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矢ヶ崎克馬先生お話会 in 大津 2015.2.07拡散大歓迎と2.8は京都で。内部被曝について by limitlesslife
February 7, 2015, 4:22 am
Filed under: 福島原発事故, 内部被曝, 放射線汚染・被曝

 永岡です、明日の京都でのイベントのご案内です。
<以下、転送>

矢ヶ崎克馬先生お話会 in 大津 2015.2.07拡散大歓迎と2.8は京都で。内部被曝について

転送・転載歓迎

京都の菊池です。

矢ヶ崎克馬さんのお話が明日2/7土曜日、大津で、明後日2/8日曜日、京都であります。
ぜひご都合のつくほうへご参加ください。
ぜひ多くの方へお伝えください。
案内を転載します。

矢ヶ崎克馬先生お話会 in 大津 2015.2.07拡散大歓迎

みなさま、おはようございます。
井野です。

1月にもお知らせしましたが、2月7日(土)に矢ヶ崎克馬先生のお話会を浜大津でひらきます。
矢ヶ崎先生は原爆認定訴訟の原告側の証人としてご活躍され、放射線内部被曝に詳しく、
今回もご一緒にお越しいただく守田敏也さんと岩波ブックレッ トから「内部被曝」を共著で出しておられます。
けれど、沖縄在住ですので、なかなか直接お話を聞く機会がありません。
ぜひ、この機会に放射線の影響についてお聞きしたいと思います。

また先日、守田さんがご自身のブログ「明日に向けて」で、原爆と原発の関連と、放射線障害の隠蔽とそれに関する矢ヶ崎先生の研究について書かれて います。
ご参考までにご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e2f8ccb78b976872a018b59ac963d2e6

午前の部は昼食持ち寄りで矢ヶ崎先生、共著者の守田敏也さんを囲んで座談会形式に、
午後の部は矢ヶ崎先生の講演と守田さんとの対談で内部被曝についてじっくりお話していただきます。
放射能のこと、内部被曝のこと、一緒に学びましょう!

矢ヶ崎克馬先生お話会
内部被曝ってなあに?
日時:2015 年2月7日(土)
午前の部 11:00~12:30 昼食持ち寄り座談会
午後の部 13:00~14:30 矢ヶ崎先生お話会
14:30~16:00  矢ヶ崎先生&守田敏也さん対談+質疑応答

会 場: 明日都浜大津 5階中会議室
大津市浜大津四丁目1番1号  Tel  077-527-8351
*JR大津駅から徒歩約10分    京阪浜大津駅から陸橋を渡って徒歩 約1分
*明日都公共駐車場をご利用の方は、駐車券を4階のふれあいプラザ受付までお持ち下さると、駐 車料金が1時間半無料になります。

参加費: 午前の部 ひとり300円(会場費として)
午後の部 ひとり500円(会場費・資料代として) カンパもよろしくお願いします!

※次の日2月8日(日)に、
京都市左京区 京都大学でも行われます。

・・・

矢ヶ崎さん講演会-隠されてきた内部被曝の危険性

福島原発事故から4年近くが経ちます。政府は放射能の害をとても小さく見積もり、危険地帯に人を呼び戻そうとしています。
しかし実際には関東・東北でさまざまな放射能被曝由来と思われる病気の発生が報告されており、危険性が隠されたまま被害が進んでいます。

こうした中で私たちが命を守っていくためには、内部被曝のメカニズムと危険性や、内部被曝の危険性が軽んじられてきたカラクリをしっかりと学ぶことが大切です。
矢ヶ崎さんは原爆被爆者の病気が放射線由来であることの認定を求める「原爆症認定訴訟」への関わり以来、隠された被曝の現実を暴いてこられた内部被曝研究の第一人者です。
その矢ヶ崎さんに内部被曝のメカニズムと危険性が隠されてきた歴史を解説してもらいます。
放射線防護のスタンダードを作り出している国際放射線防護委員会(ICRP)が被曝影響を軽く見せてきたレトリックについての最新の研究成果も教えていただきます。

講演の後、京都市で子どもを被ばくから守る活動に取り組んできた加藤あいさんと広海ロクローさんを交え、パネルディスカッションを行います。
分かりにくかったところを質問しながら内容を深め、お二人の活動についても語ってもらい、会場からの質疑も受けます。
コーディネーターは矢ヶ崎さんと共に内部被曝の危険性を訴えてきた守田敏也さんです。
みなさん。ぜひ一緒に内部被曝について学び、すべての命を守る力を培いましょう!

日時 2月8日(日)午後1時開場 1時半開始
場所 京都大学吉田南4号館1階 4共11教室

講演 矢ヶ崎克馬(琉球大学名誉教授)
パネルディスカッション パネラー
矢ヶ〓さんほか、加藤あいさん(日本共産党京都市会議員)
広海ロクローさん(ノンベクキッチン ホテヴィラ店主)
コーディネイター 守田敏也さん(フリーライター)

参加費1000円

主催 矢ヶ崎さん講演会実行委員会
代表:守田敏也(090-5015-5862)morita_sccrc@yahoo.co.jp

予約はいりません。
託児はありませんが子どもと親御さんが一緒に入れるスペースを作ります。
絵本など準備します。泣き声など気にせずに会場内でお話を聞いてください。
・・・

※内容を詳しくは

明日に向けて(1031)放射線被曝隠し、被曝強制という暴力について学ぼう(矢ヶ崎さん講演会へのお誘い)
2015年01月31日 23時30分00秒
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e2f8ccb78b976872a018b59ac963d2e6
を参照ください。

守田さんのブログ
明日に向けて
(福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011
自体も、ぜひどんどんお読みください。

岩波ブックレット『内部被曝』moreinfo – 岩波書店
について
下記を参照ください。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/2708320/top.html

明日に向けて(956)岩波ブックレット『内部被曝』6刷が発売されました!
2014年10月18日 23時30分00秒 |
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/8b3724861d96c6088ab26c4d46d4d059

2013.08.09
明日に向けて(724)岩波ブックレット『内部被曝』5刷が発売されました!
http://toshikyoto.com/press/924

別件ですが、
京都・市民放射能測定所(ホームページ
http://nukecheck.namaste.jp/
ブログ
http://crmskyoto.exblog.jp/

を測定などご活用ください。

ブログにありますように

京都・市民放射能測定所だより(仮称)NO1を発行しました。

みなさま
奥森です。
長らくお休みしていました、測定所からのお知らせを再開することにしました。勉強会や無料測定会、ほっこりカフェなどのお知らせを掲載していきます。
よろしく、おつきあいください。
・・・

続きを
http://crmskyoto.exblog.jp/23409911/
でお読みください。
催しを紹介をしています。
ぜひご参加ください。



by limitlesslife
May 29, 2014, 7:41 am
Filed under: 内部被曝, 放射能被曝

(再送)本当の放射能リスクが解った!「外部被曝・空間線量」はまやかし。(南相馬市議 大山こういのちさん)

Inbox
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M.nakata via post.freeml.com 

4:31 PM (57 minutes ago)

to uniting-peace
M.nakata です。
すみませんが、3度目の送信です。
何故か、スムーズに私のメールが、uniting-peace@freeml.com;そちらに送信できません。
  
 (転送拡散歓迎)
◇◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  ■ 「ホットパーティクル」の大きさでは、マスクは役に立たない。(twitter)
 ■ 本当の放射能リスクが解った!「外部被曝・空間線量」はまやかし
   吸引被爆」が本命だった。(南相馬市議 大山こういのちさん)ブログご紹介です。
◇◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆
  (貼り付け開始)
***********************************************************************
ゆみ☆yumi ‏@ygjumi 5月27日
●「ホットパーティクル」の大きさは1ミクロン前後花粉マスクも役に立たない。
この原因物質は天然には存在しない「合金」「未知の物質」として,
体内での挙動や影響調査を早急に行わなければならないのにマスコミや行政が国民に知らせないのです。
——————————————————————
南相馬市議 大山こういちのブログ
 ■ 本当の放射能リスクが解った!「外部被曝・空間線量」はまやかし「吸引被爆」が本命だった。
多量の高放射能微粒子 住民の肺に存在 白ロシア
【モスクワ8日=渥美記者】
 4年前にソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故で
大気中に放出された「ホットパーティクル」と呼ばれる
高い放射能をもった微粒子が、
白ロシア共和国の放射能汚染地域に住んでいる住民の肺の中に
予想を超えるほど多量に存在することがわかった。
 同共和国のミンスク大学放射線化学研究室の
エフゲニー・ペトリャエフ教授が朝日新聞の取材に対して明らかにしたもので、
1年半にわたる住民の遺体解剖で得た肺の標本とレントゲン写真を示し、
「5年後ぐらいから肺がんが多発する可能性が大きい」と警告した。
詳細なデータは近く国際原子力機関(IAEA)に提出される。
ペトリャエフ教授が解剖した遺体は200体。
チェルノブイリ原発の北に位置し、
放射能汚染指定地が多数点在するゴメリ州の住民がほとんどで、
交通事故や一般的な病気で死んだ11歳から70歳までの男女。
全員の肺を摘出して調べた結果、7割の人の肺からホットパーティクルを検出した。
ソ連国内の広範な土地の放射能汚染の主役は、
炉心から飛散した揮発性のセシウムだが、
ホットパーティクルはいくつかの不揮発性の放射性物質の混合物だ。
爆発の時、2000度以上の高温で溶けて結晶化した核燃料ウランが主体で、
その中に猛毒のプルトニウム、ルテニウムなどが混じっている。
肺の中にあった粒子の直径は0.01ミクロンから4ミクロン、
細かなものは肺の深部、大きなものは気管支近くに分布していた。
1人の肺全体のホットパーティクルの数は、数百から2万前後まで。
1つの粒子の放射能の強さもさまざまだが、
セシウムのように尿中から排出されることはなく、
死ぬまで肺の中にとどまり放射線を出し続ける。
ペトリャエフ教授は「1個平均を1億分の1キュリーと推定すれば、
2万個あれば何年かあとにほぼ確実にがんを引き起こす」という。
( 1990/07/09)
_______引用ここまで_________
********************************************


by limitlesslife
知人友人の皆さんへ
          杉浦公昭

国際放射線防護委員会=ICRPは正しいのか?

