Global Ethics


“No is a complete sentence” – ニューヨークで稲嶺市長を迎えたてい子・与那覇ートゥーシーさんのレポート by limitlesslife
May 25, 2014, 1:36 pm
Filed under: 稲嶺ススム, 辺野古, 基地, 沖縄
 

Posted: 24 May 2014 01:01 PM PDT

(5月25日に一部加筆訂正、再投稿しております)

海兵隊新基地に反対するために訪米した稲嶺進名護市長の日程は無事に終わりました。この旅のコーディネートをしたシンクタンク「新外交イニシアティブ」のフェースブックに報告や写真、報道が掲載されています。この訪米や日本や沖縄のメディアだけでなく、ニューヨークタイムズブルームバーグでも報道されました。

稲嶺市長の17日のニューヨークにおける公開イベントは「IWJ岩上安身ジャーナル」でもネット中継されており、私はバンクーバーから見ておりました。質疑応答の時間で、沖縄・名護出身で現在ニュージャージー在住のてい子・与那覇-トゥーシーさんが語った思いには圧倒されました。その夜には、ニューヨークの居酒屋で懇親会がもたれたようです。その日の感想をてい子さんが送ってくれて、私が許可をいただいてここに掲載することとなりました。   @PeacePhilosophy 乗松聡子
★☆★☆
下記の内容は単なる私の感想です。別に掲載用の原稿でも何でもありません。ウチナンチュ、ナグンチュとしての心境を分かち合いたいだけです。

去った 5/17(土)NY 沖縄県人会を中心に わったーナグンチュ達を迎えての宴会をニューヨークにある「浪人」という居酒屋で行いました。40 人程集まり貸切り状態の雰囲気の中で ウチナーウドゥイもしました。稲嶺市長さんも踊りました。Cool  で Humble な人格者だと私に話す会員達もいました。クンジャンさばくい(国頭さばくい)は空手の振りで昔から村芝居で踊られている伝統物。その踊りには男だけ 5, 6 人踊らせました。タイムスの記者: Mr. 伊集は「取材-写真を撮りますので…」と ヌガーラレ ました(笑)。

稲嶺市長が踊リ始めると 3人 の女性会員達も参加しました。
この踊りは「カジャディ風」といって歓迎する踊りで、つまり当会のメンバーが踊るものですが、歓迎される側の市長さんが踊っているので、親しみを感じ “down to the earth” な市長だと直ぐ大人気あり でした。誰もサンシンは持って来なかったので、5, 6 人程で、大合唱して合わせていました。彼はきちんと踊っていましたよ。

☞ ところで、昼間の1時からは、その居酒屋から 2, 3丁目の場所で名護市長の講演会があり勿論、私も参加。場所狭しの部屋は超満員。後で立っている人達で大勢。私は前から二番目の席。2004年の沖国大での米軍ヘリ墜落と現在の大浦湾の映像を見せての説明。稲嶺氏のスピーチの締めくくりは、その様な状況、県民の声を全く無視し「力」で成し遂げようとする日本政府…それは民主主義と言えるだろうか!? ニューヨーク でこんな事があり得る事だろうか? とても落ち着いて誰にでも納得可能な講演でした。

あの12月27日以来私の脳裏では常にぐずついていた石破茂 幹事長らに 知事は事前に直接、間接 洗脳されていた, との強い疑いもはっきりしました。知事の受信・発信 の能力を疑わざるを得ない対話スキルの限度。再選の選挙公約を破り Yes と返事した県民代表。もしそれが中近東かアフリカ、ロシア辺りなら暗殺されていると、と読谷の(元議員)山内氏の(元)書記、森木さんに私は去年そう返信しました。

さて、「瀬嵩」の濃厚な青海が映った時、私は、心臓が喉元に飛び移ったかの様な瞬間的な強烈を感じました。その海は私の母の出身地瀬嵩である。私の兄貴、石川真生の父親は6歳頃まではそこで育った。私は小学の頃  弟達と夏休みを 浜辺に近かった母の実家で過ごし, 丁度その画像に映っている場所で泳いだり貝殻を拾ったりの夏休みだった。父は戦死。終戦後の食料不足で夏休み中は お米、芋、海産物豊富な瀬嵩に私達は つまり あづけられて いたのだ。その頃はその海岸に離れた小さい森島みたいなのがあった。私は泳いでそこに這い上がった事もある。その森島に松の木が生えていたのを明確に覚えていたので、名護市長さんにそれは違う場所の海かと尋ねたら、同じ海岸であの松の木は枯れてしまったと返事をもらった。私はその時 NYC のど真ん中で 67 年前の記憶にさかのぼっていた。

