Global Ethics


関西テレビニュースアンカー リアル 親の家をどう片付けるか by limitlesslife
March 14, 2015, 12:11 am
Filed under: 生死

 永岡です、関西テレビのニュースアンカー、木曜企画のリアル、今回は親の家をどう片付けるか、というものでした。
その前に、昨日パワハラでお迎えの大阪府の中原教育長、立川委員へのパワハラで、野球評論家の金村義明さん、中原氏は橋下氏と似ていて、難しい言葉を並べて、一人では何もできなかったといい、評論家の宮崎哲弥さん、辞任は唐突で、教育長は民間人を登用することになり、滋賀で最初に登用、官僚のヒエラルキーが崩れて、中原氏にも期待したものの、問題を起こして、しかし中原・橋下・松井氏は第3者委員会の決定に異議を唱え、これは統一地方選と大阪徒の住民投票での障害を除去するためと言われました。

そして、リアル、3年前に亡くなった夫の書斎を片付けた女性、しかし、捨てる決断が出来ず、高齢者の家で増えるものを片付けるものです。
神戸の遺品整理業の吉井さん、亡くなった父親の家(徳島)の整理を依頼され、一人暮らしで、ものに囲まれて亡くなり、自分で食べきれない量のものを買ってためて、吉井さん、現場を見て見積もりをされます。トラック2台+作業員8人、40万円の見積もりです。
近年、遺品整理業で、格安見積もりのあと、吹っかける業者もあり、業者によっては、不法投棄もあるのです。吉井さん、電話だけでなく、面接で話を聞いて、客の納得する価格を提示します。
2007年にもアンカーで遺品整理業を紹介し、その時はこの業界は珍しく、しかし、今は増えて、過当競争対策もいり、88歳の女性、関東にすむ娘が1週間ごとに訪問し、何かあったら駆けつけられず、それで、母を関東に呼ぶため、持ち物の整理が要り、この、物の整理も、遺品だけでなく、事前整理もあり、そして、遺品の場合、整理業者が処分するものもあるのです。
事前整理だと、他人に譲渡する場合もありますが、遺品整理だとそれが出来ず大変です。
そして、先の徳島での遺品整理、作業のためごみを処分し、この場合、奥さんが亡くなり、人が変わったと近所の人もいい、8人×6時間で整理完了、息子さんは、ほっとしたが、悲しいともいいます。
高齢化の中、親の家の整理に、多くの人が悩みます。
金村さん、両親は元気だが、ゆくゆく身につまされると思い見た、つらいと言われて、元気なうちにどうするか決めるべきで、宮崎さん、現金、宝飾品は分かるが、骨董、絵画、蔵書だと専門家でないと価値が分からず、コレクターは目録で価値を見ておかないと、安く売られることもある、宮崎さんは奥さんから本の価値を決めてくれと言われているということでした。
以上、今週のリアルでした。

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医療・看護系論文テスト 演習第一回【80分】 by limitlesslife

医療・看護系論文テスト 演習第一回【80分】
問題 次の文を読んで、以下の問いに答えなさい。
なお、解答にあたっては、「寄り添う」「向き合う」「心のケア」
は使わないこと。
問1 この村の医療はどのようなものか、説明しなさい。
(400字から500字)
問2 これからの地域医療のあり方について、あなたの考えを述べなさい。
(400字から500字)

ケア、人間として人間の世話をすること

佐久総合病院 色平哲郎 いろひらてつろう

「村での大往生は、”死”とは違うのでしょうか?」
と取材においでになった若い女性記者に訊ねられ、私は、一瞬、返答をためらった。
うかつに答えられないのである。

都会育ちの二十代の彼女は、「村」というコミュ-二ティーのありよう、
病院のベッド以外の場所で看取られる「死」のイメージを欠いたままに質問を発し
ているようだった。

言葉だけの説明だけでは、誤解・曲解されるおそれがある。

死に方を話題にする前に、多少なりとも村人の「生」を知ってもらいたかった。

「お時間があれば、村のご老人に会ってみませんか。
その後で大往生についてお話しましょうか」と私は言い、彼女を長老Sさんに
引き合わせた。

実は、村の老人との対話こそ、診療所を訪ねてくる若い医師や看護婦の
卵たちにも課している「実習」の要(かなめ)なのだ。

Sさんは、庭先でワラジをこしらえながら――この技能は村内でも4人にしか伝わっ

いない――戦争や引き揚げの苦難、かつて村をまっぷたつに割って両陣営が竹やり
を構えて行った村長選、四季折々の行事や冠婚葬祭の共同体的な意味について
とつとつと語る。

聞いているうちに、それまで「映画のなかみたい」(ある帰国子女の医学生)だった
村の風景が、若者たちにも現実のものとして認識されてくる。

やがて世代を超えたコミュニケーションに引き込まれる。

人間には誰しも語るべき歴史を「ものがたり」があり、それを受けとめたところから
ケア「向き合う関係」が始まる。

このあたりまえなことが、医学知識で頭がカチンカチンの医学生には逆に新鮮に
映るようだ。

そして彼らが、「人間=タンパク質の塊」とみる現代医学の対極に、もうひとつの
医療現場があることに気づいたら、私たちは死について語り合うことのできる
共通の土俵に立ったことになろう。

