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ネットワーク1・17(2017/3/26) 東日本大震災6年、原発事故避難者の住宅支援打ち切り、白倉典武さんのお話 by limitlesslife
March 26, 2017, 11:20 am
Filed under: 東日本大震災

 

永岡です、災害と防災を考えるネットワーク1・17 第1059回、今週も毎日放送アナウンサーの千葉猛さんと、フリーアナウンサーの野村朋未さんの司会で放送されました。

 

毎日放送ラジオの、しあわせの五・七・五(2017/3/25)の、近藤勝重さんの川柳な人々、まだはっきりしない季節で、水野さんもしも家がない状態に、ホームレスになったらと想像させる、ホームレス川柳、ドジョウの歌という文庫本があり、路上生活の数人の方の川柳を載せて、野良猫と 同じ寝床で 暖を取る、野良猫が 俺より先に 飼い猫に、という、路上生活から抜けたい思いがあり、つらい状況を笑い飛ばすもので、近藤さん、喜んでいる場合かという声もあるかも知れないが、春を読み、公園の 桜吹雪で 夢一夜、てふてふ(蝶々)と 炊き出し並ぶ 昼下がり、春来れど 卒業できぬ この世界、という、路上に卒業のない、別れのシーズンで、路上生活の思いが出ているものであり、近藤さん、川柳のレベルは高いと言われて、水野さんも心にしみると言われて、近藤さん、路上の詩、心得ており、川柳を生きる力としていると言われて、水野さん、この本はビッグイシューの編集部が作り、ホームレスに自立をと、イギリスのものを日本に取り入れて、1冊350円のうち、180円が販売者の収入になり、170円で仕入れて、最初の10冊は無料で提供し、それの売り上げで自立を、というもので、ビッグイシューを梅田で売られる浜田さん、65歳、毎回しあわせの五・七・五を聞かれて、周りに迷惑をかけないように段ボールで寝て、大阪は氷点下はなく、寒い朝 木のぬくもりが ありがたい、木のところで1,2度違い、風があったら大変で、太陽のぬくもりがありがたく、浜田さんは大阪生まれ、図書館に非正規10数年勤めて、家族に迷惑をかけて家にいられなくなり、浜田さんは結婚しておらず、母親は80を越して、気になるが、黙って出たので家のことは分からず、安定したら家に帰りたい、家は距離的には近い、家を出て14年なのです。帰れる距離だが帰れず、住所がないと、定職も銀行の口座も開けず、住居を持つには収入が欲しく、ビッグイシューを1日20冊は売りたく、中之島の公会堂で浜田さん、ビッグイシューを売って、1冊だけ買ってもらい、歩道橋の上での販売は大半の人も無関心で、川柳により、つらい気持ちを忘れられて、小さいメモ用紙に書き留めて、売れぬ時 あったかい言葉 身に染みる、というのもあるのです。

 

今月の東日本大震災特集、先週は宮城のことで、リスナーより、語り部の話に感動して、震災の恐ろしさを知り、遺構を残してほしいとの声がありました。また、南三陸町のホテルは、東日本大震災時に避難所になったところで、6年経って語り部を続けるとの声があり、震災の風化を防ぐものがあったのです。

 

今週のテーマは東日本大震災6年、原発事故の影響で自主避難されている方への無償提供が今月末で打ち切られて、関西の公営住宅に来られた方、災害救助法で福島県がみなし仮設として提供していたものが打ち切られて、大阪に自主避難されている女性は、自主避難者への対応がずさんすぎると批判されます。

他方、3月17日、前橋地裁は国と東電に賠償責任を認めて、避難指示区域外からの避難にも認められました。

原発事故と避難、スペシャリストの白倉典武弁護士のお話がありました。白倉さん、無料で住めていたのは、東日本大震災後、公営住宅に地方自治法の適用で、被災地に仮設住宅に住むようなもので被災者にみなし仮設、費用は国庫負担であり、国からお金が出て、仮設住宅と同じ扱いであり、各市町村が福島県に払ってくれというもの、払ってもらっていない県もあり、しかしなぜ打ち切りか、被災県の福島県から援助の必要がないとなったもので、帰って生活できるようになった、原発事故の影響はもうないと言うもので、しかしまだ住めない区域はあって、そこは今までと同じく無償での提供は続いても、自主避難だと、福島市郡山市の場合は支援をやめて、これから必要な家賃は、市町村の通常の家賃を払うことになり、さらに同じところに住めず引っ越しを余儀なくされる例もあり、しかし今も多くの仮設住宅が残っているのに、被災地の仮設住宅は避難指示の、帰ってはいけないところであり、それ以外は仮設住宅を無くす方向で、しかし被災者は避難を余儀なくされて、まだまだ福島市、郡山市からの避難にも援助があったのに、なぜ6年で打ち切りか、徐々に線量が下がり、戻すことで復興をしていると見せたいというものであり、千葉さん、それは自治体が決めることかと言われて、白倉さん、国、県が決めることではないと指摘されて、千葉さん、受け入れ先の自治体に続けてもらえないかと言われて、白倉さん、費用を自治体が負担することは可能で、やる自治体もあるものの、大阪府内では無償提供を続ける自治体はなく、野村さんも、被災者に負担と言われて、当事者の声、福島市内から母子避難された方の声、原発避難、母子避難のことが考慮されず、それに怒り、ずさんで、避難してきた決断の意味もあり、戻ろうとして逃げた人と、そうでない人もあり、避難者の状況を知って決めてほしいと言われて、この女性は4月から収入に応じた家賃を払うことになり、白倉さん、母子避難の方で、お父さんは福島に残り、世帯が分離された方は家が二つで、収入では足りず、今まで避難先で家賃なしでやれていたが、避難先で家賃だと、お父さんの収入で足りなくなり、避難が続けられない。