2012年08月05日

Posted by kyutono9 at 18:54 │Comments( 0 ) │TrackBack( 0 ) │

暑中お見舞い申し上げます。

 知人友人の皆さんお元気ですか・
さて、私は 昨日午後3時からの猛暑の中「さようなら原発・川越の会」主催のパレードに参加しました。


首都における10万20万の集会やパレードの成功のために、私たち川越からも多数の人々が参加し、相当疲れていると思ったのに、昨日は150人の参加者がありました。

それだけ命を守る問題が切実になっていることの現れです。
この状態を財界や政治家や医者や科学者は見誤らないで欲しいと思います。

隣の町から参加した初対面の人から突如『自分が主張するECRRの立場と某サークルに参加する学者先生が主張するICRPの立場との間で論争しているが、勉強不足のため負けそうだ。
何とか支援して欲しいと」頼まれました。

パレードの主催者の一人として、忙しく答える暇がなかったので、参考になると思われる以下の冊子や動画を紹介することを約束して別れました。

以下、初対面の人に応えたものです。
今後こうした質問に答えるための大衆啓蒙書が必要と考えます。

私が不勉強で、そのような大衆啓蒙書が最近出されていることを知らないのかも知れません。
出版されているようでしたらお知らせ下さい。

なお、以下の紹介で不適切なことが有りましたら、ご指導たまわれば幸いです。
——————————————————————————
まず歴史的経過の中で内部被曝が米核戦略のため隠されて今日に至っている事を理解しないと分かり難いと考えて、以下の冊子や録音や動画を紹介しました。

昨日買い求めてもらった被爆軍医・肥田俊太郎さんの講話「核兵器と環境汚染」(私が自費出版した冊子)を読んでもらうことを薦めます。

今一つは矢ケ崎克馬さん出演の種まきジャーナルを見て下さい。

2/1 →http://www.youtube.com/watch?v=3PsDxma0QFk&feature=relmfu

2/2 → http://www.youtube.com/watch?v=qus23mM5daE


 次に2112.7.28TBS系「報道特集」「知られざる放射線研究機関 ABCC/放影研」を見て下さい。
http://www.dailymotion.com/video/xsgr38_20120728-yyyyyyyyyyyy-yyyy-yyy_news?fbc=958


なお、おこずかいに余裕があれば、矢ケ崎克馬(著)隠された被曝』(新日本出版社) [単行本]¥ 1,260 、(中古品の出品でよろしければAmazon.co.jp で¥ 643より)や松井英介(著)「見えない恐怖」放射線内部被曝、旬報社、1400円+税などの本を求めて読んでみて下さい。

これによって米政府が核戦略に基づいて内部被曝を隠し続けて今日に至っていることと内部被曝の基礎知識が得られると思います。

でも内部被曝の恐ろしさを知らずにICRPの流れを全面的に正しいと信じている学者は多いと考えられます。
そうした人と論争して勝利するには、上記の経過と内部被曝のより深い理解が必要と考えます。

 お互いにしっかり勉強しましょう。  敬具。
とメールしました。

______________________
コメント:倫理問題を根本的に問い直した下記拙訳もご参照下さい:


by limitlesslife
知人友人の皆さんへ
       杉浦公昭

ABCC/放影研は米核戦略の下請け研究機関!

2012年07月31日

Posted by kyutono9 at 00:14 │Comments( 0 ) │TrackBack( 0 ) │核兵器の全面禁止

 見たくても見れなかった2112.7.28TBS系「報道特集」「知られざる放射線研究機関 ABCC/放影研」を見ました。

かなり核心に迫った重要な内容になっていました。そこで、まだ見る機会のなかった人のために動画が見られるURLをお知らせいたします。

http://www.dailymotion.com/video/xsgr38_20120728-yyyyyyyyyyyy-yyyy-yyy_news?fbc=958

TBS系「報道特集」は「放影研は将来構想で、低線量被曝を含め、内部被曝のリスクを解明することを目標に掲げました。しかしその研究は、今、福島で生きる人たちのためにはなりません。なぜ内部被曝の問題を過去に葬り去ったのか、その検証も欠かせません」と未解明で終わっています。


 私は内部被曝を意図的に隠したのは「アメリカの核戦略」であり今日も隠し続けていることを被曝者の肥田医師から学んでいます。


 今後、TBS系「報道特集」動画は、「アメリカの核戦略」こそが内部被曝を意図的に隠し、人類の生存に危害を加えている悪の根源があることを暴露すべきです。しかしそれはアメリカのみが責められるべきでなく、責められるべきは人間が持っている欲望という「性」、仏教の言う「業」、キリスト教が言う「原罪」かも知れません。


 しかし、この根源的課題の解決抜きには核兵器の禁止条約はおぼつかなく、いずれ人類は滅亡することになるのでしょう?

内部被曝研の守田敏也思さんは、この動画の資料価値が非常に高いと考え、全内容の文字おこしをし

てご自分のブログ「明日に向けて」 (Ctrl キーを押しながらクリックすると開く)518)に掲載されました。参考にして頂ければ幸いです。

 

中沢啓治さんの『はだしのゲン』より

[原爆の悲惨さを訴え、今も読み継がれている漫画がある。『はだしのゲン』放影研の前身であるABCCを描いたこんな場面が出てくる。「なにもくれず、まるはだかにされ、白い布をかぶせられ、血を抜かれて、身体をすみずみまで調べられたと言うとった。」「アメリカは原爆を落としたあと、放射能で原爆症の病気がでることがわかっていたんじゃのう。」「く、くそ、戦争を利用して、わしらを原爆の実験にしやがったのか」

(『はだしのゲン』作者中沢啓治さん(73)談)
「原爆を投下する前にすでに、アメリカはわかってたんですよ。あれが。落としたあと、どういう放射能影響が出るかということがわかっていて、それすぐにABCCを比治山の上に建てるわけでしょう。」

中沢啓治さんは、『はたしのゲン』の作者であり、自身も被ばくしている。母、キミヨさんは、被ばくから21年後に亡くなった。そのとき中沢さんは、今も脳裏に焼きついて離れない体験をした。

ABCCが来てね、オフクロの内蔵をくれというんですよ。棺桶の中にいるオフクロの内蔵をくれって。怒ったんですよ。「帰れ」って。いやあ、あれはもう、広島市を見下ろす比治山の上から、じっとこうやって見ているんだよね。今日は被爆者の誰が死んだ、誰が死んだっていって」

ABCC
による被爆者調査の拝見を物語る文書が、アメリカの国立公文書館にある。1946年、海軍省が大統領に送った文書だ。

「アメリカにとって極めて重要な、放射線の医学的生物学的な影響を調査するにはまたとない機会です。調査は軍の範囲を超え、戦時だけでなく平時の産業農業など人類全体に関わるものです。」(報告書内容)この文章にサインをしたのは、原爆投下を命じたトルーマン大統領その人だ。

・・・以下省略]

 


by limitlesslife

知人友人の皆さんへ

          杉浦公昭

 やや長文ですが、貴方が貴方の命の主人公になるために、是非暇を作って読んで下さい。

そして、ご意見等がありましたらメール下されば幸いです。

「(放射線は)線量が低ければ大丈夫なのか?」

20120713

Posted by kyutono9 at 18:15Comments( 0 )TrackBack( 0 )脱原発・脱核兵器

(放射線は)線量が低ければ大丈夫なのか?」低線量・内部被曝の脅威を研究し続けてきた医師・肥田舜太郎さんに聞く
埼玉反原発アクション(090-1257-8983後藤)主催、

 私が友人にさせて頂いている世界で唯一人生存されている原爆の被曝医師・肥田舜太郎さん(95才)の表題のお話を2011年12月11日、さいたま市浦和区・ときわ会館で聴きました。
この話は、私が東洋大学に勤務していた2002年6月2日、肥田舜太郎さんに依頼して「核兵器と環境汚染」というテーマで講話して頂いた内容と重なる部分が多く、しかもその講話内容はテープを起こして自費出版して、送料別で200円で既に3000冊普及し、後7000冊普及したらあの世へ旅立とう?と考えていたので、今回の講演を再度テープ起ししようとは考えていませんでした。

ところが、今回の講演内容のテープ起しをした全文を主催者から入手された方がブログに掲示されたのを知りましたので、2012年7月13日、主催団体・埼玉反原発アクションの後藤さんの了承を得て、ここに全文をご紹介させて頂きます。
長文ですが、貴方が貴方の命の主人公になるために、是非暇を作って読んで下さい。ご意見等がありましたらコメント欄やメールでお知らせ下さい。

—————————————————————————
こんにちは。ご紹介頂いた「肥田舜太郎」という内科の医者です。3月11日に地震と水害があって、テレビに釘付けになって、水害が押し寄せる様子を息を止めて見られたことだと思うのですね。ちょうどその時に、福島にある第一原子力発電所が事故を起こした。電気系統が止まって高熱を冷やす水が回らなくなって、ウランとプルトニウムを混ぜたプルサーマルと言う燃料が溶けて大事故になりました。

