Global Ethics


日本人は何も知らされていない。無知は罪なりという言葉を思い知らされる。 by limitlesslife
November 27, 2014, 4:43 am
Filed under: 基地, 差別(人種、民族、宗教、。。。), 日米,
> 大変興味を持ちました。で、それは何という本ですか?。

安保村の掟・その1 「重要な文書は、すべて最初は英語で書かれている」

安保村の掟・その2 「怖いのは原爆よりも共産主義」

安保村の掟・その3 「沖縄は『固有の領土』ではない」

===

254
しかし国務省はそうした軍部の構想には反対で、一九四六年六月には、
沖縄を「非軍事化したうえで」、つまり基本的に米軍基地をなくしたうえで、
日本に返還すべきと主張していました。
大西洋憲章に始まる「領土不拡大」の大原則があったため、

「沖縄のような大きな人口の地域を支配下におけば、アメリカは帝国主義
だという批判にさらされることになる」

「領土の拡大はアメリカの道徳的地位と政治的リーダーシップを大きく
損なうことになる」

と考えていたのです
(実際この五年後にインドは、アメリカの沖縄支配を「植民地主義」と非難し、
それを大きな理由のひとつとしてサンフランシスコ講和会議への出席を拒否しました)

同年一一月の文書でも国務省は、沖縄を非軍事化したうえで日本に
返還することをふたたび主張し、同時にアメリカの世論も、
軍部による南洋諸島の戦略的信託統治構想を、

「偽装された領土の併合である」

「国連におけるアメリカの道徳的地位を損なう」

と批判していると書いています。

===

255
今回この沖縄の返還構想に関する宮里政玄・琉球大学名誉教授と河野康子・
法政大学教授の研究書を読んで、私は大きなショックを受けました。
いままで「沖縄VSアメリカ」という構図にとらわれるあまり、こうした
国務省やアメリカ世論の動きはまったく見えていなかったからです。
「アメリカ=迫害者」という単純な図式で歴史を見てしまっていた。
しかしそれは軍部の動きだけを見ていたからで、国務省やアメリカ国民は
きちんと大西洋憲章の理念にしたがって、沖縄を返還しようとしていたのです。

もしこの一九四六年の国務省の沖縄返還構想
(米軍基地をなくしたうえでの返還)が実現していたら、
どんなによかったでしょう。
なにしろ現在のような米軍機の騒音と米軍基地による交通の分断に悩まされ
ながら、沖縄には毎年六六〇万人もの観光客がやってきているのです。

一九四六年の段階で「基地をなくしたうえでの返還」が決定されていたら、
いまごろ沖縄はハワイ(年間観光客七八〇万人)をはるかに超える
世界最高のリゾートアイランドになっていたことはまちがいありません。
さらにはその後の冷戦の歴史そのものが、現実に起きた歴史とは
大きくちがっていた可能性すらあるのです。

===

256
翌一九四七年になっても、沖縄返還をめぐる国務省と軍部の対立は
つづいていました。八月五日に国務省が作成した日本との講和条約の
草案にも、依然として沖縄を非軍事化したうえでの返還構想が
記されていたのです。

もちろん軍部(統合参謀本部)は真っ向からその案に反論し、
同年八月二六日、

「もしアメリカの沖縄領有を帝国主義だとする
非難があるなら、それに効果的に反論することこそ外交の役割である」

「帝国主義だという批判のために、アメリカの戦略的立場を変更する
ことはない」

とのべていました。
この時期、国務省と軍部はまさに一触即発状態にあったのです。

そうしたなか、一九四七年九月一九日に絶好のタイミングで
マッカーサーに届けられたのが、昭和天皇の「沖縄メッセージ」でした。
そのなかで昭和天皇は、「長期のリースというフィクション」を日本側
から提案し、「そのような占領方法は、アメリカが琉球諸島に対して
永続的な野心をもたないことを日本国民に納得させるだろう」
とのべていたのです。

その半月前の九月一日、マッカーサーは国務省へ、八月五日の
国務省の講和条約草案に対する批判的見解を伝えていました。
その大きな理由のひとつとして、マッカーサーは、

「日本人は沖縄の返還が認められることを期待していない」

と書いています。

昭和天皇の「沖縄メッセージ」は、そうしたマッカーサーの立場を
補強する役割をあきらかにはたす結果となりました。
そして、この時期をさかいに「沖縄から基地をなくしたうえでの返還構想」
は勢いを失い、代わりに講和条約第三条のトリックが
ダレスによって書かれることになったのです。

