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日米NSCが画策したイスラム国人質殺害?平成維新の罠! by limitlesslife

私はヨルダンのサラヤニュースで追いかけていましたが、かなり解放の可能性があったと思います。
結論から言うと前共和党大統領候補マケインは現在中東方面の軍事委員長で活躍中。そして全て二人の犠牲者の出す時期など仕組まれたと予想されます。
ヨルダンは飛行士殺害で国王まで空軍で爆撃に参加するという経過、日本は特に後藤さんを痛ましい犠牲者として利用していくでしょう。国会での追及には特定秘密にあたるときました。この政権はとんでもない悪魔政権になり果てています。
今私たちは自分たちの命さえ守れない状況へと追いやられているのを知るべきです。
湯川さん、後藤さんのご冥福を祈ると共に、安倍政権、田布施システムを乗り越えて主権在民の国へとすすめれば。

日米NSCが画策したイスラム国人質殺害?平成維新の罠!

日米NSCが画策し進めた
イスラム国人質殺害?
 
湯川はるな氏をシリアに2度も潜入させ、
後藤健二氏をNHKを使い救出に行かせ、
戦争への道を突っ走る法整備を進め、
日本の財閥も原発、武器製造・輸出で儲けさせる!
 
平成維新の罠!
OK
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記者の目:集団的自衛権と湾岸のトラウマ=布施広(論説室) by limitlesslife

毎日新聞 2014年07月17日 東京朝刊

 ◇平和論議の原点に戻れ

集団的自衛権をめぐる論戦を見聞きしながら、ふと不安になった。論議にはよく1991年の湾岸戦争が登場するが、私が前線で取材したこの戦争はかなり誤解されているように思えるからだ。

気になるのは「湾岸のトラウマ」という言葉だ。イラクのクウェート侵攻に対し、国連決議に基づいて30カ国余りが参加した湾岸戦争。日本は130億ドルを支援したが、人的貢献を欠いて米国から「少なすぎて遅すぎる(too little, too late)」と責められた。国際社会からも評価されなかった。これが一般に知られる事実関係だろう。

では、この言葉はどんなふうに使われるか。例えば6日の朝日新聞で早稲田大の長谷部恭男教授は「(外務省は)湾岸戦争の時の『巨額の出費をしたのに感謝されなかった』、というトラウマを晴らそうとしている」として「感謝しない方がおかしいのであって、なぜ感謝されるべきことをした方が変わらねばならないのか。戦争を安易にとらえすぎている外務官僚に、自衛隊入隊を義務づけたらどうでしょう」と語っている。

他方、当時の新聞論調はだいぶ違う。湾岸戦争の停戦から約2カ月後の憲法記念日(91年5月3日)、朝日新聞の社説はこう書いた。

「今回浮き彫りになったのは、日本の政治・外交が平和主義の基本理念を積極的に発信し、世界に浸透させる努力を十分重ねておらず、むしろ憲法理念を『制約』として自らの怠慢の言い訳にしか使ってこなかった、という事実ではないだろうか」

翌92年の憲法記念日には毎日新聞の社説が「『正義の戦争などない』という正論性を、とことん詰めもしないで済ませてきた日本が、その虚を突かれたのが湾岸戦争だった」と総括し、「戦争放棄の理想という原点」を踏まえ「人的な貢献策をギリギリ詰めていく」必要性を説いている。

ここにトラウマの影はなく、両紙とも深い問題意識によって日本の在り方を反省している。どんな結論に至るにせよ、ここが模索の出発点と思うが、昨今の論戦でこうした問題意識が希薄なことに驚かされる。90年代からの課題が自然消滅、または乱暴にリセットされたかのようだ。

 ◇考え続けた保守、リベラルと差

いささか恣意(しい)的な分類と独断を許してもらえば、いわゆる「保守」の人々が湾岸戦争の「教訓」を長年考え続けたのに対し、いわゆる「リベラル」の人々は「トラウマ=忌まわしい記憶」として忘れようとする傾向が強かったのではなかろうか。このことは集団的自衛権をめぐる論戦にも影響していて、双方に優れた論考があるのは確かだが、私の目には「リベラル」の側に稚拙で雑な文章が多いように映った。「こう書くのが平和主義なんだ」という安易で根拠のない思い込みが論理の緻密さを失わせ、朝日社説が指摘した「怠慢」にも通じるような気がしたのである。

私自身は2001年の米同時多発テロ後、日本周辺の防衛と邦人保護に限って集団的自衛権の行使を認めた方がいいと思い始めた。テロもそうだが、中国や北朝鮮も含めて国際秩序の流動化が続く。憲法解釈は大事だし、閣議決定を急いだ安倍晋三政権を批判するのも当然である。だが、安全保障や国際貢献が絡むこの問題は所詮、賛成と反対では割り切れないのではないかという疑いを禁じ得ない。

国連決議を積み重ね「正義の戦争」といわれた湾岸戦争から同時テロを経て、米国は大義なきイラク戦争へ突き進んだ。これが湾岸戦争のイメージを損ない、集団安全保障の論議などに響いているのは残念だが、ともあれ米国が各国を強引に「テロとの戦争」に組み込む過程を私はつぶさに見た。米国の力が衰えた時も、肩代わり的に日本が巻き込まれる状況は生じよう。

だが、米国の力に頼りつつ米国に巻き込まれるのを警戒するのは日本の宿命的な現実であり、二律背反的な要素を使い分けて日本は平和を保ってきたともいえる。そう簡単に日本が巻き込まれるとは思わないし、巻き込まれることを自明とする必要もない。

 ◇日本の自立求める若者

昨秋、ある国立大で約100人の学生に聞いたところ、半数以上が集団的自衛権の行使容認に賛成する一方で、日米同盟について「強化」を求めた学生は2割に満たなかった。この種の調査をするたびに若者たちが日本の自立を求めていることを痛感する。

集団的自衛権をめぐる論戦は50年後100年後の日本を見据えた論議であってほしい。「私たち日本人は世界の中で、平和のためにどうしたいのか」。昔からリセットされがちな問いと向き合わない限り、行使を容認しようがしまいが、日本人は国際貢献でも安全保障でも主体的な選択はできないだろう。