今この会場で自分には二つの選択がある。ここでじっと黙って  後で行わられる歓迎会で何もなかったかの様に楽しむか、或いは、今迄堪えてきた意見を心底から発言するか…であった。会場対象の質疑応答の時間がきた。3, 4人目かに立ち上がった若い女性が、「沖縄県からN Y に 6年前にやって来ました。基地が無くなると沖縄人の生活はどうなるか?」私は、一見教養ありのこの娘さんの質問に対し苦笑した。その時私は、立ち上がらなければ、若いのに こんなウチナンチュも N Y にいるのだから ウチナーオバーとしての責任感を抱いた。そして時計をチェック。この会場は3時半まで。

実は、国際結婚した人達で沖縄を発った 終戦直後当時から1950年代、60年代、70年代…‥とのあの原点で沖縄現地への認識は Stop している人達が結構いる。沖縄は基地が必要なのだから、何故それが問題なの? と真剣にそう思っている ウチナンチュ達も多い。沖縄問題、基地問題は 何らかの理由で全く無関心か、或いは Denial、否認、否定的である。両英和言語でも対応不可能か 或いは 限界あり  の人達、又単に波風を立てたくない、故に  事 無かれ主義を選ぶ、というタイプ、それが残念な現状であろう。

実は、あの12月27日以来 私は常に石破 茂幹事長が影響していて裏に何かある…戦時中防空壕に避難していた時に B-29 と同じ位い怖かった「友軍」を思い出させるあの男、のイメージが脳裏にあった。自民党5氏が後に座っている背景で石破がマイクで話している新聞記事、それを手に取って 稲嶺氏は講演を続けていた。その新聞記事を見て、成程と直感した。NHK で見た あの日,  東京で車椅子の知事の見当意識への私の直感は命中だった。彼の思考過程と結果的な判断能力が 察知できた。パズルが解明したと思った。そして悔しくて 腹が立ち、アキサミヨ  情けなかった。
沖縄の立場、沖縄現地での上の決定者達に向かって私は話し出すつもりで手を上げた。英語で話し出した。米国に丁度50年在住している名護出身の者です、と自己紹介。さっきの県出身の娘さんの方向に向かって私は現在の新都市が Machinato Housing (マチナト  ハウジング) と 呼ばれた時代にそこに家族で住んでいたが、そこが返還されたあとの現在は実に素晴らしい都市になっている…と言った。その後、今は孫が 4 人いる話にまでなった。そしてあの時代は1ドルは 360円 だった、とさっきの娘さんに向かって追加した。それから私の話テーマの “No is a complete sentence.” (No とは完全なる文章である)と話し  それを強調する為に続けた。それはたった二文字から出来た文章なのである。

最後に沖縄人は, 米国や日本政府だけを責めるだけでなく沖縄人皆が統一して権利を威厳よく発揮せねばならないとか、そして No  はあくまでも No  である、と話し終えようとすると  途中だったが拍手された。市長さん達は同時通訳で聞いていました。私は仲井真知事の名前こそ一度も口にはしなかったが、Governor (知事) と一度言ったのを覚えている。誰にでも直ぐさとられた内容であった。講演後、ビルの外でも色んなメディアの人達とも話しあった。

仲里さん(市長秘書)は「浪人」で私に(国際結婚した人から)NY で単刀直入にしかも公衆で政治観、意見を耳にするとは大変以外で心から嬉しかったと感動をのべた。私は 非常に心温まる思いを感じ ますます勇気が湧いた。

あぁ、心理的に便秘していた課題はすっきりしました。ウチナーの為にもっと前進しよう❢

てい子より、

(旧姓: 与那覇定子  名護市字名護出身)
Teiko Yonaha-Tursi, from New Jersey

左から、名護市の仲里さん、てい子さん、稲嶺市長、岸本さん
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沖縄「復帰」42周年、名護市長訪米のタイミングで掲載されたニューヨーク・タイムズ論説「沖縄人たちの闘い」( by limitlesslife
May 23, 2014, 1:05 pm
Filed under: 稲嶺ススム, 基地, 差別, 沖縄
沖縄「復帰」42周年、名護市長訪米のタイミングで掲載されたニューヨーク・タイムズ論説「沖縄人たちの闘い」(「バトル・オブ・オキナワンズ」)Japanese translation of New York Times Op-Ed “The Battle of the Okinawans” (Norihiro Kato)

