菅の故郷・秋田の封建風土<本澤二郎の「日本の風景」(4046)

菅の故郷・秋田の封建風土<本澤二郎の「日本の風景」(4046)

<新潟の角さんも夫人を表に出さなかったが、秋田は別格>

 「女房は夫から三歩下がって歩け」「ひたすら夫の陰になって支えよ」との菅義偉家の知られざる夫婦関係が、ついに活字になった。秋田の封建風土は、恐ろしいことだが、今に続いている。

 北陸の森喜朗の女性論があぶりだされたばかりだが、古くは日本海が日本の表玄関だった。そこでの男女差別は極端で、いまも存続している。思い当たることが少なくない。

 新潟の田中角栄首相のASEAN訪問に同行した際、そばに夫人がいなかった。夫人の代わりに娘の真紀子が同行していた。尋ねると、彼女は「母は耳が遠いので、私が代わった」と釈明したものである。

 日本民度は相変わらずだが、特に日本海側の男女差別、とりわけ秋田は別格である。

<「男尊女卑が徹底している」と土地の古老証言が今も耳に残る>

 弁護士を目指してきた息子が医療事故死に遭遇した父親は、亡くなるまで嘆き悲しんだ。医療事故死の連鎖でもあろう。それも息子が一人だったものだから、余計に悲嘆に暮れていた。彼は筆者の「医師失格」(長崎出版)を手に取って、自宅に連絡してきた。手紙もよくくれた。

 「検察審査会に訴えても駄目ですよ。11人の委員はみな検事のいいなり。形だけの組織」と教えてくれた人物で、彼は秋田市の古老だった。息子が司法試験を目指していた理由は、秋田の風土を少しでも日本国憲法に近づけたい思いからだったに違いない。瞬間思い出したのだが、弁護士殺害事件も秋田ではなかったろうか?

 古老は「秋田は本当に女性の地位が低い。かわいそうですよ。秋田には嫁に行かせるな、が流行っている」と話してくれた。菅の真理子夫人は、一端は静岡県のイチゴ農家に嫁いだ。再婚した相手が秋田のイチゴ農家の菅だったわけだが、彼女は秋田の民度を理解しないまま、小此木彦三郎の女性秘書の紹介で、菅と一緒になった。

 尊大ぶった父親を、夫妻の長男は許せなかったのだろう。まともに働こうとしなかった。長男は、男尊女卑の父親の被害者かもしれない。日本海の風土は、今も、である。

<「嫁にきた家に火をつけて死ぬ例がよくあった」に絶句>

 秋田の古老の次なる証言は、多くの国民は腰を抜かすことだろう。「嫁さんは奴隷のようにこき使われる。深刻な嫁と姑の関係は悲惨すぎる。耐えられずに、家に火をつけて自殺する嫁さんは、かなりいた」というのである。

 秋田に嫁いだ嫁は、まずまともに生きることが許されない。ものすごい忍耐を必要とする。いじめる姑も、同じくいじめられて家を支えてきたものだから、同じことを嫁に強いることになる。

 まずは、夫の不倫に逆らうことなど不可能である。秋田の文化・民度は、封建的で低い。夫の方は、比例してやりたい放題だ。夫婦関係のいい家庭を見つけることは、ほぼ困難であるらしい。

<「嫁の母親は別室で食事」に離婚を決断した千葉県女性>

 実は筆者が、浜名という千葉県富津市出身のやくざに強姦・性奴隷の挙句、半年後に逃げ出そうとしたところ、ばらすぞ、家宅地をよこせ、とドーカツされ、その衝撃で大動脈りゅう破裂で急死した「木更津レイプ殺人事件」の被害者の夫が、実は秋田県本庄市、今の由利本荘市の出身だった。

 願って木更津市に婿養子に入ったものの、妻を妊娠させると、強引に本庄市に連れ帰った。彼女は、辛苦の連続に耐えられないそうもなかった。それでも3人の子供を教育するために、働きずくめの日々を送った。幸い、親類の伯母が「今によくなる、今しばらく辛抱しなさい」と激励されながら、無事に子育てを終えた。

