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どんな状況でも核兵器にノーを 原爆詩、朗読続ける吉永小百合さん きょう広島原爆69年 by limitlesslife
August 7, 2014, 1:07 am
Filed under: 吉永小百合, 核廃絶

2014年8月6日05時00分

 広島への原爆投下から6日で69年。原爆詩の朗読を続ける俳優の吉永小百合さん(69)が、朝日新聞のインタビューに応じた。終戦の年と同じ1945年に生まれた吉永さんの人生は、広島、長崎への原爆投下で幕を開けた「核の時代」と日本の戦後の歩みに重なる。吉永さんは「日本人だけはずっと、未来永劫(えいごう)、核に対してアレルギーを持ってほしい」と求めた。▼36面=痛み分かち合いたい

唯一の戦争被爆国・日本はいま、核兵器廃絶を唱える一方で米国の「核の傘」に頼るジレンマを抱える。吉永さんは「どういう形にせよ、核の傘に入っているにせよ、あれだけひどい広島、長崎の原爆被害があったんだから、それをみんなしっかり勉強して、どんな状況でも核兵器はノーと言ってほしい」と述べた。

2011年3月の東京電力福島第一原発事故で、日本は「核と人類は共存できるか」という課題とも向き合う。吉永さんは「本当の核の威力というものが私にはまだ分かっていない」としつつ、こう語った。「でも、原子力の発電というのは、特に日本ではやめなくてはいけない。これだけ地震の多い国で、まったく安全ではない造り方、管理の仕方をしているわけですから。どうやって廃炉にしていくかを考えないと」

原発の再稼働や輸出の動きがあることには「『さよなら原発』と私は声を出していきたい。みんなの命を守るために、今、せっかく原発が止まっているのだから、今やめましょうと」。そして「まだ毎日、汚染水など現場で苦しい思いの中で作業していらっしゃる方がたくさんいる。そういう中で、外国に原発を売るというのは、とても考えられないことです」と述べた。

被爆・戦後69年となる今年、日本では戦争放棄をうたう憲法9条の解釈が変えられ、自衛隊が他国を守るために海外で戦う集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。吉永さんは「今の流れはとても怖い。大変なことになりそうな気がしているんです」と懸念を示しながら続けた。「政治が悪いから、と言っている段階ではない気がします。一人一人の権利を大事にし、しっかり考え、自分はどう思うかを語らなければいけない」

核のない世界をめざし、吉永さんは原爆詩の朗読CD「第二楽章」の広島版と長崎版を作ってきた。「私は俳優だから、詩を読むことが一番伝わる」と述べ、「次は福島の第二楽章を作りたい」と語った。

(岡本玄、副島英樹 写真は山本和生)

よしなが・さゆり 1945年3月、東京生まれ。映画「愛と死の記録」(66年)で被爆の現実を知る。胎内被爆した主人公を演じた「夢千代日記」(テレビは81~84年、映画は85年)を機に原爆詩の朗読を続けてきた。最新作は10月公開の「ふしぎな岬の物語」(東映)。

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被爆の痛み、未来へつなぐ 吉永小百合さん、命の朗読 by limitlesslife
August 7, 2014, 12:54 am
Filed under: ヒロシマ, 吉永小百合, 核廃絶

聞き手・岡本玄、核と人類取材センター・副島英樹

2014年8月6日01時16分

 広島と長崎に原爆が落とされた年に生まれ、「核」を手放せない戦後とともに歩んできた。俳優の吉永小百合さん(69)。被爆地や原発事故で苦しむ福島への思いが詩の朗読を通して伝わり、共有してほしいと願う。核とどう向き合えばいいのか。インタビューでは「命を守る」という視点の大切さを訴えた。

■思いを受け止め、伝えたい

――詩の朗読で自ら選んだ一つが、「にんげんをかえせ」で知られる詩人・峠三吉の「原爆詩集 序」でした。

「どんな朗読会でも最初に読む、まさに『序』なんです。峠さんのすべての思いが詰まっています。まったく原爆のことを知らない方でも、『えっ』という思いになってくださる気がするので、日本語と英語で読むようにしているんです」

「本当のことを言えば、もっと強い表現の詩がたくさんあります。ただ、それを直接読んでしまうと、最初から『そういうものは聞きたくない』っていう方の拒否反応があると思うんです。最初に分かりやすく、やさしく読んで、『あぁ、こういう詩があったんだ。じゃあ違う詩も読んでみよう』と思ってくだされば一番いい。そういう詩を中心に読んできました」

――朗読の手応えは。

「私の力は小さくて、大きくならないんですけど、例えば朗読を聴いた学校の先生たちが子どもたちに教えてくださり、その時の生徒が今、先生になって、ご自身が子どもたちに教えてくださっている。そういうことが大事なんですね。受け止めてくださった方が、また次に伝える。それが被爆者の方たちの一番の願いだと思うし、ご年齢的にもなかなか、先頭に立って動けない場合もあるから、私たちがその思いを受け止めて伝えていかないと」