===

257
「沖縄メッセージ」は、いまではかなり有名になりましたが、
これからお話しする「もうひとつの天皇メッセージ」については、
まだ知っている人は少ないかもしれません。

それはサンフランシスコ講和条約が調印される前年の一九五〇年六月二六日に、
昭和天皇から来日中だったダレスへ送られたメッセージです
(天皇の側近である松平康昌やすまさから、パケナムという「ニューズウィーク」
東京支局長兼CIAの協力者を通じて、口頭でダレスに伝えられました)。
その内容は、約二カ月後の八月一九日に正式に文書化され、
再度ダレスに送られたため、かなりくわしくわかっています。
この文書を発見したのは、当時、拓殖大学教授だった秦郁彦氏です。
(『裕仁天皇五つの決断』」)

このメッセージもまた、非常に重大な意味をもっていました。
というのも一九四七年の「沖縄メッセージ」は、昭和天皇が日本政府の頭越しに
直接マッカーサーに伝えたものでしたが、この一九五〇年の「口頭メッセージ」は、
昭和天皇が日本政府だけでなく、マッカーサー(GHQ)も飛び越えて、
直接ダレス(アメリカ国務省)にコンタクトしたものだったからです。

そしてもっとも注目すべきは、文書化されたメッセージのなかに、
現時点で吉田首相がとっている講和条約締結に向けての基本方針がまちがい
であること、「経験豊かで日米双方より信頼されている人びと」
をこの問題にかかわらせるべきであること、
もしそうした人びとが議論に参加できれば、

「最近起きた米軍の基地継続使用問題も、日本側からの自発的な申し出で解決され、
あのようなあやまった論争を引き起こさずにすんだだろう」

と書かれていることでした。

ここでのべられている米軍の基地継続使用問題をめぐる「あのようなまちがった論争」
とは、吉田がこのメッセージの文書化作業の直前の国会答弁(同年七月二九日)
で表明していた「私は軍事基地は貸したくないと考えております」という、
米軍駐留に消極的な発言をさしていることはあきらかでした。

ですからメッセージ中の「米軍の基地継続使用問題についての日本側からの
自発的な申し出」というのは、つまり「米軍の駐留を日本側から申し出る」
ことを意味していたのです。

===

264
この沖縄だけではない、「日本の本土への米軍駐留」をめぐって生じた
昭和天皇とマッカーサーの対立は、結局、昭和天皇の勝利に終わります。
冷戦の始まりによってアメリカの世界戦略が変わり、対日軍事政策も、
従来のマッカーサー路線(本土は非武装化し、代わりに沖縄を軍事要塞
化する)から、冷戦対応型の新しい戦略(沖縄にも本土にも巨大な米軍基地
をおき、日本全体を反共の防波堤にする)に方向転換したからです。

アメリカによるこの大きな政策転換を、日本では「逆コースの始まり」
と呼んでいます。
そうした流れのなかで昭和天皇を中心とした日本の支配層も、
マッカーサー(GHQ)からダレス(アメリカ国務省)へと
軸足を移していきました。

昭和天皇がダレスへ秘密メッセージを送った翌年の四月、
マッカーサーはトルーマン大統領から電撃的に解任されます。
直接的な理由は朝鮮戦争におけるシビリアンコントロールを無視した行動でしたが、
トルーマンが自信をもってこの「第二次大戦最大の英雄」を解任できた背景には、
すでに昭和天皇と日本の支配層が軸足をダレスに移していたこともあったでしょう。

こうして占領期中に起きたアメリカの国家戦略の大転換によって、
戦後日本という国家のなかに、

「すべての軍事力と交戦権を放棄した憲法九条二項」と、

「人類史上最大の攻撃力をもつ米軍の駐留」

が共存するという、きわめて大きな矛盾が生まれてしまった。
そうした矛盾を内包したまま、「米軍が天皇制を守る」という非常に歪んだ形で、
戦後日本(安保村)の国家権力構造が完成することになったのです。

===

269
、、、九条二項には大きな問題がある。なぜなら、この条文に書かれた
「陸海空軍その他の戦力の放棄と、交戦権の放棄」は、たしかに大西洋憲章
やダンバートン・オークス提案(国連憲章の原案)の段階まではその理念
として存在していたけれども、残念ながら国連憲章そのものの理念には、
ついになりえなかったという歴史的事実があるからです。

