福島第一原発は津波の前に壊れた〈元東京電力「炉心専門家」が決意の告発〉/木村俊雄――文藝春秋特選記事【全文公開】
東京電力・福島第一原子力発電所の炉心溶融(メルトダウン)を伴った大事故から、8年が経ちました。 この大事故を受けて、一時は「稼働中の原発はゼロ」という状態にもなりましたが、その後、再稼働が進み、現在は、玄海原発四号機、川内原発一・二号機、大飯原発四号機、高浜原発三・四号機、伊方原発三号機の計7基の原発が稼働中です(玄海原発三号機と大飯原発三号機は定期検査で停止中)。 現在停止中の原発も、多くが再稼働に向けて動き出しています。原発メーカー日立製作所の会長で経団連会長も務める中西宏明氏も、今年4月の記者会見で「再稼働していくことが重要」と発言しています。 かつて福島第一原発で原子炉の設計・管理業務に関わった者として、私はこの動きを非常に危惧しています。原発事故の原因の検証がいまだに十分になされていないからです。 再稼働のためには、「事故原因」を踏まえた新たな「安全対策」が絶対条件となるはずです。けれども「安全対策」どころか、肝心の「事故原因」すら曖昧にされているのが現状なのです。 事故を受けて、「国会事故調」「政府事故調」「民間事故調」「東電事故調」と4つもの事故調査委員会が設置され、それぞれ報告書を出しましたが、いずれも「事故原因の究明」として不十分なものでした。 東電の事故報告書は、「津波想定については結果的に甘さがあったと言わざるを得ず、津波に対する備えが不十分であったことが今回の事故の根本的な原因」と結論づけています。「想定外の津波だった」という東電に無責任さを感じるとしても、「津波で電源を喪失し、冷却機能を失って重大事故が発生した」というのは、多くの人の理解でしょう。 しかし、メルトダウンのような事故を検証するには、「炉心の状態」を示すデータが不可欠となるのに、4つの事故調は、いずれもこうしたデータにもとづいた検証を行っていないのです。 ただ、それもそのはず。そもそも東電が調査委員会に、そうしたデータを開示していなかったからです。 そこで私は東電にデータの開示を求めました。これを分析して驚きました。実は「津波」が来る前からすでに、「地震動」により福島第一原発の原子炉は危機的状況に陥っていたことが分かったのです。メルトダウンの第一の原因は、「津波」ではなく「地震動」だった可能性が極めて高い、ということです。「津波が原因」なら、「津波対策を施せば、安全に再稼働できる」ことになりますが、そうではないのです。 ◆◆◆ 木村俊雄氏(55)は長年、東電の技術者として原発の仕事に携わってきた。東電学園高等部を卒業後、1983年に東電に入社、最初の研修先が福島第一原発だった。柏崎刈羽原発を経て、1989年から再び福島第一原発へ。2001年に退社するまで、燃料管理班として原子炉の設計・管理業務を担当してきた“炉心屋”である。 東電社内でも数少ない炉心のエキスパートだった木村氏が、自身が手に入れたデータをもとに、福島第一原発であの日、何が起こっていたのかを解説する。 ◆◆◆
隠されていた重要データ
「何かがおかしい」 東電の事故調の報告書を読んだとき、そう感じました。報告書は、800ページもあり、公開しているデータは2000ページ、事故当時の操作手順をまとめたものも5000ページあるのですが、この膨大な記録をくまなく読み込んで気づいたのです。「東電は、すべてのプラントデータを公開していない」と。とくに気になったのは、炉心内の水の流れを示す「炉心流量」に関連するデータが一切公開されていなかったことでした。 これは「過渡現象記録装置」という計算機が記録するデータで、航空機でいえば、フライトレコーダーやボイスレコーダーに相当するものです。過渡現象記録装置は、福島第一原発の一号機から六号機まで、すべてのユニットについています。東電に在職中、私は日々、この計算機のデータ解析を行っていました。ですから、このような重要なデータが抜けているのは明らかにおかしい、と気づいたのです。 東電事故調報告書は、「安全上重要な機能を有する主要な設備は、地震時及び地震直後において安全機能を保持できる状態にあったものと考えられる」と述べています。