Global Ethics


アラファト暗殺:ウリ・アヴネリ by limitlesslife
November 29, 2013, 3:15 am
Filed under: 国家(スパイ・査察・・・・), 権力

みなさまへ    (BCCにて)松元

アラファト暗殺については、謎の死を遂げた2004年11月11日前後からすでに暗殺説が飛び交っていましたが、この2013年11月6日、 スイス・ローザンヌ法医学大学放射線物理学研究所の専門家によってポロニウム210が検出されたとアル・ジャジーラが公表したことで、暗殺が裏付けられたことになります。しかし「誰が毒殺したか は不明だ」と付け加えています。

ここに紹介するのは、「誰がやったか、私にとって何の疑いもない」とイスラエル政府を名指す、イスラエルの著名な ジャーナリスト、ウリ・アヴネリの最近の記事です。11月6日のアル・ジャジーラの公表を受けて書かれたものですが、 おそらくアラファトのもっとも近いところにいた一人のイスラエル人の回想です。拙訳ですが、紹介させていただきます。(2013年11月28日 記)

ウリ・アヴネリ(Uri Avnery)は、イスラエル左派でもっとも信頼されているジャーナリストであり平和活動家であり元国会議員でもある。平和団体「グシュ・シャ ローム(Gush Shalom)」の代表。

★Al-Jazeeraが発表した、アラファート議長毒殺説に関す る法医学レポート全文:http://www.aljazeera.com/investigations/killing-arafat/swiss-forensic-report-arafat-death-201311671255163780.html

 

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 The Arafat Assassination

アラファト暗殺

ウリ・アヴネリ(Uri Avnery)(松元保昭訳)
2013年11月16日
インティファーダ・パレスタイン

最初の 瞬間から、私はヤセル・アラファト(Yasser Arafat)が暗殺されたことにすこしの疑 いも持っていませんでした。それは、単純な論理の問題です。

葬儀か ら帰る途中、私は、高い能力をもった権威ある薬剤師で国民主義のアラブ・バラド党(Arab Balad party)の国 会議員でもあるジャマール・ザハールカ(Jamal Zahalka)とた またま一緒になりました。私たちは、意見を交換して同じ結論に達したのでした。

先週のスイスの専門家の調査結果は、 私の確信を裏付けるだけでした。

何よりもまず単純な事実です。じっさい人は理由も なく死ぬことはありません。

私は、ことが起こった2,3週間前にアラファトを訪ねていました。彼は、かなり健康 そうでした。御暇したあと、私は妻ラケル(Rachel)に、この前訪ねた時よりもっと鋭く注意深く見えたと話したも のでした。

彼が突然ひどい病気になったとき、明らかな原因は何もなかった のです。彼の妻スーハ(Suha)の意思でフランスに移動されそこで死んだのですが、フランス の軍事病院の医師たちが彼の体の徹底した検査を行ったのですが、何の異常の原因も突き止められませんでした。まったく何もです。

それ自体が非常に奇妙なことでした。 アラファトは、事実上、国家のトップであり彼の人民の指導者でした。フランスの医師たちが原因を究明するためあらゆる手段を尽くしたと誰 もが考えると思います。

と ころが放射能や毒物だけが(検査から)取り外されていました。なぜ、検死のとき何の毒物も検出されなかったのか?その答えは簡単で す。毒物を検出するため には探しているものを知っていなければなりません。毒物のリストはほとんど際限ないほどあるのに、所定の検査はごくわずかなことに限 定されていたのでし た。

アラファトの体は、放射性物質ポロニ ウムについては調べられなかったのです。

だれが毒物を投与する機会があったのでしょう?

そう、ほとんどどんな人にも。

私は、数多くの彼との雑談の合間、い い加減な警備体制にいつも驚いていたものです。

包 囲されたベイルートでの最初の会談のとき、私に寄せた信頼に驚かされてしまいました。その時は、多数のモサド・エージェントとファランジ ストのスパイたち が彼を見つけようと市内を徹底的に捜査していたことを私は知っていました。私がモサド・エージェントでなかったこと、私が尾行されていな かったこと、ある いはうっかり位置測定器を持っていなかったことなど、彼は知る由もありません。

その後、(亡命先の)チュニスでの彼 の訪問者へのセキュリティ・チェックは、やはりおざなりなものでした。イスラエル首相の警備体制は計り知れないほど厳格なものだったの に。

