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僕は平成12年1月21日に、甲府で生まれました。お父さんの記憶も、甲府に居たという記憶もありません。 by limitlesslife
April 25, 2015, 7:04 am
Filed under: 生老病死(誕生、認知症、葬式、・・・)

 僕は平成12年1月21日に、甲府で生まれました。お父さんの記憶も、甲府に居た
という記憶もありません。お母さんと一緒にあちらこちらで暮らし、11歳になる少し
前に甲府に引っ越して来ました。甲府ではオアシスというボランティアの団体がやって
いる「子ども会」に通い始めました。子ども会の人たちは、僕を学校に入れようと勉強
を教えてくれました。色々なことを知ることができうれしかったです。週に3日から4
日、1日2時間ほどの勉強でしたが、お蔭で、少しずつ集団にも慣れ勉強も楽しくなっ
ていきました。子ども会がある日は必ず参加しました。学校に行っても、授業がなんと
か理解できるくらいの学力がついてきたことと、子ども会に来ている他の子どもたちと
も話ができるようになってきたことから、入学の手続きを進めることになり、初めて自
分に日本国籍がないことを知りました。お母さんの友達のタイ人の女の人の子どもたち
は、みんな日本人だったので僕も自分は日本人だと思っていました。本当に驚きでした

13歳の時、甲府市の教育委員会に行って話し合い、南西中学校の2年生に入学させ
てもらうことになりました。南西中の先生も、同級生も僕にいろいろ気を使ってくれま
した。本当の意味で友達ができたのはオアシス子ども会と南西中に行ってからだと思い
ます。勉強して言葉の色々な意味が解るようになり、勉強が面白くなりました。それま
では言葉の意味が解らないことが多かったのです。本を読んだり、人と話をする中でど
んどん言葉を覚えました。自分がどんどん変わって人生が豊かになってきました。もし
学校に行かなければ、今回のように裁判もできず、ビザもないまま大きくなって、生活
を続けることもできなかったと思います。本当にオアシスの人たちや甲府市の教育委員
会の人たち、南西中学校の先生や友達に感謝しています。
学校の友達も増え、僕はバスケ部に入ったり、演劇をしたり、勉強したり本当に毎日
が充実していました。
ですが、昨年の8月1日に、入管の人に突然「君とお母さんはタイに帰りなさい」とき
つく言われて、頭の中が真っ白になりました。入管の人が他にも何か言っているのです
が、頭に入ってきませんでした。何とかして家に帰ってオアシスの人に電話をしたとき
に泣きました。僕はどうしても納得できませんでした。悲しかった。僕は同級生に知ら
れるのは恥ずかしいと思いましたが、皆の力を借りなければ裁判ができないと思うよう
になりました。同じ学年の生徒全員合唱練習の時にみんなの前で、僕の気持ちと裁判す
ることを話しました。話終わって、みんなの方を見ると泣いてくれている友だちもいて
、先生も泣いていました。そのあとすぐに友だちが「俺、駅に行って署名を集める」と
言ってくれて本当にうれしかったです。みんなに助けを求めて本当に良かったと思いま
した。そうでないとみんなにうそをついて生きていくことになってしまったと思います

同級生のお父さんやお母さん、それにオアシスの人たち、地域の人たちが集まって「
裁判を支える会」を作ってくれました。3月28日にオアシス子ども会の友達と一緒に
署名の数を確認しました。15000を超えていました。驚きと感謝の気持ちでいっぱ
いです。友だちや友だちのお父さんやお母さん、地域の人たちがいろんな催しをしてく
れて集めた署名です。
僕は日本で生まれて育ったので日本のことしか知りません。タイには行ったこともな
ければ、友だちもいません。タイ語は話せるけど読んだり書いたりできません。どうし
て退去しなければならないのか納得できないのです。僕は特に甲府に来てから一生懸命
頑張ってきたと思っています。どうして僕が日本に居られないのでしょうか?何か悪い
事でもしたのでしょうか?何か悪いことをしたのなら、教えてほしいと思います。人は
お父さんとお母さんを選ぶことができません。僕はお父さんを知りません。僕が生れた
ことは悪いことだったのでしょうか?僕は産んでくれたことを感謝しています。生んで
もらって良かったし、友だちと楽しく、一生懸命生きていきたいと思っています。どう
か僕のことを認めてほしいと思います。何も悪いことをしていないのに、なぜ罪がある
ように扱われるのでしょうか?僕が日本で生まれたことが罪なのでしょうか?僕は悔し
いです。
どうか在留を許可してください。僕たちを認めてください。僕はまだ子どもで力が足り
ません。
やっと高校に入ったばかりで、これからますます勉強をしなければなりません。どうか
力を貸してください。僕は、勉強を続け、立派な大人になって、真面目にしっかり働い
て、僕のように困ってる人がいたら手助けできる人になりたいと思います。お願いしま
す。

http://ameblo.jp/yoyogiuehara-milestone/entry-12017857997.html

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace

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私たち抜きに私たちのことを決めないで by limitlesslife
September 18, 2014, 12:15 pm
Filed under: 生老病死(誕生、認知症、葬式、・・・)

今週末土曜の2300から

私たち抜きに私たちのことを決めないで

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0920.html

認知症800万人時代に入ったといわれる今、私たちは認知症とどう向き合うのか・・
・。
この課題に取り組むため、当事者である「認知症の人たち」の声を聞きながら彼らを中
心に課題を解決していく方向へと発想を転換させた地域がある。
イギリス北部のスコットランド。ここでは、2002年、「私たち抜きに私たちのこと
を決めないで!」という一人の男性の声をきっかけに、認知症の人どうしが集まり話し
合う「認知症ワーキンググループ」が結成された。彼らの訴えをスコットランド政府が
キャッチし、認知症政策に反映させる仕組みが作られるようになってきたのだ。

認知症は早期診断、早期対応が重要と言われるが、日本では初期認知症と診断されて
も、その人がいったいどんな困難に直面するのかあまり理解されておらず、必要なサポ
ートがなかなか得られない。スコットランドでも多くの人が認知症と診断された直後に
「人生が終わった」と感じ、絶望した経験を持っていた。そこで、認知症と診断された
直後から本人を支える仕組みが必要だと、当事者がスコットランド政府に訴えて実現し
たのが「診断後サポート1年保証」といわれる制度だ。認知症と診断されると、リンク
ワーカーと呼ばれる専門職による精神的なサポートや、生活のこまごまとした困難に対
応するための支援が、最低1年間は無料で受けられるようになった。スコットランドで
は政府や支援団体が認知症に苦しむ当の本人の声を聞き、当事者の声を介護やサポート
の仕組み作りに生かすことで、”認知症とともに「よく生きる」ことは可能である”とい
うことを人々に示すことができるようになった。

ではいったい当事者の声に耳を傾けるとはどういうことなのか?それによって何がどう
変わって行くのか?
日本でも初期認知症と診断された人々が声を上げ始めた。藤田和子さんは仲間たちと
ともに「認知症を考える会」を作り、初期認知症の人への支援体制の整備を求め活動し
ている。

認知症に対する社会の理解、向き合い方のヒントを、スコットランドと日本の現場を
比較しながら考える。

語り:小野卓司アナウンサー
(内容89分)