憲政史上初の女性の衆院議長を務めた元社民党党首、土井たか子さんが亡くなった。「男性社会」の政界で党や議会のトップに上り詰め、「マドンナ旋風」を巻き起こし、頑固に「護憲」の立場を貫いた異色の政治家。女性の社会進出や憲法解釈の是非が問われる今、政界やゆかりの人々から惜しみ、悼む声が相次いだ。▼1面参照

「スタンドアローン、自立した人だった。最後までこびず甘えず筋を通し、ひとり道を開こうとした、稀有(けう)な女性政治家でした」

土井さんと親しかった作家、落合恵子さんはそう語る。護憲の集会などで同席後に食事をともにし、シャンソンの名曲「サン・トワ・マミー」を熱唱する姿を思い出す。

「ある意味、不器用で直球を投げ続けた人だったから、見事な男性社会である政界では色んな逆風も吹いた」。衆院議長に就く時も「まつりあげられてしまうと本当の政治ができないと苦しんで苦しんで、でも受けた。そして『苦しい』とは言わないダンディーな女性だった」とも。

「(李香蘭こと)山口淑子さんに続き、戦後を代表する女性政治家が亡くなり、寂しい」と言うのは評論家の小沢遼子さん(77)。何度か土井さんの選挙の応援演説をした。男性ばかりの選挙事務所で、周囲に女性であることを意識させない態度が印象的だった。

土井さんは86年に当時の社会党委員長に就任。女性が社会進出する中で「男の敵を作らず、安心感を与える存在だったから、男性中心の政界で党首になった」と話す。30年近くたった今、安倍政権は女性の社会進出を掲げる。「土井さんがリーダーになったことの意味を、今こそ考えるべきだ」と小沢さんは言う。

今年は集団的自衛権の行使をめぐり、憲法の解釈変更が大きな焦点になった。辻元清美衆院議員は「土井さんは『歩く憲法9条』と呼ばれていた」と惜しむ。

96年の衆院選で土井さんから要請されて立候補・初当選した。「土井さんが政治の母だった。道しるべが消えてしまったようだが、バトンを受け継いでがんばらなあかんと思う」と話した。

村山富市元首相(90)は28日、大分市の自宅で取材に「残念です」と声を落とした。長く本人と連絡は直接取っていなかった。「(体調が)悪くなってからは、本人が誰にも会わないと。あの人のプライドじゃわ。元気なところしか見せたくないと」

「『だめなものはだめ』。ほかの人が言ったって広まらんけど、あの人が言ったら時代を画す言葉になった。党にとって時代を画す人だった」と語った。

沖縄県知事で2001年に社民党から参院選比例区に立候補した大田昌秀さん(89)も「土井さんほど憲法を大事に考えていた人はいない。憲法を変えようという議論が起こっているこの時期に、土井さんが亡くなられたことがとても残念」と話した。

90年代前半に社民党と連立政権を組んだ新党さきがけの元代表・武村正義さん(80)は、会食の席では常に相手に上座を薦め、気遣いながら注文を取る土井さんの姿が印象に残っている。「マイクを握る街頭の姿とはとても対照的。四方八方気配りする上品な女性でした」と振り返った。

熱烈な阪神ファンを自任。タイガースのメガホンを手に街頭演説に立ったこともある。カラオケとパチンコを愛し、社会党委員長時代には業界団体の「パチンコ文化賞」を受賞。出玉と交換したカップなどの景品を議員会館で使う庶民派だった。

初当選以来、30年余り秘書を務めた五島昌子さん(76)によると、土井さんは病床でも政治を案じ、「憲法が危ない。こんな時に何も動けない自分が腹立たしい」と話していたという。

「政治家になっても地元の自宅は6畳と4畳半の2間のアパート暮らし。私利私欲がなく、誠実でまじめ。『一生懸命』という言葉は彼女のためにあった」

■土井さん語録

「やるっきゃない」(86年、女性初となる社会党委員長に就任した際の一言)

「山が動いた」(89年参院選で大勝し、与野党逆転が実現した結果を受けて)

「だめなものはだめ」(88年、政府・自民党消費税導入を持ち出したことについて)

細川護熙さんを内閣総理大臣に指名することに決しました」(93年、国会では呼称として「君」が使われていたが、初めて「さん」を使う)

■護憲の遺志、細る継承先

護憲に人生をかけた土井さんの死去。それは、特定秘密保護法の施行が迫り、集団的自衛権の行使容認も閣議決定するなど、「1強体制」を築く安倍政権が改憲への地ならしを進める時代の転換期に重なった。

「憲法を守るため、憲法を生かすために本当に身を粉にして尽くした人生だった。偉大な政治家だった」

土井さんに請われて政界に飛び込み、「土井チルドレン」と呼ばれた社民党福島瑞穂副党首は28日、都内で記者団に、こう土井さんの死を惜しんだ。

社民党吉田忠智党首は「憲法学者だった土井さんは右傾化する政治に対峙(たいじ)した。安倍政権によって、集団的自衛権の行使容認など、立憲主義を否定し、戦争のできる国づくりが進む中、最後まで憲法と日本政治の行く末を心配していた」との談話を出した。

土井さんを悼む声は、細っていく護憲派の悲痛な叫びにも聞こえる。憲法改正を宿願とする安倍晋三首相率いる自民党は、衆院で過半数を大きく超える。維新の党など改憲派とされる野党も含めれば、憲法改正の発議に必要な3分の2以上に手が届く勢いだ。

これに対し、土井さんが所属した社民党は衆院でわずか2議席。代表質問にも立てず、滅亡寸前といっていい。

自民党はモノトーン化が進む。戦争を経験した世代がほとんどいなくなった。小選挙区制で党首の力が強まり、安倍首相に異論を唱える勢力が消えた。選挙改革は皮肉にも土井衆院議長時代に導入されたものだ。

自民党の穏健派の代表格だった野中広務官房長官は朝日新聞の取材に「『憲法の土井』と言われるぐらいの信念の人だった。同じ世代で、党派を超えて戦争の記憶も共有していた」。

分裂した社民党の流れをくむ民主党海江田万里代表はこの日、「土井氏が主張した女性の人権や平和の問題はしっかりと受け継ぐ」と語った。しかし、こちらは憲法観や安全保障政策で、党内の意見がバラバラでまとまらない。土井さんの遺志を継ぐ勢力の極は見当たらないのが現状だ。

(江口達也)

■「一時代築いた」

御厨貴・東大名誉教授の話 「山が動いた」と言った選挙を仕切り、一つの時代を築いた政治家だった。だが、村山富市首相の時に日米安保社会党として容認してしまって以降は、新しい旗を揚げられずに、その後、党首になったおたかさんをもってしても党勢の衰退を止められなかった。ただ、女性初の委員長、女性初の衆院議長を務めた大きな存在で、これからの女性政治家を考える礎になったことは間違いない。