千葉さん、小さいお子さんには絶対安全となるまで助けるべきと言われて、しかし他の支援もなくなり、支援は続けるべきか、白倉さん、避難している状態は、これから自立しろと言っても、福島は元に戻らず、災害は終わっておらず、それで支援打ち切りはおかしい、安心して住める状態まで支援は必要で、福島に帰るべきか、避難は続けられず、帰れず、永住する人にも支援は必要で、個々の状態に配慮せず、一括の打ち切りは問題、まだ避難の必要な人や、移住する人への支援も必要。

大阪の市営住宅に避難された方、これは帰って大丈夫という意味で、事故前の線量になったからではなく、事故前は1ミリシーベルト、しかし今は福島だと20ミリシーベルトで、避難しなくてもいいとみなされるのが怖い、被害がなかったとされるのが怖いとの声があり、千葉さん、1ミリシーベルトと20ミリシーベルトについて聞かれて、白倉さん、空間線量、1ミリシーベルトを超える被曝を法律でしてはならず、しかしなぜ20ミリシーベルトか、限度を変えてしまい、事故により20ミリシーベルトまでいいではなく、福島以外のところでは許されず、規制的には変わっていないものの、福島県ではやむを得ずであり、今回、戻る選択をしたら、20ミリシーベルトの被爆になり、福島県と近隣でも1ミリを超えているところはたくさんあり、それで帰れなのか、小さいお子さんのいるところでも、なのか、それで支援打ち切り、千葉さん、3月末で避難指示の解除があり、白倉さん、そこに住んでいた人も将来は打ち切られる、来年3月か、避難指示解除と、打ち切りは即ではないものの、浪江町、川俣町、飯舘村、原発から10~20km、そこも将来は支援は打ち切られて、20ミリシーベルトで帰れ、支援は止めるであり、将来は全部支援は無くされて、帰還困難区域は避難者には続けられても、それ以外の支援はなくなり、白倉さん、国の決めた政策について、強制的な避難以外のところは帰れは問題で、1ミリシーベルトの基準があり、避難したいひとは続けさせるべきと言われて、野村さん、帰れとは言わないものの、実際強いると言われて、白倉さん、実質そうで、母子避難の人は帰るか、お父さんがこちらに来るか、大変な岐路と言われて、千葉さん、前橋地裁で、原発事故は予見されて国と東電に責任の判決、それでこの措置かと言われて、白倉さん、前橋地裁の判決は強制避難だけでなく、賠償が認められて、避難者に国は法律的な義務がある=打ち切るのはおかしいと言うことで、千葉さんはこれからもケアしろという意味と言われて、白倉さんその通りで、住宅支援はいつまで続くのか、半減期は30年、100年の仕事で、放射線の影響が消えるまで、5,6年のことではないのです、以上、白倉さんのお話でした。

 

今週の特集、千葉さん、避難指示解除、福島は安全だと言うことに、何のタイミングでなのか疑問と野村さんも言われて、被災者のためにどうかと、被災者を追い込んでいると千葉さん言われて、野村さん、国の政策を問われました。以上、今週のネットワーク1・17でした。

 



サンテレビニュースPORT(2017/3/21) 東日本大震災6年、震災を乗り越えて淡路で開店、気仙沼から来たパン職人 by limitlesslife
March 22, 2017, 6:29 am
Filed under: 東日本大震災

 

永岡です、サンテレビのニュースPORT、火曜日は震災特集、南あわじ市にあるベーカリーPoche(ポッシュ、FBを示します、https://www.facebook.com/Poche0208/ )のオーナーの鈴木健二さん、宮城県気仙沼市でベーカリーを経営して、海沿いのお店は津波で壊滅して、そして、奥さんの出身地、淡路島に避難されて新しいベーカリーをオープンされたお話でした。復興の続く地元を離れて、新たな地で再開される姿、今月14日、ベーカリーカフェボッシュ、淡路産の野菜などの食材を使って、常連客に好評であり、鈴木さんは、パンを40種類くらいつくり、奥さんと店をオープンして2年、健二さんはこちらに身寄り�陲如�坩造呂△蝓⇔詭擇気鵑砲箸辰討海療垢��首鞜�赱鈑重劉孑床鹿齔瘤�ぢ軒目、宮城県気仙沼の店は、東日本大震災で、両親の経営する旅館の中に合ったお店は地震と津波で全壊、3分と報じられた揺れはもっと長く、海沿いのお店は津波に流されて、あまりの現実に唖然とされて、生後半年のお子さんを、奥さんの実家に避難させて、被災地は衛生も良くなく、子どものために、として、震災の3か月後には健二さんも二人とともに淡路島へ、みんな暖かく迎えてくれて、不安の中で、まず動かないと、として、淡路島で二人の店を開くことにして、常連さんに、ランチ、ディナーは好評で、店の空き時間には近所の会社に配達、注文も入り、配達先で暖かく迎えられて、近所の会社の方は常連になり、淡路島の生活に慣れても、それでも、淡路島にいるか、気仙沼に戻るか、両親は気仙沼でやりたいと言い、葛藤があり、しかしもうしばらく、淡路島で頑張ろうと、そして気仙沼に応援のためにパンを贈ると、気仙沼でも頑張っているとメッセージがあり、大量のパンを贈り、食べ物のあることは幸福だと感謝されて、まだまだ険しいが、実家や友人にパンを焼いて、エールを込めて、遠く離れた淡路島から、気仙沼を応援されて、スタジオでも鈴木さんのパンを評価する声があり、東日本大震災6年、まだ被災者の闘いは続きます。以上、ニュースPORTの内容でした。

