Global Ethics


ブラッドランド(上)(下)、最近読んだ本から抜書: by limitlesslife
上巻95 ハンナ・アーレント
ウクライナ飢饉は、みんながみんなから遠ざけられるという、
近代社会の「アトム化」過程で起きた102 「母さんは、わたしが死んだらこの体をお食べと言っていたんだ」105 「ジェノサイド」という用語を考案したポーランド・ユダヤ人の国際弁護士

109 「史上最悪の犯罪だ。
あまりの残忍さに、後世の人々は現実に起きたこととは思えないにちがいない」

117 この戦略のせいでドイツ共産党はほかの政党と一致協力してヒトラーに対抗で
きなかった

128 ロシア人女性を妻としていた杉原は、大半の時間をハルビンのロシア人居住区
内で過ごした

135 スターリンが社会的多元主義を謳う人民戦線への支持を表明しつつも

161 多かったのはユダヤ人だ。NKVD上級職員の約40%、将官にいたっては半数以

167 アンナ・アフマートヴァは、大テロルのさなかに息子をグラーグで亡くした

178 約17万人の朝鮮人全員がカザフスタンに強制移住させられた

180 ヨーロッパ人は、こうした殺害や強制移住がソ連で起きていることに気づかな
かった

181 大テロルはソ連における第三の革命だった

195 日本は独ソの戦争準備の監視地点として、リトアニアに領事館を開設した

202 中世後期、ドイツを含むヨーロッパ中部から西部にかけての地域からユダヤ人
が追放された

210 ソ連が「西ベラルーシ」「西ウクライナ」と名づけた

214 クラクフ大学はドイツのどの大学よりも古かった。
ミツキェヴィチは当時のヨーロッパでゲーテと同等の尊敬を集めていた

215 ウッチのユダヤ人人口はベルリンとウィーンの合計を上まわった

232 ポーランド人将校らは、ある種の出国ビザを発給してもらえれば、ソ連を経由
して日本に

242 アウシュヴィッツにポーランド軍兵舎を転用した収容所を開設した

245 アーサー・ケストラー「真昼の暗黒」

248 東ヨーロッパの社会にとって「知識階級」インテリゲンツィアは誇りであった

253 イギリスという壁

260 1941年から42年にかけての冬に3000万人を餓死させる

263 ドイツ軍の動きを観察した結果、1941年6月中旬だろうと見当をつけた

278 近代の戦争でこれほど多くの捕虜がこれほど早く確保された例はない

287 ドイツが設営した赤軍捕虜収容所の戦時中全体の死亡率は57・5%だった

292 最終解決の方法については、1941年末までにすでに四通りを検討し、いず
れも断念

295 1941年夏には四つの計画

302 「北のイェルサレム」ヴィリニュス

311 ポリーシャ湿地

313 カルパチア山脈南側の、チェコスロヴァキアの最東部地域であったルテニア

323 ソヴィエト・ドイツ人、そのほとんどはヴォルガ川沿岸の自治地区の住民

332 だがドイツは、日本が攻撃を開始したその日にモスクワから追い返されたので

338 再定住地には、八本の溝が掘られている

======

下巻55 死の工場となるはずだった。ユダヤ人は到着するとすぐに殺される手はずだ
ったのだ

68 ヤヌシュ・コルチャック

85 アウシュヴィッツのガス室から生還した人はひとりもいない

94 修正シオニストとその青年組織ベタール、、、イグルン

98 ピストルと度胸があれば十分だったのだ

114 ワルシャワ強制収容所

130 ジョージ・オーウェルとアーサー・ケストラー

135 ジョージ・ケナン

138 ベルゲン=ベルゼンとブーヘンヴァルト

164 カラチャイ、カルムイク、チェチェン、イングーシ

183 ニキータ・フルシチョフ

194 ポーランドは過去500年にわたってヨーロッパ・ユダヤ人の中心地だったが

207 中国の共産化は、スターリンには心穏やかならざるニュースだった

226 アメリカは1955年に西ドイツのNATO加盟を認めた

232 アウシュヴィッツだけに注目が集まった

255 マルクス主義では、農民社会には現代世界に存在する権利がないと考えられて
いた

263 あるドイツ兵が死んだポーランド人のしかめ面を見て

274 セルビア人が

IROHIRA

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace



