院博士課程修了。米スタンフォード大訪問研究員、山梨大学助教授(当時)などを経て2009年から現職。著書に「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」「昭和天皇と戦争の世紀」など。

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    筆者

    牧野宏美

    2001年入社。広島支局、大阪社会部、東京社会部などを経て19年5月から統合デジタル取材センター。広島では平和報道、社会部では経済事件や裁判などを担当した。障害者や貧困の問題にも関心がある。温泉とミニシアタ

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