 そして老いた戦争未亡人の女産婆を、秋田に引き取ったのだが、無念にも長く続けられなかった。戦争遺児にとってたった一人の戦争未亡人への親孝行の機会だというのに、なんとなんと一緒に食事することを夫は許さなかった。こんな非情なことがあっていいのだろうか。母親は泣く泣く木更津市の自宅に戻った。この時点で、彼女は離婚を決意した。

 秋田で彼女を支えてくれたのは、池田大作の創価学会だったという。母親の介護が必要だとの故郷からの電話連絡に、彼女は取るものも取らずに内心、口実が出来たと思って?か、母親のもとに飛び込んだ。そして君津市の山の手病院で、栄養士として働き出した。

 しかし、運命は定年退職した彼女を、市民に姿を隠したやくざが経営する介護施設、創価学会員によるデーサービスでのバイトを頼まれて、命を奪われることになる。引きずり込んだのは、ヘルパーの吉田フミエである。やくざ浜名はよだれをたらしながら、待ち受けていた。

菅の故郷・秋田の封建風土<本澤二郎の「日本の風景」(4046)

<新潟の角さんも夫人を表に出さなかったが、秋田は別格>

 「女房は夫から三歩下がって歩け」「ひたすら夫の陰になって支えよ」との菅義偉家の知られざる夫婦関係が、ついに活字になった。秋田の封建風土は、恐ろしいことだが、今に続いている。

 北陸の森喜朗の女性論があぶりだされたばかりだが、古くは日本海が日本の表玄関だった。そこでの男女差別は極端で、いまも存続している。思い当たることが少なくない。

 新潟の田中角栄首相のASEAN訪問に同行した際、そばに夫人がいなかった。夫人の代わりに娘の真紀子が同行していた。尋ねると、彼女は「母は耳が遠いので、私が代わった」と釈明したものである。

 日本民度は相変わらずだが、特に日本海側の男女差別、とりわけ秋田は別格である。

<「男尊女卑が徹底している」と土地の古老証言が今も耳に残る>

 弁護士を目指してきた息子が医療事故死に遭遇した父親は、亡くなるまで嘆き悲しんだ。医療事故死の連鎖でもあろう。それも息子が一人だったものだから、余計に悲嘆に暮れていた。彼は筆者の「医師失格」(長崎出版)を手に取って、自宅に連絡してきた。手紙もよくくれた。

 「検察審査会に訴えても駄目ですよ。11人の委員はみな検事のいいなり。形だけの組織」と教えてくれた人物で、彼は秋田市の古老だった。息子が司法試験を目指していた理由は、秋田の風土を少しでも日本国憲法に近づけたい思いからだったに違いない。瞬間思い出したのだが、弁護士殺害事件も秋田ではなかったろうか?

 古老は「秋田は本当に女性の地位が低い。かわいそうですよ。秋田には嫁に行かせるな、が流行っている」と話してくれた。菅の真理子夫人は、一端は静岡県のイチゴ農家に嫁いだ。再婚した相手が秋田のイチゴ農家の菅だったわけだが、彼女は秋田の民度を理解しないまま、小此木彦三郎の女性秘書の紹介で、菅と一緒になった。

 尊大ぶった父親を、夫妻の長男は許せなかったのだろう。まともに働こうとしなかった。長男は、男尊女卑の父親の被害者かもしれない。日本海の風土は、今も、である。

<「嫁にきた家に火をつけて死ぬ例がよくあった」に絶句>

 秋田の古老の次なる証言は、多くの国民は腰を抜かすことだろう。「嫁さんは奴隷のようにこき使われる。深刻な嫁と姑の関係は悲惨すぎる。耐えられずに、家に火をつけて自殺する嫁さんは、かなりいた」というのである。

 秋田に嫁いだ嫁は、まずまともに生きることが許されない。ものすごい忍耐を必要とする。いじめる姑も、同じくいじめられて家を支えてきたものだから、同じことを嫁に強いることになる。

 まずは、夫の不倫に逆らうことなど不可能である。秋田の文化・民度は、封建的で低い。夫の方は、比例してやりたい放題だ。夫婦関係のいい家庭を見つけることは、ほぼ困難であるらしい。