ラマッラのムカタ(Mukata:ラマッラの自治政府議長府=訳注)の「構内」でも、セキュリティ対策はとくに追加されていません でした。私は幾度 となく一緒に食事をしたのですが、彼の開放性にはいつも驚かされました。親パレスチナの活動家(あるいはそう思われるような)アメリカ人 や外国からのゲス トが喜んで招かれていましたから、彼の隣に座って食べ物の中に毒をそっと入れることくらい容易にできたのです。アラファトは客たちと ジョークを飛ばし、と くにうまい物は彼の手でみんなに与えていたのです。

毒物は必ずしも食べ物を必要としませ ん。わずかな身体的接触で十分なのです。

この男は、まだ世界でもっとも脅迫されていた人物の 一人でした。彼は多くの不倶戴天の敵を持っていましたし、半ダースもの秘密諜報機関が彼の殺害に没頭していたのです。それがどうしてあん なにずぼらであったのでしょう?

私がそのことを忠告したとき、彼は神 のご加護を信じていると語っていました。

か つて、彼が専用ジェットでチャドからリビヤに飛んでいたとき、パイロットは燃料が切れたと告げました。パイロットは砂漠のど真ん中に 不時着しようとしたの です。アラファトのボディガードたち―彼らは殺されたのですが―彼の回りを全部クッションで囲んだおかげで、彼はほとんどかすり傷も なく生き残ったのでし た。

それ以来、彼はさらに自分の運命を諦観するようになりまし た。目立たないけれど、彼は信心深いイスラム教徒でした。パレスチ ナ人民の解放という仕事をアラーが彼に委ねたと考えていました。

では、だれが暗殺を実行したのか?

私にとっては、まったく何の疑いもあ りえません。

たとえ多くの人に動機があるとはい え、根深く終わりのない彼への憎しみとその手段の両方を持っていた唯一の人物は―アリエル・シャロン(Ariel Sharon)でした。

ベイルートでアラファトが彼の手をす り抜けて行ったとき、シャロンは激怒しました。まだパレスチナに近いここベイルートが彼の根拠地でした。アラファトを含めたPLOの戦士たちを彼らの武器と共にベイルートから名誉ある撤退をさ せるという調停を、アラブ=アメリカの外交官フィリップ・ハビーブ(Philip Habib)がやり遂げたのでした。PLOの部隊が旗をはためかせて船に向かって行ったとき、私はベイ ルート港の倉庫の屋上にいました。

私はアラファトを見ませんでした。彼 の部下たちが彼らの真ん中に彼を隠していたのです。

そ のときからシャロンは、アラファトを殺すという彼の決意を少しも秘密にはしませんでした。シャロンが何かすることを決心したとき、彼は けっしてけっして諦 めることはありませんでした。どんなに小さな問題でさえ、もし妨害されたら、成功するまで何度も何度も何度も奮闘に立ち戻っていった人で す。

私はシャロンを、彼の決心を、よ く知っていました。彼が目的に近づいたと感じたとき、二度、私は妻ラケルと何 人かの同僚と一緒に人間の盾となるためムカタ(Mukata)に向かいました。後で 私たちは、シャロンが「一部のイスラエル人がそこにいた」ので予定された暗殺が実行できなかったと不満を漏らしたインタビュー記事を 読んで、とても満足したものでした。

これは、はるかに個人的な復讐以上のものでした。彼は、―彼だけではなく―アラファト暗 殺を国家目標とみなしていました。

イスラエル人にとって、アラファトは 根深い憎しみの対象であるパレスチナ人民が具現されたものでした。アドルフ・ヒトラーやアドルフ・アイヒマンのあとの、どんな人間よりも 嫌われていました。パレスチナ人民との旧世代の闘争は、この男に象徴されていたのですから。

地 中海とヨルダンの間のすべての土地を占有するというシオニストの夢をくじくことが究極の目標となった現代パレスチナ人の国民的運動を復活 させたのは、アラ ファトでした。武装闘争(またの名はテロリズム)を率いたのは彼でした。彼がオスロ合意に署名しイスラエル国家を認め平和解決に向かった ときでさえ、なお も嫌われていました。和平は領土の多くをアラブに返すはずでしたが、何がもっと悪くしたのでしょう?