悲しい話ばかりだが、ぜひ多くの人に読んでもらいたい by limitlesslife
悲しい話ばかりだが、ぜひ多くの人に読んでもらいたい
貴重な記録

── まずは、作品について簡単な解説をお願いします。

布施
先生: 端的に言えば、ヒトラーとスターリンが独ソ両国にはさまれた地域で進めた大
量殺害政策の全容を描き出した本です。ふたりは1933年から12年間も同時に政権につい
ていて、それぞれが自分の身勝手な野望のために、特定の民族を標的にした大量虐殺を
決行しました。その結果、ウクライナからポーランド、ベラルーシ、バルト三国にかけ
ての地域で膨大な人数の民間人が殺されました。命を奪われたのはユダヤ人だけではな
かったのです。

── ホロコーストはよく知られていますが、このような大量殺害の全貌はこれまでほ
とんど明かされてきませんでした。

布施
先生: これまでも、国ごとにそれぞれの歴史認識にもとづいた過去が語られてきまし
たが、著者は、国境で分断された地域史を掘り起こそうと調査を進め、この一帯でヒト
ラーとスターリンに殺された非戦闘員の合計が1400万人以上にのぼることを突きとめま
した。この本には、誰がどんな理由でいかに殺されたかが丹念に書かれています。悲し
い話がたくさん出てきますが、ぜひ多くのかたに読んでいただきたい貴重な記録です。

── 先生は、本作で記されている事実には元々お詳しかったのでしょうか?

布施
先生: いえ、ここまで詳しくは知りませんでした。ホロコースト関係の本は何冊か読
んでいますし、カチンの森事件やスターリンの大テロルについても知っていましたので
、ある程度知識を持っているつもりでした。でもじつはほんの一部しかわかっていなか
ったと気づき、ショックを受けました。スターリンの階級抹殺や民族浄化のすさまじさ
、ナチスドイツの大量銃殺の規模の大きさも、ウクライナとポーランドの受難の歴史も
、はじめて知ることが多くて愕然としました。あとがきにも書きましたが、正直、読む
のはつらかったです。それでも、最終章で語られる著者の真摯な思いに共感し、これは
訳さなければならないと思いました。

── 翻訳作業についてもお聞かせください。まず、訳す際に非常にパワーが必要な作
品だったことはまちがいないと思うのですが、訳了までにかかった時間はどのくらいで
したか?

布施
先生: 1年かかりました。重い障害のある母を自宅で介護していましたので、思うよ
うに仕事の時間がとれなくて困りました。施設のショートステイを利用し、母のいない
日にがんばりましたが、脱稿は当初の予定より大幅に遅れました。でも「母を介護して
いますので」という釈明はしにくいものです。焦ってもしようがないので、誠実にてい
ねいに仕上げることをめざしました。母は今年亡くなりました。曲がりなりにも介護と
両立できてよかったと思っています。介護をしていなくても、この作品にはかなり時間
がかかったことでしょう。決してせかさず、お待ちくださった編集者に感謝しています

── 注や参考文献も多く、作業量はかなり膨大だったと推察しますが、最初から最後
までお一人で訳されたのでしょうか?

布施
先生: はい、ひとり旅でした。

── 分量、内容ともに重みのある作品ですが、原文にはどのような特徴がありました
か?

布施
先生: 原書は知性と教養の感じられる個性的な文章で書かれています。いろいろな意
味を内包する(つまり、いかようにも解釈できる)単語が多用されていますし、indust
rial killing というような、直訳できないオリジナルな表現もたくさん出てきます。
一般的な語でも本来の意味に使われていない場合がありました。とにかく論旨がとりに
くく、一文一文、悩みました。

── 膨大なデータを基に、未知の内容を記した作品ということで、調査も大変だった
のではないでしょうか。

布施
先生: 日本ではほとんど知られていない史実にちらりと触れてあったりするので、何
の話をしているのかわからないこともありました。そういうときはしばらく翻訳を休み
、本を読んで勉強したり、英語のサイトを利用したりして、わかるまで調査を続けまし
た。著者と自分との教養の差を、根気と執念でなんとか埋めていったような感じです。

── そのなかで、翻訳で最も気をつけたのはどういった点でしょうか?