政府の発表は、政府自身、原子力発電所がどうやって電気を起こしているのかわかっていないことを示しました。誰も知らないのですね。だから、どうしてよいのか判らない。原発で働いている職員も経験がなく、どうしてよいか判らない、と言う状態が続いた。

いままで、原子力発電所の大事故というのは、アメリカのスリーマイル島(TMI)の原発事故とロシアのチェルノブイリ事故があります。この被害をそれぞれの政府は隠そうとしましたが、被害が相当多くの国にも及んだ関係から隠しきれずにだんだんと中身が分かって来ました。

今も続く緩慢なる殺人ー放射能被曝
日本人は広島と長崎の原爆が大変だったということは、直接体験していない人でも話は聞いていて、大人の方はご存知だと思う。ところが、「知っていること」はどういうことでしょうか。

原爆という爆弾が落ちて、広島・長崎という人口40万前後の大都市が一瞬にしてなくなった。焼けただれ死んでいく仲間の中で、不思議に自分は生き残った。瓦礫の中で生き残って、あたりを見回してみたら街は何にもない。自分の家族もみな死んじゃう、家は焼けちゃう。人間として社会に生きているわけで、その社会そのものが何もなくなった。そういう状態のことを生き残ったものは皆話すのですね。

ところが、私たち医者から言わせると、あの被害の中にいて66年経った今日まで、当時に受けた影響でガンが発生したり、白血病が出たり、肝臓の病気が出たりして死んでいく人、あるいは入退院を繰り返している人がたくさんいるんです。

火が出て、建物が潰れて、何もなくなったというのは一瞬のことです。
みなさん、今、広島・長崎に行ってみれば、爆弾が落ちたところはどこか判らないくらい、きれいな街になっている。しかし、住んでいる幾人かの体の中には、放射線の被害が残っていて、その人は66年間、まともな人間としては生きてこられなかった。他人のやっかいになり、家族のやっかいになりながら、しかも、お医者さんに行っても、「あなたは原爆のためにこんな体になったんですね」ということは言ってもらえない。体の中には、何も残ってない。今の医学で見ても、「放射線の被害というのはあったのですか」というようなことが全然判らない。今、人類が持っている医学的な知識、かなり高度なところまで発展している医学的な知識を持ってしてもまだ判らない。そういう放射線を使った新しい殺人が広島・長崎で行われた。

だから、一つの街が瓦礫野原になった、建物はない、人は生きていない、そういう写真をどんなに見ても、それはあの爆弾の本当の被害を知ったことにはならない。本当の被害は、人間の命に対して非常に長い時間をかけてゆっくりと殺していく、放射線の被害なのだと僕は思っている。

放射能被害を隠し続けたアメリカと日本政府
ところが、放射線の当時の被害は、そういう被害があったということも含めて、日本を7年間占領したアメリカ軍が全て隠してしまった。当時、政府の実権はアメリカ軍が持っていて、日本の政府は何の権限もなかった。天皇陛下もない。日本人は、アメリカの占領軍司令官ダグラス・マッカーサー将軍の命令でかろうじて生かしてもらっていた。食べること、着ること、家を建てること、何から何まで全部マッカーサー司令部の許可を得て我々は生きてきた。そういう時間が日本は7年間あった。占領されたということを知っている人は何人かいるかも知れないが、皆さんはその頃生まれていないから、あまりご存じないでしょう。原爆の被害はアメリカが記録していて、日本政府もそれを言うことを禁じられていますから、政府も言わない。そのために、どういうことが実際に起ったのか、何も知らされなかった。

戦争に負けるということがどんなに悲惨なことか、僕らは味わって来ました。そのかわり、日本が戦争を行なって被害を与えてきた、アジアの中国や南方の国々の国民は我々が占領下に味わった以上のもっと惨たらしい侵略を受けて、たくさんの人がいまだに自分の祖先も母親も日本人に殺されたんだという人がいっぱいいます。この人たちが日本に好意を持つはずがない。口には出さなくたって、腹の中で若い日本人の顔を見ればもしかしたらこの人のお父さんが私の母親を殺した人かもしれないという感情を持っている。

その中で、日本は急速に経済的な発展をして、商売の関係でアジアに進出して、そのアジアの人達を目下のように扱って今日の発展をつくってきた。ところが、まあのぼせ上がった面もあるのですが、人間が使ってはいけない放射能を使って、放射能を出す物質で電気を起こす材料に使えば安く電気が起こせる、儲けがしこたま入るという魅力で、この狭い国に54基も原発を作ってしまった。

これから広島、長崎と同じことが起こる
今度の事故で、福島の原発が具合が悪くなりましたということで、こんな大きな被害になる。もし日本海側にたくさんある原発の一つが事故を起こしたらどうなるか。人間は絶えずエラーをしますね。誰がやったってどこかで小さなエラーをしょっちゅう起こしている。絶対に間違えることなく、50年間自分の工場を動かし続けるなんてことは出来ない。工場ならお釈迦(不良品)が出来るだけで済むことであるが、原発の場合は、チェルノブイリと同じように、一つ間違うと大変な事になる。沢山の人間を殺すような被害になってしまう。放射線問題は、こういう事になるのです。

福島で、今、下痢したり鼻血が出て困ったといった子供たちが、あと10年、20年経つとどういう事になるか。多 くの人はそんな事は考えずに、もうじき終わるだろうと思っていますが、私は広島・長崎の被爆者がたどった道を66年間見てきているからようく知っています。

今、政府や専門家という人が何と言おうと、被曝した放射線の性質が同じなのだから、福島の場合は広島・長崎と別の状態が起こって、「病気なんか起きないよ」とは言えない。そんなことは保証出来ない。同じものを受けているのです。だから、私は密かに毎日心配しています。

でも、いくら心配しても、「こうだよ」「ああだよ」と言っても、見たことの無い人には分らない。「放射線はどういうものですか」と言われて、「はい」と言って答えられる人は一人も居ないと思う。

お医者さんに行って、レントゲンを取ると肺の中が見えるとか、骨が折れているのが見えるというのは分かると思うが、「何がどうなってそうなるのですか」と聞かれたら、何も分からない。放射線は目に見えない、色もない、匂いもない、触っても感じない。だから、人間にとっては全く分からない。

今も空気中に放射線の粒が来ています。写真を撮ったら見えるというならね、皆、慎重になったりするけれども、放射線は見えない。
放射線というのは小さな粒です。大きさは、1ミリメートルの数十億分の1。非常に小さな粒です。
放射線の被害には二つある。一つは、放射性物質が自分の体の外にあって、そこから核分裂を起こしたガンマ線とか中性子線とかが飛んできて体がやられる。これを外部被曝といいます。

もう一つは、今、福島で皆が苦しんでいる、放射性物質の粒が呼吸や水を飲んだ時や食べ物を食べた時に一緒に体に入ることによる被害です。内部被曝です。体の中に放射能の小さな粒が入り、はじめは血液の中に入って回っているけれども、体の中のどこかに着く。胃袋の壁とか、肝臓の中とか、腎臓とか、心臓の筋肉とか、あるいは脳の細胞にくっつく。どこに着くかは、むこうは自由ですから、回っていって好きな所にポッと止まっちゃう。そこから体がゆっくりと壊されていく。今日、放射線が入ったからといって、すぐに影響が出るわけでもない。一月、二月は何も出ない。何十年経っても何も出ない。ところが、4、50年経ったら変な病気が出て来た。お医者さんに見てもらったが原因は分らない。そういうのが放射線の病気の特徴なのです。そういう事がこれから起こります。

抹殺された広島、長崎の被爆者
私は、広島に行って自分も原爆にやられたのですけれど、原爆だということは知らないでいた。判ったのは1週間くらい経ってからです。呉にあった日本海軍の基地が「アメリカの放送によれば、アメリカが使ったのは原爆だった」という放送をして、それでやっと分かった。しかし、原爆だと聞いても、原爆というものはどういうものなのか全然知らない。一つの街が全部壊れちゃったというのは分かる。毎日患者を見ていて、どの人も全部やけどで、毎日毎日どんどん死んでいくのを見て、こんなことが起こるんだ、大変なことだというは分かる。しかし、何故こういう風になるのか、これがどういう事なのか、それはずっと分らなかった。体に入った放射線が人間をこんなにも悲惨な状態にするという事が、30年間分らないでいました。30年経っても、日本の医者の誰に聞いても説明してくれませんでした。日本の医者は誰も分らなかった。

それで、たまたまアメリカに行くことになって、知ることになるのです。
私は医者として、「分らない患者がいっぱい居るので、世界中の専門医を集めて日本でシンポジウムを開いて、日本の医者にこういう場合どういう治療をしたら良いか教えて欲しい」と国連に嘆願に行った。

ところが、「あんたの言うことは受け取れません」と国連に言われた。一緒に行った他の人達は、核実験反対を訴えに行ったのですが、そっちの嘆願は受け取って国連で討議してもらいますという返事だったのに、僕が言った「病気を治す方法を教えてくれ」という嘆願はダメだった。

「何でですか」と聞いたら、「あなたは知らないだろうが、僕が行ったその7年前の1968年(原爆が落ちて24年目)に、アメリカ政府と日本政府とが広島の被害の医学的被害について報告を出した。その報告を国連はもらっている。その中には、『もう日本の国内に原子爆弾が原因と考えられる病人は一人もいない』と書かれている」と言うのです。

被害者がもう皆死んじゃったので、もう区切りが出来ているという報告が出ているというのです。

僕は、被爆者からの相談をあちこちから受けていて、みんなに「私にも分りません、治療法が分りません」そんな事を、毎日、答えていたのです。当時は、そんなに苦しんでいる人が日本中にまだ何十万人といた。ところが、「原爆が原因の病人は一人も居ない」という嘘を、日本政府がアメリカ政府と一緒になってついていた。