 

 

 



ネットワーク1・17(2017/3/19) 東日本大震災6年、語り部バスに乗りました、千葉さん、野村さんの報告 by limitlesslife
March 19, 2017, 7:06 am
Filed under: 東日本大震災

 

永岡です、災害と防災を考えるネットワーク1・17 第1058回、今回もMBSアナウンサーの千葉猛さんと、フリーアナウンサーの野村朋未さんの司会で放送されました。

 

近藤勝重さんの、しあわせの風景(2017/3/18、しあわせの五・七・五から)、川柳は字数が限られて、言い切るものがいり、度胸の文芸と思うべきで、水野さんもこれを評価されて、近藤さん、3・11から6年、福島からの風を送られた伊藤さん、五輪より 一輪の花 被災地へという句があり、近藤さんがこの句を買うのは、一輪の花の生命の大切さと被災地の声、五輪もさることながら、一輪の花を咲かせる配慮が東京にあるのかと言う意味と指摘されて、オリンピックを誘致した政権などに、福島から見たらこう見える、怒り、やるせなさなど、一輪の花に託して、経済成長無くして…というものへの抗議であり、この句を支えているのは対比、いろいろな比べようがあるが、言い切る句、ご自慢のえくぼ いまではただのしわ、しわとえくぼを対比、こう言い切る強さがあり、これを弱くすると、ご自慢のえくぼ ただのしわのようと、直喩になってしまい、これはえくぼ=ただのしわと言い切る、A=Bの強さ、言い方で弱くなる、○○のようだ、ではなく、○○だと言い切る度胸が必要で、逃げるなよ、であり、父の背を 流すようにと 墓洗うという句もあり、言い切る強さは、20日がお彼岸、お彼岸は 父の背流す 墓洗い、としたら、言い切ることになり、墓参りして、墓を洗う=父の背中を流す、彼岸、お盆を持ってきたらよく、○○のようなものを近藤さん否定しないが、言い切るものは、それゆえのふくらみ、奥行きを感じさせて、詠んだ人が膨らませるものであり、そういう川柳の面白さ、言葉の強さもあり、大津波 みんな流して バカヤロウ、ここにも強さが要り、川柳には度胸も要り、須藤春香さんの句、言い切らずにいられず、奥行きがあり、近藤さんの引用された句は、しあわせの五・七・五の本にも載っているのです、以上、近藤さんのお話でした。

 

先週は千葉さん、被災地で取材、リスナーより、津波の話に胸が痛み、20mの津波なら流されていた、津波など来ないと思い、伝えることの重要性を知ったともあり、宮城県の南の方は津波は来ないと思っていたとして、避難場所も家族で話し合い、逃げられる場所を考えてほしいと被災者も言っているのです。

今回も東日本大震災6年、宮城県南三陸町のホテル観洋は、宿泊客向けに語り部バスを運航しており、従業員がガイドとなり、津波被害を語り継ぐもので、児童や高齢者の助かったところ、職員が犠牲になったところなど、このバスに千葉さん、野村さんが乗られた報告です。お二人で東北に行かれて、ホテルの従業員の方が朝早くから1時間されて、料金は500円、町内を案内されて、ホテルの中にも語り部の社員はたくさんいて、一番若い伊藤さん(でもチリ地震津波を経験された70代の方)、震災6年で、1日1日大変であり、伊藤さんは南三陸町、自宅を津波で流されて、仮設住宅に3年半、ここは600人以上亡くなり、8割の家が流された地区での伊藤さんのお話、小学校があり、海から50m、津波に弱く、しかし避難して助かり、高台への避難訓練、避難を屋上にしようとしても、地元の女の先生が高台に逃げるべきとして、教頭先生が高台に避難を指示して、山の一番高いところに逃げて、震災の日は寒く、子供たちが寒さに耐えられず、神社には倒壊の恐れがあったものの、4年生以下の子供は中で避難、震災の1週間後に卒業式で、歌を明け方まで歌って、寒さを乗り切ったものであり、この小学校の場所は今は盛り土がされていて、この小学校のことは一昨年の11月のネットワーク1・17で校長の話を報じて、しかし現場に行くのは千葉さん初めて、海に近い場所で、津波が短時間で来るもので、高台に避難するのは決断が必要で、千葉さんが校長なら屋上へと思ったかも知れず、しかし高台に避難して命を守れて、石巻市の大川小学校と同じ規模、大川小学校と同じになっていた可能性もあった。

高台にある中学校、指定避難場所、20mの高さで、ここまで来たら大丈夫と思っても、ここの校庭まで津波が来て11人死亡、校庭にいた人、助けようとした人も亡くなり、20mの高台に23mの津波が来て、一見安全そうでも危なかったわけであり、中学校の場所は公民館になり、津波の来たところに仮設住宅、南三陸町には仮設住宅を建てる場所がなく、時計は2時46分で止まっているのです。