布施
先生: 著者の表現を生かすようにはしましたが、とにかく自分が読んでわかる文を書
こうとしました。研究者ではない一般人のわたしが学術書を訳す最大のメリットはそこ
だろうと思いますから。

── この作品は、出版総合演習の授業で教材として使用なさったという話もうかがい
ました。みなさん、やはり苦労なさっていたのではないですか?

布施
先生: 課題には、第1章の冒頭部分数ページを取り上げました。固有名詞がいろいろ
出てくるうえ、一文の中にたくさんの情報が詰め込まれているという難物でした。先ほ
ども言いましたように、論旨がとりにくいので、どなたも苦しんでおられました。毎回
みなさんといっしょに悩みながら読み進め、授業が終わるときには、いっしょにため息
をついたことを思い出します。帰宅後もなんだか興奮がおさまらず、その夜はなかなか
寝つけませんでした。本そのものはひとりで訳しましたが、授業でみなさんと苦労をと
もにしたことが支えになったと思います。

── ありがとうございました。最後に、学習中の方へメッセージをお願いします。

布施
先生: 英日翻訳の仕事をしていくには、英文を読みとる力が不足していてはどうにも
なりません。学習中はしっかり辞書を引いて粘り強く解釈に取り組んでください。英語
力を伸ばす方法はそれしかありません。訳文を書くときにも、これくらいでいいやとあ
きらめずに、辞書や検索ツールをフルに活用して、ほんとうにベストと思える表現、自
分にしかできない表現を見つけ出すことです。要は自分を追い込めということですね。
苦しいけれどもそれが楽しいという人は翻訳に向いています。家庭や仕事があって、誰
しも学習時間には制約があるでしょうが、その中で全力投球を続けてください。知らず
知らずのうちに力がついてくるはずです。

布施由紀子先生のプロフィール:
出版翻訳家。『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(筑摩書房
)、『動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか』(みすず書房)
、『核時計 零時1分前 キューバ危機 13日間のカウントダウン』(NHK出版)、『骨と
ともに葬られ』(角川グループパブリッシング)、『夜明けまであなたのもの』(二見
書房)、『捜査官ケイト過去からの挨拶』(集英社)など訳書多数。

https://www.fellow-academy.com/fellow/pages/kobore/kobore111.jsp

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池辺 幸惠 via post.freeml.com 

2:38 PM (1 hour ago)

to 市民の風
池辺です。
ご紹介ありがとうございます。是非読んでみます。
人類の大量虐殺の歴史はほんとうにたとえようのない悲しみです。
人類とは、何か。独裁者は、民主主義とは、人権とは・・・?
是非読んでみます。
https://www.facebook.com/groups/436391726555776/?fref=ts

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/b1aa42f8209a539bfa5e2b26097fac25

ではでは、安倍のような戦争屋に日本がのっとられそうで・・・悲しい、
でも、負けてはおれない!!!



