テレビのニュースに、正しい伝え方はあるのだろうか。テレビ朝日系のニュース番組「報道ステーション」の12年間のキャスター経験を、古舘伊知郎さんは「敗北だった」と振り返る。なお求めるという「永遠の微調整」。2カ月の充電期間を終え、実況中継さながらにノンストップで3時間、しゃべり通したテレビへの思いとは。

――キャスターをやめて半月の4月半ば、熊本地震のときはどこで何をしていましたか。

「東南アジアのある田舎町で、飯を食ってたんです。スマホで地震を知って。〈立ち上がりながら〉うわ、これは行かなきゃ、と。でも、『おれ、もう(番組は)終わってるんだ』と座り直した。ちょっと切なかった。体は反応しちゃう。貧乏性だな」

――6月1日のトークライブで活動を再開します。もっと充電しようと思いませんでしたか。

「この10年、夏休みでも東京から出ずにいたので、海外ぶらり一人旅をして。本を読み、映画をみて。3カ月くらい休んでも平気、と思っていたけど、だめでした。22歳から40年近く、しゃべる仕事をやってきた性(さが)ですね」

――12年間を振り返ると?

「外交、政治、経済にくわしくもない、ど素人が、重い任を背負ってしまった。負い目や不安はいっぱいある。僕は(いずれもTBSの『NEWS23』に出ていた新聞記者出身の)筑紫哲也さんでも、岸井成格(しげただ)さんでもない。ジャーナルな目線はあまりなかったと、正直に認めます。ただ、テレビという情動のメディアで、反権力、反暴力、反戦争という姿勢は持ち続けようとやってきた。その自負は、あります」

――3月31日の最後の出演で、「窮屈になってきました」と8分間のあいさつをしました。

「ニュース番組が抱えている放送コード、報道用語。予定調和をやめて、もっと平易でカジュアルなニュースショーができないかと12年やってきたけど、壁を打破できなかった。負け犬の遠ぼえなんで、そこはしっかと自覚しようと。敗北を抱きしめて。報道ではなくバラエティーのコードで、わかりやすい言葉や感受性にヒットする言葉を選んで、半自由にしゃべらせてもらいたい。わがままがうずいたんです」

――どうしたかったのですか。

「たとえば〈アナウンサー口調で〉『この裁判は自白の任意性についてが焦点です』。司法言葉としてはわかるけど、巷(ちまた)で『任意性』って言うかな、って。スタッフともしょっちゅう論争するわけです。もっと見ている人にシンクロして、舞台裏まで言葉にできないのかという葛藤がありました」

――「負け犬」ですか。

「報道は知識、情報。あと、自分の視点、言葉に『智慧(ちえ)』を入れたかった。でも、ちょっとひねった言い方をすると、『お前の意見なんてどうでもいい』とめった打ちにされた。テレ朝への電話やメールは1日100本を超えることもあり、僕が失言すると300本。大きな事件や朝日新聞の従軍慰安婦報道謝罪のときは、さらに多くなった。その1人の後ろに何百人がいる。毎日意見に目を通していると、言いたいことはどんどん言えなくなった。報道番組を見る人のスタンスにも、僕はある意味、負けた」

ログイン前の続き――政治からの圧力は、本当になかったのですか。

「僕に直接、政権が圧力をかけてくるとか、どこかから矢が飛んでくることはまったくなかった。圧力に屈して辞めていくということでは、決してない」

――それでも、何らかの圧力があったのではと受け止められた。

「画面上、圧力があったかのようなニュアンスを醸し出す間合いを、僕がつくった感はある。実力が足りなかった。原発事故後の福島の甲状腺がんの特集も、ドイツのワイマール憲法の特集も、考え方が違う人は『偏っている』と言う。その気配を察して、僕を先頭に番組をつくる側が自主規制をしたきらいがないか。だれかから文句を言われる前に、よく言えば自制、悪く言えば勝手に斟酌(しんしゃく)したところがあったと思う」

――なぜそれほど慎重に?

