「不服従運動への協力を、国軍へ密告している者がいる」

「不服従運動への協力を、国軍へ密告している者がいる」

国民民主連盟(NLD)議員らによる事実上の「臨時政府」は6日、
超法規的殺人や拷問を含む「18万件の広範な人権侵害の証拠を集めた」と表明。
国連や人権団体に報告して緊急な対応を要請する方針を示した。

「兵士は動く影をすべて銃撃した」
ミャンマー国軍クーデターから2カ月で市民600人超が犠牲に
https://bit.ly/2Ql4ZyY  2021年4月8日 東京新聞

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8日早朝、俳優やモデルとして活躍しミャンマーやタイで人気のパイン・タコンさん(24)が拘束された。
フェイスブックやインスタグラムでフォロワーが100万人以上と影響力は絶大。
当初から抗議運動の先頭に立ち「民主政府への復帰を」と呼び掛けていた。
地元メディアなどによると、最大都市ヤンゴンの実家を午前5時ごろ、
軍用車両8台に分乗した50人の兵士が急襲し、強制的に連行した。
パイン・タコンさんは体調を崩していたといい、知人らが解放を訴えている。

国軍は2月から著名人らを標的としてきたが、4月に入り排除を強化。
抗議運動への参加や支援が最高3年の禁錮となる扇動罪などに当たるとして、
1日20人のペースで手配リストを公表している。
女優のメイ・トー・カインさん(25)は2日、自身の指名手配を国軍系テレビで知ったが
「私たちを黙らせることはできない」と会員制交流サイト(SNS)に投稿。
その後も数十万人のフォロワーに発信し続けている。

ミャンマー国軍、俳優ら著名人140人以上を扇動容疑で指名手配 発信力封じに躍起
https://bit.ly/2Rk60rE  2021年4月10日 東京新聞

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中部バゴーでは9日から、応戦する市民に国軍が掃討作戦を展開。
数十人規模の死者が出ているもようで、同人権団体によると、「80人以上が殺害された」としており、
地元メディアは遺体のほとんどは持ち去られたと報じた。
少数民族勢力との戦闘も激化し、北東部シャン州では10日、
アラカン軍(AA)など3勢力が新たに国軍への攻撃を始め、警察署などを襲撃した。

ミャンマー、市民23人に死刑判決 国軍「雑草根絶やしに」抗議運動一掃を強調
https://bit.ly/3tfhISs  2021年4月10日 東京新聞

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国軍のクーデターから2カ月を過ぎたミャンマーでは、国軍の市民弾圧に加え、
市民や政府職員が職務を放棄して抵抗する「不服従運動」(CDM)で経済や社会機能が麻痺している。

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「CDMへの協力を、国軍へ密告している者がいる」。地域住民の間に、疑心暗鬼が広がっている。

「継続した経済や外交政策」をアピールする国軍は、統治の機能不全に対する焦りが強い。
ミン・アウン・フライン総司令官は6日「CDMは国を破壊する運動だ」と非難。
政府機関や企業の上層部に参加者の名簿を提出させ、職場復帰に従わなければ解雇や寮から強制退去
させている。

医師のチャンさん(25)は「困難な状況だが、自分や家族を守り、CDMを支える努力をしている」
と話す。
CDM参加者や犠牲となった市民の家族を支える寄付の仕組みが複数ある。
民主派の「臨時政府」には900万ドル以上が寄せられているが、国軍は送金や電子決済システムの遮断
も進めている。

「不服従運動」で市民ら抵抗 ミャンマー、デモと両輪で国軍に圧力…物価高で困窮でも持久戦覚悟
https://bit.ly/3dakz9V  2021年4月11日 東京新聞

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ミャンマー北東部シャン州ラショーで10日朝、警察の建物が少数民族武装勢力に攻撃され、
警察官14人が死亡したほか、2人が行方不明になった。
同日午後には、北西部ザガイン管区でも別の武装勢力と市民が手りゅう弾による攻撃を行い、
警察官18人が死亡したもようだ。電子メディアのイラワジが伝えた。

ラショーで攻撃を行ったのは、西部ラカイン州を拠点とするアラカン軍(AA)、
シャン州を拠点とするタアン民族解放軍(TNLA)とミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)
の3武装勢力からなる「兄弟同盟」とみられる。
兄弟同盟は3月末、国軍の市民弾圧を非難し、暴力を停止しなければ民主化運動を支援すると表明していた。
付近の村落では、多数の避難民が出ているもようだ。

シャンなどで武装勢力攻撃、警官が多数死亡 ミャンマー・政治
https://bit.ly/3dQZqk6  2021/04/12

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第二章 東学農民戦争 1894、95年

「兵士の従軍日誌には体験したり目撃したりした東学農民戦争の実態が克明に記録されていた。
捕らえては殺し、従わない村落は焼いた。
農民軍の犠牲者は三_五万人と推計されるのに対して、六六〇人程度の規模だった討伐大隊側の戦死者は
わずか一人だった。農民軍の主要な武器は火縄銃や竹槍であり、装備の格差はあまりにも大きかった。
とても戦争と呼べるものではなかった。」

渡辺延志「歴史認識 日韓の溝」70p   ちくま新書、2021年4月

第二章 東学農民戦争 1894、95年

「積み重ねられた虐殺は、部隊の指揮官の逸脱とか兵士の暴走とかいうものではなかった。
日本軍トップの意思が兵士にまで徹底されていた結果だったのだ。
東学農民戦争は近代日本が朝鮮の民衆と直接向き合った初めての場だった。
そこで従わない民衆への対処として日本が選んだのはことごとくの殺戮だった
ーー「隠された歴史」の正体が浮かび上がってきた。」

渡辺延志「歴史認識 日韓の溝」72p

「義兵の討伐は1911年まで続いた。
その間の衝突の総数は2852回で、17779人の暴徒を殺戮し、日本側の戦死者は136人であったと
『朝鮮暴徒討伐誌』は集計している。
最も戦いの激しかった1908年には、1451回の衝突があり11562人を殺戮したとあるので、
朝鮮半島のどこかで毎日平均4回の戦闘があり30人ほどの義兵が殺された。
この統計に含まれない民間人の犠牲も多かった。」

渡辺延志「歴史認識 日韓の溝」47p

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