12月メール通信2「ホロコースト ~~過去再検証と現代再検証」(池住義憲)17 by limitlesslife
<2015年12月メール通信2> BCC送信
*受信不要・重複受信の方、ご一報下さい
   ~転送・転載、歓迎!~
   <ポーランド・ドイツ訪問報告Ⅱ>
『ホロコースト ~~過去再検証と現代再検証 』
 池住義憲です。ポーランド・ドイツ訪問報告(11月7~16日、
日本再検証の旅でポーランドとドイツを訪問)の第二部『ホロコースト
・・・過去再検証と現代再検証』をお送りします。
 これは12月19日~25日、写真付きでfacebookに連続投稿した
ものを一部修正加筆したものです。写真は下記の池住facebook
アドレスをクリックして頂ければ見ることできます。
 なお、第一部『アウシュヴィッツを訪ねて…』(12月14日送信済)
を未受信の方でご希望の方はご一報ください。お送りします。第三部
は『ドイツと日本 ~原発との向き合い方のちがい」』です。年明けに
送信予定です。みなさん、良いお年をお迎えください!
———————————————————-
『ホロコースト・・・ 過去再検証と現代再検証 』
  ~~ポーランド・ドイツ訪問報告Ⅱ~~
          2015年12月25日
               池住義憲
■「過去」再検証
 ヒトラー・ナチス政権は、なぜこのようなホロコースト(Holocaust、大量虐殺)を起こしたのか。強制労働を通した殺害、毒ガスによる虐殺、銃殺、生体実験・人体実験による殺害、収容所および死の行進での餓死、“生きるに値しない”とみなされた障害者・同性愛者の殺害、“劣等人種”と断定したシンティ・ロマ人(“ジプシー”と呼ばれ差別視されていた人々)の殺害、等々…。
 ホロコーストは、ナチス・ドイツだけではない。大量虐殺/無差別殺戮という点では、状況/内容は異なるが、以下のものも当てはまる。
  ・石井四郎731部隊(1932~1945年)
  ・南京大虐殺(1937年)
  ・重慶/四川省無差別大爆撃(1938~1944年)
  ・三光作戦(1940~1943年)
  ・米国によるB29爆撃機による日本本土空襲(1945年)
  ・広島・長崎への原水爆投下(1945年)
  ・911事件後の米英主導によるアフガニスタンやイラクへの空爆(2001年~)、等々
 ナチス・ドイツによるホロコーストがなぜ起こったのか。戦後70年である今年の最後に、今一度、「過去」を訪ねてみる。ヒトラーは1925年発刊の『我が闘争』で、「ユダヤ人問題の認識と解決なしには、ドイツ民族体再興の企ては無意味であり、不可能である」と記している。
 ヒトラーは、世界支配の権利を持っているのは疑いなくドイツ民族であること、その最大の障害がユダヤ人であること、「アーリア人の勝利(撲滅)か、ユダヤ人の撲滅(勝利)か」この二つの可能性しかない、と断じている。何故このようになったのか…。20世紀初頭からの世界の動きを読み解いてみる。
 19世紀後半以降のヨーロッパは、英国、フランス、ドイツ、イタリア、ロシアなど列強諸国による植民地獲得競争の時代だった。1914年6月、バルカン半島で起こった一事件(サラエボ事件)をきっかけとして、第一次世界大戦に。ひとたび戦争が起こると、列強各国は自国の支配圏拡大に結び付けようとし、戦線はヨーロッパから中東、中国、米国、そして日本にまで拡大。1918年まで続く。
 第一次大戦で敗れたドイツは国土の1割以上を失う。巨額の賠償金が課せられる。経済は破綻し、社会に大きな不満が広がっていく。この頃、ヒトラーが獄中で『我が闘争』を書く。右派政治家は、民主主義、社会主義、共産主義への嫌悪感を煽る。同時にユダヤ人をドイツ社会混乱の原因とし、ヨーロッパにユダヤ国家建設を企む悪の根源だ、との宣伝を展開する。ヒトラーのドイツ労働党(ナチス党。後の国家社会主義ドイツ労働党=ナチ)はその中心だった。
 経済・社会情勢は、さらに悪化。多くの失業者たちは、民主主義に対する不信感を強める。ヒトラー率いるドイツ労働党は1931年の選挙で37%の議席数を得、1933年1月、ヒトラーが首相に就任する。すると、事態は一変。