日本の医学教育では、「死は敗北、病と闘え」と教えてきたが、そうではなく
「患者と寄り添い、支えあう」、そんな医療が求められている現実に一歩近づく。

私が連れ合いと3人の子どもと暮らす南佐久郡南相木(みなみあいき)村は、
長野県の東南端、群馬県境に位置する人口1300人の山村。

こんな信州の奥山に年間数百人の医学生たちが訪ねてきてくれるのは、村自体が、
山川草木に彩られた独特の「保健・医療空間」を形成しているからだ。

日々、村人の健康は、公と私の接点である「縁側」に気軽に腰かけて
互いの体調を確認し合うような「顔と顔のつながり」、診療所―佐久病院小海分院
―佐久病院本院と二重、三重にカバーするバックアップ体制などで守られている。

医師は、この「安心のネットワーク」の結節点に位置し、村のひとつの役割を担う
ことになる。

こんなケースがあった。

村人はじつによく働く。

夏、命綱である高原野菜の収穫期ともなれば、午前2時ころから畑に出て、
夜の八時、九時まで猛烈な労働をする。

心身ともくたくたになった農家の人が、たまに「先生、点滴打ってくんねぇかな」
と診療所に来る。

生物学的には、5%のブドウ糖溶液、あるいは0.9%の生理食塩水500cc
の点滴は、カロリー計算すれば大したエネルギー補給にならない。

市販のアルカリイオン水を飲めばいいとの見方もある。

山村に赴任したての頃、点滴を打つべきかどうか逡巡していた私に
大先輩の清水茂文医師(前・佐久病院院長)は「村人の気持ちを察しなさい。
点滴は必要なのだよ」と言われた。

点滴を打ってみて、その意味が理解できた。

顔と顔の安心感は、ウラを返せば互いを監視しあい、共同体内の緊張を高める
ことにもなる。

農繁期、疲労を理由に休んでいると「サボり」と後ろ指をさされる。

しかし精根尽き果てたら労働が続けられない。

その一歩手前で村人は診療所に来て、「合法的に」1、2時間、静かに横たわり、
点滴を受ける。

それは、とても貴重な時間なのだ。

成分分析では推し量れない効果をもたらす。

打ち終わると晴れ晴れとした表情で帰っていく、、、。

この点滴は、医療行為をいうよりは、村の医師が担うひとつの役割といえるだろう。

佐久地方には昔から「ピンピンコロリ」という言葉がある。

大病を患わず、高齢までピンピン元気に働いて、コロリと死ぬ。

理想としての健康長寿を表した言い方だ。

では、ピンピンコロリ、すなわち大往生かというとちょっと違う。

少なくとも「畳のうえ」で家族に囲まれ、安らかに息を引きとってこその大往生であ
る。

全国平均で8割超の人が病院で亡くなっている現在、ここ佐久地方では5割以上
の方が家で死を迎えている(佐久病院地域ケア課統計)。

これは、物理的な条件もさりながら、畳のうえで死ぬことの文化的価値観、
つまり看取りの作法、が地域に息づいているからに他ならない。

たとえば、脳梗塞で本院に入院していた80歳のご老人は、しばしば嚥下(えんげ)
障害(食べ物を飲み下すうえでの困難)を起して気管から肺に食物を入れ、二度、
三度と誤嚥性肺炎を併発。

そのつど、抗生物質のレベルをファースト、セカンド、サード・ラインをグレードを
上げて投与して抑えたが、いよいよ切札の抗生剤も効かなくなった、、、。

「次に肺炎を起したら、どうするか、、、」と本院の担当医から相談された私は、
ご老人を家に戻した。

娘さんもヘルパー資格を取り、看取りに備えていた。

患者を病院から家に帰す時期は、医師の専門的見地からの独断というより、
村人との顔と顔の濃厚なつながりのなかで「そろそろだな」とうなずき合う
「呼吸」によって決まる。