Posted: 21 May 2014 07:26 AM PDT

稲嶺進(いなみね・すすむ)名護市長が、名護市における米海兵隊新基地建設への反対を訴えるために訪米している。先週は5月16,17日とニューヨークにて市民や大学生向けの講座、識者やメディアとの会合を終えた後、19日からは首都ワシントンにて、米議会議員やシンクタンク研究員とのミーティングや公開イベントを行う予定だ。その稲嶺市長の訪米に合わせるかのごとく、そして沖縄の日本「復帰」(1972年5月15日)復帰42周年の日に、早稲田大学の加藤典洋氏の論説(オプエド)が「ニューヨーク・タイムズ」に掲載された。これはもともと日本語で書かれたものが英訳された記事だが、それをさらに「逆翻訳」して紹介する(したがって個々の表現や訳語の選び方は加藤典洋氏の元の文とは異なる可能性があることをご了承ください)。

ニューヨーク・タイムズ オプエド The New York Times Op-Ed Contributor

 

 

沖縄人たちの闘い(「バトル・オブ・オキナワンズ」)(注1)
The Battle of the Okinawans

http://www.nytimes.com/2014/05/15/opinion/kato-the-battle-of-the-okinawans.html

2014年5月14日(5月15日版 International New York Times に掲載)

 

 

加藤典洋 Norihiro Kato

 

バラク・オバマ大統領が先月の訪日を終えたとき、日米両政府は安倍晋三首相との会談の成果の概要を述べた共同声明(注2)を発表した。私が見たほぼ全ての新聞記事は2〜3の同じ問題、中でも12カ国の貿易協定である環太平洋経済連携協定(TPP)でこの2人の首脳が合意に至らなかったことに焦点を当てたが、唯一の例外は、沖縄の日刊紙、琉球新報が第1面に「在沖米軍を恒久化」という大見出しを掲げたことだった。(注3)

 

「普天間飛行場のキャンプ・シュワブへの早期移設および沖縄の基地の統合は、長期的に持続可能な米軍のプレゼンスを確かなものにする。」琉球新報は他紙が無視していた共同声明のこの一文を取り上げていた。海兵隊の航空作戦を琉球列島全体から撤去させるために、沖縄人は何十年にもわたり闘ってきた。1月に、キャンプ・シュワブが位置する沖縄本島の名護市住民は、普天間基地を市内へ移設する計画の阻止を約束した市長を圧倒的多数で再選し、安倍自民党の強力な支持を得た移設賛成の候補をしりぞけた。

 

沖縄人は東アジアで最も虐げられた人々である。前近代に琉球王国として知られていた小国は、中国と日本に同時に従属する国であった。(注4)日本は1870年代にこの島々を完全に併合(注5)すると、住民を過酷に扱った。第二次世界大戦末期の沖縄戦では住民の4人に1人が殺された。戦後は米国が琉球諸島を軍事植民地へと作り替えた。

 

1972年に沖縄が日本へ返還された後でさえ、沖縄人は日米両政府間の協定の結果として軍事目的のために搾取されてきた。日本と中国がともに領有権を主張している尖閣/釣魚諸島に近いことから、日米両政府にとっての沖縄の戦略的重要性は、近年になって増大してきた。

 

この歴史が琉球諸島の住民たちに粘り強さを植え付けた。このことは、オバマ氏が東京に到着するわずか数日前に、東京の安倍政権の担当者に面会した人物によって実際に示された。竹富町という小さな町の72歳になる教育長、慶田盛安三(けだもり・あんぞう)は、彼の地区で中学3年生に歴史修正主義的な新しい教科書を採用することを拒否したことで、文科省から呼び出しを受けた。

 

慶田盛は脅しに屈しなかった。(注6)彼は、その教科書は必要な手続きを踏んで選ばれたものではないと主張し、またその教科書は、日本の沖縄に対する無情な扱いや米軍基地の存在が引き起こしてきた問題について議論を怠るものだと抗議した。

 

すると文科省は、沖縄県の全ての中学校を監督する教育長を呼び出した。しかし彼もまた協力を辞退し、竹富町の教師らの判断を尊重すると語った。(注7)