それ位、アメリカはあの原爆で起きる人間の被害を世界の人に知られるのを非常に嫌がった。ずっと隠していた。

被爆者は自分の体に起こった被害を、たとえ親戚であろうとしゃべってはいけない。医者・学者は、被爆者に頼まれて診察をするのは良いが、その結果を詳しく書いて、皆と一緒に研究したり、論文に書いたり、学会で放射線の被害を論議するのは一切まかりならぬ。これは全部アメリカの軍の機密だ、これを犯したものは厳罰に処す。そういうお触れをアメリカ軍は占領と同時に出している。

だから、被爆者は自分の体が具合悪いとお医者さんに行くでしょう。しかし「実は先生、私、広島で…」と言ってはいけない。うっかり、誰も見ていないからと、それ言わないと病気が分ってもらえないからということで内緒で言うと、先生の方が「あ、それは私に言わないで下さい。私が聞いた事が分かると私がやられる」。これが、被爆者が辿った運命なのです。

内部被曝の脅威を隠蔽する政府
被爆者が書いた書物がいっぱい出てますから、皆さんもお読みになることもあると思うが、当日、ピカッと光って、暑い熱が来て、やけどして家が壊れた、そういうことは書いてある。それから後、だんだんと日が経つにつれて、訳の分らない病気が出てきて、自分は一生一人前に働くことが出来なくなった。お医者さんに行っても何処も悪く無いと言われる。自分の体が原爆でこうなったと言う事を社会の誰にも認めてもらえないで、親戚や家族からは「怠け者」「ぶらぶらして働かない」と言われ、だから「ぶらぶら病」と名付けられて、社会から抹殺されてしまったのです。

そういう苦しみを被爆者は味わって来た。「自分がこんなになったのは、俺のせいじゃないのだ。アメリカのピカを浴びたからこうなったのだ。分って下さい!」と言っても、誰も分ってくれない。
そういう苦しむ人間が生み出されて行くのが、内部被曝なのです。

広島・長崎の内部被曝はどうやって起こったのか
原爆の日に爆心地には居なかった人達が、原爆落下日から数日以内に爆心地に戻って来て、自分の家族に行方不明者が居るからと、毎日、焼跡を探して歩き回った。舞い上がったキノコ雲は、重みがあり、ゆっくりゆっくり降って來る。その人達は、それを吸い込んだ。それから、当時、街に人が作っていた家庭菜園のような所にあったキュウリだとかトマトだとかを拾って食べた。雨が降って來ると雨がキュウリやトマトにくっつき、放射能がくっついたそれを食べる。これが内部被曝となった。

ところが、内部被曝が在るという事すらアメリカは否定した。「日本の医者が、最近、原爆の被害を受けた患者を見て、体の中に入った放射線が原因で(これ迄の)医学では分らない病気が出ているという事を色々言うけれども、それは医者のデマだ、放射線と言うものは人間の体の中に入った時は非常に微量だから人間の体に被害は起こさない。無害である」―そういう事をアメリカは世界中に公表した。だから、よその国の医者も学者も、原爆を作ったアメリカが言うのだから間違いないと皆信じた。

日本政府は、アメリカの言いなりですから、誰が総理大臣になろうと、アメリカがご機嫌を悪くする事は一言も言わない。だから放射線についても「何も在りません」と言うだけ。

僕の患者で、当時20歳の兵隊さんで被曝した人は今86歳です。60歳やそこらで大臣になっている日本の政治家は、自分が産まれる前に起こった事だから何も知らない。だから、上から金もらって「何も在りません」と言っているだけ。

皆さんは、今福島にいません。おそらく、原発の影響は全く無いという思いで、この集会にいらしたのではないでしょうか?しかし、日本のどこの街でも、原発から出た放射線と全く関係ないという街は日本中に一つもない。東京に一番近い原発は東海村ですが、あれは毎日放射線を漏らしています。漏らさないと電気は起こせないのです。もともと、そう言うものです。

所が、それじゃ商売出来ないから、原発を作った世界中の連中がアメリカに集まって、今年はどこまで漏らしたら良いか、漏らしても良いという放射線の量を決めます。それを決めたら、そこまでは漏らす。ごく僅かな量だと言うけれども、そもそも彼らは体の中に入った内部被曝は量としてカウントしない。ここから下の放射線の量だったら大丈夫というのが、原発を作った連中の意見ですが、そもそも、内部被曝は被曝線量としてはカウントしません。内部被曝は関係ないと言うのが、世界中の医学界の常識になっているのです。

「低線量なら大丈夫」は成り立たない
しかし、「ちょっと入ったぐらいなら大丈夫」というのは成り立たないのです。

入ったら、これは放射線に「お前にはもう印つけたから、一生涯俺の影響が出るかもしれないよ」ということを言われちゃった事になる。出るか出ないかは人によって違う。広島・長崎で今生き残って居る人も、人によって病気が出たり、癌になったりするが、みんなそれぞれ違う。

皆さんは、親から放射線に対する免疫をもらって生まれて来ている。健康を守って上手に生きた人は免疫力が落ちてないから、放射線が入っても病気はでない。所が、さんざん良くない生活をして、不規則な生活をして、折角もらった免疫力がだんだんやせ細って殆んど無くなったと言う人は、吸い込んだ放射性物質が元で、病気が出る可能性がある。

どうして原発から漏れて出てくるのか。原発を見学に行くとわかります。格納容器はものすごい厳重な作り方をしてあって、あそこから放射線が漏れることは通常ない。

所が、コンクリートの建物は、パイプでつながっています。パイプの中は何千度という高熱の熱湯が流れていて、そこに測れないくらい高い線量の放射能が混じっている。しかし、人類が今まで経験した事のない高い線量の放射能が混じった熱湯に耐えられる金属が無い。だから、既存の鉄パイプでもって配管を作っている。当然、半年でだめになるか、1年でだめになるかします。僕は詳しく知りませんが、かなり早い時期にダメになります。それで、金属で硬いと思っているけれど、あの配管に隙間が開いて其処から放射能が漏れる。その漏らす量を国際的にここ迄だよと決めているだけの話です。

だからもう皆さんは、たとえ埼玉県から他県に出たことが無いと言っても、たくさんの原発から出ている、漏らしても良いと言われている放射能にどこかでぶつかって、吸い込んだり、飲み込んだり、食べたりして、すでにもう体の中に入っちゃっている。幸いに今まで発病しなかっただけなのです。

死ぬ間際になってから、年をとってから癌が出る、病気が出るという事かも知れない。ないとは言えない。それが、日本の放射線の実態なのです。

だから、福島第一原発を何とかすればあとは大丈夫、なんて思っていてはいけない。今幸い休んでいる原発が多いから、今は出てないかもしれないが、再稼働して発電が始まったら、また放射能が漏れ出てくる。そういうものだという事を、まずしっかり知識として持っていて下さい。

これから大事なことは、原発はもうやめる。どんな理由があろうとこれは許されない。核兵器も原発もやめる。

最初の被害者はみな子供たちです。子供の体が最初に放射線にやられる。どういう訳でそうなるか。

私の被爆体験
私も広島で本当は死ぬはずだった。私の勤務していた広島陸軍病院にいつもの通り朝の8時15分に居たら、原爆に巻き込まれてあの朝死んでいた。生き残ったのはたまたまの偶然です。広島市内から6キロ離れた戸坂村という村に、偶然1件だけ私が知っている農家があった。普段は付き合いもない。いっぺん、そこの家の6歳の男の子が4歳の時に心臓弁膜症を持っていて、村が無医村だった。

私は陸軍病院の軍医で、戸坂村の隣の村の健康診断を時々引き受けていました。その村の女学生の健康診断に行っていた時に、当時の若い軍医は皆行きたがるんです、聴診がやりたくて。私がちょっと健康診断の当番になって行っていたら、じいさんが来て「村の医者が戦地に行って居なくなったので、うちの孫が困ったことに苦しがっているから見てくれ」と言われたのです。

私は自分の仕事を終えていて他に任務がないから、診てやっても困らない。ただ、お金を取ると法律違反になるから、お金を取らないで診察したのです。心臓弁膜症でした。僕の常識では手術しなければ治らない。所が、広島県内では当時心臓の手術は出来ないし、じいさんも手術するお金もないという事で、治療は出来ない。そういう子供を診た事がありました。

8月5日になって、その子が又心臓の発作を起こした。そのじいさんは、お医者さんが居ないものだから、毎日僕が何処にいるか、陸軍病院に居るか出張先に居るか調べていて、「孫を診てくれ」と、その夜迎えに来たんです。それでじいさんの自転車の後ろに乗っけられて連れられていったものですから、落ちちゃうんです。3回落っこちちゃった。それでじいさんは、僕を自転車の荷台に乗せて、じいさんと一緒に帯で縛りつけて、それで連れて行かれたから助かったんです。笑い話ですが。

診察を終えて、ちょっと横になったら寝てしまって、本当は7時に帰る予定だったのが、寝坊してね、8時に目を覚ましました。飛び起きると、病院はもう始まっている。間に合わない。

心臓の病気の子供は寝ている。じいさんが野良仕事に出かけると、僕しか居なくなる、誰も家族も居なくなると泣き出す。泣くとまた発作が起きる。だから、注射して夕方まで寝かして置こうと思ってね。子供の手をとって注射器に液を吸い込み、一度空に針を向けて、空気が中に入ったことを見て、空気をずっと押し出す。それをやっていたら、広島の空にB29が一機入って来たのが見えた。

これはまずいな、アメリカの飛行機が入って来たな、でも、どうせ帰るだろうと思って、注射器から空気を出す作業をやった瞬間、ピカッと来た!