ホテルの経営する高野会館、ビルの4階まで津波が来て、震災の日に多くの方が歌と踊りをしているうちに大地震、中でパニック、自宅に逃げ帰ろうとした高齢者もいたが、帰したら津波に流されるので、ここから出さないことにして、玄関先に若い職員が、死にたくなかったらここから出てはいけないとして、ビルの3階に逃げて、しかしいうことを聞かない人もいて、8人逃げ帰り、自分の地区には津波が来ないとされていたからで、しかし6人が津波に流されて、建物のどこまで津波が来たと表示されて、更地の中にこの建物のみ残り、高齢者は屋上の上のところまで避難して助かり、高野会館は全壊で、ホテルの方で震災遺構として残し、維持費も民間で負担するのは大変で、それでも残したものであり、語り部バスで、南三陸町の防災庁舎、3階建てで、骨組みのみ残り、伊藤さんはバスを止めて、防災庁舎で、亡くなった方に手を合わせる仮設の施設まで案内、防災庁舎は12m、津波は15mで、屋上で43名亡くなり、生き残った人は、鉄塔によじ登って、津波が収まるまで耐えた中に、今の町長もいて、千葉さんはこの防災庁舎に行くのは2回目、犠牲者の無念さと、津波の脅威に驚かされて、防災庁舎、2030年までの保存は決まっても、そこから解体するか、残すか議論されて、野村さんは残すべきと言われても、遺族の気持ちもあり、大変と言われて、千葉さんも残してほしいが、遺族にはつらい思い出があり、しかし震災を体験していない世代も増えて、目に見えて分かるものは必要と言われます。

語り部バスに参加されて方、伊藤さんの言葉で、手を合わせること、こういうことがあったことを帰ってみんなに伝えるべき、震災後初めて来て、テレビで見るのとは違い、大変であったことを知り、高田の中学校に行き、津波の高さを実感して、津波の怖さを実感して、遠くの人にも見てほしいと言われて、また娘さんがここにきて連れてこられた方もあり、家族を連れてきた方もありました。

最後に、伊藤さんのお話、11の集落で、2つの集落、真ん中を川が流れて、そこを速く津波が襲い被害になり、また湾が干上がって大きな津波で、多くの方が亡くなり、内陸に住む人間が犠牲になり、海に近い人は変化に気付いて逃げられても、内陸の人はまさか来ないとして犠牲になり、海では防潮堤も作られても、まだまだ課題はあり、野村さんも、語り部バスに乗り、体験を口で伝えることが大事、被災者の声を聞くことが大事と締めくくられました。

 

ネットワーク1・17は最優秀レジリエンス(抵抗力、災害に強いもの)賞を受賞、28の団体が受賞して、それらもここで取り上げることになり、リスナーの声で受賞できたと、野村さん、千葉さんの感謝がありました。以上、今週のネットワーク1・17でした。



報道するラジオ(2017/3/13) 東日本大震災発生から6年 企業と防災 千葉さんの女川町からの報告&南スーダンからの自衛隊の撤退、前田哲男さんのお話 by limitlesslife
March 14, 2017, 1:35 am
Filed under: 東日本大震災

千葉さんは昨日に続いて、宮城県女川町、南三陸町、石巻市を取材して、寒さで3・11を思い出す方もあり、リスナーより、5年前に女川を訪れて、町が壊滅と言われて、そして6年目の宮城は、どこもかさ上げ工事で、工事現場だらけ、そこかしこにショベルカー、復興している町はなく、女川、南三陸には商店街や住宅も出来ているものの、仮の店舗も多く、建物を建てられるところも、空き地、更地が目立ち、そこにあった建物、店、オフィスが津波で潰れて、その後建物が再建されず、戻って仕事再開にはならず、町の中も寂しく、人が戻っていると千葉さんは思われないとすら証言されるのです。 永岡です、報道するラジオ第235回、今週も毎日放送アナウンサーの水野晶子さんの司会で放送されました。

本日のテーマは、3・11、東日本大震災6年、企業と防災、千葉猛さんが昨日のネットワーク1・17に続いて宮城からの報告、宮城県女川町では、20mの津波に襲われて、海岸から100mの七十七(ひちじゅうひち)銀行の女川支店で、行員が屋上に避難したために12人死亡、1人が行方不明であり、この銀行で息子さんが犠牲になった遺族の証言から、企業と防災について考えます。南海トラフ地震がいつ起きてもおかしくない、仕事をしている時に地震化も知れず、企業がどうやって従業員を守るのかがテーマです。

今回のテーマ、企業が従業員をどう守るか、千葉さん、800人亡くなった女川町、七十七銀行、一人だけ奇跡的に助かっても、どうして守れなかったか、地震→津波には女川で45分あり、津波から逃げる時間はあり、津波は20m近く、しかし45分で避難できて、七十七銀行女川支店以外の避難は、女川町はリアス式海岸、海の近くまで高台、入江を埋め立てて住宅地にして、高台に逃げる余裕はあり、裏に山があり、逃げることもできて、多くの方が山に逃げて助かり、なのに七十七銀行では山に逃げず、銀行の屋上に留まり、支店長の指示で屋上に行き、14人勤務、1人家に帰り、残る13人は鉄筋コンクリートのビルでも2階建て、高さは10mしかなく、屋上の上に電気室があり、その上でも13.5mしかなく、女川の20mの津波には足りず、すぐ裏の山に避難したら助かり、裏山まで、走ったら250mで1分であり、支店の北側に高台があり、600人以上避難されて助かり、津波まで45分、裏山に1分、しかしなぜ支店長は屋上に避難と指示したのか、銀行の避難マニュアルに従い、マニュアルは津波発生時の避難でも、高台に逃げるともあったのに、2009年に屋上に逃げるという選択肢も加えられて、それで支店長はマニュアルに従い、屋上に逃げて、しかし山の方が確実、津波対策は高いところに逃げるべきで、なぜ低いところに逃げる選択肢が加わったのか、山に逃げるのが付け加えられるのではなく、低いところに逃げる、には、宮城県沖地震の対策はあり、津波は最大5.9mを想定して、それで支店の屋上に避難と加えられて、しかし裏山はもともとの避難場所で600人以上助かり、裏山の上には高台、病院もあり、その上にも避難できて、病院の1階まで津波は来ても、その上に行って助かり、女川の他の銀行の支店の人はみんな裏山に避難して、それで助かった。