これは、簡単には明文化しきれない。

村人たちは、身近に何人もの老人たちを見送った体験の積み重ねから、
「そろそろ」の判断を下す。

たいていドンピシャリ。

病態を実に正確に把握しているのには驚かされる。

主治医である診療所長は、患者が畳のうえで死を迎えるまで、足繁く往診に通う。

そして、できるだけ痛みをとり、患者の語りに耳を傾ける。

家族からも長く封印してきた戦争体験や、苦難の思い出をうかがうことがある。

その「心の遺言」は、詳細までを口外してはならない。

枕辺に喜寿の祝いで集まった百人もの親族の集合写真を飾って旅立ったおばあさん、
「日本はアメリカの保護国なんだよ」と言い残して亡くなったご老人、、、。

彼らの死こそ「あっぱれ」な大往生として語りつがれ、生きている者は
「わたしもあやかりたい」となるのだろう。

こうして看取りの文化は継承される。

ここでは、”死”は「地域化」されている、といえよう。

最近、都会でも「家庭医」の優れた役割が見直されてきた。

優秀なかかりつけ医が、第一線医療で適切な診断、治療を行えば、
結果として医療費が抑制されるといった文脈で語られる場合が多い。

しかし、それは家庭医への国民的ニーズの高まりの一面でしかない。

大切なのは、患者に寄り添うケアが求められているということだ。

往診体験のない大学医学部の教官が、家庭医療のあるべき姿を学生に
「指導」できるのだろうか、、、。

先日、村を訪れた医学生からこんな感想文が届いた。

「地域医療について学ぼうと思ったときに、ムラ社会に入っていくこと
がこれほどまで重要だとは感じていなかった。

むしろ大病院でないことでの診察・検査・治療上の有利、不利にばかり
考えがいっていた。

毎日、村の人のお宅にお邪魔して、ゆったりとお話を伺うことで、
村人どうしの微妙で濃密な歴史と関係性を感じることができた。

それは”感じる”しかなく、”知る”とか”理解する”という類のものではなかっ
た」

一方、長老のSさんは、こう言う。

「学生と話をしていると昔の記憶が、鮮明に蘇ってくるね。

こないだも、戦後の米や酒、塩なんかの配給切符のことを思い出した。

ボケなくていいよ。

もっといろいろ若い世代には伝えたいことがたくさんあるんだ」

思い出療法、といえようか。

街にも、見えにくいけれど、村に似た地域の原型が残され、
歴史を背負った高齢者が地域に生きている。

彼らに医者はどう向き合っていくのか。

信州の山奥の村だから特殊なのだ、と言われるかもしれない。

だが、その特殊さ、個別性のなかにこそ、人間の普遍性が
脈打っていることもあるのではないか。

=====
2004年度版ベスト・エッセイに、選ばれました。
(「人生の落第坊主」文藝春秋 日本エッセイスト・クラブ編
04年度版ベスト・エッセイ集  、、、プロ、アマ59篇の傑作を収録)
(初出 「文藝春秋」7月臨時増刊号 2003年)

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace



ネットワーク1・17 東日本大震災、増加する自殺、熊坂義裕さんのお話(2014/4/7) by limitlesslife
April 8, 2014, 11:51 am
Filed under: 災害(避難、補償、復興、), 生死

永岡です、第910回ネットワーク1・17、今週も千葉猛さんの司会で放送されました。

先週チリでマグニチュード8.2の大地震、日本にも津波が来て注意報で、青森・宮城・岩手で3万人に避難勧告が出たのです。日本で揺れなくても津波の被害のある場合があり、これは来週特集するとのことです。

今週も東日本大震災特集で、自殺者が増え、特に福島で多いのです(10人→13人→23人に年々増えています)。被災地で自殺に至るのは複雑で、まだ復興の先が見えないのが問題です。内閣府もこれを深刻にとらえ、職員を派遣しています。どうしたら自殺に歯止めをかけられるか、電話相談のよりそいホットラインを作っておられる一般社団法人、社会的包摂サポートセンター(http://279338.jp/ )代表理事で内科の医師の熊坂義裕さんのお話がありました。

自殺者は日本全体では減っているのに、被災地では増えています。

熊坂さん、お電話でのお話で、電話相談には1ヶ月に100万件!(100件ではない!)、平成25年度に14700万件!しかし、実際に相談に応じるのは2~3%ですが、3000人の相談員が365日24時間、外国人もやっています。

それだけ被災地で相談の場所が必要とされ、しかし、対面の窓口に来られる人は少ない、DV、セクシャルマイノリティ、精神疾患もあり、役所に来られず、熊坂さんのところに来るのです。

具体的には、全て受けて、整理して、個人情報もあり、返すのですが、今までこういう相談は日本に過去になく、そのためにこれだけの多さなのです。

特に、福島での自殺が多く、熊坂さん心配され、もちろん原発で、これで避難した人が、未来への展望も泣く、政府もちゃんとしてくれず、それで明日が見えないのでこうなる+家族離れ離れ+経済的に苦しく、自殺は一つだけでなく複数の要因により、福島の方は追い込まれ、それで自殺が増えているのです。

震災で家族・仕事を無くした人の自殺もあるものの、しかし被災地のみの要因だけではなく、それでも被災地で家族・家を無くして追い込まれる。それも一気に追い込まれる。福島では、酪農家の方が原発で自殺し、放射能、避難があり、その後未来に希望がなく、それで自殺に追い込まれるのです。

福島は岩手・宮城と違うものもある。福島は増え、阪神・淡路も震災の翌年から2~4年後と徐々に増えており、今回は福島、神戸と似ており、希望のないために自殺するのです。