広島の人は皆、あの爆弾のことを「ピカドン」と言う。最初、ピカッと光る。それと同時に熱かった。夏だから半袖で、この腕が出ているでしょう。そこがね、焚き火にあたって誰か悪いやつがいたずらして、腰か背中をポンと押されて、たたらを踏んで炎に近づき、かろうじて止まって、「熱い!」と感じる。あの時の熱さです。ものすごく熱い。痛いのと熱いのと一緒だから何のことか分らない。飛行機が何かやったなと思ったが分らない。注射器はもう何処かに行っちゃった。まず目を覆って畳に伏せた。軍人だから訓練を受けていて、何かあったら立っているのは危ないから、体を低くして寝転がるのが一番いい。しばらくジッとして居たら、火が出るでもない、何にもない。おかしいと思ってね。広島の光が来た方を手の指の間から、こうやって見たんです。

そしたらキノコ雲が出来ているんです。こんなのを見ましたって話が出来る人は居ない。真下に居た人はもうその時は死んでいる。遠くでそれを見て居たという人が何人居るかと思うのだけど。

終戦になってから、広島のNHKが、生き残った人に、あの時見たものを絵に描いてくれと募集したんです。その中で千人位が描いたものを、僕もみな見ました。その中で一人だけ、僕の見たのと同じキノコ雲が出来るのをずっと連続で描いた人が一人居た。

青空に突然、真っ赤なものすごく大きい火の輪がバーっと出来た。その火の輪の中の青空に雲が出来て、ドッドッドッと見る間に拡がって、最初の火の輪に内側からくっついて行き、とたんに火の球になった。

僕は戦後、アメリカの核実験をやった時の映画を何本か見て、火の球ができるのを映画でも見ましたが、それと同じです。本で読むと直径が700メートルだと言います。わずか僕のいる所から7キロの所に、直径700メートルの輪が出来た。僕から見ると、ちょっと大きめの夕日の…沈む太陽と同じに見える。だから、生まれて初めて目の前に2つ目の太陽が出来て、びっくりしてね。本当、訳が分らなかった。それで見とれていたんです。

グッグッと(空を)かけ登っていって「キノコ雲」になっていく。広島に向かって小さな山があって、広島の街は見えない。街を通り越した向こうに広島湾が見える。ちょうど、広島からこっち側の所に長い丘みたいな山がある。火柱と雲の付け根のところに真っ黒な雲がダーッと出来て、出来たと思ったら、その小さな山を乗り越えて、間に太田川が流れる大きな谷があって、そこにダーッと拡がったんだよ。拡がったと思ったら、ダーッと渦を巻きながら、こっちに押し寄せてくる。何だか分らないけれども、砂粒が落ちて來る。つむじ風ですよね。

「来る!来る!来る!」と思っていたら、もう村の小高い山の上にガーッと来て、足元にあった小学校の屋根瓦がバーっと舞い上がって、アーッと思って居たらもう村を通り越して、私のいた農家の所に来た。私のいた農家は村の少し高い丘の上にあって、谷の方からは真正面でした。縁側に僕は座って居たんですが、黄色の煙みたいのがバッと来て、あっと思ったら、体が吹き上げられた。そして農家の家の中を飛ばされたのです。丁度、10畳間と12畳間とを飛ばされた。後で計算したら5メートル位飛んだ。飛んでいる最中、目の上に天井が見える。よーく覚えていますよ。たった一秒です、飛んでいる間は。はっと思ったら、天井が口を開いて、上の壁にドシンとぶつけられた。上の屋根が落ちてくる。藁葺き屋根の下に泥が乗っていて、泥に藁をさしてある、その泥がもろに落ちて來る。叩きつけられてから、モウモウとした土埃と泥の中を動き出し、やっと表に出た。それが僕の被爆体験。

火の海の広島に立って
だから、やけどもしてない。怪我もしてない。あちこちぶつけたから、傷みたいのは出来ている。
表に出て、泥の中から布団と一緒に子供を引っ張り出して、泥まみれの中で子供を見ようと、聴診器を当てようと思ったが無いんですよ。それで、自分の耳を子供の胸に当ててみたけど、何も聞こえない。おかしいなと思ったら、泥が耳にいっぱい詰まっていた。割りに冷静でした。それで、泥をとって耳で心音を聞いたら、子供は大丈夫だった。それを確認したら、キノコ雲の下で何が起こっているのか、とにかく行かなければいけないと思った。じいさんは畑に行っているので、「赤ん坊は此処に居るよう!大丈夫だよ!俺は病院に行かなければならないから、自転車借りるよ!」と大声で叫んでね。

村の中は大騒ぎです。細かい資料は持っていませんが、戸坂村は人口1400人、500世帯の小さな村です。後で記録を見たら、10何軒か家が潰れて、村全体で12人村民が死んでいます。

村の中は何処もまともな家は無い。家にいた人たちはびっくりして、皆表に出てきましたが、何が起こったかも分らない。

その中を、自転車で広島市内まで走ったんです。途中で、初めて人にあった時、びっくりしました。人間とは思えない。初めて見たその人は、真っ黒けでした。夏だから白いものを着ているのに、やけどをして血だらけの所に土埃がつくから真っ黒。コールタールを塗ったみたい。それにボロがぶら下がっている。私は、はじめはボロを着ていると思っていたが、ばったりとその人が倒れ、近づいてみたらボロじゃない。実は素っ裸で、本人の生皮が剥がれていただけでした。瞬間の熱で、上皮がポロッと取れちゃう。そういう人にぶつかって、目の前でバッタリ倒れて死んじゃうのを見た。だから、こういうのが出てくるようじゃ、キノコ雲の下は、雲じゃなくて火柱だ。広島中が火だ。そんな所に今さら行ったって何が出来るのか…

ここから先が広島市というところに川があってね。川をわたって岸に這い登ろうとすると、上の方から、今焼けたばかりの裸の人間がドバーッと落ちてくる。死体が重なって落ちてくる。私の直ぐそばにも死体が落ちて來る。落ちて、川の水の中を流れて行ってしまう死体もある。死体がどんどん重なっていく。

その時私は、医師として何をすれば良いか分らなかった。「自分は医者だ。こういう人達を助けなければならない」。自分は川の中に立っていた。「薬も何もない。誰も手助けしてくれない。何も出来ない」。それで考えたのです。「ここから引き返して、この人達は皆自分の村を通るから、あそこで村の人の力を借りながら、何か医者らしいことを出来ればやるべきだ」とやっと思いつく。でも、すぐ後ろを見ると目の前で死ぬ人達が居る。この人達をほったらかして行ってはいけないという気がどこかにある。川の中に立って、しばらく、そこにうろうろしていて、「ここにいても何もならない。戻るしか手がない」と、やっと決心して帰ることにしました。

目の当たりにした被曝の症状
道を歩けない。棒なんかがいっぱい落ちているから。更に、途中で被爆者につかまっちゃうんです。まともな人間を見たら「助けてください」と皆に言われる。「私はダメです。向こうに行くんです」とは言えない。

村に入って、これがおったまげたのは村中の道路。道路に、皆寝ているのです。家は壊滅している。あるとすれば、小学校だけ。小学校の校庭には千人位の人が寝っ転がっている。そんな中へ医者が一人で戻っても、聴診器もない。何も出来ない。でも、軍人だから指揮しないといけないので、「もうじきこの村にこういう人が何万人と逃げて來る。だから、村の人たちは気の毒だけど、全村をあげて、この逃げてくる人達を看病しなければいけない。まず、むすびを作って今晩飯を食わせなくてはいけない。お米は軍隊が金払うから、皆米を出して、むすびを作ってくれ」と言ったのです。でも、これは大失敗でした。むすびを作っても、食えるような奴は誰もいない。ここ(口)をやられている。それで、どろどろのお粥にして、バケツにお粥を入れて、女の子に杓子(しゃくし)を持たせてね。「寝ている所を歩いて行って、上を向いて寝ている奴の口に流し込んでくれ」と指示した。でも、最初怖がってね。顔を見られないんだよ、焼けているから。「ダメだ。横向いているからこぼれてしまう。まともに入れるんだ」なんて、じいさんが女の子を怒ってね。

というようなことで、最初の3日間、やけどばっかり。ほとんど皆死んだ。記録で見ると最初の晩に6700人村に入った。翌日は1万2千人。その翌日が1万人。9日の朝が2万9千人。それを診た医者が4人。これが想像出来ますか。5万7千人という大群ですよ。皆、道路に寝ている。4人の医者がそこに突っ立って何が出来ますか。百人だって出来ないですよ。それが直後の状況です。

と言う訳で、ここから分るのが、さっき言った「放射能(外部被曝)」の急性症状です。これは今の教科書にも出ている。

高熱が出る。至る所から出血がする。口の中が腐る。それから、やけどしていないきれいな肌に紫色の斑点が出てくる。これは医者の言葉で言うと、紫斑(しはん)と言う。こんなものが出る病気は放射線以外は一つだけです。血液の病気で入院した重症者が死ぬ間際に紫斑が出る例があり、教科書で書いてあるのはそれだけです。

広島では、あの時は皆そうなった。後で考えたら、血液がやられていたのです。血小板というのが無くなって、全身の粘膜から血が溢れ出る。血を吐きながら死んで行った。

それから、「頭の毛が触ると取れる」という脱毛。原爆の爆弾に一番近かったのは頭ですから、ここに最初に強い放射線が当たった。それで毛根細胞という非常に命の強い、毎日どんどん分裂をして毛が伸びる勢いのよい細胞が最初にやられた。ピカッと光って「やられた」と言う時、皆、頭の毛の毛根細胞が全部即死した。だから毛に触れると、毛穴に突っ立っているだけで、下は生えていないから、スッと抜ける。こういう状況の脱毛を診たのは世界中で、広島のその時にいた医者だけです。