 ナチス党は、急進派の国粋主義政党との連合で議席の過半数を獲得。1933年3月には全権委任法を成立させ、すべての権力を集中させる。ナチス・ドイツによる恐怖政治の始まりとなった。学校ではユダヤ人排斥を増長させる教育が始まる。1935年には、ユダヤ人の市民権を剥奪するニュルンブルグ法を制定。「ドイツ人の純血はドイツ民族存続に条件である」と同法で規定し、ドイツ人のユダヤ人との婚姻や性的関係が禁じられる。
 そして1939年9月、ナチス・ドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦へ突入。ヒトラーが戦争(第二次世界大戦)を始めた目的は、二つ。第一は、東方へドイツ経済圏を拡大すること、第二は「ユダヤ人問題」を解決すること、ドイツ人生活圏からユダヤ人を排除すること、であった。
 敗戦による国土破壊と巨額な賠償金。それによる経済破綻と失業。社会への不安・不満が充満。極端な民族主義/国家主義の台頭。自民族純血主義が他民族排他主義を生む。そして、軍事力行使(戦争)、ホロコースト…。こうした構造・構図、状況は違えど、現在はどうか。歴史は繰り返されていないか。繰り返されようとしてはいないか。
 20世紀前半の歴史再検証、過去再訪問に続いて、現代を再検証してみる。
■「現代」再検証
  “ナチズムは壊滅した。もう終わりだ。
  その思想は、私と共に消滅する。
  だが100年後には、新たな宗教のような国家主義的、
  社会主義的思想が誕生するだろう”
 これは、1945年4月30日にヒトラーがベルリンの総統地下壕で自殺する二日前に残した言葉。70年経った今は、どうか。ヨーロッパでは、「移民排斥」を掲げる極右政党に市民の支持が急増している。去る11月13日のパリ同時多発テロ以降、とくに!
 オランド仏大統領は多発テロ事件を「戦争行為」と断定し、すぐに非常事態を宣言。そして、過激派組織「イスラム国(IS)」への空爆を開始。各国首脳も一斉に、「テロとの戦い」を改めて宣言。イギリスとロシアは、フランスの空爆を支持して協力を表明した。
 フランス国内では、極右政党「国民戦線」が支持を拡大。テロへの懸念から、「移民排斥」を掲げてフランス全土で400万人が参加する前例のない大規模抗議デモが実施された。国家非常事態法など個別法の改正と並行して、テロに対応するための「非常事態」項目を加えるなど、憲法改正の準備に着手している。
 極右政党の台頭と「移民排斥」の動きは、ここ1~2年間、オーストリア、ベルギー、ハンガリー、ポーランドでも同じだ。債務危機の長期化で社会の閉塞感が広がっていること、好転しない経済・雇用情勢、移民問題…。極右政党が、こうしたことに不満を募らせる市民の受け皿になって台頭してきている。
 米国では、2016年11月の米大統領選に向けて、「イスラム教徒の入国禁止」を唱える不動産王ドナルド・トランプ氏が、共和党候補者指名争いで独走。社会の不安や不満を吸って膨らむ風船のようだ。
日本でも、近年、在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチ(憎悪表現)など、排外主義的主張を強める団体/グループが後を絶たない。安倍首相は、こうしたヘイトスピーチを規制する新規立法や、難民受け入れについては及び腰。対応は鈍い。
 反イスラム・反移民・反難民の動きが、結果として「民族主義/国家主義」を台頭させ、それが更なる「他民族排他主義」へと繋がっていく。戦争が、自国民を守るためという理屈が立ちやすい排外主義/排他主義が高まって起こっていることは、過去の歴史事実が示している。
 「排他」「排除」は、反発と憎悪しか生み出さない。「空爆」は、犠牲と憎悪しか生み出さない。9条を持つ国日本として出来ることは、内戦の解決に向けた取り組み、貧困解消、格差是正、多文化理解&交流、平和教育など、たくさんある。
 歴史再検証、現状再検証の大切さを改めて痛感した。過ちを、惨禍を繰り返してはならない。繰り返えさせてはならない。
(続く)