その最大の原因は二〇六ページでのべたとおり、「集団的自衛権」
というまったく新しい概念が最終段階で国連憲章(第五一条)に加えられ
たところにあったわけですが、それはあとから歴史を振り返ってみて
初めてわかることで、九条二項が書かれた一九四六年二月の時点では、
マッカーサーもケーディスもまだその意味を知るはずもありませんでした。
だから九条二項の「戦力と交戦権の放棄」は、あくまで「国連が
世界政府として機能すること」、つまり「正規の国連軍が編成され、
戦争する権利を独占すること」を前提として書かれているのです。

ところが、冷戦の開始により、国連憲章にもとづく国連軍の編成は
実現不可能となりました。そして国連憲章五一条(集団的自衛権)が
猛威をふるい始め、「個別国家の戦争=違法」という国連の理念は
見果てぬ夢に終わります。
この世界史上の反転により、日本国内に「すべての戦力と交戦権を
放棄した憲法第九条二項」と、「人類史上最大の攻撃力をもつ米軍の駐留」
という絶対的な矛盾が生まれてしまった。
その巨大な矛盾が占領終了後も放置され、砂川裁判で爆発した結果、
法治国家崩壊という現状を招いてしまったことは
すでにご説明したとおりです。
、、、

===

274
とにかく国連憲章本来の精神にもとづき、専守防衛のしばりをかけた
最低限の防衛力をもつことを決めて、それを憲法に反映させる。

なにより重要なのは、そのとき同時に、今後は国内に外国軍基地を
おかないこと、つまり米軍を撤退させることを必ず憲法に明記し、
過去の米軍関係の密約をすべて無効にするということです。

なぜならこれもほとんど知られていないことですが、日本国内で
有事、つまり戦争状態になったとアメリカが判断した瞬間、
自衛隊は在日米軍の指揮下に入ることが密約で合意されているからです。
古関彰一・獨協大学名誉教授がアメリカの公文書から見つけました。
吉田茂首相が一九五二年七月と一九五四年二月の二度、アメリカに
口頭で約束しています。(「日米会談で甦る三〇年前の密約(上)」
『朝日ジャーナル』一九八一年五月二二日号)

本書で何度か日米合同委員会という「ウラの最高決定機関」について
お話ししましたが、この組織が誕生した原因は、実はこの
「統一指揮権密約」にあるのです。
一九五一年二月、日米安保条約をめぐる最終交渉でダレスから、
日本を再軍備させたうえで、その軍隊を米軍の指揮下におく
という条約案を見せられたとき、
吉田首相はこんな取り決めが国民の眼にふれたら大変だ、
どうしても削除してほしいと頼んだ。

その代わりに、今後そうした在日米軍に関するさまざまな問題を議論
するため、合同委員会を設けたいという提案をしたのです。
そのうえで翌一九五二年七月、口頭で統一指揮権を了承した。
つまり、そういうもっとも重要な問題については条文に明記せず、
非公開の合同委員会のなかで、あたかも対等に協議しているような
ふりをしながら、必ずアメリカの要求どおり決めることにしたわけです。
それが「安保村の幹部養成機関」である日米合同委員会の起源なのです。

===

278
、、、重要なのは「安保村」の歴史と構造を知り、一九四五年の時点に
もどったつもりで、もう一度周辺諸国との関係改善をやり直すこと、
そして米軍基地と憲法九条二項、国連憲章「敵国条項」の問題を、
ひとつの問題としてとらえ、同時に解決できるような状況をつくりだすこと。
それは過去七〇年のあいだにドイツが歩んだ道に比べれば、
はるかに楽な道となるはずです。

===

280
「なぜ戦前から戦中にかけて、
日本の軍部は国政を私物化できるようになったのか。
その原因を、大日本帝国憲法のどこに欠陥があったのか
という点から分析せよ」

GHQのマイロ・ラウレル陸軍中佐の答:

「過去の日本における政治権力の運用オペレーションを分析した結果、
数多くの権力の濫用アビューズがあったことがわかった。
そうした濫用が過去二〇年間にわたり、軍国主義者たちに日本政府を
支配させ、国政を私物化することを可能にしてきた。
(略)
日本に民主主義的な傾向がしっかりと根づくためには、次のような
悪弊アビューズを是正することが必要である。
・国民に、きちんとした人権がみとめられていないこと
・天皇に直結し、国民の意思を反映する責任のない憲法外の機関が
あること
(略)
・裁判所が裁判官ではなく、検察官によって支配されていること。
両者はともに天皇の意思の代理人であること
・政府のあらゆる部門に対して、憲法によるコントロールが欠けていること
・政府が国民の意思を政治に反映させる責任を負っていないこと
・行政部門が立法行為をおこなっていること」

