Global Ethics


【8/18 横浜】 ピースボート世界一周へ出航、被爆者と共に平和・持続可能性をアピール   by limitlesslife

皆さま
ピースボートの川崎哲です。
ピースボートは来る8月18日(木)、横浜港から世界一周に出航します。
第9回「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」として、広島・長崎の被爆者らやユースが参加するほか、
船体には国連SDGsの巨大ロゴを掲げ、平和、軍縮、持続可能性を世界中でアピールしていきます。
出航にあたっての記者会見等について以下の通りご案内いたします。
詳しくはお問い合わせ下さい。
川崎哲
記者リリース
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第92回ピースボート世界一周クルーズが8月18日、横浜から出航!
 船体に国連SDGs巨大ロゴを掲げ、
 被爆者とともに平和、軍縮、持続可能性を世界中でアピール
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第92回ピースボート「地球一周の船旅」が8月18日に横浜港を出航し、
約1000人の参加者が105日間をかけ世界21カ国25寄港地をめぐります。
ピースボートは昨年採択された国連の「持続可能な開発目標(SDGs)※」
の公式キャンペーン団体として、今回のクルーズで使用する客船
オーシャン・ドリーム号の船体に巨大な国連SDGsのロゴをペイントし、
世界各地で国連SDGsのアピールを行います。

出航当日、国連広報センターの根本所長の立ち会いのもと、船体に新たにペイントされた
巨大ロゴの除幕式を行います。また「第9回ヒバクシャ地球一周、証言の航海」として
広島、長崎から被爆者5名とユースら4名が非核特使として参加し、世界各地で核兵器の
禁止と廃絶を訴えます。
証言活動と平行して、軍縮を推進する国連平和ポスター・パネル展も世界各地で展示します。

第92回ピースボート「地球一周の船旅」のその他のトピック:
★「人間の安全保障」をテーマにアジア5カ国の学生が学ぶ地球大学プログラム

★10月20日〜21日ニューヨークに寄港し、国連本部と協力してSDGs船上イベントを開催
★米国と外交関係を回復した注目のキューバに寄港
★CO2の排出量が通常より40%少ない未来型客船「エコシップ」を世界各地で紹介

日時:2016年8月18日(木)
午前11時より  (記者会見に続きSDGs船体ロゴ除幕式)
※写真付きの身分証明書を必ずお持ちください(岸壁に入る際に必要です)
※12:30より出航式。キューバ全権大使も出席。13時出港。

場所:横浜大桟橋国際客船ターミナル、ターミナル会議室(2F)集合

出席者:根本かおる(国連広報センター所長)
忍足謙朗(国連世界食糧計画、元アジア地域局長)
「ヒバクシャ地球一周、証言の航海」に参加する被爆者5名、被爆2世と継承者2名、ユース2名
川崎哲(ピースボート共同代表) ほか

※SDGsとは持続可能な社会を実現するために国連が掲げる平和、教育、貧困、ジェンダー、気候変動など17の目標です。
※被爆者・ユースらは、前日8月17日(水)午後3時に外務省にて非核特使の委嘱式を行います。
取材ご希望の方はご連絡ください。

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▼お問い合せ
ピースボート事務局
担当:大村   Tel:03-3363-7561
info@peaceboat.gr.jp
当日携帯:080-3844-8703(大村)
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ピースボート体験記(西岡由香) by limitlesslife

こんにちは。
毎年、8月9日の長崎原爆忌前後は大忙しなのですが、今年はスペシャル
でした。
7月29日から一週間、ピースボートに乗船して釜山→上海→沖縄の
辺野古を巡り、帰港の翌日、大分県佐伯市(片道5時間40分^^;)で講演、
とんぼ帰りして8日、9日講演、その間飲み会多数(^^)体がもったのが奇蹟~。
飲み会のビール2杯飲みたいところを1杯にセーブしてたことも理由の
ひとつかも?ですが、やっぱり、出会った人たちからもらったエネルギー
に支えてもらったのが一番でした。
レポート、長くて申し訳ないのですが、ごらんいただけたらうれしい
です。

(ピースボートレポート)
年に一度の日韓共催クルーズには、日本人と韓国人が500人 ずつ乗っています。
南相馬市や熊本県阿蘇地方の子どもたちも大勢招待されていて、船じゅう
子どもだらけ。
船内は日本語と韓国語が飛び交い、普通に着物やチマチョゴリの女性が歩き、
子どもがはしゃぎ、沖縄訪問の夜は日韓入り乱れてカチャーシーを踊る。
うわー、もしかしたら日本国憲法がめざすのって、こんな光景じゃないん
だろうか。