アラファトに対する憎悪は、ずっと前から合理的であることを止めていました。多くのことで は、肉体的拒否反応、徹底的な憎しみの混じり合い、根強い反感、敵意、不信がすべてでした。彼が歴史の舞台に現れて40年近く、イスラエルでは何百万もの言葉で何百万回も彼について 書かれましたが、彼への前向きの言葉をただのひとつも見たことがないと本当に思っています。

こ れらの年月のすべての期間、雇われたプロパガンダ売文家たちの全勢力は、その人物に対する情け容赦のないひたすら悪魔化をめざすキャン ペーンを振りまきま した。考えうるあらゆる非難が彼に投げつけられました。隠されたプロパガンダの効果でイスラエル人のなかではいまも有名な彼がエイズだっ たという断定は、 ホモフォビアの偏見を動員するためにそのとき発明されたものでした。言うまでもなく、ホモセクシャルの証拠はまったく示されたことがな かったし、(彼の最 期を診断した)フランスの医師たちでさえ、ほんのわずかなエイズの痕跡さえ見つけ出すことはなかったのです。

イスラエル政府というものは、こうした行為を決定し実行することができるのでしょうか?

それはすでに、いくつも立証された事 実なのです。

 19979月、ハ マスの指導者ハーリッド・ミシャール(Khalid Mishal)を暗 殺するためイスラエルの殺し屋一味がアンマンに送られました。選ばれた手段は、何の痕跡も残さず心臓発作のような症状を引き起こす致 死性の劇薬リボフェンタニルでした。それはわずかな身体的接触でも投与されうるものでした。

その仕事はやり損ねてしまいました。 殺し屋たちは通行人に見抜かれイスラエル大使館に逃げ込んだのですが、そこで彼らは取り囲まれてしまいました。通常イスラエルの協力者で あるキング・フセイン(King Hussein)は激怒しました。ただちに救命解毒剤が提供されなければ犯人 を処刑すると彼は(イスラエル政府を)脅しました。墓穴を掘った当時の首相ベンヤミン・ネタニヤフ(Binyamin Netanyahu)は、要求された薬剤と共にモサド長官をアンマンに送りまし た。ミシャールは助かったのです。

後の2010年には、別のハマスの工作員マフムード・アル・マブホゥーフ(Mahmoud al-Mabhouh)をドバイのホテルで暗殺するため別の殺し屋一味が送られまし た。彼らはまたもへまをやらかしました。彼らは狙った獲物を麻痺させ次いで窒息させて殺害することに成功したものの、ホテルのカメラで撮 影されて彼らの身元が暴露されてしまったのです。

このやり方で、むしろ失敗しなかった どれほど多くの殺害が実行されたかどうか、神は御存じです。

もちろん、この分野ではイスラエルだ けではありません。以前、ロシアのスパイ、アレクサンダー・リトヴィネンコ(Alexander Litvinenko)は、ウラジミール・プーチン(Vladimir Putin)を不快にさせるに十分不用意でした。彼はアラファトと同じ放 射性物質ポロニウ ムによって殺害されましたが、用心深い医師は彼の死ぬ前に毒物を発見したのです。もっと以前には、ブルガリアの反体制派が燃やされた傘か ら出た微粒子に よって毒殺されました。あらゆるその名に値する秘密諜報機関は、その種の殺害手段をもっていると考えるべきなのです。

なぜもっと前にシャロンはアラファトを殺 さなかったのか?もっとも、パレスチナの指導 者はラマッラの複合ビルの中にかなり長いあいだ閉じ込められていました。私自身、彼のオフィスから2,3メートルのところでイスラエル兵を見 ていたのです。

その答えは政治的なものです。もしイ スラエルがアラブ世界の何千万人ものヒーロー、PLOのトップを殺害したと分かったなら、地域全体がアメリカに対し て爆発するだろうと米国は恐れていました。息子ジョ-ジ・ブッシュはそれを許さなかったのです。答えは、イスラエルが追及されるはずがな いやり方でそれをすることでした。

ところ が、これはシャロンにとってまったくいつものことでした。彼の1982年のレ バノン侵略の23週間 前、彼は米国務長官アレクサンダー・ヘイグ(Alexander Haig)にそ の計画を語っていました。

確実な 挑発がないかぎりヘイグはそれを禁じました。驚くなかれ、卑劣な企てがロンドンのイスラエル大使の命の上になされ、その挑発はしかる べき時に容認できないものとされ、そして戦争が開始されたのでした。

同じ理由で、ネタニヤフ政府は現在、 アラファト暗殺へのイスラエルの関与を頑強に否定しています。

成功した作戦を自慢する代わりに、我 が強力な(イスラエルの)プロパガンダ・マシーンはスイスの専門家が無能であるか嘘をついている(おそらく彼らも反ユダヤだ)といって、 結論は間違いだと 決めつけています。評判の高いイスラエルの教授は、それはすべてナンセンスであると断言して歩調を合わせる。エイズにかんする懐かしい話 さえ倉庫から持ち 出されています。