===

282
日本の国家権力構造の変遷:
戦前 (昭和前期)「天皇」+日本軍+内務官僚
戦後1(昭和後期)「天皇+米軍」+財務・経済・外務・法務官僚+自民党
戦後2(平成期) 「米軍」+外務・法務官僚

===

(以上のすべて、「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」から抜粋)

Advertisements


by limitlesslife

明後日6/30(土)シンポジウム【核と先住民族】@明治学院大学白金キャンパス

紅林進です。
 私も会員になっていますアジア太平洋資料センター(PARC)などが共催
して、6月30日(土)に明治学院大学白金キャンパスにおいて開催されます
シンポジウム【核と先住民族】のご案内を転載させていただきます。事前予約は不要です。

(以下転載、転送・転載・拡散大歓迎)
△□▼□△■▽□▲□▽■△□▼□△■▽□▲□▽■△□▼□△■▽
シンポジウム 【核と先住民族】
http://parc-jp.org/freeschool/event/120630.html
     2012年6月30日(土) 13:30~17:30
@明治学院大学白金キャンパス 2 号館 2101 室
▼□△■▽□▲□▽■△□▼□△■▽□▲□▽■△□▼□△■▽□▲福島第一原発事故はいまだ完全には収束せず、
多くの人が不安をもって暮らしています。

一方で、核の脅威に晒されているのは日本の事故現場付近だけでなく、
ウラン鉱山、核廃棄物処分場、核実験場などで
既に多くの被ばく者が生み出されてきました。

なかでも先住民族がこうむっている核被害は大きいにもかかわらず、
その実態はほとんど知られていません。

福島第一原発で使用されていたウランの一部は
オーストラリアの先住民族アボリジニの大地から
採掘されたものであることがわかっています。

ウラン採掘、原発立地、あるいは核実験で
人びとはどのような影響を受けているのか、
先住民族の視点から現状を見つめ、
3.11 後の私たちの生活をとらえ直します。

▽──────▲──────▽──────▲──────▽
【日時】
2012年6月30日(土)13:30~17:30(13:00開場)

【会場】
明治学院大学白金キャンパス 2 号館 2101 室
(東京都港区白金台1-2-37)

地下鉄南北線・都営三田線「白金台駅」2 番出口より徒歩約7分
または「白金高輪駅」1 番出口より徒歩約7分、
都営浅草線「高輪台駅」A2 番出口より徒歩約7分

地図http://www.meijigakuin.ac.jp/access/index.html

【資料代】
1000 円(学生無料) ※事前予約不要【話題提供者】
・豊崎博光(フォトジャーナリスト)
「被ばくの世紀と世界の先住民族」

・玉山ともよ(総合研究大学院大学文化科学研究科博士課程)
「米国南西部の先住民族とウラン開発」

・細川弘明(アジア太平洋資料センター(PARC)代表理事)
「私たちに電気をもたらすウラン採掘の現場では……」

・満田夏花(国際環境NGO FoE Japan)
「日本の原発輸出-ベトナムの事例から」

・木村真希子(PRIME 研究員、市民外交センター)
・田辺有輝(「環境・持続社会」研究センター(JACSES))

司会:越田清和(PRIME 研究員)

【フィルム上映】
『Out of Site, Out of Mine』
(監督:デビッド・ブラッドベリ/オーストラリア/ 2011 年/ 14 分)

ウラン鉱山は、核燃料サイクルのなかで、最も放射能汚染が激しい場所と
いわれ、鉱山労働者や周辺住民の被ばく、地下水の汚染などが深刻である。
オーストラリアでは、その土地の先住民族の声や権利を無視してウラン鉱
山開発が進められてきた。本作は、先住民族へのインタビューを交えなが
ら、南オーストラリアのオリンピック・ダム鉱山の拡張開発を止めるため
に制作された。

【共催】
先住民族の10 年市民連絡会
http://indy10.sakura.ne.jp/

アジア太平洋資料センター(PARC)
http://www.parc-jp.org/index.html
明治学院大学国際平和研究所(PRIME)
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/
▽──────▲──────▽──────▲──────▽
【お問合せ】
先住民族の10 年市民連絡会
Tel/Fax:03-5932-9515
E-mail:postmaster@indy10.sakura.ne.jp
△──────▼──────△──────▼──────△