しかし、「安全機能を保持できる状態にあった」と断言するには、過渡現象記録装置のデータが不可欠です。 2013年7月、記者会見を行ない、公開質問状という形で東電に不足しているデータの開示を求めましたが、「すべてのデータは開示済み」というのが東電の回答でした。 ただその後、意外なところから事態は動き始めました。東電の廣瀬直己社長が記者会見で、公開質問状の内容や炉心流量データが未開示であることについて質問された際、「すべてのデータを開示する」と表明したのです。おそらく廣瀬社長は、データの意味や未開示の理由を分かっていなかったのだと思います。
燃料がドライアウト
開示されたデータを分析したところ、過渡現象記録装置は、地震発生後、プラントの全計測データを100分の1秒周期で収集し、計算機内に保存していました(一号機の場合で10分間)。上記のグラフを見てください。横軸は「時間」、縦軸は「時間当たりの炉心に流れている水の量」を表しています。 福島第一の原子炉圧力容器は、沸騰水型(BWR)で、炉心の中を水が流れ、核燃料を除熱します。この炉心を冷却する水が、安全性を保つ役割を果たしているのです。 グラフを見ると、地震が来る前は、「1万8000トン/時」で水が流れていました。そして14時46分に地震が発生し、原子炉が自動停止すると、放物線を描いて流量が下がっています。次に電源喪失によって計測値はいったんマイナスになっています。これ自体は、計測指示計の設計上生じることで、問題はありません。その後、数値はスパイク(瞬間的に上昇)して一旦上がっていますが、1分30秒前後から炉心流量はゼロになっています。 BWRでは、水が原子炉圧力容器内で「自然循環」していれば、電源喪失でポンプが止まっても、炉心の熱を約50%出力まで除去できる仕組みになっています。「自然循環」は、BWRの安全性を保障する極めて重要な機能を担っているのです。 逆に言えば、「自然循環」がなくなれば、BWRは危機的状況に陥ります。「自然循環」による水流がなくなると、炉心内の燃料ペレット(直径・高さともに1センチ程度の円筒形に焼き固めた燃料)が入っているパイプ(燃料被覆管)の表面に「気泡」がびっしり張り付きます。この「気泡」が壁となり、熱を発している燃料被覆管と冷却水を隔離してしまい、冷やすことができなくなり、次々に燃料が壊れてしまう。これを「ドライアウト」と言います。 過渡現象記録装置のデータを解析して分かったのは、地震の後、わずか1分30秒後に、「ドライアウト」が起こっていた可能性が高い、ということです。 ではなぜ「自然循環」が止まってしまったのか。私が分析したデータや過去の故障実績を踏まえると、圧力容器につながる細い配管である「ジェットポンプ計測配管」の破損が原因である可能性が極めて高い、と考えられます。 また事故当時、運転員が、「自然循環」の停止を検知できた可能性は極めて低かったと言えます。というのも、運転手順書には、「地震時に『自然循環』の継続と『炉心流量』を確認する」とは明記されていないからです。つまり、「運転員の過失」というより、「設計・構造上の欠陥」なのです。 いずれにせよ、津波の第一波が到達したのは地震の41分後の15時27分ですが、そのはるか前に炉心は危機的状況に陥っていた、ということです。「想定外の津波によりメルトダウンした」という東電の主張は、極めて疑わしいのです。 4つの事故調に参加した専門家も、このデータの欠落には気づきませんでした。ただ、開示されていたとしても、このデータをうまく分析することは、おそらくできなかったと思います。 「原発の専門家」と言っても、実は様々な分野に分かれています。例えば国会事故調の田中三彦さんは圧力容器の機械設計、後藤政志さんは格納容器の機械設計、小倉志郎さんはプラント全体のメンテナンス……という具合です。それぞれの分野の権威であっても、炉心内の細かい挙動に関しては、“素人”なのです。 国会事故調の先生方から直接聞いた話です。過渡現象記録装置のデータは、実は東電のパソコン上で見たそうなのです。