 

この二人や、普天間基地を移設する政府の計画を阻止できるかもしれない名護市長のような人々の存在が明らかにするものは、強大な権力の前にあまりにも長く服従させられてきた人々が備え持つようになった力強さである。

 

同時に彼らは、米国への依存から脱出しようとしつつ沖縄人を搾取する日本政府の葛藤をも、一種ねじれた形で体現している。

 

日本政府の2013年度予算は、日本で米軍基地を運営し駐留する3万8千人の米国軍人と4万3千人の扶養家族を養うことに伴う費用を負担するために、およそ36億ドル[約3600億円]を配分した。(注8)これには光熱費だけでなく豪華な住宅、プールやゴルフコースの費用も含まれている。日本政府は2008年に嘉手納空軍基地の米軍の子供600人のために中学校を建設したが、近くに日本人の子供645人のために建てられた学校に比べ、建設費は2倍、広さは6倍だった。

 

著名な学者や平和運動家らが1月に署名した普天間基地の移設に反対する声明によれば、沖縄県は日本の国土面積のわずか0.6パーセントを占めるに過ぎないが、在日米軍基地の73.8パーセントがここに存在している。沖縄本島だけでも、豊かな農地を含むこの島の5分の1を基地が占めている。言うなれば、日本のこの場所は、日本政府が自らの米国への従属意識を払いのけて押し込めようとしてきた闇の世界なのだ。

 

2009年に、民主党が政権についていたとき、鳩山由紀夫首相は戦後初めて米国への依存から日本を遠ざけ、他のアジア諸国とのつながりを強調しようと試みた。普天間基地を沖縄県外に移設するという彼の約束はこの試みの焦点だった。鳩山氏はこの企てに失敗したが、普天間問題が終わったわけではない。沖縄の人々は今も基地に反対している。

 

この決意をもって沖縄の人々は、本当の抵抗運動とはどのようなものかを日本政府に思い知らせるのかも知れない。

 

 

加藤典洋(かとう・のりひろ)は文学者で早稲田大学教授。この記事はマイケル・エメリッチにより日本語から英訳された[訳者注:本和訳はそれをさらに日本語に逆翻訳したもの]。

 

 

翻訳:酒井泰幸  翻訳協力:乗松聡子

 

 

訳者注

 

  1. 原題は The Battle of the Okinawans (ザ・バトル・オブ・ザ・オキナワンズ)となっており、これは明らかに「沖縄戦」の英語表記The Battle of Okinawa (ザ・バトル・オブ・オキナワ)にかけたものであるので、それが伝わるように原題をカタカナで付記した。
  2. 日米共同声明:アジア太平洋及びこれを越えた地域の未来を形作る日本と米国 http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page3_000756.html
  3. 琉球新報電子版の記事はここ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-224346-storytopic-3.html
  4. 琉球は14世紀後半から中国との朝貢・冊封関係を持っており、「中国と日本に同時に従属する」という状態は、1609年琉球が薩摩による武力侵攻を受けて以来のものであった。
  5. 「琉球処分」と呼ばれる、日本が琉球王国を政治的圧力と武力で強制併合し、王国を滅ぼして「沖縄県」とした一連の過程。
  6. 参考記事「文科省の姿勢 不当な恫喝は許されない」(琉球新報4月19日社説)http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-223843-storytopic-11.html 参考記事「沖縄県教育長『竹富町の意向尊重』 教科書採択で文科省に」(日経4月22日) http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG22015_S4A420C1CR0000/
  7. 「八重山教科書問題」については当ブログの前田佐和子氏の寄稿を参照。「揺れる八重山の教科書選び」(2011年9月16日)http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/09/blog-post_16.html 「八重山教科書問題の深層」(2012年5月23日)http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/05/part-ii.html
  8. 防衛省・自衛隊HP「在日米軍駐留経費負担」のページを参照。http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/us_keihi/
  9. 「世界の識者と文化人による、沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明」http://peacephilosophy.blogspot.ca/2014/01/blog-post_8.html 「世界の識者と文化人による沖縄声明、100人を超える」http://peacephilosophy.blogspot.ca/2014/01/blog-post_30.html


5月17日・稲嶺進(いなみね・すすむ)名護市長ニューヨーク公開イベント 案内 by limitlesslife
May 5, 2014, 3:01 am
Filed under: 稲嶺ススム, 基地, 沖縄
Mayor Susumu INAMINE of Nago City, Okinawa to speak in New York City, Saturday May 17