このままだとさらに自殺者は増えており、熊坂さんもそれを防ぐため活動され、亡くなる方の7割は事前に相談され、電話相談もあり、ともかく一緒に考えるので、電話して欲しい、一人ではないのです。それが、次につながるのです。相談→未来なのです。

相談して探し出すもので、希望を見つけるもので、自殺防止ラインは、長いと60~90分相談して、問題をたくさん抱えた方も多く、相談して、緊急時は相手のところに行き解決する。解決できないこともあるが、ともかく、一人でも多くの人に相談して、思いとどまって欲しいのです。

千葉さん、3年たって増えるのが気がかりで、熊坂さん、震災の翌年は被災地でも下がり、全国でも自殺者は減ったが、被災地はこれから、国も支援して欲しく、とにかく、寄り添い、救って行きたいのです。

自殺するのは、希望が見えなくなる、特に福島でそうであり、相談で展望を開くのは難しいが、電話を聞くだけでも解決することもあり、熊坂さん根気よくアプローチし、寄り添って支えたい、それで自殺を思いとどまる人もあり、国の制度もあるが、話を聞くだけで道は開け、ぜひ電話して欲しいのです。

国や自治体が希望を見せたらいいのに、熊坂さん、国や自治体は縦割りで制約もあり、しかし自殺する人はたくさんの悩みを持ち相談していいかわからない、窓口を見つけるアウトリーチが要り、こちらから手を差し伸べるのが必要で、求められているのです。

ともかく、聴こえていない声を聞き、相談に乗るのが大事で、自殺する人は家族などに打ち明けており、それを受け取って、自殺を防ぐべきなのです。

被災地以外の人にすべきことは、がんばってとかは、ありがたいが、まだ復興途中で大変ですねとか、熊坂さんの驚くようなことを言われる場合もあり、しかし「災害はいつ来るかも知れず、自分もいつそうなるかも知れないと思うと、被災地のためであり」、「被災地は傷つき、追い討ちをかけるようなことはしてはいけない」。熊坂さん、岩手の宮古におられて、実家は福島で、しかし被災地以外では風化しており、この電話も被災地に必要なので始めたのです。これから、被災者の気持ちを理解して、末永く支援して欲しいのです。以上、熊坂さんのお話でした。

 

ニュースは河本光正さんの担当でした。

みんなの党の渡辺氏、8億円問題で党の代表を辞任します。離党と議員辞職は否定です。8億円は情報収集に使い、残高5億円は吉田氏に返済し、しかし公選法、政治資金規正法に抵触の可能性もあります。みんなの党は浅尾氏が運営します。

安倍氏、オーストラリアの首相と会談し、牛肉の関税引き下げ、オーストラリアは自動車関税撤廃を決めました。EPAは牛肉・農産品で初のもので、全農は反対しています。

福島で公立小学校の入学式が行われ、いわき市で学校を再開。双葉町からの避難で、4校の生徒、多くの子供は避難しています。双葉町は96%が年間50ミリで住民の帰還の見通しがなく、いわき市での再開です

 

リスナーより、大阪のカウンセラー、頼る人のいない人のためにやっており、聞くだけでもためになるという意見がありました。また、被災地の相談件数、自殺は氷山の一角、追い詰められた被災者をどうしたら助けられるかという意見もあり、被災地を支援すべきなのです。

 

被災地はまだ震災から立ち直っていません、この内容も私に無断でいくらでも拡散してください、被災地を見殺しにしたら、日本は破滅です!

 

ちなみに、4月15日、良い遺言(いごん)の日のイベント、法律用語では「いごん」であり、遺言・相続に関する無料の法律相談もあります(例により、弁護士の放課後、ほな行こか、からです)。

http://www.osakaben.or.jp/event/2014/2014_0415.php



by limitlesslife

報道するラジオ 阪神・淡路大震災から18年、復興の現実 千葉さんの長田報告&震災研究センター出口俊一さんのお話(2013/1/18)

 永岡です、報道するラジオ、今週も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。昨日で阪神・淡路大震災から18年、平野さんは神戸におられて今もお住まいであり、いつも接している人と報道との乖離があり、復興した、復興の例と言われることに平野さん危惧があると言われました。神戸は復興したのか、その疑問に、今持ち上がっている問題、アスベスト問題もあり、神戸は復興しているのか、今抱えている問題について、今日は報じます。

 阪神・淡路大震災18年、まず、追悼式典を千葉猛さんが取材されました。どう伝えていくかについて、改めて18年経ち、今、地震で何が起きたかを伝えていくために、JR鷹取駅近くの、小さな公園を千葉さん取材されました。5時46分に黙祷があり、手の悴む寒さで70人集まり、お坊さんも15人集まりました。追悼の集いで若い世代に震災を伝えるため、9,10歳の子供に、震災で亡くなった人へのメッセージを書いてもらうのです。ペットボトルを横半分に切り、上を取って、ろうそくを立てるペットボトルの灯篭を作り、そこにメッセージを貼るのです。道に灯篭を並べて、午前5時に灯篭に火を入れて、メッセージが道沿いに浮かぶ、300本あるのです。