ただ、その画面に映っていたデータは、「単なる数値の羅列」にすぎません。私でも、その「数値の羅列」を見ただけでは、何も読み取れません。私のように、炉心屋として過渡現象記録装置を長年使用していた人間が、しかも「数値の羅列」を「グラフ化」することで、「炉心はこうなっていた」と初めて読み取ることができるのです。 「炉心の管理」という仕事は、長年経験を積んだ限られた人にしかできません。私は、定期検査ごとに福島の一号機なら約400本ある燃料集合体(燃料棒を60~80本束ねたもの)のうち、約4分の1を新しい燃料と交換し、残りの300本を全然違うところに配置する仕事をしていました。そして運転開始後は、毎日、炉心状態を把握するために中央制御室に行き、「設計通りに核燃料が核分裂しているかどうか」を確認し、新しい炉心の配置で次の定期検査までの13カ月間、「燃料を壊さずに運転できるのか」を確認する作業をしてきました。 「炉心の管理」は、通常、東京大学や東北大学などで原子力工学を学んだキャリアが担う仕事ですが、私はいわば「現場からの叩き上げ」です。東電学園高校卒ですが、柏崎刈羽原発で働いていたとき、のちに副社長になる武藤栄さんに認められ、「お前は何をしたいんだ」と聞かれたので、「炉心屋になりたい」と言うと、老舗の福島第一原発に行かせてもらえたのです。 福島第一には原発が6基ありますが、当時、炉心屋は9人ほどしかいませんでした。それほど特殊な狭い世界で、「炉心」のことは「原発の専門家」でも一部の人間にしか分からないものなのです。 ですから、4つの事故調がこの点を見落としたのも仕方がなかった面があります。 ただ、事故調査は、形だけの調査委員会を設置して急いで結論を出せばよい、というものではありません。必要であれば時間をかけてでも徹底的に究明すべきです。多くの人命を危険に晒す原発の事故であれば、なおさらです。
墓穴を掘った東電
いま福島第一原発の事故で被害に遭った住民が、東京電力を相手に、損害賠償を求めて訴訟を起こしています。そのうち福島県田村市の方々が起こした訴訟で、私は今年3月と5月の2回、証人として出廷しました。この機会に、4つの事故調で究明できなかった「事故原因」を「公判」の場で検証し、歴史に残すことには意義があると考えたのです。 私は関連するデータや資料を徹底的に読み込んで公判に臨みました。正直に言えば、莫大な労力を費やしても私には一銭にもならない作業です。自宅で膨大な資料を広げて作業に没頭する私に、妻は良い顔をしてくれませんでした(笑)。 しかし、「地震後に炉心内で何が起きたか」を解析できる人材は限られています。しかも現役の東電社員には不可能な役目です。「炉心屋としての長い経験も、このためにあったのだ。これも自分の宿命だ」と思うことにしました。 私のデータ分析に対して、東電は「炉心流量の計測には、ローカットフィルタリングという回路があり、そういった処理が数値上なされているだけで、実際には流量は止まっていない。自然循環は残っている。だから地震によってドライアウトが起こったわけではない」という主張を繰り返してきました。 ところが、5月の公判で東電側は「反対尋問用の資料」として原子炉のメーカーの設計書を出してきたのです。その設計書を読んでみると、驚くことに、私が解析に使用した炉心流量関連データのほぼ全てが、ローカットフィルタリング回路を通す前段のデータであることが判明したのです。つまり、ローカットフィルタリング回路による処理のないデータでした。東電は、自分の主張を否定するような証拠を自ら提出してきたわけです。 そこで私が「ローカットフィルタリング処理前のデータで解析し、自然循環停止を判断している」旨を指摘すると、被告側の弁護士は困惑して汗をかいていました。おそらく炉心に詳しくない人間が、資料づくりを担当したのでしょう。まさに墓穴を掘ってしまったのです。 東電の「企業体質」という問題も無視できません。 原発事故後に東電は、過渡現象記録装置のデータを隠蔽していたわけですが、私の在籍中も、都合の悪いことは隠す体質でした。 例えば核分裂生成物を放出する恐れのある燃料の落下事故や制御棒の破損事故が起きても、国に報告していませんでした。