Posted: 03 May 2014 07:36 AM PDT
名護市の稲嶺進市長が訪米し、5月17日はニューヨークにて公開イベント「沖縄米軍基地問題と日米関係」を行います。稲嶺氏は「海にも陸にも新たな米軍基地は造らせない」という演題で講演、そして「海外識者・文化人沖縄声明」の賛同者であるマーク・セルダン氏(沖縄を英語で発信し続ける『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』編集コーディネーター)、スティーブ・ラブソン氏(ブラウン大学名誉教授)をコメンテーターとして迎えます。ニューヨーク近辺のお知り合いに広めてください。

US Military Bases in Okinawa and the Japan-US Relationship

 

 

 

An Afternoon with Susumu INAMINE, Mayor of Nago City, Okinawa

 

 

 

Seventy years after World War II, Okinawa, devastated as a battleground in the Pacific War (1941-45), continues to be occupied by the US military, mostly marine bases, which pose threats to safety, health, and life of people and the environment. Despite steadfast opposition by the majority of the people in Okinawa, the US and Japanese governments are forcing through their plan to build yet another marine airbase with a military port. The massive reclamation required would damage the endangered bio-diverse environment of the northeastern shore. Mayor Susumu Inamine of Nago City, site of the planned base construction, was first elected in 2010 and re-elected this January, both times on a platform of opposition to the new base. This is his second visit to the United States to lobby with policymakers and to raise awareness and encourage people in the United States to support his appeal. Please join Mayor Inamine and a panel of experts to discuss what Americans can do to bring justice and democracy back to Okinawa.

 

 

 

Time and Date:

13:00 – 15:00, Saturday, May 1 7 
Place: 

Gallery of the Community Church of New York, 28 East 35 Street

(between Madison and Park Avenues), New York City

 

 

 

12:30   Door opens (Light refreshments will be served.)

 

13:00 – 15:00

 

Introduction, followed by Mayor Inamine’s presentation

 

 

“No New Base Will be Allowed in My City, Whether on Land or  Sea”

 

 

Comments and discussion by:

 

Mark Selden, Coordinator of Asia-Pacific Journal: Japan Focus

 

Steve Rabson, Emeritus Professor of Brown University

 

Followed by Questions and Answers

 

 

 

Organized by:        New Diplomacy Initiative (NDI)

 

Sponsored by:       The Action for Justice Committee of Community Church

 

Nago City

 

Peace Philosophy Centre

 

Inquiry:                   Akifumi Matsuzaki ndinitiative6@gmail.com

沖縄「100人委員会」による、知事選に向けての声明

Posted: 02 May 2014 02:06 PM PDT

 

前投稿に続き、「沖縄の平和創造と人間の尊厳回復を求める100人委員会」による沖縄知事選に向けての声明を掲載します。「100人委員会」のブログは、ここです。

 

 

沖縄県知事選挙へ向けて県民の力を結集しよう

 

 

本年11月の沖縄県知事選挙まで、およそ半年になりました。候補者の顔はまだ見えませんが、県民の関心は次第に高まりつつあります。沖縄の現状を直視し、住民の声に耳を傾ければ、県政を託すにふさわしい人物のイメージは、具体的に浮かびあがってきます。

 

まず、大切なことは、有権者との約束を誠実に守り実行する責任感の強い人物であることです。さらに、沖縄の諸問題を解決していくための道筋が、政策に具体的で明快に示されていること。そして、住民の生活と安全を守るために、住民の先頭に立って真摯に働く人物であることです。

 

 

安倍内閣の進めている内政・外交・防衛政策は、沖縄の民意とことごとく対立し、矛盾を深めています。「憲法の上に安保がある」と言われて久しい沖縄の現実は、改善されるどころか、問題が一層深刻化しています。そして今や、憲法の精神そのものが形骸化しております。沖縄の辺野古、高江、普天間、与那国、竹富等で起きていることは、深層でつながっている問題です。これらの課題に取り組むことは、憲法を取戻し、憲法の精神を蘇えらせる、崇高な闘いだと言えます。

 

 