 なぜ、子供たちにメッセージを書いてもらっているか、天災に人間の力は微力、助けようとしても道具なし、その間に火が来て亡くなる。そういう光景を見ているから、人間の力は非力、命の尊さを伝えて生きたい、18年欠かさずやっているのです。ここは地震のあとに火事になり、1区画に27人も亡くなったところです。地蔵堂の前には紙が貼られ、合計98人亡くなった、子供たちに震災のことを見つめて欲しい、子供たちにも追悼のつどいに来て欲しいのです。子供も自分の書いたものがあると来るのです。子供も、祖父がなくなり来た、亡くなったことは悲しい、祖父の亡くなったことを、今協力して頑張ったことを語りました。子供たちも、お地蔵さんに手を合わせて、震災のことを語っているのです。子供たちのメッセージ、亡くなった方々の分は私たちが生きる、粗末にしない、一日を大切にする、などです。1・17、助け合った日を忘れないと、子供たちが書いているのです。子供たちのメッセージを目にして、地域の人は、学校で震災を教えても体験していないから分からない、文章で涙の出ることがある、大人たちが子供たちに動かされるものもある、通じると言われました。地域の方同様、伝えたい気持ちがあるのです。

 地震を知っている世代がこつこつやって、若い世代に伝わるのです。平野さん、神戸の4割は震災を知らない人手、展示ではモニュメントもあるものの、語り継ぐものは貴重、土地の記憶を伝えるのが、次の世代に伝えるのが重要と言われました。慰霊祭とか大きいものは注目されるが、こういうものも大事なのです。千葉さんも、子供たちのメッセージに心打たれたのです。

 そして、震災から18年、復興の現実について、神戸・長田の再開発について、震災復興研究センターの出口俊一さんと、長田アスタで婦人服店を営む阿多(あた)澄夫さんがスタジオでのお話です。東京のテレビだと水野さんも違和感もあり、被災した人の感触、水野さん復興住宅からリポートし、高齢者、障害者の見守りで、東北に神戸の知恵がいると言うが、神戸のようにやると上手く行くと思っている人もいて、しかし積みあがった問題も迫っており、現実を言うと東北の方は唖然とされ、困り果て要るのです。平野さん、町並みは直っても、人間は途上なのです。それについても、千葉さんの報告で、長田区の再開発、千葉さん1月16日から長田に入り、新長田を見てビックリ、高層ビル、マンションが、アーケードのある商店街の両側にあり、長田とは下町と思っていた(水野さんそばめしを食べに行かれた)のにイメージと違う。都会的な町となり、アスタという再開発ビルが10棟あり、大阪駅前第1~4ビル、地下で繋がっているが、巨大な町になり、アスタでは巨大な町となっているのですが、地下1階、お店の入るスペースはあるのに、ほとんどシャッターが閉まり壁と化し、ところどころ開いているのみ、圧迫感すら感じる。ビルの外のとおりもシャッターの閉まっているところばかりなのです。ビルのテナントの方、「ゴーストタウンになった」、地下1階が繋がっているのに、客が分散して、1階は閑散としているのです。

 新長田南地区、神戸の副都心として2710億円かけて全国最大規模の再開発をして、20ヘクタールに40棟のビルを建てる計画が続いており、しかし地元の商店は、2700億円がどこに行った、お金かかっただけ住民が幸せになっていない、ゼネコンは儲かった、うわべだけきれい、人はいない、空き床ばかりと言われました。

 なぜ、賑わいが戻っていないのか、出口さん、なぜこうなったと住民の嘆きがあることについて、町の地元の意見が汲み尽くされず、震災前にエライ人が作っていた計画(西の副都心という計画は大昔からあった)を押し付けた。地元の人は、市民に悪いことはしないと言っていて、市民は約束を信じて、この結果なのです。18年経ち、この始末です。

 阿多さん、婦人服のお店を、親の代からやり今年で50年、そのお店、震災前は今より2筋前、西神戸センター街の長屋(借地)でやっていて、商店が路面にあった、昔ながらの商店街にあったのです。震災で寝ている時間に下敷きになったものを取り除く、階段も壊れている、でなかなか出られない。ものをどけて出て、柴犬は生きており、火の粉も飛んできた、路地の人間が出てきて、安否を確かめる状態で、火の手が店の前から噴出し、そこへ行くまで大変、シャッターも店もバラバラで、火が回り、西から火が来て3,4軒先で止まったのです。阿多さんのお宅も店もダメになったのです。

 その中で再開発、店は何とかやれて、他には仮設に行った人もいるが、7年後(2002年)に今のビルが出来て、行き場なし、今のところしかなかったのです。被災者は管理処分があり、土地を持って建物を持っていると、再開発で神戸市が土地価格を決めて、試算を計算し、結局お金を出すしかなかった。新しいビルの価格で買うのです、出資は従前の価格が1790万、今の店が2000万以上、銀行から借りて、被災して仕事が途絶え、震災特例で借り入れが出来て、新しい店舗のために借りて、空き地に立たず、取るところなし、借りるのに、銀行と折衝して借りられるかであり、何とか借りて、投資して、新しい店を出し、神戸市からは、町にマスタープランがあり、建物の模型も見せられ、阿多さんの場所、メインストリート、1階のにぎわい作り広場、3層構造の筋にあり、そこへ入ったのです。