最初の寄港地、釜山では釜山市郊外にある古里(コリ)原発見学ツアーに参加
しました。
1977年に稼働した古里原発は、遠目からでもコンクリートの劣化が見て取れる
ほど。
原発から7kmの所に住むイ・テソンさんが、原発横にあるPR館を案内してくれ
ました。佐賀県の玄海原発横にあるPR施設「エネルギーパーク」と同じような、
原発の ハイテクや安全性をアピールする施設には
「日本の原発は事故を起こしたけれど韓国はちゃんとやっています」と
表記されているとか。
原発のすぐ近くにアパート群があり、民家や商店がひしめいています。
テソンさんが説明してくれました。「アパートの住民は原発職員。職員
以外の住民とは連携していなくて、避難訓練のときも連絡がない。
おそらく事故が起きても知らされないだろう」。「核廃棄物がどこに
あるかも我々は知らされないし、“原発が安全だというならソウルに作れ”
と言ったら“ソウルでは安全でない”と言われた」。(なんじゃそりゃー!)
驚いたのは、原発のすぐ下の海で10人ほどの海女さんが海に潜って海草や魚を
とっていたこと。とれた魚はすぐトラックに 積まれて運ばれていきました。
原発温排水の排出口は沖にあるそうですが・・

テソンさんは、ご自身が大腸ガン、妻は甲状腺ガン。専門病院に行くと
「たくさんの知人がガンになっていた」と、電力会社を相手に損害賠償
訴訟を決意します。2015年、釜山地裁はテソンさん勝訴の判決を出しました。
判決文は「法令で定められた年間有効線量は、国民健康上の危害を防止する
ための最小限の基準であり、安全を保障する数値だと断定できない」。
電力会社はすぐに控訴して、裁判は継続中。
テソンさん、訴訟前は周りから「クレイジー」と非難されたそうですが、
勝訴後は周辺住民が共同訴訟を計画したり、釜山市が計画している、
原発近くの海水を淡水化して飲料水にする計画(とん でもねー)に住民が
撤退要求をするなど、変化が広がっているそうです。
別れ際にテソンさんが語った言葉が忘れられません。
「運動とは、自分の弱さを強さに変えていくことです」。

ピースボート船内は、寄港地入港日以外は毎日、講座が100くらい同時

進行で行われています。スケジュール表はまるで新聞のテレビ欄。韓国語教室、

コンサート、アート、洋上会議、原爆や差別をテーマにした講演、ゲーム・・

「水先案内人」と呼ばれる講師の方々も、辛淑玉さん、香山リカさん、

原爆研究第一人者の木村朗先生、シールズの奥田愛基さんなど豪華メンバー。

(しかも船上なのでいっしょに飲めたりする~)
よしっ私も自主企画で講座をやるのだ!と憲法をマ ンガのスライドで解説・・

するはずが、パソコンが起動しないーー!このためにノートパソコン買ったのにー!

スタッフを拝みたおしてパソコンをお借りし、プロジェクターに映してやっと

始まった自主企画は約30人ほどが参加してくれました。
が。
スクリーンに文字が。「まもなくバッテリーが切れます」。ギャー!!

切れる前に話し終えなければー!むちゃ早口で最後のスライドが終わった

とたんに画面が消えました。セーフ。
講座すんだとたんに自前のパソコン起動・・くくぅぅ~。
でも、これだけじゃすまなかった・・
長崎で教会めぐりのツアーガイドをするため、もうひとつ自主企画「長崎の

キリシタン史」を語る会を開いたのです。今度は パソコンもバッチリだ。

韓国はキリスト教の方が多いので、たくさん参加してくださってイスが

足りなくなるほど。おお、気合い入るぞー。
ところが。
船内は企画が目白押しなので、オープンスペースをついたてで区切って

企画を開いているのですが、となりのスペースで同時刻にお祭りが始まって

しまったのです。大音量でソーラン節が流れ、踊る人たちの大合唱。ギャー!

こっちの声がかき消されるーー!聞こえないので参加者がどんどん去って

いくーー!結局、大音量の中、身をよせあって「かくれキリシタンが・・」(泣)