「『偏っている』というだけの論法は、そんなに怖くない。ただ、東日本大震災後の福島の風評被害で、親戚の子どもが学校でのけ者扱いされた人からの『マスコミは徹底的に福島と心中する気もないくせに、なぜ中途半端に偽善者ぶるんだ』という声には正直、ひるみました。中途半端な言葉は見透かされる。大震災を境に、言うことを控えたという自分の反省と、言うこと控えて何が悪いのかという思いの葛藤の日々でした」

――そうした思い、最後の8分のあいさつで言い切れましたか。

「無理、無理。思いが強すぎて。楽屋であいさつを稽古したときは18分30秒あったんです。本当は、宮城・気仙沼の漁師さんに『ありがとうございました』と伝えたかった。それは何かというと、震災後、あまりのすさまじい現実、悲しみや怒りの極致にいる人たちを前に、俺にはしゃべる資格がないと思った。だったら被災した方に、せめて一瞬でもガス抜きしてもらうのが役割だと思い、漁師さんに言ったんです。『自分はテレビの側で偉そうに言って帰る前提で聞いています。思いっきり私に怒ってください』。すると、水産加工場を見せてくれた。ウジ虫で真っ白な床。異臭。腐った魚を湾に捨てる作業。そして本音で語ってくれた。傲慢(ごうまん)で上っ面だけでしゃべれば何とかなると思っていた自分が、多少なりとも変われた瞬間でした」

――この春、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子さん、「NEWS23」の岸井さんも、相次ぎキャスターを降りました。

「岸井さんも国谷さんも、会ったことはありません。同時多発的に辞めたのは、不思議ですね。通底する何かがあるんですか? むしろ朝日新聞にお聞きしたい」

――いまの肩書は?

「えっ? 肩書? しゃべり屋か、しゃべり手か。これしかないですね。だから生意気を言わず、ナレーションでもバラエティーでも、クイズでも旅ものでも、散歩番組でも。初心にかえって、やれるものはやらせてもらいたい。夏の参院選の司会はありません。自ら報道を降りたので、義理と人情を大事にしたいですし」

――昨年12月に降板を発表したときの会見では、2020年の東京五輪の開会式の実況をしたい、とも。なぜ、開会式ですか。

「いや、あんまり意味がなくて。大きなカーニバルの描写をしたい。人を呼び込みたいから」

――ですが……。

「だめです? この説明では」

――先ほど予定調和は嫌いだと。展開がみえない試合中継のほうが古舘さんらしいと思います。

「それは認めます。確かに開会式は式次第がありますが、予想外の面白い動きがないものを面白く言うのが、また楽しみなんですよ。〈水の入ったグラスを手にとり〉たとえば、これを実況すると『まるでオホーツク海、ゆっくりと流氷が流れてきた時に、こんな一瞬きらめくような光景が眼前に開けているんでしょうか……』とか言って。思いまでつなぐと、邪道実況として人は楽しむんです」

――テレビのニュース、この先どんどん窮屈になりませんか?

「番組コメンテーターだった東京工業大学中島岳志先生の『保守とは永遠の微調整』という言葉が、好きなんです。変わらないためには、変わり続けないといけない。全面的には変えないけれど、少し位相をずらしましょう、と。いまの安倍政権も、20年前の保守政権と違う形で国民にアピールすることが大事なのでは。この永遠の微調整をしていくことが、いまの政権に欠けている本当の保守本流の政治ではないかと」

「テレビのニュースも保守の極みですから、アナーキー(無秩序)なことはやれない。けれど、若い人たちは保守、リベラルと分けない無垢(むく)の柔軟性がある。だったらさじ加減は難しいですが、永遠の微調整をやっていく。俺はガチガチに考えすぎて自然発火みたいになっちゃったけど、もっとスマートなやり口があって、(後任の)富川悠太アナウンサーを含めて、少しずつ変革してほしいと期待しています。テレビにも新聞にも、あきらめないでほしい」

――テレビに未来はある、と。

スマホの中にテレビがぐいぐい入っていく時代こそ、テレビを考えるゴールデンタイムの番組とか仕掛けないと面白くない。テレビのゆりかごで育ってきた古くさい人間として言えば、テレビはそんなに、やわじゃない。ただ、創生期にはめっちゃくちゃなやつがいて面白い番組があった。いまはエリートの集団で、平板でつくっている。よく言えば成熟、悪く言えば衰退。成功番組の焼き直しを追随して、ニュースもハイリスクハイリターンが少ない。チンピラで途中入社せよ! はみ出し者いでよ! お笑いのバラエティーの人間が報道に、といった激しい人事交流で化学変化を起こす、永遠の微調整が必要ではないですか」(聞き手・佐藤美鈴)

1954年生まれ。テレビ朝日のアナウンサー時代にプロレス実況で人気に。独立後、各局のバラエティーや紅白歌合戦で司会を務めた。