12月メール通信「アウシュヴィッツを訪ねて…」(池住義憲) by limitlesslife
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  『アウシュヴィッツを訪ねて…』
  ~~ポーランド・ドイツ訪問報告Ⅰ
 去る11月7~16日の10日間、ポーランドとドイツへ「日本再検証の旅」として、仲間・友人20名で行ってきました。「脱原発」、「平和」、「歴史認識」をキーワードにした旅です。
 最初の3日間、ポーランド・アウシュヴィッツを訪ねました。そこで感じたことを、「第一部」として報告します。これは12月6日~14日、写真付きでfacebookに連日投稿したものです。これをそのまま添付ファイルで送信します。また、ファイルが開けない方用に、写真はありませんが本文のみを以下に貼付します。写真は下記の池住facebookアドレスをクリックしてご覧ください。
  池住facebookアドレス ⇒https://www.facebook.com/yoshinori.ikezumi
 「第二部」は『ドイツと日本 過去との向き合い方のちがい』、「第三部」は『ドイツと日本 原発との向き合い方のちがい』の予定です。
     2015年12月14日
          池住義憲
———————————————
第一部『アウシュヴィッツを訪ねて…』
【12月7日 月曜】
 アウシュヴィッツは、1939年9月にドイツ軍がポーランドに侵攻(第二次世界大戦開始)した半年後の1940年4月、ポーランド人の政治犯収容所として建設。それが、やがて、ユダヤ人の絶滅収容所に…。アウシュヴィッツだけで少なくとも200万人以上の人が命を落としたと言われている。
 鉄道の要衝で軍舎の廃墟があったこと、広い土地で拡張が可能であったこと、市街から離れ隔離が容易だったこと、などが理由で場所が選定された。ポーランド南西部のオシフェンチムと呼ばれていた町の郊外で、ドイツが地名をアウシュヴィッツ(Auschwitz)に変更。戦後は元の地名に戻し、今日ではオシフェンチムという。
 ユダヤ人絶滅収容所は、この他にもポーランド北部のトレブリンカなど5カ所あり、計600万人もの人たちが殺されたという…。写真は、「死の門」と呼ばれたアウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウ(Birkenau)の正面入口。この鉄道レールで輸送され、正面の監視塔下をくぐって中に入る。ゲートは、「お前たちの出口は煙突だけだ」(中谷剛著『アウシュヴィッツ博物館案内』凱風社、2012年)と言っているように見える…。
【12月8日 火曜】
 「死の門」の先で線路が3本に分かれ、鉄道用荷卸し場(ランぺ)がある。何日間も貨物車両に閉じ込められていたユダヤ人は、ここで降ろされる。
 この線路の横で、生死の「選別」が行われる。列車を降りた人たちは、すぐに女性/子どもと男性の2組に分けられる。軍服を着た医師が、「お前は右へ」「お前は左」と指示。力があり健康そうで働けそうな約3割のユダヤ人は、労働のために左側の収容所へ。
 働けないとみなされた残り7割の老人や病人・妊婦・子供たちは、強制収容所に収容される。そのほとんどはガス室に追いやられた。それ以外の選択肢は、ない。展示パネルにある写真は、当時の実際の写真。私は、3本の線路の分岐点に立ったまま、しばらく動かなかった。動けなかったから。
【12月9日 水曜】
 収容所に送られてきたユダヤ人の多くは、「欧州東部に“移住”するための輸送だ」と騙されて連れてこられた。みな、自分たちのもっとも大切な財産を持って…。展示パネルは、アウシュヴィッツが最大の収容所であること、1940年から1945年1月ソヴィエト赤軍によって解放されるまで、少なくとも130万人の人たちをアウシュヴィッツに強制移送したと記されている。内訳も記して。
  1,100,000人  ユダヤ人
     140,000人  ポーランド人
  23,000人  ロマ・シンティ(“ジプシー”)
  15,000人  ソ連軍戦争捕虜
   25,000人  その他
 多くは巨大なガス室で殺害され、5基の焼却炉で犠牲者を焼却した。灰は肥料として使ったり、周辺の池や川に撒いて捨てた…。
【12月10日 木曜】