恥ずかしながら、私自身も事故情報の隠蔽に加担したことがあります。 データの改竄も行っていました。例えば運転日誌の原子炉熱出力の計算値の書き換えです。 これは、各燃料集合体の出力や燃焼状況を把握するのに不可欠なデータで、プラントのオンラインコンピューターが一時間ごとにプラントデータを基に算出します。運転日誌は法令で決められた公式記録ですが、その記録を自分たちの都合に合わせて上下させていたのです。 「安全性」より「経済合理性」を優先する企業体質でもありました。1990年代後半から電力自由化の動きが始まると、原子力の優位性を示そうと、発電単価を下げるための圧力が現場にも押し寄せてきました。そのため、法令で定められた運転期間を延長したり、24時間休みなしの作業で定期検査期間を短縮するような行為も日常茶飯事でした。 実際、“重大事故”も起きました。1991年10月のことです。福島第一原発一号機の配管の腐食した部分から冷却用の海水が漏れ出して、電気ケーブルの入った電線管という別の配管を伝って、タービン建屋内に侵入してしまったのです。建屋の地下には膝の深さまで海水が溜まり、非常用ディーゼル発電機が水没して機能を失いました。 マニュアル上、ディーゼル発電機が動かなくなると、発電所の運転を止めなくてはなりません。私は、炉心屋として中央制御室で起動停止操作に立ち会いました。その結果、一号機は68日間にわたって発電を停止することになりました。 こんな大事故を目の当たりにし、中央制御室に一緒にいた上司に、ふと浮かんだ疑問をぶつけました。 「このぐらいの海水漏えいで非常用ディーゼル発電機が水没して使えなくなるとすると、万が一、津波が来た時には、非常用ディーゼル発電機が全台使えなくなります。そうなると原子炉を冷やせなくなる。津波による事故の解析をしないといけないのではないですか」 すると上司はこう答えました。 「君の言う通りだ。鋭いね。しかし、安全審査の中で津波を想定することはタブーなんだ」 この一言を聞いて、私は戦慄を覚えると同時に大きな脱力感に襲われました。 この上司は、原発の設計ベースの事故事象について、「国の許認可上問題はないのか」「事故が実際に起きても問題なくフォローできるのか」などを審査(安全審査)する担当者でした。東大の原子力工学科を出たエリートで、人間的にはとてもいい人でした。だからこそ、ポロリと本音を漏らしたのでしょう。 私が原発設計の根幹にある問題に愕然とし、「ではデザインベースから駄目じゃないですか」と言ったところで、会話は終わりました。 その後は、なおざりの報告書がつくられ、埋まっていた配管を地上に出し、配管内面の材質を腐りにくくしただけで、それ以上の対策は何も講じられなかったのです。
“過去の話”ではない
原発にはそもそも無理があるというのが、長年、現場経験を積んできた私の実感で、私は「反原発」です。しかし敢えて「原発維持」の立場に立つとしましょう。その場合でも、事故を教訓に十分な安全基準を設けることが最重要になるはずです。ところが安全基準づくりの根拠となるべき事故原因の究明すら、いまだなされていないのです。 東電は「津波によってメルトダウンが起きた」という主張を繰り返しています。そして、その「津波」は、「想定外の規模」で原子力損害賠償法の免責条件にあたるとしています。しかし「津波が想定外の規模だったかどうか」以前に、「津波」ではなく「地震動」で燃料破損していた可能性が極めて高いのです。 しかも、私が分析したように、「自然循環」停止の原因が、ジェットポンプ計測配管のような「極小配管の破損」にあったとすれば、耐震対策は想像を絶するものとなります。細い配管のすべてを解析して耐震対策を施す必要があり、膨大なコストがかかるからです。おそらく費用面から見て、現実的には、原発はいっさい稼働できなくなるでしょう。 原発事故からすでに8年が経ちますが、この問題は、決して“過去の話”ではありません。不十分な事故調査にもとづく不十分な安全基準で、多くの原発が、今も稼働し続けているからです。 ※禁無断転載 (C)文藝春秋
木村 俊雄/文藝春秋 2019年9月号