行員の避難カードには、屋上ではなく高台と書かれており、裏山に逃げようと言う人もいて、地震発生時、一人奇跡的に助かった人の証言、2時46分に地震、支店長は外出で不在、大津波警報で6m、支店長の戻るまで避難の指示はなく、3時に支店長が戻り、鍵を閉めて重要書類を持ってとして、3時15分には避難して、その中で、時間があるから高台に逃げることの話も出て、3時5分ごろ、3時28分に屋上に津波到達して、電気室の上に皆さん逃げてもダメで、3時30分に津波に飲み込まれた。

裏山に逃げると言う選択肢もあったのに、犠牲になった方の妹さんの声、どうして高台に逃げなかったか、今も思い、地震が来たら津波と備えていて、それでなぜ山に逃げなかったか、組織の縛りがあったと証言されて、さらに、遺族の方の証言も続きます。

遺族は、裁判に訴えて、25歳の息子さんを亡くされた田村さんの夫妻のお話、裁判を起こされて、何を訴えたか、裁判をするつもりはなかったが、銀行が津波に向き合わず、勝手な解釈で安全でないところに避難して、企業として社会的責任を果たしておらず、南海トラフ地震のこともあり、一般常識があったら逃げて助かったのに、大切な命のためにと、断腸の思いで裁判に踏み切られて、企業は従業員に安全の配慮が必要で、それに向き合わない銀行だと、命を軽んじると思い、裁判は最高裁に行き、1審は民間企業は経済合理性の観点から行政より手を抜いていい、というとんでもない判決、過大な費用で従業員を守らなくていいと田村さん解釈されて、働くものの安全は守られないと思い、控訴して、2審は負けても、行員たちは高台に行ったら助かったとして、上告して、今までない事案で、安全配慮義務を精査してほしかったのに、却下されて、今は原因究明の手段も行政と異なりなく、裁判も行き詰まりもあったと言われるのです。

法律で訴えても原因究明されず、結局、想定外の津波と言われても、裁判でも予測できなかったと言うものの、一般の常識で、女川だと2,3倍の津波になり、10mの屋上は超えられてしまい、屋上だとだめであり、それが解消されずであり、水野さん、何を守るために銀行に残ったのかと言われて、千葉さん、何を守るために銀行に残る指示に従ったか、業務再開をかんがえたのかと指摘されて、田村さん、奥様が、息子も高台に時間があるからいけるとして、しかし拘束されて、自分の勝手な思いで高台に行けず、銀行の資産が第一、人命は二の次であったと言われて、水野さん、法律の壁について聞かれて、奥様は裁判まで考えたくなく、究明の手段、公平な立場で裁くものと思ったら、本当の証言を組み込めず、書面は出したもの、言ったもの勝ちで、津波裁判は前例もなく、思うような結果も出ていない。

水野さん、企業の責任を限定的にとらえるなら、これからの災害にどうするのか、リスナーより、田村さんのお話を聞いて、何でも想定外にされるとあり、田村さんのご主人、想定外、仕方なかったと言うが、想定できることはたくさんあり、しかし保身になってしまい、東日本大震災は様々な課題があり、それを解決しないで想定外にしたら未来に禍根を残し、企業防災のあり方を問いたい、これだけでなく、電通の問題も、人を守ることになり、津波の裁判は全国で考えてほしいと言われて、水野さん、企業の壁もあり、自分の身を、自分の判断で一人逃げられるかと問われて、命が一番ということを守れるのか、考えてほしいと言われました。

田村さんは、様々な方に話を伝えられて、週1回女川支店のところの慰霊碑で、何があったか伝えられて、田村さん、南海トラフ地震に対して、日本の企業は従業員が拘束されて、そこから逃げられず、災害時には雇用者は従業員を守るべきであり、リーダーの判断が左右し、命を守るために企業の意識を、人命を守るために見直すべきで、全国に、女川支店のような場所はあり、息子は死亡、殉職ではなく、企業の責任を全うされるまで、全国に発信しているところなのです。以上、田村さんのお話でした。

 