福島のお母さんから相談で鳴り止まない電話
赤ん坊の細胞というのは、ちいちゃな卵から大人までどんどん分裂して増える。そういう細胞が一番放射線に弱い。だから大人より子供の方が先にやられる。

3.11から7週間位経った5月4日に、私の家に福島のお母さんという人から「子どもの下痢が止まらない。大丈夫でしょうか」という電話がかかってきた。それが最初で、後はもう家の電話は鳴りっぱなし。私の書いた本の奥付に書いてある出版社に電話して、「この先生の電話番号を教えてくれ」と言って来た。出版社が困って、ある程度の数の電話がかかって来てから、「沢山電話が来るんだが、教えて良いか」と聞いて来たので、「ああ、どんどん教えてくれて良いよ」と言ったら、来るわ来るわ…。女房はテンテコマイで、もう電話止まらないの。それ位、お母さん方は心配なんだ。

最初は下痢。その次に起こってくるのが口内炎。口の中が痛くて飲み込めない。それで医者に行くと「たいした事は無い」と言われ、薬もらって帰る。そしたら今度は鼻血が出る。医者でも、血っていうのは怖いです。増してや、素人の人が大事な子供が鼻血が出て止まらなくなると、それは心配になる。それで、僕の本を読んで「放射線で鼻血が出る」と書いてあるので、「ああ、これは放射線の勢だ」と思って、心配になって、電話をよこした。

これが放射線の内部被曝の初期症状です。広島でも在りました。これは軽いんです。だいたい3週間で皆治っちゃう。電話は埼玉県からもいっぱい来ました。東京が多かった。3月15日の日に、水素爆発で屋根が飛んだでしょう。あの時が一番沢山出たのです。あれが、関東平野全部に舞ったんです。

そういう事で、皆さんがこれからしなければならない事は、直接福島の人にどういう援助をするかという事はさておいて、一番大事なことは「核」。今、世の中で「核」という字が新聞に出ない日は無いでしょう。チェルノブイリの事故以後、世界中の人が原発の爆発の怖さを知っている。同じことが起こったのです。広島・長崎・チェルノブイリの後、そこの被爆者がどういう風になっているか。いまだに病気がどんどん出ている。もう25年目ですね(チェルノブイリ事故は1986年4月26日)。

だから日本も、あと数ヶ月すれば収まるという事は無いのです。必ず何年経っても、あそこだけか、関東全部になるか、まだ出しっ放しですから、これから先、関西から九州までみんな汚染するかもしれない。だから、日本人の中に、下手をすると、慢性の放射能の影響があと何十年も出てくるかもしれない。出てくるというと、現地の人は心配する。でも可能性は無いとは言えない。

今やらなければならないのは原発を止めること
そういう中で、皆さんがする事は何か。まず、どうしてもしなければいけない事は、原発を止めちゃう事です。「遠くに逃げろ」とかね、「汚染されてないものを選んで食べろ」なんてことを、くだらないことを言って、出来る人が何人居ますか。

今ここに大体300人くらいの人が居ますが…。皆さん、今、臨時ニュースで、「埼玉県に今たくさん放射能が降っていますから、とてもダメですから、皆さん家に帰ったら相談して、荷物をまとめて大阪から向こうへ逃げて下さい」と、仮に臨時ニュースで言ったら、「はい分りました」と、今晩相談して明日の朝どこかに行っちゃえる人が何人居ますか。仕事も捨て、ご亭主は職場も捨て、皆さんだって働いている所を離れて、明日からパッと遠くに行ける人が何人居ますか。出来っこない事を、あの専門家というのは、平気で言ってるんです。これは要するに、「出来ない人は残念ですけど死んで下さい」ということと同じなんです。出来ない人にとっては、「我々はどうしたら良いのですか」というのが聞きたい。そんなことには一言も答えない。これは親切なようで残酷な事です。本当に真剣に困って、どうしようかという時に、出来もしない事を言って、「はい、さよなら」はだめ。

私は、経験しているから一つだけ教える。私は、生き残った被爆者に皆に言ったのです。直後の10年くらいは別ですが、20年、30年経った頃、私は日本の被爆者の全体が集まっている団体の相談所の理事長をやって居たので、日本中の被爆者に責任をもって「あんた方は原爆に負けないでふんばって長生きしろ。長生きの仕方を教える。俺はこれしか無いと思っている」とパンフレットに書いて、25年から30年間、毎年毎月それを出した。自ら持っている放射線に対する抵抗力を減らさないこと。歳とるに従って、だんだん減って行くから、それを大事に大事に長く持たせる事。

それは、人類がそういうものを4000万年かけて作っているものだ。生まれたばかりの人間は、放射線と紫外線でどんどん死んでいった。それでも人類は何万年、何百万年生きる間に抵抗力をつけて免疫を作って来た。人類が生まれた初期には、人間は光も熱も持っていない。太陽だけだった。だから、太陽と一緒に起きて太陽と一緒に寝る、という生活をずっとやって来た。

夜遅くまで電気つけて働いたり遊んだりというのは、せいぜいこの50年位だ。そうなってから、まだ1000年も経っていない。今の人間はとんでもない悪いことをしている。皆さんの中に居るかどうか知らないけど、夜遅くまで深夜テレビで怪しげなものを見て、朝は起きられない。ギリギリまで寝ていて、目覚ましを止めて、跳ね起きて、ろくな朝飯食わないで、すっ飛んで行く。これが一番ダメなのです。

昔の人は太陽と一緒に起きて働くから、皆朝は時間かけてたっぷり食べた。そうでないと働けない。おばあちゃんは昔から、理屈は知らないけど良いことを言った「ゴハンは30回噛んで食べなさい」と。これは、理由がある。お米という物質は、唾の中にあるジアスターゼという酵素が加わらないと腸へ行って腸の細胞が栄養として吸収することが出来ない。ジアスターゼが加わって初めて、お米の粒が仮に生飲みしても、ちゃんと栄養として摂れる。それ以外は、せっかく腸まで行っても、全部うんちになって出て行ってしまう。

そういう時間を持って30回噛んで食べるには早起きしないと出来ない。だから、ばあさんは、「早起き早寝」と「30回噛め」を、日本人の米食の国民に伝えて来た。皆さんは、「そんな30回も噛んでられるかよ」「忙しいからやってられないよ」という生活になっちゃった。免疫は、免疫を作ってきた時と同じ状態で生活をして保つしか無い。そうしないと壊れちゃう。だから、明日から踏ん張って、少なくとも今までよりは30分早く起きて、ゆっくり時間を作って朝ご飯をたっぷり食べる。そうしないと免疫を保つことは出来ない。

自分の命の主人公になれる社会に変える
日本人は、人間として生まれてきて「自分の命の主人公」になっていない。「勤め先に言われたからしょうがない」「行かなければ飛ばされる」と言って、職場の言う通りになる。「夜中の12時まで働け」みたいなことを押し付けられた時に、「自分の命の主人公」なら、「それはダメです。私の命のほうが大事です」と言える人間でなければ本当はダメなんです。言わなきゃいけないのに言えない。要するに、自分の命よりもこっち(金)の方が大事、という世の中で生きている。これを変えなければダメ。

それには、政府も変える。大企業も変える。それから、中小企業が今の働き方以外でちゃんとまともな商売がして行けるように、世の中を変える。そうしなければ、本当は皆さんの命は守れない。

医者にかかろうが、薬を飲もうが、ダメです。皆さん。家に帰るとサプリメントとか訳のわからん薬を飲んで、何となく命が伸びそうだという幻想を持っている。あんなの糞の役にも立たない。やっぱり、まともに食事をとって、まともな労働をして、体に一番必要なそれぞれの時間を自分がコントロールして生きられる、という世の中を作らないとダメです。

お金に縛られ、勤め先の監督に縛られ、社長の言うことを聞かないとクビになる、そういうおかしげな日本を変えなければダメ。こっちはほったらかしておいて、つまらない食い方をして、誤魔化して、それを何十年も続けたらどういう事になるか。あなた方の体はぼろぼろだよ。

それが、あのサプリメントが何千円だか何万円だか知らないが、そんなもので長生きできるなんて嘘っぱちだ。そんなのが出来るなら、今まで人類が苦労して来なかった。やっぱり、生物として世の中で決められた法則がある。

皆さん。いくら悔しがっても、生きていたら六つしかすることはない。寝ること。食べること。トイレにいくこと、これは大小。働くこと。あとは遊ぶこと。最後はセックス。セックスは、90歳、80歳になるとまだ旺盛だという人は少ないからたいした事ではないですが、若い人には大変なこと。これらは皆、犯してはいけないという法則が決まっています。生きている限り、健康を損なわないで長生きをするためには、食べるにはこうしなさい、うんちとおしっこはこうしなさい、夜の寝方はこうしなさい、と決まっている。本当は親が教えてくれるんだけど、親も知らないから見よう見まねでやるしかない、誰も教えてくれない。本当は医者が教えなければいけないのだけれど、医者はそんなことを教えて皆が病気にならなくなって、医者にかからなくなると困るから教えない。病気になるのを待っている。どう思うと思わないとに関わらず、今の世の中はその様になっている。

こんな世の中にしたのは、せいぜいここ百年位です。百年位の間に大事なことを皆忘れて、間違った事ばっかりやって来た。ここから直す。余計なもの、とりわけ核兵器と原発は全部やめさせる。あんなものは必要がない。悪い事だけだ。そう思って、明日から頑張って下さい。