シャロン自身は、終りのない昏睡状態 で反応することができません。しかし彼の古い補佐官たち習熟したベテランの嘘つき連中は、その虚偽の陳述を繰り返しています。

私が考えるには、アラファトの暗殺は イスラエルに対する犯罪でした。

アラファトは、和解する準備ができていたしパレスチ ナ人民にそれを受け入れさせることができた男でした。 彼は、東エルサレムを首都としグリーンラインを国境線としたパレスチナ国家という条件を設定していました。

まさしく彼の暗殺者たちはこれを妨げ ることが目的だったのです。

(以上、翻訳終り)

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by limitlesslife

エドワード・スノーデン

avaazの署名ウェブサイト。
125万人目標で、現在123万5000名くらいです(1分間に数名ずつ増えている)。
あと一息。皆さまも是非。
「中国のスパイであるか否か」「米国と中国の互いのサイバー攻撃非難合戦」「身柄引き渡し/中米外交問題」と展開していくにつれ、
米国政府が、
”国民”のプライバシーを侵害していること
個人情報を組織的に収集していること、
通信の秘密などなきに等しい状態であること etc、
さらに米政府が「必要だからやっている、これからもやる」と開き直っていること
への言及がだんだん薄くなっているように感じるのは私だけでしょうか。
(あくまでもウェブ上の比較の話ですが)毎日新聞は比較的よく報道していると思います。
★  毎日新聞 6月22日(土)19時41分配信
<情報収集暴露>英機関 傍受の通信情報をNSAと共有
 【ロンドン小倉孝保】英紙ガーディアン(電子版)は21日、英政府の通信傍受機関「政府通信本部(GCHQ)」が過去1年半、光ファイバーケーブル経由の国際電話や電子メールの通信情報を傍受し、米国家安全保障局(NSA)とも共有していたと報じた。
  NSAの個人情報収集活動を暴露しスパイ活動などの罪で米司法当局に訴追された元中央情報局(CIA)職員のエドワード・スノーデン容疑者(30)の資料で判明した。
  同紙によると、通信傍受の対象は大西洋を横断する英米間の海底ケーブル。電話の会話、電子メールやソーシャルメディアの内容、インターネット利用者の接続記録などが傍受され最長30日間、保存・分析されていた。一般市民の通信情報も傍受されていたという。
  英情報筋は同紙に対し、法律内で行われ深刻な犯罪を防いだことがあったと説明した。
  GCHQの行っている通信傍受やNSAとの情報共有については、キャメロン英首相もこれまで「英国の法律内で実行されている」と説明している。
★  毎日新聞 2013年06月22日 11時19分(最終更新 06月22日 13時14分)
米情報収集暴露:米検察、元職員訴追…香港に身柄拘束要請
 【ワシントン及川正也】米検察当局は21日、米国家安全保障局(NSA)による広範な個人情報収集活動を暴露した元中央情報局(CIA)職員のエドワード・スノーデン氏(30)をスパイ活動などの罪で訴追したことを公表した。米政府は、滞在中とみられる香港当局にスノーデン氏の身柄拘束を要請した。米メディアが一斉に伝えた。
 米メディアによると訴追は14日付。米紙ワシントン・ポストなどによると、政府契約会社職員としてNSAで機密文書にアクセスできるシステム分析の仕事に従事。この間に機密書類を収集し、先月、勤務先のハワイ州のNSA施設を離れ香港に移動していた。その際、4台のパソコンを所持していたという。
 スノーデン氏は数百の機密文書を英紙ガーディアンに渡したとされる。また、一部を米紙ワシントン・ポストにも渡した。同紙によると、スパイ活動のほか連邦政府文書の窃盗・横領の罪でも訴追された。
 米政府は香港当局への起訴・送還要請も準備しているが、スノーデン氏は争う姿勢とみられる。米国と香港が結んでいる犯罪人引き渡し条約では「政治犯」に関する例外規定があり、米メディアは同氏が訴追を政治的理由によると主張し、引き渡しの対象外だと訴える可能性があるとしている。香港の裁判所に訴えれば、決着まで長期化するおそれもある
★  毎日新聞 2013年06月18日 11時09分(最終更新 06月18日 11時20分)
 米情報収集暴露:スノーデン氏、中国スパイ説を全面否定
 ◇英紙のチャットで公開質疑
 【ワシントン及川正也】米国家安全保障局(NSA)の幅広い個人情報収集活動を暴露した元米中央情報局(CIA)職員のスノーデン氏が17日、英紙ガーディアンのライブチャットを通じた一般からの質問に応じた。同氏は「中国政府と接触したことはない」などと、中国のスパイ説を全面否定した。同氏は、香港英字紙にNSAによる中国へのハッカー攻撃を証言していた。