デッキで隣り合わせた韓国人の80歳のオモニ(お母さん)は、小さいころ

日本軍に日本語を覚えさせられたと話してくれ ました。「あ・い・う・え・お

・・」。今でも覚えている日本語を語ってくれた時、申し訳なさで一杯に

なって思わず頭を下げたら、オモニは私の肩をやさしくなでてくれました。
いっしょに食事をしながら、着付けの先生でもある同室の女性と、オモニに

浴衣を着せてあげることに!みんなで浴衣着ておめかし。オモニの車いすを

押しながらデッキを進むと、みんなが立ち止まってオモニに「きれいねえ」。

オモニ大喜び。
なんだか胸がいっぱいになりました。昔、日本軍に傷つけられた心を、今日の

出来事が少しでもいやしてくれただろうか。
月光に照らされて、銀のびろうどを敷きつめたような海面を船は進んで

いきます。
ここは「解放区 」かもしれない。「権力」からの。「国境」や「民族」と

いった「線引き」からの。
私たちは生まれた場所や、見た目が少しずつ違うだけ。
殺しあいたい人なんて、一人もいない。
無理に混ぜようとしなくったっていい。
ただ、その姿でそこにいること。
「和(あ)え」ていること。
それだけでいい。

5日目。ピースボートは、キラキラとエメラルドグリーンにかがやく沖縄の

那覇港に入港。
肌をこがすような猛暑の中、私は辺野古に行くツアーバスに乗り込みました。
沖縄戦のとき多くの住民が逃げ込んだガマに着くと、たくさんの若いアメリカ

人男性がレクチャーを受けています。「新配属の米兵が“いかにして先輩兵士が

勝利したか”の講習を受 けているんだ」と案内の男性。
辺野古の大浦湾は、現在工事がストップしていて車両やボーリング船の

姿はありませんでした。その海の美しさといったら!今すぐ飛びこみたい

くらい。こんな宝の海に基地なんてありえない。基地建設に反対するため

海岸にたてたテント村の村長、安心富さんがこう語ってくれました。
「今は沖縄の経済界も基地反対で大同団結しています。20年前は全沖縄の

たたかいになると思わなかった。きちんと方針を立てていけば、みんな

まとまるのです。沖縄の未来は沖縄が決めていく、という気運が高まって

います。政治やジャーナリズムが堕落してしまった今、国民まで堕落して

しまったらあとは戦場です。今の政治のあ り方を変えなければ。変えるのは、

私たちです」。
米軍のキャンプシュワブ前ゲートで、日韓いっしょにプラカードかかげて

基地いらないデモ。韓国の男性がスピーチしました。「沖縄は、日本の民主

主義を守るたたかいです。私はここに来て、“韓国から辺野古に記者を

おくらなければ”と思いました」。
嘉手納基地を見渡せる道の駅の屋上に立つと、わずか15分の間になんども

戦闘機の離発着訓練。耳をつんざく大音量とともに。
テント村村長の安心富さんの言葉をかみしめます。
「いつも勝つとは限らない。負けて勉強し、また前へ進もう」。

あっという間の船旅も終わりにさしかかり、船は沖縄から長崎港へ。
船はパナマ船籍なので日本人で も「入国」扱いになり、トランク抱えて税関で

荷物検査。
「毒物持っていませんか?」
持ってるわけないじゃーん。
と、税関の男性が「これは?」
私のトランクから出したのは、沖縄のお土産で買った「ハブ毒ちんすこう」。
15個のうち3つが激辛という遊び心のお菓子名なのですが、「ハブ毒ちんすこう」

でまさかの入国拒否か!?
税関職員が話のわかる人で(^^;)笑って通してくれました。
オプショナルツアーでは私の大好きな外海(そとめ)へ日韓の皆さんをご案内。
明治時代、フランス人のド・ロ神父様が建てた出津教会、女性たちが働いた

「救助院」の建物ではド・ロ様の畑でとれた野菜をつかって、みんなでランチ

づくり。遠藤周作文学館では小説「沈 黙」の世界を堪能しました。韓国語で

出版された「沈黙」を読んできた、という男性は

「なぜ“沈黙”という題名なのか?」という、質問をしてくれて思わず語り

あってしまいました。
浦上天主堂から爆心地公園へ。広島から参加した女性は「私は偶然被爆を

免れたけれど、幼なじみはみんな原爆で“蒸発”してしまった。だから

同級生が一人もいない。生き残った者の責任として平和活動をしているのよ」。
爆心地公園の中心碑の前でみんなで黙とう。
ピースボートスタッフが「平和って、共同作業のことですね」。
韓国の人が「日本の憲法は日本だけの憲法じゃない。日中韓の市民が力をあわせて

守っていこう」。
ああ、私たちはこんなに力強 い隣人をもっている。
人に出会う、ということは、そのひとの人生の微粒子を自分の中に入れると

いうこと。
また、素敵な人たちの微粒子を、体の中に、たましいの中に入れに行こう。
友だちに、なりに行こう。
戦争を防ぐ最大の方法はきっと、国境や立場や思想の違いをこえて、友だちを

つくることだって、この旅が教えてくれたから。

西岡由香