五輪というダークファンタジー

五輪というダークファンタジー 島田雅彦さん、開会式に思う

開会式が無観客開催となった国立競技場(奥)周辺を歩く島田雅彦さん=東京都新宿区で2021年7月23日午後4時4分、関雄輔撮影拡大
開会式が無観客開催となった国立競技場(奥)周辺を歩く島田雅彦さん=東京都新宿区で2021年7月23日午後4時4分、関雄輔撮影

特別寄稿 作家・島田雅彦さん

1964年の東京オリンピック開会式を見た三島由紀夫は毎日新聞に寄稿し、反対論者の主張に理を認めつつ、「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」と書いたが、57年後の今大会では「これをやったせいで、日本人の病気は悪化する」という正反対の事態に直面する。新型コロナウイルスの感染爆発だけでなく、政治、経済、マスメディア、市民生活を蝕(むしば)む病巣が確実に拡大し、日本は敗戦も同然の状況に陥りかねない。誰もその責任を取らないところも、先の大戦と同じだ。開催をゴリ押しした人々は、事後の惨状の責任を追及されても、全員が貝になり、口を固く閉ざすのだ。

終戦から19年後に開催された64年東京大会は、日本が人権、民主を尊ぶ普遍的国家として国際社会に復帰したことをアピールし、戦後復興と経済成長の成果を謳(うた)いあげる祭典としての大義はあった。強引な開発による弊害もあったが、大会をさらなる発展の起爆剤にする「成長期のオリンピック」だった。それに対し、今大会は大義もなく、成長も見込めない、関係者の利権配分のためだけに実施される、時代錯誤の「終末期のオリンピック」である。

 振り返れば、今大会は誘致の段階から不正と虚偽のオンパレードだった。ロビー活動での賄賂疑惑、新国立競技場建設過程でのゴタゴタと予算膨張、エンブレム盗作疑惑、猛暑問題、組織委の予算濫費(らんぴ)、会長の女性蔑視発言、不適切な開会式演出プランや人選、国際オリンピック委員会(IOC)の拝金主義とぼったくり、委託事業者による中抜きなど、オリンピックのダークサイドがこれでもかというくらい露呈した。

オリンピックの成否の公正な評価など誰にもできないが、主催者視点で考えてみれば、平和の祭典、感動と勇気を与えるといった美辞麗句で世界を騙(だま)しおおせれば、成功であろう。さらに建設会社や広告代理店、委託事業者、IOC、スポンサー企業が儲(もう)かる利権構造が完全に機能し、セキュリティー対策と称して監視システムを強化し、開催反対論を封じ込め、国威発揚や政権支持率の向上に結び付けられたら、大成功と考えるだろう。逆説的意味において、歴史上、最も成功したのは36年の第11回ベルリン大会だったかもしれない。

 ナチス独裁政権下のオリンピックは、反ユダヤ主義政策や他国の侵略計画を巧みに隠蔽(いんぺい)しつつ、アメリカの商品広告の手法を駆使し、古代ギリシャとナチスのイメージを結び付けるために聖火リレーという儀式を編み出し、競技を通じてアーリア人種の優位性を誇示した。露骨なオリンピックの政治利用はここから始まったわけだが、アメリカも近代オリンピックの創始者クーベルタンもナチスの接待と宣伝工作に乗せられ、ボイコットの声を封殺した。その4年後には日本が「紀元二千六百年記念行事」としてベルリン大会を模倣しようとするが、日中戦争拡大により幻となる。今回も誘致段階で、安倍晋三前首相が福島原発事故の「アンダーコントロール」発言をし、「復興五輪」の建前で国際世論を欺いたが、その隠蔽手法も「ナチスに学んだ」(注1)のだろう。復興は後回しにされ、仲間内で大政翼賛への回帰を夢見る「復古五輪」にすり替えられた。菅義偉首相の「コロナに打ち勝った証し」発言も「安全安心」発言も、現実離れした妄言だったが、IOCも東京都もその妄言に便乗し、オリンピックの黒歴史を反復した。オリンピックには常にナチスの影が付きまとうので、それを払拭(ふっしょく)するための努力を怠った途端、差別や蔑視、独善の体質が透けて見える。

作家の島田雅彦さん=東京都千代田区の法政大学で2020年3月25日、玉城達郎撮影拡大
作家の島田雅彦さん=東京都千代田区の法政大学で2020年3月25日、玉城達郎撮影

今大会で噴出した諸問題のほとんどはこれまで積み重ねてきたことの結果であり、ツケである。当初予算の4倍、ロンドン大会の2倍の予算を濫費しながら、しょぼさを感じてしまうのはなぜか? 感染対策の不備、運営上の混乱、選手村のみすぼらしさを見るにつけ、予算の使途に大きな疑念を抱く。「多様性」を謳いつつ、実態が伴わないテレビコマーシャルのような開会式も、観客がいたら、バッハIOC会長の長過ぎる能書きにブーイングが起きただろう。どうやら業務の委託を受けた広告代理店や人材派遣会社による中抜き、組織委員会の破格の待遇という内輪の利益誘導システムだけは万全に機能していたようで、大損失のオリンピックでも焼け太りした人々に対する怨嗟(えんさ)の声が上がるのは間違いない。

 市民にはパンとサーカス(注2)を与えておけば大人(おとな)しくしていると施政者は思っただろうが、パンもケチられ、サーカスの損失まで負担させられるとなったら、どれほど寛容な人でも施政者を恨み、呪うだろう。もちろん、サーカスに興じるも、白けるも個々の自由だ。選手も勇気と感動なんて与えなくてもいいので、無観客の競技場で、誰のためでもなく、自分のために孤独な戦いに臨めばいい。戦場には観客はいないものだ。自宅で、病院で、職場で、商店街で、被災地で、それぞれ孤独な生存のための戦いを強いられている市民と選手の連帯はリモートでも可能である。新たに登場したスターへの熱狂によって直面する諸問題をしばし忘れてもいい。その熱狂もすぐに冷め、怒りの矛先は再び「ずるい奴(やつ)ら」、「嘘(うそ)つき」に向かう。

注1

2013年7月、麻生太郎副総理兼財務相が憲法改正に関し「(ナチスの)あの手口に学んだらどうかね」と述べ、国内外から批判を浴びた。

注2

古代ローマの詩人ユウェナリスの言葉で、パン(=食べ物)とサーカス(=楽しみ)を与えることで市民の批判精神を奪う愚民政策のたとえ。

島田雅彦(しまだ・まさひこ)さん

1961年生まれ。東京外国語大ロシア語学科卒。大学在学中の83年「優しいサヨクのための嬉遊曲」でデビュー。著書に「虚人の星」「君が異端だった頃」「スノードロップ」など。

【東京オリンピック】

時系列で見る

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