 模型の写真の左側は、地下の脱衣所。地上で生死の「選別」をされた後、入浴(シャワー)が待っていると信じ込ませ、親衛隊員(SS)が服を脱ぐよう命じる。そして、浴室に見せかけた“浴室”(一枚目写真右側)へ。
 数百人、多い時は千人以上も一緒に“浴室”に入れる。天井にはシャワー機器が取り付けてあるが、水が出ることはない。ガス室の扉を閉められ、天井の小さな穴から毒ガス「チクロンB」が投入される。15~20分で、皆、窒息死したという。親衛隊員は死体から金歯を抜き、髪を切り、指輪やピアスを取り去り、焼却場へ死体を運ぶ。
 「チクロンB」は、以前、消毒目的で使用されていたもの。それが、1941年8月以降、大量虐殺の手段として使用される。気化が容易なため、金属製の缶に密閉されていた。もう一枚の写真は、解放後、収容所の倉庫で見つかった「チクロンB」の空き缶の山。
 一室だけ残されてあるガス室に入り、私一人だけになった時、何とも言えない空気の重たさを感じた…。
【12月12日 土曜】
    『 Arbeit macht frei 』(働けば自由になれる)!
 強制収容所アウシュヴィッツⅠ正門ゲートに掲げられている標語。被収容者はこの門を毎日くぐり、十数時間の重労働を終えて戻ってくる。命が続き、働き続けることができる限りは。その先には、衰弱死、餓死、処刑、劣悪な生活条件のなかでの病死等が待っている。
 展示パネルの当時の写真は、ゲート入った右側建物を背に、マーチを演奏する「囚人楽団」。被収容者の行進を整然と行わせ、人員点呼を容易にするために。
 この標語、状況・内容は異なりますが、福島県双葉町に掲げられている下記の原発PR標語と共通しているところ、ありますね。人を欺き、取り返しのつかない惨禍を生んだ/生んでいる、という点で。
  → 『原子力 明るい未来の エネルギー』!!
【12月13日 日曜】
 1945年1月、アウシュヴィッツはソ連軍により、解放。博物館には、証拠隠滅を免れて残されていた何千もの靴や服、カバン、毛髪、ブラシ、メガネなどが展示されている。
 私は、靴の前とくに人形の隣にある子どもの小さな靴の前で、足が止まった。この靴には、これを履いていた子どもの、短い人生ではあったとしても、その子の想い、願い、夢、喜びがびっしり詰まっている…。
 死者数・犠牲者数を、「数値データ」として受け取り理解している限りは、そうした一人ひとりが歩んだ人生、生き方は見えてこない。その子が、その人が追い続けた夢と希望、願いは感じとれない。
 「現場を訪れる」「現場に立つ」ということは、当時ここにいた、当時この靴を履いていた子どもに思いを馳せること。過去に向き合うということ、歴史の一端に向き合うということが、少し解ってきた。
【12月14日 月曜】
  「過去が 私たちを 追いかけている…」
 これは、ベルリン在住ロシア人青年の一言。
 アウシュヴィッツをあとにして、ベルリンへ移動。そして11月14日、ベルリン市内の歴史博物館『テロのトポグラフィー』を訪問。その時、案内ガイドをしてくれたのが写真中央のロシア人青年です。この歴史博物館は、各地におけるゲシュタポの非人道・虐殺行為を展示しているところ。一通り案内が終わり、最後の挨拶で述べたのが冒頭の言葉。
 彼は、今はベルリンでナチス・ドイツの残虐行為をガイドとして解き明かして説明しているが、いつの日か自国ロシアに戻りたい、と言う。1933年の旧ソ連飢饉政策から始まって第二次世界大戦後の反ユダヤ政策など、スターリン独裁時代に行われた歴史事実解明は、未だ行われていない。彼にとって、過去は、まだ過ぎ去っていない。今も「過去が自分追いかけている」、という。
 この思い、この言葉。私たち日本人にも、同じことが言える。1895年から1945年までの50年間、日本が行ったアジア・太平洋地域への植民地支配と侵略の歴史…。その過去が、今も私を追いかけている。
 過去は、過ぎ去っていない。歴史事実に正面から向き合い、事実解明し、正しい歴史認識を持つ。それに基づいて心からの「反省」、「謝罪」、「賠償」が為されなければ。
(続く)
*これで第一部 『アウシュヴィッツを訪ねて…』 は終了!
 明日から第二部 『ドイツと日本、過去との向き合い方のちがい』 を連日投稿予定です(池住義憲)

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