 夢を抱いて入り、残るなら土地を買ってくれとなり、テナントとして借りるなら大家から借りるもので、長田で仕事をする選択をして、銀行も金を貸して、その後、がむしゃらに仕事をしても、管理費、返済が嵩み、真意様得に比べて負担が増えて、お客さんはあり10年はやってきたが、無理な営業をして疲れてくる、朝10時に開けて、夜の10時まで仕事をしても、リーマンショックでだめになり、これで返済の猶予をしてもらっても売り上げは落ちて、もう続けられない。お店をたたんでも、借金は残るが、もう続けられないのです。しかし土地は売れず、不動産屋は難しいといい、床の価格が出ておらず、賃料が安い(他には貸しているため)。出口さん、床が売れないこと、80平米1ヶ月1万円の家賃を安いと思うが、それで貸し出しをしている区画が同じビルにあり、阿多さんのところが落ちているのはこのためで、不動産屋さんはよく知っている。シンポジウムで、テナントから聞かされて初めて知った、安い賃料でないと神戸市も借りてくれる人なし、内装費用も神戸市が出す(阿多さんは自分で出したのに)。こんなことが一方でやられたら、阿多さんは今の物件を売ろうにも売れない、しかしこのままだと損失が増えるばかりなのです。

 千葉さん、神戸市の都市計画総局に聞くと、再開発が失敗したという意見もあるが、町の人の意見を聞いてやっているので失敗とは思わない。売れていないことは、売却は進まず、半分は神戸市のスペースで、96%は埋まり、家賃をただにしているところはないと言うと報告されました。出口さん、無料はない、内装費を行政が負担することも行政はあまり大きく言わないのです。千葉さん、固定資産税を減らしたりしたが、経済不況で仕方ないと神戸市は言うのです。しかし出口さん、都市計画総局、心配はないと95年にいい、阿多さんもそれを信じた、努力が足りないと神戸市は言うが、神戸市が住民の意見を聞いていたらこんなことにはならない、失敗、成功ではなく、現実(何とかしないといけない)を見るべき、議会でも4,5の会派が取り上げている。現実を見たら、解決策は出てくるのです。出口さん、再開発は時間もかかる、大阪の阿倍野も時間がかかり、復興に再開発をかけたことの疑問もあるのです。いかに住民の生活を取り戻すべきなのに、商売も続けられず、土地も売れない人もいる(管理費、固定資産税毎月8万円、年金で返せない、床を手放せないと身は破滅する)。計画の総括もいるが、今、何が出来るかなのです。復興が成り立っていないのです。

 千葉さん、神戸市の考え、賑わいつくりを考えており、出口さん、それだけではダメ、阿多さんの固定資産税の問題、市の条例で出来る。再開発は役所の機能も来る、若い人が長田に張り付かないとダメ、いくつも方策があり、知恵を持った人は神戸市にいる、長田を素晴らしい町にするために、神戸市も努力すべきなのです。

 このまま44棟建てる計画はそのままであり、その計画は立ち止まるべき、その前に目の前の人を助けるべきと、出口さん言われました。

 私も神戸の人間で、近くの新長田の窮状は良く知っていますが、これが、震災から18年を経た神戸市の現実です(私のいるところもゴーストタウンなのです)。リスナーより、神戸市民としてメール、神戸では一番大きな通りすらシャッター街、行政がハコモノを先行したとあり、平野さん、住民も原状回復をしたが、神戸市が経済情勢を見誤った(マンションの価格が下がっている、地下鉄海岸線も要らないのに作った)、ハコモノに頼った神戸市の行政の責任と言われました。これも、私に無断でいくらでも広げて、神戸の現状を多くの方に伝えてください(やはり、今の毎日放送ラジオだとこの報道するラジオが一番書き起こし甲斐があります)。

 なお、ラジオフォーラムですが、私は明日、所要で夕方外出するため、書き起こしは土曜の夜か、あるいは日曜のFMわいわいを聞いてやります。

 そして、キー局のラヂオきしわだの、土曜9時からのネット放送は前回、アクセスが殺到して、繋がりにくかったそうです。そのため、他の局の放送も分散して聞いて欲しいとのことなのです。

 土曜日に放送されるのは、

 5時から 札幌・三角山放送 http://www.sankakuyama.co.jp/

 6時から 福島・FMPOCO http://fm-poco.co.jp/

 8時から 宮城・FMいわぬま http://www.fm779.com/

 8時から 茨城・FMぱるるん http://fmpalulun.co.jp/

(1月26日から)4時から 石川 ラジオこまつ http://www.radiokomatsu.co.jp/

 10時半から 奈良どっとFM  http://www.nara.fm/

 明日第1回放送6時から 徳島 B・FM791  http://www.bfm.jp/

 6時から 熊本 FM791  http://fm791.jp/

10時から 鹿児島 おおすみFM http://0033fm.net/

 以上から聞けます、ご参考までに。



by limitlesslife
July 4, 2012, 4:20 am
Filed under: 生死 | Tags:

小宮山量平さんの御逝去

櫻井智志です。
理論社を創業するとともに、自らも作家・思想家として
戦後日本に大きな足跡を残した小宮山量平さん。
小宮山さんが御逝去なされたことを知らせる連絡が、
長女のかたからの封筒で届きました。
知識を日本人の主体性や独立心、自立にむけて開
拓することを絶えずわかりやすく感動的な口調でアピ
ールされていた巨大な知識人でした。
以下にご遺族のお言葉だけを伝えます。
**********************
          父から託されたことを

4月13日の早朝、父 小宮山量平が亡くなりました。
95歳、穏やかな旅立ちでした。

「長生きは命の芸術だよ」
90歳を過ぎた頃から父は、よくそんなふうに語っていました。けれど、
父のその“芸術”をもうしばらく見守っていたいという願いは叶いませんでした。

2月の末、恥骨に小さな骨折が見つかりました。痛みをこらえながら、
「1ケ月か2ケ月の我慢だね」・・・と。
自宅での療養を続ける中で、3月の半ば頃だったでしょうか、
少し体力が衰えてきていて、私を呼んでは、あれこれ思いを伝えようとすることが多くなりました。
「おかあちゃん(母をそう呼んでました)、ちっともいい世の中にならなかったねえ」
母 にそう語りかけた言葉が忘れられません。

痛みは治まったのですが、体力が更に衰えて来ました。
点滴を嫌がり、食事を拒む父に
「お父さんの覚悟かもしれない」______
母が静かにそう言いました。

4月6日、一時危篤に。けれどそれから一週間、小康状態が続きました。
心の準備をさせてくれたのだと思っています。
もうろうとする意識の中でくり返していたのは
「ありがとう、ありがとう。おもしろかったね」という言葉でした。

亡くなる2日前、待っていた冊子が届きました。2月の初めに書き上げた文章が載っています。
うれしそうに目を通して
「世界でいちばんいい文章が書けたね」・・・と私の同意を求めました。

その日の夕方のことです。父は突然 敬礼をして「がんばれよ!」と言いました。
旭川の軍隊時代に戦地へ送り出した部下たちの顔が見えたのだと思います。
“あいつらの分を生きる。
あいつらに恥ずかしくないように生きる。”
それが戦後の父の生き方だったことを、私は最後の最後に思い知らされたのでした。

「ありがとう。おもしろかったね」______
父と仲良くして下さってありがとうございました。
どうか時々父を思い出してください。時々父のことを語って下さい。
お願いします。
生前、そしてこのたび、お寄せ下さいました父へのお気持ちに
心より感謝申し上げます。

エディターズミュージアム「小宮山量平の編集室」
代表   荒 井  き ぬ 枝(長女)

妻   小宮山 うき枝
長男  小宮山 俊平
次男  小宮山 民人
次女  染 谷 理子

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コメント:死を忘れるな!生を全うせよ!


生死を習い明らめる:命か金か判る by limitlesslife

[uniting-peace][20269] たね蒔きジャーナル金曜版2012/4/20 「穏やかな死」を邪魔する医療の内幕 中村仁一さんのお話

 永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞専門編集委員の近藤勝重さんの案内で放送されました。今日は自然死とそれを邪魔する医療の内幕について、医師の中村仁一さんのお話がありました。

原発のニュース、枝野氏、大飯再稼働のために副大臣を週明けに京都・滋賀に派遣です。国会の審議日程もありこうしたとしていて、大飯以外の再稼働は無理と枝野氏言っています。他の原発のストレステストは規制庁の仕事なのです。自民・公明は規制庁への対案を出し、ここで、2大臣の問責が問題になります。

プレイバック川柳、今週近藤さんの選んだのは「放射線 飛び散る範囲が 地元です」でした。

そして、知られざる内幕の特集で中村さんのお話、お電話での出演で、中村さん京都で活躍しておられます。中村さんは特別養護老人ホームにあり、京都で一番歴史のあるところで、一般には延命治療をして、病院はそれをしないといけないところで、中村さんも延命治療、したくなくてもしないといけなかったのです。家族が希望するのですが、中村さん疑問を持たれて、子供の頃の亡くなり方は覚えていて、患者のためなのかと思っていたのです。

リスナーより、祖父が注射が原因で苦しんで亡くなり、逆にうまく見送れたリスナーもあり、最後は治療すると、痛みがあるとしないといけないが、「何もしないと痛まない」のであり、中村さん、病院時代と、特養時代で違い、病院ではやりたくても出来ない、入所者は85~90歳、家族もこれ以上苦しめたくないのでこれが出来たのです。