「そうすると、全然そういうことを知らない、知ろうともしない人たちにどうやって分かって頂くかが一番の問題でしょうね。スティーブン・オカザキという日系アメリカ人の監督がドキュメンタリーの冒頭で渋谷の女子学生にインタビューして、『1945年8月6日に何が起きたか知ってる』って聞いたら、『えー、知らない、地震?』って。鳥肌が立つほど悲しかったんですよね。そんなことが日本であってはいけない。みんながあのときの痛みを分かろうとしないといけないと思います」

■「第二楽章」に込めた意味

――被爆した広島と長崎へ向けて、原爆詩の朗読CD「第二楽章」(97年)をつくりました。第二楽章に込めた意味は。

「CDをつくる時、『戦後50年たった今は第一楽章ではなく、第二楽章に入っている』と。語り継いでいかないといけないけど、声高でもいけない。第二楽章はアダージョっていうか、ゆったりした楽曲が多いですよね。それで決めたタイトルなんですね。それがずっと今につながってるんです。結局、ぱーっと強く言っても、そこで終わっちゃう。柔らかい口調で、人の心に少しでも染み込んでいくものをつくりたい、という思いでした」

――(第二楽章をつくった翌年の)98年にアサヒグラフの特集で広島を訪れました。その当時、原発の意識はあったのですか。

「今ほど強い思いを持っていたわけではないと思うんですね。ただ86年に(旧ソ連の)チェルノブイリ原発事故があり、その1週間後にドキュメンタリーの仕事でウィーンに行きました。そのとき、ジャガイモやホウレン草は一切食べてはいけないと。1千キロ離れているのに危険なんだと驚きましたが、強い懸念も持たなかった。3・11まで、そこまでしっかり考えていなかったと思います」

――原発事故が起きた福島のことも、詩を通して発信するのですか。

3・11の後、たくさんの作品が福島で生まれました。和合亮一さんという高校の先生の詩や、子どもたちもきちっとした詩を書いていますし。それを読み続けていくつもりです」

「できれば『第二楽章』を広島、長崎、沖縄に続いて、近い将来、福島のものもつくりたい。いろいろと困難なこともあるんですけれど、やりたいと思っています。『第二楽章・福島』とか『福島から』とか、自分の頭の中では考えています」

■電力よりも命が大事

――今年の東京都知事選で、脱原発を訴えた細川護熙元首相を応援するメッセージを出しました。

「日本の原発の事故を見て、ドイツでは原発をやめましょうと決めているわけです。でも、日本はそうじゃない。やめたいと思っている方はたくさんいると思うんですけど、声を出す人は少ないんですよね。だからやっぱり、自分が思ったことは声に出したい、意思を伝えたいと考えました。仕事をしていくうえでネックになることはこれからあると思いますけど、人間の命のほうが電力よりも大事じゃないか、という根本だけは忘れたくありません」

――影響を受けた人は。

坂本龍一さんです。事故の前から原発の危険性を話されていました。ご一緒した英オックスフォードの朗読会(2011年10月)でも、『核と人間は共存できない』と英語でスピーチなさって、感動しました」「病気になられて(坂本さんは先月、中咽頭(いんとう)がんの治療のため年内の活動休止を発表)、しばらくそういう活動ができないということです。お元気になるまで、坂本さんの分までしっかりやりたい」

――10月公開の主演作「ふしぎな岬の物語」に込めた思いは。

「映画のテーマは、生きることと愛すること。命を受け継ぎ、リレーしていく形でシナリオができたと思います。戦争の時にそういうことってたくさんあったでしょうし、私たちにとって身近なことは、3・11だと思うんですね」

「(私自身も)父親が戦争に行き、たまたま病気になって船を下ろされ、帰ってきたから、私が生まれたんです。もし戦争に行っていれば戦死していたと思うし、私という人間はこの世に存在しなかった。生まれてきたことへの感謝をいつも持っていないといけないと思いますね」

――読者へ伝えたいことはありますか。

「機会があったら、広島や長崎に行き、資料館をみていただきたい。そこから何かを感じ取ってほしいと思いますね。被爆60年の時でしたか、仕事で行ったパリの市庁舎で広島展をやっていました。出口で鶴を折るコーナーがあり、フランスの子どもが不器用だけど一生懸命折っていました。『私たち、忘れないでいようね』という思いが核兵器の廃絶につながってほしい」(聞き手・岡本玄、核と人類取材センター・副島英樹)

■〈取材を終えて〉正面から答えた覚悟

吉永さんに取材を申し込んだのは、6月の連載「核といのちを考える~被爆国から2014」のシリーズだった。10月に迫った新作映画「ふしぎな岬の物語」(東映)の公開で多忙を極める中、ずっと時間をとってくれようとしていた。シリーズには間に合わなかったが、東京都内で7月、インタビューが実現した。

吉永さんは約1時間、メモを見ることもなく、こちらのすべての質問に正面から答えた。ある種の覚悟を感じた。

その頃、吉永さんは一冊の本を編んだ。「ヒロシマの風 伝えたい、原爆のこと」(角川つばさ文庫)。子どもたちへの語りを途切れさせてはいけない――との強い思いからだ。

今年も鎮魂の夏が巡ってきた。今の思いを色紙に書いてほしいと依頼した。そこには、「いつまでも 語り継ぐ」と書いてあった。