北九州市の小倉で俳誌を主宰する寺井谷子さんから頂いた新句集に、原爆を詠んだ作があった。〈原爆投下予定地に哭(な)く赤ん坊〉、そして〈生きて古稀(こき)原爆投下予定地に〉。1945年のきょう、長崎で炸裂(さくれつ)した原子爆弾の第1目標が小倉だったことはよく知られる▼視界不良のために数度旋回するも投下できず、B29は長崎へ機首を向ける。去りゆく爆音の下に1歳7カ月の寺井さんはいた。「哭く赤ん坊」とはご自身のことか、長崎の赤子の幻影か。寺井さんは難をのがれ、長崎の街は閃光(せんこう)に壊滅する▼その閃光で妻と子ども3人を亡くした自由律の俳人、松尾あつゆきは忘れ得ぬ人だ。子は中1と4歳、一番下はまだ赤子だった。自ら木を組んで三体のなきがらを焼いた。〈あはれ七カ月の命の花びらのやうな骨かな〉▼妻も子らを追うように息絶えた。〈なにもかもなくした手に四まいの爆死証明〉。妻を荼毘(だび)に付した日に玉音放送が流れる。〈降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾(さか)りつ〉。慟哭(どうこく)を聞く思いがする▼広島に続き、長崎はきょう原爆忌を迎える。被爆地の願いは3度目の悲劇をなくすことだ。唯一の確実な方法は核廃絶しかなく、人類が手にした残虐な兵器は人類の手で葬るほかはない▼歩みを止めたかのような核廃絶の動きのなか、帰らざるものを語り継ぐ人々は老いていく。広島の式典で非核三原則に触れなかった安倍首相だが、長崎では盛り込むという。お仕着せではない、魂のこもった言葉は聞けるか。