今度の県知事選挙の争点は明確です。辺野古の新基地建設を絶対に許さない、普天間飛行場の閉鎖・オスプレイ撤去、これが最大の争点です。2006年、2010年の県知事選挙では、基地問題が争点化されず、住民の意思が反映されないもどかしさがありました。しかし、今回は辺野古や普天間を争点から外すことは出来ません。むしろ、安倍政権は正面から安保・防衛問題を争点にすえて、沖縄住民と対峙しようとしているかのようにさえ見えます。このような安倍政権の暴挙は、知事選を通して打破しなければなりません。

 

 

昨年1月、沖縄から「建白書」が安倍晋三内閣総理大臣に届けられ、オスプレイの配備撤去、普天間基地閉鎖・撤去、県内移設断念を直訴しました。これには、沖縄県内41市町村長、議会議長が署名しています。県民の総意と言えます。ところが、日本政府はこの県民の要求に応えるどころか、住民を分断し、支配する策略にでました。まず、自民党5人の国会議員が屈服し、続いて仲井真知事が脱落しました。しかし、住民の決意はゆらいでいません。今年1月の名護市長選挙での稲嶺進市長の勝利は、そのことを明確に示しています。沖縄防衛局は、名護市長選挙で示された住民の意思に挑戦するかのように、辺野古の埋め立てのためのボーリング調査に着手しています。

 

 

辺野古移設反対、普天間基地閉鎖・撤去、オスプレイ撤去の沖縄住民の声は、県外をはじめ北米や西欧にもその支持が広がっています。今年1月にオリバー・ストーン氏、ノーム・チョムスキー氏らが呼び掛けた「名護市辺野古の新基地建設中止を求める国際電子署名」は、3月末で1万人を超えています。11月の県知事選挙は、世界がその帰趨に注目しています。選挙結果が、辺野古の新基地建設断念、普天間の閉鎖・撤去に直結するからです。今や沖縄の基地問題は世界の知識人とも連帯することが出来るようになりました。この国際的連帯の輪を知事選に生かす戦略も考えなければなりません。

 

私たちは、是が非でもこの選挙に勝利し、沖縄の未来を切り拓き、基地のない沖縄の将来を創造するこれらのことを着実に実践すれば、沖縄の構造的差別を解消することも可能です。

 

 

決意を込めて、取り組むことが大切です。名護市長選挙で示された地元住民の要求を実現し、沖縄住民の意思を尊重することを知事候補者選びの基本理念とし、沖縄住民各層・各界の幅広い声を結集するために、あらゆる努力を傾注しましょう。

 

安倍政権以降、アジアの周辺国との緊張が激化しています。尖閣・竹島の領土問題、靖国参拝・慰安婦等の歴史認識問題をめぐる中国・韓国との関係悪化は、沖縄の基地問題にもつながっています。与那国への自衛隊配備は、中国との関係悪化を口実にしています。集団的自衛権の問題も、平和憲法を守ることと切り離せません。

 

 

基地問題の他にも県政の課題は山積しています。一括交付金をいかに自治体の自立に資するように活用するか、非正規雇用や失業等若者の雇用不安、消費増税と生活防衛、竹富町の教科書問題に見られる教育への政治介入問題等、いずれも憲法で保障された権利と人間の尊厳の回復にとって見過ごすことの出来ない重要な問題ばかりです。

 

今度の県知事選挙は、憲法の精神を大切にし、憲法を生活に生かす誇りある闘いでなければなりません。そのための取り組みを早急に進めることを願います。

 

 

2014年4月30日

 

 

沖縄の平和創造と人間の尊厳回復を求める100人委員会

 

 

 

顧問:大城立裕  大田昌秀  由井晶子

 

共同代表:安里英子 石原昌家 内海=宮城恵美子  上里賢一

 

高良沙哉  高良鉄美  照屋寛之  比屋根照夫



「基地問題の本質は、沖縄への構造的差別にある」 by limitlesslife
DOL特別レポート
【第422回】 2014年4月3日 ダイヤモンド・オンライン編集部

稲嶺進・名護市長独占インタビュー【後編】

一部埋め立て予定の辺野古の海と大浦湾。憩いの場である平島・長島を映した「市民が一番残したい名護の風景」だ(名護市提供)
拡大画像表示

「辺野古移設阻止」という名護市民の思いとは反対の方向に、基地問題は進み始めている。昨年末、仲井真弘多・沖縄県知事が基地建設のための辺野古埋め立て申請を承認し、政府は移設に伴う調査を今夏には開始予定で、しかもそれに対する反対行動を想定し、米軍基地や施設への侵入や情報収集などへの罰則を定めた刑事特別法の適用を調整しているという。なぜ1月の市長選で明らかになった名護市民の民意は無視され、沖縄に基地が置かれ続けなければならないのか。その背景には、「沖縄への構造的差別がある」と稲嶺進・名護市長は主張する。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 原英次郎)