ニュースは上田崇順さんの担当でした。

南スーダンからの自衛隊の撤退、ASSはNSCで検討していたもので、ASSは自衛隊の活動に区切りと言い、これについて、軍事ジャーナリストの前田哲男さんのお話、あまりに唐突で、前田さんも驚いて、二つ要因があり、(1)現地ジュバの情勢がよくない、(2)日報の問題、現地では戦闘行為、戦闘活動と記録していたのに、握りつぶして、文書なしと言い、しかし布施さんの資料請求で黒塗りが開示されても、戦闘とあり、しかし稲田大臣は国内で言う戦闘ではないとデタラメを言い、現地情勢をめぐる国内にも足が乱れて、そこからトンズラするために撤退と言われて、ASSは道路が出来たから、治安が悪いのではないと言うものの、前田さん、治安の悪いのを認めたら、PKOは道路建設、参加5原則、停戦合意、紛争当事者の全員が同意=中立的に仕事が出来て、それがアカンと撤収であり、治安が悪いを認めたら、停戦合意の破綻で、任務を中断して撤収になり、これを認めると、政府は窮地に陥り、一定の区切りをつけたからと言い訳であり、道路工事は、自衛隊はやれたか、政府の発表で210km、用地も作られて、これは昨年7月の首都での戦闘行為以降の数字は公表しておらず、戦闘行為以降宿営地に引き上げて、ジュバでの工事はできなくなり、昨年7月以降の結果は公表されておらずわからず、そして今回撤収すると日本のPKOは途切れて、92年のカンボジア以降必ずどこかで自衛隊が活動しており、92年以来の流れが途切れることになり、日本がPKOで自衛隊を見せ続けたのは、国連の常任理事国になりたい野望、10数年来の悲願で、そのために日本は国際貢献していると、自衛隊をショーウィンドーにして、防衛省より、外務省のロビー活動としてのPKOであり、それが止まり、外務省は出しておきたいのであり、駆けつけ警護の任務が付与されたのと、撤収は合わず、昨年12月に青森から350人派遣、駆けつけ警護と宿営地防衛を付与しても、どちらも施設の工事の仕事ではなく、戦う自衛隊のものなのに、始まったとたんに止めるのは流れとしておかしく、現地の治安が悪く、国内で国会の追及に行き詰まり、撤収したと前田さん締めくくられました。

森友学園の国有地格安払下げ問題、民進党の小川氏が、稲田大臣が森友学園の代理人をしていたと、ネットでの情報を元に追及して、稲田氏は籠池氏のことを受けたことはないと言うものの、準備書面に稲田夫妻の名前があると追及して、籠池氏の話と稲田氏の話が異なり、籠池氏の国会参考人招致を求めて、共産党山下氏は、塚本幼稚園に孫を行かせていた件、安倍総理の夫人が名誉校長というので、安心して孫を通わせた、ASSは道義的責任を認めろと迫っても、ASSはコメントしないと逃げて、昭恵氏は幼稚園で講演しているのに、ASSは道義的な責任には言及せず、財務省は森友学園の土地を返還を求めるとして、大阪府議会も私学審議会の件で、籠池氏の参考人招致に、当初籠池氏は同意→断ったのです。

福島県の内堀知事、ASSが東日本大震災6年で、原発事故について言わなかったことについて、県民感覚として抗議、事故は過去形ではなく現在進行形であると指摘しています。

 

今週の内容、東日本大震災発生から6年、企業が従業員をどう守るか、千葉さん、今回の取材で、働く場所の安全の確保、会社、組織はちゃんと命を守れるかと問われて、身近な問題、想定外で済まされないと締めくくられました。リスナーより、今夜の内容、複雑な気持ちであり、遺族の無念さ、経営者の端くれで、東日本大震災のようなものになってどう行動できるかというものであり、水野さんも、企業の責任の重さを遺族が問い、そして経営者のこともあり、水野さん、どんな優れた経営者、上司でも判断を誤ることがあり、その時に、目下の人たちに、社長それは違うと言われることができる環境があるのが、防災だとしめくられました、以上、今週の報道するラジオでした。

 



ネットワーク1・17(2017/3/12) 東日本大震災6年 祈りに包まれる被災地、なぜ命を守れなかったのか by limitlesslife
March 12, 2017, 8:07 am
Filed under: 東日本大震災

 

永岡です、災害と防災を考えるネットワーク1・17、第1057回、今週もMBSアナウンサーの千葉猛さんと、フリーアナウンサーの野村朋未さんの司会で放送されました。

前日の、毎日放送ラジオの、しあわせの五・七・五(2017/3/11)、近藤勝重さんの、川柳な人々、東日本大震災から6年がたち、宮城県の須藤春香さんのお電話でのお話があり、大津波 みんな流して バカヤロウと詠まれて、須藤さん、何もかも失い、取り戻したものもあると言うもので、我々は須藤さんの震災直後の川柳を忘れてはいけない、南三陸町に生まれて苦労して働かれて、母親は町内の病院で亡くなり、自宅も仕事も、ご主人の父親も行方不明、全てを失い、何もない避難所で生まれて初めて詠んだ川柳、須藤さん、ラジオに久々に登場して、何度も抽選に外れた仮設にやっと入られて、今の住まいは、仮設住宅は6年も住んでおり、慣れてきても、壁は薄く、荷物も大変で、その中で近所とコミュニケーションを取り、仮設住宅の状況は、復興住宅に行った人、それを待てずに家を再建した人もあり、仮設に住む人が減り、須藤さんも公営住宅が完成して、来月そこに行けることになり、まさか6年もいることになるとは思わず、水野晶子さんは良かったと思うものの、須藤さん、良かったというのと、戻ってどうなるというのもあり、ご主人の働いていたさんさん商店街が、仮設の商店街から、1日何百杯もラーメンを作り、新しい商店街がオープンして、しかしご主人の店は10月に再開で、今失業中、これからどうなるかと思うものもあり、復興住宅の家賃など、お金の面は、今ハローワークで失業保険をもらい、須藤さんも何とかしたく、全て、これで良しではなく、近藤さん、須藤さんのお花絵が春香、近藤さんは復興が遅れている、多くの日本人が思い、6年経ってここまでか、阪神・淡路大震災は1,2年で変わり、東日本大震災で日本が総力を挙げてやったのかと言われて、須藤さん、道も整備されていないと言われて、近藤さん、復興五輪とかではなく、日本がちゃんと取り組んだのかと言われて、須藤さん、被災範囲があまりに大きく、新しいお店に来てほしいと言われても、その間の補償はないのであり、近藤さん、川柳で気持ちを吐き出すものと言われても、須藤さんは、そのような余裕はまだないと言われて、川柳クラブをつくり、作品集も3冊出されて、川柳の会を楽しみに皆さんされて、来れるのは仕事をリタイアした、一人の方も多く、そういう方々を誘って、皆さん楽しみにされており、水野さん、5年経ち 家族みたいに 過ごす日々という句があり、喪失感の中で何とか生きて、復興住宅で絆を取り戻すのが1からと言われて、須藤さん、コミュニティを再建しないとならず、離れるのも、見送るのも、寂しいものと言われて、須藤さんも新しい生活、引っ越しの荷物もまとめて、やらないといけないこともたくさんあるものであり、今は、川柳を詠む余裕は少なく、めんどくさ 3年越しの お引越し、と今詠まれて、しかし元の家に帰れるのではなく、今度引っ越しするのが終の棲家であり、近藤さん、気持ちを切り替えたらいいと指摘されて、ようやく落ち着いた暮らしができるのだと、水野さんエールを送られました。以上、須藤さんのお話でした。