 香港に滞在したことから中国との関係を疑われたことについて、スノーデン氏は「私がもし中国のスパイなら、どうして直接北京に行かなかったのか」と反論。「拘束されずに働ける場所」として香港を選んだと説明した。米議会内には中国との関係を調査すべきだとの声が出ている。
 また「NSAなどの情報分析担当者が通信傍受情報データベースに検索要求すれば電話番号、電子メール、ユーザーIDなど欲しい情報はなんでも得られた」と指摘。メールの内容も入手できる状況にあると改めて説明した。これについてホワイトハウスは「事実に反する」(マクドノー大統領首席補佐官)と否定している。
 「令状を取るというよりは分析担当者の承認で米国民の通信を日常的に収集している」とし、「米国民の個人情報は保護されていないも同然だ」とも主張した。
 質疑応答は、同紙ホームページのライブチャットのコメント欄に質問を書き込み、スノーデン氏が返答する形式。約1時間半に及ぶ質疑応答の間、約2800の質問や意見が寄せられたが、回答したのは20問弱だった。
★ 毎日新聞 2013年06月14日 20時39分(最終更新 06月14日 20時54分)
米情報収集暴露:FBIが本格捜査
 【ワシントン及川正也】米国家安全保障局(NSA)によるインターネット情報の大量収集プログラムを暴露した元米中央情報局(CIA)職員、エドワード・スノーデン氏(29)に対し、米連邦捜査局(FBI)が本格捜査に乗り出した。訴追すれば滞在先の香港に送還要請するとみられるが、スノーデン氏は応じない意向だ。米議会内では同氏と中国との関係をいぶかる声も出ており、外交問題に発展する可能性も出てきた。
 「責任追及のためあらゆる措置を講じている」。FBIのモラー長官は訴追に向けて捜査していると強調。一方、情報収集は「完全に合法」とし、早くに導入されていれば2001年の同時多発テロも阻止できたとの認識を示した。
 米議会内にはNSAの情報収集プログラムへの批判は一部にあるが、同氏擁護論はあまりない。FBIは過去の例に照らし、機密情報の窃盗からスパイによる利敵行為まで幅広い容疑を検討する見通しだ。
 13日には約3時間に及ぶアレグザンダーNSA局長との非公開会合を終えたロジャース下院情報委員長が、記者団にスノーデン氏が香港に滞在していることを踏まえ「中国との関係があるのか徹底的に洗い出す」と語った。スノーデン氏が香港英字紙にNSAによる中国へのハッカー攻撃を証言したことが背景にあるとみられる。
 米メディアによると、容疑を特定し訴追すれば、スノーデン氏を米国に送還するため、滞在しているとみられる香港と米国との犯罪人引き渡し条約に基づく容疑者引き渡しか、同氏のパスポート失効などの措置をとる方針だ。引き渡し条約は1998年に施行し、65件で送還している。スノーデン氏は仮に送還要請を受けても亡命を希望したり、香港の裁判所に差し止め訴訟を起こしたりするなど抵抗する手段がある。
 ◇告発・漏えい者の多くは訴追
 米国では歴史を揺るがす機密情報告発・漏えい事件が何度かある。告発・漏えい者の多くは訴追されている。
 1971年にベトナム戦争に関与した歴代政権の情報隠蔽(いんぺい)などを暴いたペンタゴン文書漏えい事件では、執筆者の一人、米ランド研究所員のエルズバーグ氏を起訴。ニクソン政権は「最も危険な人物」と批判した。
 しかし、同氏が通っていた病院へのホワイトハウスの工作員襲撃事件が判明。裁判は取り消された。ニクソン政権はリーク先の米紙ニューヨーク・タイムズの記事差し止めを請求したが、連邦最高裁は訴えを退けた。
 最近ではイラク戦争での米軍ヘリによる民間人殺傷映像を流出させ、内部告発サイト「ウィキリークス」に70万件超の外交公電を渡したマニング陸軍上等兵が2010年に逮捕され、22件の罪に問われた。同サイト発行人のアサンジ氏が別件でスウェーデン当局の要請により英国で逮捕され、保釈中にエクアドル亡命が認められた。
 一方、米紙ワシントン・ポストがホワイトハウスの組織的な隠蔽工作を暴き、1974年にニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件では、情報源だったフェルトFBI副長官が事件後30年以上を経て雑誌で告白。「英雄か犯罪者か」の議論が巻き起こったが、本格的な捜査は行われず、追及はされなかった。
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近藤 ゆり子  k-yuriko@octn.jp

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