一番の敵は放射線の内部被曝
一番の敵は、放射線の内部被曝です。これは、誰も診て教えてくれる人がいない。医者も「あんた具合悪いよ」と言ってくれません。

日本中の医者は、アメリカと日本政府の影響で、誰も被爆者に暖かい手を差し伸べなかった。その為に、寄り添ってくれる医者も居ない社会で被爆者は野垂れ死にして来た。

下手をすると、福島の子供も親も同じ状態になります。今の若い医者は何も知らない。病院で診ても、どこもひっからないから「あんた何でもないよ」と言うに決まっている。仮に誰か内部被曝に明るい人が「これはどうも原発の放射線の勢だ」と一言言えば、その医者は袋叩きにあう。「お前、そんなに言うなら証拠出してみろ」と言われて、証拠の出しようがない。何にもないという側も、「あんた大丈夫だというなら証拠出してくれ」と言われても出せない。悪いって言う奴も、そうでないって言う奴も、どっちも証明できないのが放射能なのです。

そうである限り、そんな危険なものが漏れ出てきては困るから、原発は止める。これしかない。我々が長生きする為には止めるしかない。そういう意味では、今日の集会は皆さんにとって、画期的な集会です。やってはいけない事、やらなければならないことは、これしかない、これだけは憶えて帰って下さい。

放射線に負けないで生きていく方法は一つしかない。

皆さんの祖先が放射線への抵抗力を長い間かけて作ってきた。その時の先祖の生き方を、少なくとも太陽との関係で言えば太陽と一緒に寝起きして、その条件の中で作ってきた免疫を上手にもたせる。少なくとも。私が教えた何万人という被爆者は、それを守って頑張ってきて、今日も長生きしている人がまだ21万人いる。21万人の中には若い人も居ますが、年寄りも多い。だから、私はそういう経験の上で、「こうやれば大丈夫」ということを一つ持っていて、相談するお母さんに話をしている訳。別に作りごとを言っている訳ではない。経験して、被爆者が皆で力をあわせて作り出した知恵なのです。今でもこれしか無いから、これでやりなさいと話している。

皆さんは、いろんな集会やデモに出られて、運動を少しはして来られた方だ。明日から、その皆さんの行動をもっと意識的にして、こういうためにこの運動をするのだということがもっと明確になって、周りの人に影響を与えながら、運動の輪を大きくして広げて行く事が非常に大事だと思います。

明日からの健闘をお願いして、話を終わります。長時間、聞いて下さって、ありがとうございました。

【質疑応答

内部被曝の症状と治療法
質問)内部被曝の症状には、下痢、口内炎があると話されましたが、それ以外に、どのような症状があって、その治療はどうすれば良いのですか?

治療法から言えば、治療法は何もありません。医学の教科書にも在りません。人類が経験したことの無い症状ですから、直し方は分りません。症状は広島・長崎にも在った、ごく初期に現れる症状。それは、その後悪化する事は無くて、ほとんど治ってしまいます。我々が手こずったのは、半年あるいは2~3年後位に始まって、10年も続く「ぶらぶら病」という症状です。

広島・長崎だけでなく、アメリカでは兵隊さんが核実験場の周りの塹壕の中に潜んでいて、今度の爆弾は爆発から20分後戦闘行動がどういう風に出来るかを実験した。その兵隊が全部被曝したのですが、その兵隊に起こって来たのは、広島・長崎の被爆者が経験した慢性のぶらぶら病です。要するに、だるくて、寝てなければどうしようもない。とらえどころのない病気です。治療法は特にありませんでした。中には、そのまま衰弱が続いて、寝たり起きたりが寝てばっかりになり、最後は、医者が行って診たが原因不明で無くなって行った。

チェルノブイリの被爆者の中に、ぶらぶら病のようなものは無かったのかどうか、チェルノブイリを調べている友人に調べてもらいました。あそこは非常に広範囲で被曝していますから、いろんな所に政府が強制的に立ち退きをさせた。モスクワのような一番文化の高い所に避難したお金持ちの連中が沢山居ました。この人達は、体の調子が悪くなるので大病院に入りました。その人達のカルテを調べてもらいました。そしたら、疎開命令が出てから1年くらい経ってからのカルテの中に、関係のある病名がありました。「放射線疲れ」という、日本のぶらぶら病に当たるのがありました。「放射線で疲れた」と。チェルノブイリの患者の中にも、ぶらぶら病的な症状が沢山あった。

一番悩んだのは、そのだるさをどうやって診たら良いか。診る医者の誰も「ダルイ」というのは経験したことが無い。ところが長く診ていると、どうも我々が経験した「ダルイ」というのとは違うようだ。そういう症状が起こっている時に、たまたま見ることができた人が、私の場合一人居ました。

今から40年前、遠いところの街の中小企業のご主人で、ずっと何でも無かったのに、被爆後20年位の昭和45年頃、私が夜間診療をしていた時に、この人が最後という時に入って来た患者さんです。「相談がある」というので椅子に座ったのですね。私は最後だから早く帰りたいから、「手短に話して下さい」と言ったらこう話すんです。

私が相談したいのは、説明のつかない「だるさ」です。私は広島で7歳の時に被爆して、その時はやけどを少しした程度で、何日も広島の街の中を、子供が一人行方不明になっていたので子供を探し回りました。それから1ヶ月経った頃に一度、こういうだるさが在ったことがある。詳しい事はよく覚えてないけれども、ともかく今まで経験した事のないだるさだった。それきり忘れていた。自分は工場を持っていて、毎朝食事を済ませると全ての工場を見てまわることをやっていた。するとあの日、ある工場に行った瞬間にすごい「だるさ」が襲ってきて、工場を回ることが出来なくなった。その日は何とか治って、家に帰ったら、また翌日も「だるさ」が出て来て、結局寝ているより仕方なかった。その街の医者何人かに診てもらったら、どの医者も「何ともない」と言う。納得行かないので、一番大きな農協病院に行ったら、患者を診るのに堪能なそこの院長も、いろいろな検査をしたが、やっぱり「何ともない」と言う。「あんたは納得いかないだろうから、私が紹介状を書くから、東京に行って東大の有名な先生に診てもらえ」と言われ、じゃあそうしようという事で、東京のホテルを取って東大の何とかという先生に診てもらって、診てもらったあと、検査がいろいろあるから3日待って何日に来いと言われ、その間、東京に泊まって退屈だから映画を見たりして過ごして。その時は「だるさ」は軽かった。そして、来いという日に行ってみたら、検査の結果をひとつひとつ説明しながら、「あんたにはどこも悪い所がない」と言われた。「じゃあ困った。家に帰って説明しようがないから、なにか書いてくれ」と言ったら、「神経衰弱」―今のノイローゼですね―そう書いてくれた。

その帰りに、詳しく話を聞ける医者が居ると言うので、私の所に来た。こう言いました。

あんたの病気はまだ、世界中で病名がついていない。同じ病人がアメリカにも居る。ソ連にも居るだろう。大部分お医者は知らない。診れば皆、検査して「何も出ない」と言う。でも、私は広島の放射線の影響があると思う。これは、アメリカに行って放射線の病気を診ている医者と会って教わって来た。原因は向こうでも放射線の影響だと言う。アメリカの放射線は原発からも出る。原爆を作っている工場からも出る、原料のウラニウムを掘る鉱山の周りからもいっぱい出ている。これはアメリカでは、何とかという病名になっている。何が原因かと言えば、放射性物質の小さな粒が外から当たるんではなくて、体の中に入った場合に起こってくる症状だ、と私は教わって来た。

でも、それを知っている医者は世界に何人も居ないから、大部分の医者は知らない。「どうしたら良いか」と言われたら、答えようが無いんだ、本当は。ただ一つ、アメリカのその医者が患者に説明しているやり方を教わって来た。それは、人間として一般的に健康と言われている生活を努力して続けろ、という事だ。要するに、食事、仕事、睡眠、トイレ、すべて自分が習慣的に、自分の一番都合のよい時間にそれが行えるように、長い時間をかけて習慣を作る。それに従ってトイレに行けば、しゃがんだだけでびっくりする程大きな便がちゃんと出る。食事は決まった時間にきちんと摂る。睡眠も決まった時間が来たら、何をしていてもそのまま寝る。そういう生活を努力してやる事が、一番発病させない。

あなたの場合は、今「ぶらぶら病」という「かったるい」という症状だが、中には診断のつかない不思議ないろんな病気が出てきて困る人が沢山居る。病名も皆無いんだ。その人その人で皆違う。それが特徴だ。あなたが今、「かったるさ」に抵抗するには規則正しい生活。そして、意志を強固に持って生きる。今日は良いだろうという事で、規則正しい生活を壊さない。その事が一番大事だ。それしか無いと思う。と話したらね、その人が「先生ごめんなさいね」って、顎に肘をついてね。「先生、ごめん、かったるくて起きていられない」って。ありゃあ、そんなに「だるい」のかと思ったら、椅子から降りて床にあぐらをかいたんだ。「先生、もうこの時には、こうするしかないんだ」って。そして、横になって寝そべった。そういう姿勢になったのを見て、この人は伊達や酔狂で「かったるい」と言っているのでは無いんだ、と言う事が分かった。それ位、僕らの常識を超えた「かったるい」という発作が襲ってくる。喘息の発作と同じでね。いつ起こるか分らない。これが「ぶらぶら病」の典型的な症状です。

内部被曝の症状という時、代表的に私たち医者が苦しんだのが、この病気です。「ぶらぶらしてばかりいる」と言う事で家族が言い出した言葉が、「ぶらぶら病」という病名になっている。外国に行っても「ぶらぶら病」で通る程になっている。