 

ネットワーク1・17は東日本大震災6年、千葉さんの現地からの生中継も交えての報告です。野村さんも昨日まで被災地におられました。そして、5時前に福島で震度4の地震でした。千葉さんは宮城からの生中継、地震と津波で大きな被害を受けた宮城県女川町を取材されて、祈りをささげる皆さんを現地から報告されます。町があった場所はまだ更地、ショベルカーと工事用の小屋がある程度で、町の面影はなく、津波の犠牲者の慰霊碑があり、宮城の銀行の女川支店で12人亡くなり、そのモニュメントに千葉さんおられて、昨日の14時46分にも千葉さん行かれて、慰霊の法要があり、年配の方、小さい子供もいて、会いたい、帰っておいで、ともあり、金属の板に、東日本大震災を教訓に、職場の命を守れ、とあるのです。

野村さんは名取町閖上地区を取材されて、追悼のつどいを報告されます。昨日の14時46分を閖上地区、5000人以上の町が、平地、更地、建設中の公営住宅があり、6.3mの山が平地に姿を見せて、閖上中学の生徒も亡くなり、解体されて姿はなく、慰霊碑のところで式典、犠牲者の娘さんの父親の言葉があり、生きていたら成人式、あの時のままの顔が浮かびつらいと言われて、町は変わったと言い、閖上中学の遺族たち400人が参加して、鳩を形取った風船にメッセージを書いて届けていたのです。5000人のうち750人が亡くなり、名取町でも海に近く、高台がなく、閖上地区で家族を亡くした方、2台の車で避難して、もう1台に父親と長男がいて、自宅に戻り、大事なものを取ってくるとして、津波に飲まれてしまい、3週間後に見つかり、なぜ止めなかったのかと後悔される女性の声があり、こんな大きな津波が来るとは思っていなかったというもので、多くの方に野村さん取材されて、こんな大きな津波とは思わなかった方が多く、避難して何とか逃れた男性、液状化で奥さんと避難して、6mの警報が10mになり、公民館から中学校に避難して、10mと聞いて恐怖心、津波から何とか逃れて、3階建ての中学校に避難して助かり、再避難の際に渋滞で、津波に飲まれた方もあり、公民館の2階で助かった人もあり、東北の沿岸部は、数十年単位で津波があっても、宮城県は300年単位、過去の歴史を振り返っていなかったことへの反省もあり、閖上地区は防災無線が故障して、津波が来るとは思わず、避難所→移動で渋滞、津波に飲まれて、津波への意識が低く、避難訓練も足りなかったと、東日本大震災の被災者が後世に残さないといけない、地震→津波→逃げないといけないと皆さん言われます。

閖上の記憶で、継承されるのです。

そして、千葉さんが女川町から報告、大変寒いと言われて、マイナス1度、この町で一番大きな金融機関で働き、上司の指示で動いて津波に飲まれて、20mの津波、リアス式海岸で、市街地の建物のほとんどが流されて、金融機関は海岸から100m、12人死亡・行方不明、銀行の建物の屋上に避難しても、10mであり、一番上でも13.5mで、20mの津波に流されてしまい、なぜ屋上に避難したのか、地震→津波に30分以上あり、銀行の北に高台もあり、16.5m、町の指定避難場所、さらに上への2段階の避難をしたら助かり、銀行→高台は200m、数分で避難できて、避難場所は当初高台であったのが、屋上に避難、高台に病院、1階は浸水しても、上に行くと助かり、銀行の屋上では足りず、遺族は、なぜ高台に避難しなかったか、疑問であり、昨日はここで法要、25歳の息子さんを亡くされた遺族の方、近くに避難場所があるのに、屋上にいて亡くなり、これが疑問で、今も毎日自問自答している、どうしてあげたらよかったか、悪夢であってほしいが、悪夢ではなく現実、目が覚めて息子がいない日々を6年繰り返してきたと言われて、どうしてあげたらよかったかを繰り返した6年、入行3年目、これから活躍、結婚の予定もあり、息子の命をなぜ守れなかったか、なぜ屋上に避難させたのか、遺族は銀行を相手に裁判をして、安全配慮義務を果たしていなかったとしても、最高裁で遺族は敗訴、宮城県の津波の指針は6m、気象庁も6mと予想して、20mの津波は予測できなかったとして銀行に落ち度なし、しかし遺族は納得できず、遺体の見つかったのは4人、8人は見つからず、潜水士の免許を取って女川の海に潜る人もいて、高台に避難したくても、上司の指示で屋上、業務命令に反せず、しかし、関西にもたくさんの企業があるが、働く人の命を守る義務があり、リスナーの皆さんの会社で、働く人たちの命を守る体制はあるのかと、千葉さん訴えられました。