延命治療、家族の同意でしないのは、一切しない。酸素吸入、点滴もしない、鼻のチューブもしない、食べられないおなかの切開は論外。家族に話して、やりたくない、もういいという家族が対象なのです。人間、生きるためには食べて飲まないといけないが、命の火が消えかかると要らなくなり、無理やり入れると苦痛になり、自然死、実態は餓死で、餓死と言うと悲惨な響きがあるが、死の間際はそれで苦痛がなく、意識もぼんやりになり、いい気持ちであの世に行くのに、日本人は自然に死ぬのをこの50年見ていないのです。最後まで何かやるので、自然死を日本中が忘れている、先祖はみんなやっていたのです。

中村さん、自然死を300例は見て、これが本当の亡くなる姿で、微睡の中、不安もなく死んでいく、家族も死が怖くないのです。

近藤さん、年間115万人死ぬ時代で、多死社会になり、一人一人に考えてもらうテーマで、死の質をどうしていくのか、鎮痛剤で痛みを取り、意識もなく死ぬのか、日常を取り戻して死んでいくのか、おめでとうと言う言葉で死を提案することが新鮮であったと言われました。

中村さん、こうしたら大往生できるのではなく、こうしたら大往生できないと書いており、最後に目をつぶる瞬間に、悪くない人生であったと思えるものを求めるのです。

近藤さん、最後の瞬間に何が残るのかが問題で、中村さん、日本人は死ぬことを忘れ、医療に過大な期待を抱き、死に方=生き方、生きてきたように死ぬ、今日は昨日の続き、昨日までいい加減な人間が死ぬ時だけいいようにとは行かないのです。最後に反映されるのは今なのです。

近藤さん、今とは永遠と言われて、中村さん、自分はいつ死んでも構わない、具体的な行動があり、中村さん、70になったら棺桶を作って入られているのです。そうすると、執着が減るのです。最後には財産も地位も持って行けないが、執着心は薄れると言うのです。

死を日常として取り込む、遺影を毎年撮る人もいるし、余命6か月ならエクササイズをする、やり残したことはないのか、それをやるのがいいのです。近藤さん、余命6カ月は知らない方がいいのではと言い、中村さん、死ぬまでにやることをする(死ぬまでの練習)のです。人生にやり残しているのは何か、なのです。

ガンだと余命を短めに医者は言い(長く行って短くなったら家族から怒られる)、残される人間が自分たちのつらさを軽くするために、患者に延命してはいけないのです。通夜の席を、先にやるといい。生前葬もいい、余命いくばくもない人がやるのではなく、還暦などと同じで、生きなおすものと言うことなのです。生きることを積み重ね、今までやってきたからと、後悔が少なくなるのです。

これが、中村さんのお話でした。

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コメント:生死を習い明らめないから、泡沫のような我見・我慢・我欲・我執にとらわれ名・利(力・物:金:金字塔文明:物の豊かさ・便利)に囚われ大海のような大いなる時空の長さ・広さ・深さ・偉大なる命・心(聖・真善美:満月:帝釈網文化:命の豊かさ・平安)を犠牲にする。


小宮山量平さんに贈る by limitlesslife
April 20, 2012, 10:15 pm
Filed under: 生死 | Tags:

[uniting-peace][20267] 小宮山量平さんに贈る

 小宮山量平さん、4月13日の夕刊でご逝去を知りました。葬儀も告式も行わないという遺志は、生涯を貫く反骨の精神を堅持した証しですね。

教師という職業に自信を失い失意の日々を送っていた若い頃、あなたが世に送り出した灰谷健次郎さんの『兎の目』『太陽の子』を相次いで読む機会に恵まれました。なにかが私の心にわき出る想いでした。小宮山さん自らが選者となっている愛読者文集応募のことを知り応募しました。臨時的任用教員として時間講師時代のことを綴った文章は、三冊に及んだ『99の人生との出会い』に掲載していただき、それがあなたとの出会いでした。

あなたは戦時中も平和への意志を持ち続け、戦後は季刊雑誌『理論』に拠って、戦後の民主化と文化の創造に努めました。しかし、GHQの検閲は厳しく小宮山さん自らの評論も他の論者の文章も伏せ字や発禁の処分を受けました。あなたは児童文化に将来を期待して、大阪の野上丹治兄弟の作文集『つづり兄弟』や創作児童文学・脚本として、近藤健、今江祥智、倉本聰、灰谷健次郎など次々にすぐれた文学者を子どもたちに出会わせて下さいました。

なによりも、小宮山さんご自身が長編自伝小説『千曲川』四部作を世に送り出し、路傍の石文学賞を受賞されました。数々の評論集を出版されました。日本の出版界の前途を憂い、青少年に希望を与える営みに取り組まれました。郷土の信州と上田市とを愛して、美術館や出版ミュージアムの建設にも取りくまれました。草の根から文化を耕し続けたあなたの営みは忘れ去られることがないでしょう。小宮山さん、私達は自らの足元であなたを継承していきます。