訪問医療でいのちの「仕舞い」支える 自称「田舎医者」小笠原望さん

訪問医療でいのちの「仕舞い」支える 自称「田舎医者」小笠原望さん
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2021/10/03 10:00 小笠原望さん=2021年9月12日午後1時15分、
高知県四万十市、
清野貴幸撮影 (朝日新聞デジタル)
高知県の清流・四万十川のほとりにある診療所の医師、小笠原望(のぞみ)さん(70)は自称「田舎医者」。20年以上にわたって地域で訪問診療を続け、多くの人の最期を看(み)取ってきた。人の命も自然の中のもの――。たどり着いた境地が、最新の著書に収められている。
 ――訪問診療を始めたきっかけは
高松赤十字病院で内科医として20年勤務していた1997年、義父の診療所を継ぐため四万十市に来ました。すぐに訪問診療を始めた。医者がいない田舎で高度な医療でなく、人と人が丸ごとかかわるような在宅医療をするのが高校時代からの夢でした。
――その高校生の頃に挫折があったのですね
世間をなめていました。中高一貫の進学校で成績が悪くなく、生徒会長をしていた。将来は医者になって地元の公立病院の院長に収まって……、と思い描いていたのですが、甘く考えたツケで第一志望の医学部に落ち、失恋もした。運良く受かった弘前大医学部(青森県)に進みました。
――四国から津軽へ。現地での6年間はどうでしたか
頭だけで物を考えず感情を表現するといった「子供のやり直し」をするうえで、弘前のくっきりした四季が大きかった。土佐では台風は3日辛抱すれば何とかなるが、あの頃の弘前は11月に雪が降って4月初めまであった。地元の人は粘り強く腰が落ち着いていた。自然に対する感覚の違いを感じました。弘前大の臨床医学が進んでいたのも後で役に立ちました。
――これまでの著書には印象的なフレーズが多いです。
「医は片想(おも)い」とは  医者がやった分だけ患者が回復してほしい、感謝の言葉があってしかるべき、などと考えてはいけない。見返りというか折り合う感じを求めてはいけない。相手にどう思ってもらうかでなく、自分が楽になればいいという弘前時代のトレーニングもあり、今は自然とそうなりました。僕の原動力の「嫌にならない」につながっています。
――「舞台は回る」とは
楽観です。どんなに大変でも何とかなる。自分で舞台を回そうとしなくても、やがて自然に回るんです。舞台から降りる(自死)ことさえしなければ……。うつ病の患者を診た経験から思いついたんです。春にならないと雪は消えないという津軽の人の感覚もベースにあるかもしれません。
――「ひとのいのちも自然のなかのもの」とは
命は特別なものでなく、それだけ切り取って何とかなるものでもない。地元の人たちは、命の終わりを「仕舞い」と言います。「いい仕舞い方をしてありがとう」と家族から言われることも。いろいろな生物と同じく自分の命にも終わりがあるという前提をきちんと持っています。僕も、がんの痛みは徹底的に取りますけれど、例えば命をいっぱい使い切ったお年寄りにまだ何か治療をする必要があるのかと考えます。
――「仕舞い」ですか。
「終(しま)い」ではないかという指摘もありましたが、仕舞い込むという能動的な行為なのでこの字を当てました。自分の仕舞い方は自分でしか決められない。やっぱり最期の場面にはそれぞれに感じることがあるし、人間って素敵だなと思う時があります。
――四万十川のそばで診療することの意味は
川を見ないと1日が始まらないお年寄りもいて、四万十川は人の生活と近い。僕も堤防から夕焼けを見ると涙が出るようになった。弘前の自然が僕を修正してくれる分岐点になり、四万十の自然は医療者としての境地の完成に大きな役割を果たしています。(清野貴幸)
◇  おがさわら・のぞみ 高知県土佐市出身。弘前大医学部卒。高松赤十字病院などを経て、1997年から大野内科(四万十市)で訪問診療を始める。元院長、現理事長。これまで在宅で100人以上を看取り、現在も週2回、約40人の自宅を訪問。最新著書は「四万十の流れのように生きて死ぬ いのちの終わりを自然に受け入れるためのヒント」。
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隆夫

寺田隆夫
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