 

千葉さん、女川は夜が明けて、しかし海がたくさんの命を奪ったとは思われず、被災地の声を聞いて、会社の命令に反して避難できず、会社には従業員の安全を守ってほしいと言われて、野村さんも、東北から、ここは大丈夫と思ったらダメ、いつ地震、津波が来るかわからない、必ず逃げて、という声であったのです。以上、今週のネットワーク1・17でした。

 

 

 



サンテレビニュースPORT(2017/3/9) 東日本大震災6年、人と人のつながり、丹波から東北へ、被災地で活躍するシニアグループ丹(まごころ) by limitlesslife
March 9, 2017, 11:51 pm
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永岡です、サンテレビのニュースPORT、東日本大震災6年の特集、いざという時に生きるのは顔見知りの輪であると、兵庫県丹波市から東北を支援される、丹波の災害支援ボランティアネット「丹(まごころ)」、メンバーは丹波市民で、平均年齢65歳以上、これまで16回東北支援をされた「丹」について、丹波総局の速方重幸カメラマン(68歳)が同行取材された報告です。

東日本大震災、2556人が行方不明、15000人以上亡くなったもの、復興住宅への転居も進まず、仮設住宅に残った人も多く、速方さんが丹の活動を記録、リーダーの打田さんは69歳、シニアの皆さんがボランティアとして頑張り、記録するために、東北まで車を走らせており、宮城、福島でボランティア活動、丹波市からバスで東北に向かい、2014/7には速方さん同行取材、南三陸町には津波の爪痕が残り、被災者の心の傷も深く、住民は仮設から3年で出られると思ったものの思わしくなく、農業を復興される皆さんに協力して、被災地では大変に喜んでもらい、声を上げて笑うことの少ない皆さんに、丹の皆さんは力になり、この絆が続くことを願い、繰り返し東北を訪れる丹の皆さん、来てみたら、被災者の子供さんが泣いて喜んでくれて、また来ると言ったら、そのようにまた来た人は少なく、それで、被災地の方の言葉は、遠くの丹波の皆さんに重く、丹は2012年設立、和歌山の那智勝浦の台風被災地に支援に行ったのが最初で、東北での活動を続けていた際に、丹波が2014/8に豪雨に襲われて、それまで経験したことのない豪雨で、速方さん必死にカメラ取材、91ミリ/時間の豪雨、1人死亡、1500棟の浸水、広島豪雨災害と同様で、各地からボランティアの方も来てくれて、丹の行った東北・七ガ島からもボランティアに、恩返しと、地元の海産物を持って来てくれて、丹波が支えられる側になり、災害は大小は関係なく、被災者には大変で、そして丹は翌年東北にボランティア活動、繰り返すことで、つながりの強さを感じて、また会えたと言う意味は大きく、丹波に炊き出しに来てくれた漁師さんとも再会、互いのつながりを確認して、速方さん3回また同行、しかし丹は活動を一旦休止することになったというのです。

シニアの皆さんが、10数時間バスに乗って行かれるのです、以上、サンテレビのニュースの内容でした。



サンテレビニュースPORT(2017/3/8) 東日本大震災6年、兵庫から東北へ 被災地支援の継続性 by limitlesslife
March 8, 2017, 11:36 pm
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言葉に思いを乗せて支援する人々もあり、被災地に手紙を書く、早瀬由紀子さん、気仙沼の高齢の女性と手紙をやり取りして、拠点の神戸市東灘区岡本では、気仙沼支援をして、学生時代に商店街でアルバイトして、東日本大震災で、店長とともに被災地に行き、何ができるか、手紙を書いて、被災地を忘れない活動をして、商店街のポストを通して、被災地に手紙を送り、被災地から返事が来たら文通が始まり、被災地に、少しでも笑顔が、として、早瀬さん、多忙な中で、被災地の支援を行われて、子育てなどの中で、手紙での支援が有効と思い、NPO法人よろず相談所(http://npo-yorozu.com/ )の牧秀一さん、阪神・淡路大震災の支援、復興住宅の支援をされて、手紙、電話による支援が、その人との関わり合いをして、つながることが大事と言われます。 永岡です、サンテレビのニュースPORT、東日本大震災6年特集、ボランティアは年々減る中、兵庫から東北と交流する活動が取り上げられました。支援の継続、遠く離れた兵庫からの支援で、米山清美さん、西宮に住まわれて、元幼稚園の先生、子供たちが自然の中を駆け回り、思い思いにやっており、ところがこんな場は、被災地には少ないのです。

米山さん、阪神・淡路大震災で被災、4年後、西宮遊び場をつくろう会(http://www.hyogo-intercampus.ne.jp/sugoist/interview/yoneyamakiyomi )を作り、出来ることをするとして、米山さんは東日本大震災発生後、岩手県盛山市にボランティアに行き、野田村の子供たちを招き、子供たちは今年の1月17日に、追悼の行事に参加して、米山さん、交流することの大切さを、東北と西宮をつなぎ、子供たちが大人になったら考えてくれるというのです。

どんなに距離が離れていても、時間が経っても、心を交わすことが大切で、手紙は手書きが好まれて、忘れないことを伝えることが大切で、震災6年、避難者はまだ8万人、東北の震災は終わっておらず、忘れてはいけないのです、以上、サンテレビのニュースの内容でした。