映画「ぼけますからよろしくお願いいたします」から認知症の親の介護の意味

文化放送ラジオ 大竹まことゴールデンラジオ(2021/5/14) 信友直子 映画「ぼけますからよろしくお願いいたします」から認知症の親の介護、ドキュメンタリー映画の意味を語る

 永岡です、文化放送ラジオの、大竹まことゴールデンラジオ、本日のメインディッシュは映画監督の信友直子さんでした。パートナーは六車奈々さん(室井さん少し体調不良で大事を取ってお休み)、アシスタントは太田英明さんでした。ちなみに緊急事態宣言地域拡大で国会をNHKが急遽中継、そして夜はまたぞろ菅総理の記者会見です。

映画「ぼけますからよろしくお願いいたします」の監督の信友さん、認知症の母と介護する父を描いたもの、本(https://www.shinchosha.co.jp/book/352941/ )にもなり、映画はロングラン、2018年に公開、20万人見て、信友さんは乳がんも体験、家族を家庭用ビデオで撮り、乳がんの自分をカメラで撮られて、乳房と分かれるのも記録。おっぱいと東京タワーをテレビ番組でつくり賞も得て、インドで列車事故にも会い、列車と線路の間に挟まり九死に一生を得た、骨盤骨折、一人旅で頼る人がなく、つたない英語を駆使して、ニューデリーに帰るのは大変、医療飛行機を飛ばしてもらい、お金もかかった波乱万丈。

ドキュメンタリー映画を撮るきっかけはまた波乱万丈、大学を出て森永製菓でコピーライターをされて、当時コピーライターブームだったが男女雇用機会均等法なし、広告代理店には採用されず、コピーライターの養成講座があり、その際にグリコ・森永事件、広告部の仕事もなく、当時工場から直送の1000円パックを手売りしていた時代。で、ドキュメンタリー映画には、森永で手売りの際にマスコミが押し寄せて女性に迫られて恐怖症。しかし信友さんを被害者ではなく女性として接してくれた方がいて、コピーライター→1000円パック、泣いて、気持ちが回復して、そして取材の仕事になり接点。最初のドキュメンタリー映画は、日本人はなぜバンザイをかるのか、それでも痩せたい女性など作られて、そして両親、母親が認知症になり、信友さんの母は、認知症になる前から両親を家庭用カメラで2000年ごろから撮られて、仕事のもの、それまではプロのカメラパースンとして大きなカメラ→家庭用カメラで小さいものでOKになり、取材対象も安心してもらえるもの、しかし信友さんカメラを回した経験がなく、両親を対象に練習。

2017年に母が、ぼけますからお願いしますと実際に語り、認知症と診断されて3年のもの、それをタイトルにして、認知症はボケたから何もわからないのではなく、本人は不安でつらく、ぼけますから、というもので撮り、母はブラックジョークも好きで、認知症の親の家族が楽になるためのものを目指し、タイトルは明るいものの、内容はとんでもないところにカメラも入り、父と母の根気のバトル、母は調子が悪いとここにいてはいけない、死にたいとなるほどで、暴言を吐く、暴れるなどあり、父は一度だけなら死ねと言ってしまい、信友さん父のそういう発言を初めて聞いて仁義なき戦い、映画に入れるか悩み、しかしそれは父が母を気遣っているからと理解して、父はマニュアルを越えて、感謝の気持ちを忘れるな、の意味。父は耳が遠く、母が認知症で、怒鳴るものを信友さん冷静に撮られたものを大竹さん評価されて、ぼけた人がつらい、暴れるもので、体力を消耗して寝るとそれを忘れるもの、寄り添う過程で、信友さんの気持ちも参加。

信友さんはカメラを回して、母と娘だと感情が揺さぶられて、カメラを持つと引きの目線、客観視できる。大竹さんもつれあいさんとどちらが先にボケるかになるが、仲間うちで話して、認知症の人はつらい、歳を取るもの、家庭のことをしなかった父が家事をするなどあり、母と散歩、父は100歳に近く、二人で散歩、苦労されるシーンがあった、信友さんは人間が学習する動物だとわかったもの、父と母と、二人で寄り添ったものを見れたのは宝物ではあり、母はその後脳梗塞になり昨年亡くなり、亡くなったのはコロナ禍の始まった頃、実家にいて、母の亡くなる家庭を記録できた。

大竹さんは信友さんがカメラで記録された意味を説かれて、信友さんは波乱万丈の中でクールさを持っていたと説かれて、信友さん、母と父の別れも記録、ディレクターの業。そして撮影して何年か経ち、母のこと、元気な時から全部撮ったことで寂しくない、ビデオテープの中で母は生きていて、動画を撮る意味はあり、動画だと言葉もある。六車さん、祖母の動画をスマホで見て感激、封印していたからだと説かれて、大竹さんは自分の歳になると、高齢の親のことを見て笑えるものもあるが、廊下でうずくまるものもあり、ロングショットだと喜劇でもそこまでクールになれないと説かれて、太田さんは10歳を超えた父のことを問われて、信友さん、父とは60~70年一緒に生きていて、一緒に懸命に生きているもの。実家は呉、都会とは異なり、大竹さんは東京の喧騒の中と異なるものがあり、施設の方も協力されて、信友さんは父が100歳、広島で一人暮らし、しかし映画のため広島で人気ものになり(笑)、町で見守ってもらっていると説かれました、以上、信友さんのお話でした。

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