<「嫁の母親は別室で食事」に離婚を決断した千葉県女性>

 実は筆者が、浜名という千葉県富津市出身のやくざに強姦・性奴隷の挙句、半年後に逃げ出そうとしたところ、ばらすぞ、家宅地をよこせ、とドーカツされ、その衝撃で大動脈りゅう破裂で急死した「木更津レイプ殺人事件」の被害者の夫が、実は秋田県本庄市、今の由利本荘市の出身だった。

 願って木更津市に婿養子に入ったものの、妻を妊娠させると、強引に本庄市に連れ帰った。彼女は、辛苦の連続に耐えられないそうもなかった。それでも3人の子供を教育するために、働きずくめの日々を送った。幸い、親類の伯母が「今によくなる、今しばらく辛抱しなさい」と激励されながら、無事に子育てを終えた。

 そして老いた戦争未亡人の女産婆を、秋田に引き取ったのだが、無念にも長く続けられなかった。戦争遺児にとってたった一人の戦争未亡人への親孝行の機会だというのに、なんとなんと一緒に食事することを夫は許さなかった。こんな非情なことがあっていいのだろうか。母親は泣く泣く木更津市の自宅に戻った。この時点で、彼女は離婚を決意した。

 秋田で彼女を支えてくれたのは、池田大作の創価学会だったという。母親の介護が必要だとの故郷からの電話連絡に、彼女は取るものも取らずに内心、口実が出来たと思って?か、母親のもとに飛び込んだ。そして君津市の山の手病院で、栄養士として働き出した。

 しかし、運命は定年退職した彼女を、市民に姿を隠したやくざが経営する介護施設、創価学会員によるデーサービスでのバイトを頼まれて、命を奪われることになる。引きずり込んだのは、ヘルパーの吉田フミエである。やくざ浜名はよだれをたらしながら、待ち受けていた。

 いまも「木更津レイプ殺人事件」に対して、離婚した夫も3人の子供家族も、この悲惨すぎる性凶悪事件から逃げまくっている。悲劇・悲劇である。彼女をささえるはずの創価学会も、犯人逮捕に協力しない。その反対である。菅義偉の夫人は理解するかもしれない。それとも、人知れず苦労しているのであろうか。心底から秋田NOと叫ぼうと思う。

2021年4月6日記(東芝不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

(ヤフーニュース記事抜粋)「女房と手を繋いで歩くなんて、男じゃねえ。女房は三歩下がらせて歩かせるんだ」
 議員バッジを得た菅は、自民党の市会議員らにそう言うようになったという。
 選挙となれば、一日に数百軒の挨拶回りをこなし、あらゆる家の郵便受けに一筆加えた名刺を入れるのが菅流だ。
 しかし菅が真理子に要求したのは、自身の傍らで笑顔を振りまくのではなく、ひたすら陰で地道に菅を支える役割だった。

https://www.youtube.com/watch?v=WEM2xoyz900

 いまも「木更津レイプ殺人事件」に対して、離婚した夫も3人の子供家族も、この悲惨すぎる性凶悪事件から逃げまくっている。悲劇・悲劇である。彼女をささえるはずの創価学会も、犯人逮捕に協力しない。その反対である。菅義偉の夫人は理解するかもしれない。それとも、人知れず苦労しているのであろうか。心底から秋田NOと叫ぼうと思う。

2021年4月6日記(東芝不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

(ヤフーニュース記事抜粋)「女房と手を繋いで歩くなんて、男じゃねえ。女房は三歩下がらせて歩かせるんだ」
 議員バッジを得た菅は、自民党の市会議員らにそう言うようになったという。
 選挙となれば、一日に数百軒の挨拶回りをこなし、あらゆる家の郵便受けに一筆加えた名刺を入れるのが菅流だ。
 しかし菅が真理子に要求したのは、自身の傍らで笑顔を振りまくのではなく、ひたすら陰で地道に菅を支える役割だった。

https://www.youtube.com/watch?v=WEM2xoyz900

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