母乳を飲ませても大丈夫か
質問)妊婦の方からの質問です。妊娠中に注意すべき点は何ですか。また、子供さんですとか、母乳を飲ませている赤ちゃんについて、注意すべき点は何か、という質問です。

これは経験がまだ無いのですね。ただ、常識的に言えることは、子供ですから、子供が口で教えたって分りっこないから、問題は親が手本になるような生活をして見せる。食事のとり方、時間…ね。そういうものを見せながら、親を見て分るような、そういう心がけを強める以外に赤ん坊には手がない。何かしようとしてひっぱたいても、分るものではない。放射線問題なんて、大人だって分んないんだから。要するに、親が非常に規則正しい生活しているという事を見せることが大事。

問題はおっぱいの問題。これをどうしたらよいかと何度も聞かれました。現に、千葉と茨城のお母さん方のサークルがあって、政府の発表でおっぱいに放射能が出たと言う事を聞いて、自分たちも仲間同士で相談して、おっぱいを皆で調べたら何人かから政府の基準以上の放射能が出た。どうしたら良いかと聞かれた。それは飲ましてはいけないのは分っていますからね。その上でどうしたら良いか、という事でした。

まず、赤ん坊を産んだ病院の先生にその事を話して、どうしたら良いか先生に相談しろ。恐らく、その先生も分らないから、うろうろして何か分らない事を言うかもしれない。それを問い詰めて、問い詰めて、先生が分らなかったら、どこかに調べてもらう。今の日本のあちこちの医者がこれしかないと考えていることを聞き出して、それに従っていく。私は今、赤ん坊を見ていないから、正確には答えられないが、それを飲ませて悪いことだけは確かだ。それをやって下さい、と話しました。

まだ、そういう話を聞いて、自分で心配になっているだけのお母さんは、おっぱいを絞って、検査してくれる所が県にどこか在るから、県毎に違うから、保健所にでも教えてもらって、自分のおっぱいの中に放射能が在るか無いか調べてもらって下さい。無ければ心配ないから飲ませれば良い。もし在ったら、どういう風にしたら良いか、お世話になっている産科か婦人科の先生にきちっと聞いて、先生が分らなかったら仲間と相談して、例えば茨城県だったら、茨城県ではこうするという、きっと相談する所が在るはずだから、やって下さい。そんな事しか、子供については分りません。

それから、食べ物の問題では、関東平野の玄米を食べても大丈夫かと聞かれました。こういうのは色々あるでしょうが、もし、その玄米が手元に在るなら、それを何所かに行って測ってもらって、無いということを確かめてから安心して食べたら良い。大部分のものは、もう皆体に入っちゃっているのだから、新しく少々入ったからって、もはや変わりは無い。一番最初に私が言ったような生活をして、発病しないような闘いを自分でやる。食べるもの食べるもの―全てを測って、と―あまり神経質になっても、もう今となってはしょうがないと思う。

低線量被曝を実証したペトカウ効果
質問)「人間と環境への低レベル放射線の脅威」という先生が出された本の中に「ペトカウ効果」というのが書かれていますが、「ペトカウ効果」について私たちがわかるように簡単に説明をお願いします。

簡単に言うと、今まで内部被曝ということを知らなかった頃、医学界では、人間の体は細胞で出来ていて、この細胞が放射線に当たって何処がやられるかというと、細胞の中をやられる。だから、細胞には細胞膜という非常に抵抗力のある膜があって、この細胞膜を放射線で破壊して中に影響を与えるには、「どれくらいの強さの放射線をどの位の時間を当てれば破れるか」という実験を、世界中でずっとやって来たのです。すると、これ位の強さで1時間20分やったら破壊出来たけど、他の人がやったらダメだったとか、決まった強さと時間がなかなか出て来ない。

処がペトカウと言う人は、弱い放射線をゆっくり時間を長くかけたらあっさり破壊が出来ちゃった、という実験に成功した。強い放射線でなんぼ頑張っても破壊出来ないのが、もう、こんなもんでと思う位の緩い放射線でゆっくり時間をかけたら、あっさり破れちゃった。そういう実験に成功した。つまり、今まではそこ(細胞)に医学的な障害を与えるには、強い力を与えれば被害も大きいというのが常識だった。ところが、この人は、少なければ少ないほどの放射線をゆっくり時間をかければ使う放射線の量はもっと小さく出来る、という関係を証明した。

これは、今までの医学の考え方の正反対。そういうものがもし原則として在るのなら、今までの医学の考え方を全く変えなければならない位の大発見だった。ところが、これが本当だと言われると、内部被曝問題での大発見だった。ところが、これが本当だと言われると、内部被曝の問題がはっきりして來るので、アメリカは―この医者はカナダ人なんですが―「この医者はキチガイ(発言のまま)である。こいつの論文は一切外に出してはいけない」と大妨害をした。その為に、この人は勤めていた所も追われて、随分苦労したんです。本を出そうたって、何処も出してくれない。

ところが、この人は世界中の親しい友達に肉筆で手紙を出した。それが幾つかの医者の所から方々に広がって、「ペトカウ効果」という言葉が出来た。放射線の低線量の説明にはこの理論を利用すると、今までの理論では説明の出来ない事が全部説明出来る。そう言う事が起こって、進んだ学者がこれを認めて、それぞれの立場で研究した論文がいっぱい出て来た。その幾つかを私が翻訳して出して、低線量の被害の関係がだいぶ明らかに出来るようになった。そういう大事な、突破口になった理論です。

ところで、この人が書いた最初の論文は、短いのですが、翻訳しようと思っても使っている言葉が難しくて。原稿だけ作って在るんだが、まだ翻訳しきれてない。そういう難しい理論です。ただ、理屈は今言ったような、非常に大事な原則を頭で考えたのではなく、実験で証明した、その点で画期的な理論です。

(埼玉反原発アクション資料より2012年7月13日、杉浦転載)



by limitlesslife

★14日(土) NHKスペシャル 「激論! ニッポンのエネルギー」
予定を変更して、以下の時間に放送します

午後 6:45 ET/午後 3:45 PT~ NHKスペシャル 激論! ニッポンのエネルギー

 

■ 「ドキュメンタリーWAVE “内部被曝”に迫る~チェルノブイリからの報告~」
16日(月) 午後 10:30(ET)/午後 7:30(PT)~

福島原発後、世界中で関心を集めている“内部被ばく”。健康への具体的な影響など
わかっていないことが多いその実態の解明に、去年の夏から日本の研究チームが取り組んでいる。
チェルノブイリのホットスポットと言われている村で健康調査を実施し、事故から20年以上たって
住民の間で急増している原因不明の心疾患を検証、放射性物質「セシウム」が人体に影響を
及ぼすメカニズムを探っている。謎につつまれてきた「長期的放射能被害」に対して、国内の
英知を結集して立ち向かう最新報告。



肥田舜太郎著『内部被曝』発行のご案内 by limitlesslife
March 15, 2012, 11:40 am
Filed under: 内部被曝 | Tags:

[uniting-peace][19694] Fw: [civilsocietyforum21] 肥田舜太郎著『内部被曝』発行のご案内

 永岡です、肥田舜太郎さんの本の紹介が来ました、お知らせいたします。
<以下、転送>

いつもお世話になっております。
週刊SPA!編集部 北村尚紀です。

たびたびのメール、失礼いたします。

95歳の被ばく医師、肥田舜太郎さんの原発事故後初めての著書、
『内部被曝』を3月19日に発売することになりました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4594065775

ぜひ、ご覧いただけましたら幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。

SPA! 編集部
北村尚紀

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『内部被曝』
肥田舜太郎/著
竹野内真理/解説
200ページ 定価:760円(本体724円+税)
発行日:3月19日

じわじわと命を蝕む、低線量・内部被曝の恐怖

放射性物質を取り込むことで体の内側から被曝し続ける「内部被曝」。外部被曝と
違って、体外に排出するまで被曝から逃れることはできない。昨年の原発事故による
内部被曝の不安に対して“専門家”たちは「低線量の被曝であれば問題ない」と言う
が、それは本当なのだろうか?
実は「高線量×短時間の被曝よりも低線量×長時間の被曝のほうが人体に悪影響があ
る」という研究がある。しかし、これまでそうした研究は軽視・無視されてきた。
広島・長崎でも、原爆の直撃を受けていない人々が「原爆ぶらぶら病」という原因不
明の病気にかかり、最後はガンや白血病で亡くなっていった。
「これから同じことが再び起こるのではないか」
67年にわたって原爆被ばく者6000人以上を診察、「低線量・内部被曝」の恐怖を訴え
続けてきた医師が警告する、福島第一原発事故後初の著書。

●本書の主な内容●
・これから東日本で広島・長崎と同じことが起こりうる
・外部被曝と比べた内部被曝の恐ろしさ
・「年間何ミリシーベルト以下だから健康に影響はない」というのは大きなウソ
・隠され続けてきた低線量内部被曝の被害
・被爆体験と「原爆ぶらぶら病」
・“1億総被曝時代”を生きるには
【解説・竹野内真理】肥田先生からの手紙~子どもたちは国の責任で避難させるべき

▼著者プロフィール
肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)
1917年広島生まれ。医師。広島市への原爆投下により自身が被ばく、その後被ばく者
の救援・治療にあたる。6000人以上の臨床体験をふまえて「原爆ぶらぶら病」と呼ば
れる症状や、低線量・内部被曝の影響に関する研究にも携わった。著書に『ヒロシマ
を生きのびて』(あけび書房)、共著書に『内部被曝の脅威』(ちくま新書)など。