自民、公明の与党が採決を強行し、安全保障関連法案が衆院を通過してから1週間。

「国民は忘れる」。安倍政権周辺の目算はどうやらはずれ、全国各地でデモが活発化したり、学者有志らが声明を出したりするなど、異議申し立てのうねりは確実に広がっている。

しかし政府・与党は空うそぶく。自民党の谷垣禎一幹事長は「かつての安保にせよ、PKOのときも、自分の時間をつかって抗議する方はもっとたくさんいた」。

主権者から突きつけられている「NO」に耳を貸さず、数の多寡の話にして矮小(わいしょう)化する。そのくせ自民党は、ヤジや批判を恐れて、街頭演説は当面行わないというのだから、実に情けない内弁慶ぶりである。

安倍首相は「支持率のために政治をやっているのではない。やるべきことはやっていきたい」と言う。政治家として、まっとうな矜持(きょうじ)だ。

ただし今回の法案は、「やるべきこと」か「やるべきでないこと」かの選択にとどまる問題ではない。安倍政権は、違憲立法という「やってはならないこと」をやろうとしているのではないかという疑念が深まり、このままでは国や社会のあり方そのものが壊されてしまうという危機感が、ひとびとを街頭に押し出しているのだ。

憲法は権力を縛るもの。民主的に選ばれた政権であっても、多数を使って憲法違反の法律をつくることは許されない――この大原則を軽視してはばからない首相らの言動の背景には、選挙で勝ったら「期限付き独裁」、勝った側の決定に従うのが議会制民主主義だ、という発想があるのだろう。

だが主権者は、選挙で選ばれた代表に白紙委任しているわけではない。代表が、主権者の意思を代表せずに重大な決定をしたら、「おかしい」と声を上げるのは当然であり、主権者の責務であるとも言える。

そもそも国会議員の仕事は、国民の声を広く聞いて国政に反映させることのはずだ。ところが昨今、政府・与党の決定を国民に「下ろす」のが仕事だという思い違いが広がっている。毎週金曜日の夜、国会前に響く「民主主義ってなんだ」「勝手に決めるな」というコールに込められているのは、そんな政治の現状に対する怒りだ。

政治とは、意見を同じくする「身内」で「いいね!」と言い合うことではない。与党議員こそ街頭に出て主権者の声を聞き、社会の空気を体で感じ、自らの言葉で語るべきだ。

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コメント:戦争は殺生・窃盗・虚偽・邪淫・破壊・破滅の道、我利我利亡者・餓鬼・修羅・畜生・地獄の道、大人・智者・賢者・仁者のする事ではない。平和憲法は世界最先端の人類救済の道、仏菩薩・アショーカ王(法勅)・聖徳(十七条憲法)・ガンジー(真理抱擁・不傷害)・孔子(仁)・老師(自然・常道)などの仏教思想・東洋思想の精華である。仏菩薩は涅槃(平和:倫理)悟り(共和:真理)に住し、餓鬼の喧嘩・名利金の為の戦争など馬鹿馬鹿しくてやれない。公明党は仏菩薩の道を踏み外し、餓鬼・修羅・地獄道に堕ちた。