稲嶺進・名護市長インタビュー【前編】「沖縄はもう基地の恩恵を受けてはいない」

名護市民の民意を無視して強行すれば
民主主義を否定することにならないか

――知事が年末に辺野古埋め立て申請を承認し、今後、移設に向けた調査や工事が行われようとしています。そうした危機的状況のなかで、今後、民意を反映させるため名護市長としてはどのような対抗策が考えられますか?

いなみね・すすむ
沖縄県名護市長。昭和46年琉球大学法文学部卒業。名護市役所採用の後、企画部企画調整課長、総務部長、平成14年から名護市収入役、平成16年から同教育長を歴任。平成22年「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」を公約に掲げ名護市長に当選。昨年12月に沖縄県知事が辺野古埋立を承認する中、1月19日に行われた同市長選挙では「すべては子どもたちの未来のために すべては未来の名護市のために」の公約を掲げ、基地推進派との一騎打ちを制し4000票以上の大差をつけて再選。趣味はマラソン。完走は16回を誇る。
Photo by Toshiaki Usami

まず、埋め立て許可権限は県知事が握っています。埋め立ての許可が出ますと、国は次の段階に移ることができ、地質の調査をしたり、埋め立ての事前の作業を行います。その際、名護市の施設を使わなければ作業がうまく進まない部分があります。

例えば、車の往来のために市道を使う、あるいは海上で作業する場合です。すぐ隣に漁港がありますから、例えば漁港を使って資材を運んだり、作業ヤードを造るには、市長に漁港の管理権がありますので、市長の許可や同意手続きが必要になります。私は、それらの作業が埋め立てを前提として行われるのならば協力はできませんということを今申し上げているわけです。

ただ、それ以前に民主主義国家として先の市長選で民意(辺野古移設反対)がはっきり示されています。選挙は民主主義の社会では一番大事な表現の方法だと思うんです。そこで出た答えを無視して移設を強行するのは、自ら民主主義を否定することになるのではないでしょうか。

従ってまずは名護市民の民意を重く受け止めて作業も含めて移設を凍結する、別の方法を考えるなど、民意を汲み取るのが民主主義国家でしょう。それでもなおと言うのであれば、私は市民の財産や安全を守るために市長に与えられた権限を行使せざるを得ません。

私は、今こうした状況にあるのは政府が思考停止状態にあるからではないかと思うんです。1996年に移設の話が持ち上がって今年で18年目になるのに何も動かなかった。つまり、この17年という歳月こそが、移設自体もともと無理な計画であり、沖縄県民に受け入れられなかったことを示していると言っていい。しかし、政府はいつも二言目には日米同盟、安保条約が大事だと言う。そういう意味でも思考停止状態、ほとんどアメリカの言いなりになっています。それは、とても悲しいですね。

日米安保は実は沖縄が
担保になって成立している

――戦前からの沖縄の歴史を簡単に振り返ると、先の大戦では日本で唯一激しい地上戦が展開され、10万人を超す沖縄県民、9万人を超す日本軍兵士がなくなりました。1952年にサンフランシスコ平和条約によって日本が独立を回復した際にも、沖縄は日本から切り離され、米国に占領されたまま取り残されました。米国の占領統治のもと、基地の建設に必要な土地は県民から強制的に収容された。

「(基地問題に揺れる沖縄の)今の状況は、『構造的差別』が作り出したものだ」
Photo by T.U.

72年に日本返還されるわけですが、米国の占領統治の間に、日本が謳歌した高度経済成長からも取り残されました。日本に復帰した後も、本土にある米軍基地は縮小される一方、沖縄にある基地はほとんど縮小されていません。日本の国土面積の0.6%に過ぎない沖縄に、米軍専用施設の74%が集中しています。

にもかかわらず、米国の占領統治時代から沖縄に関する情報は少なく、今や戦後70年近くの時が過ぎ、本土の人間の多くには、日米安全保障条約いわゆる日米同盟の存在はもはや当然のことであり、それによって日本の安全が守られているという刷り込みがあります。しかし、よくよく考えてみれば先進国で外国軍の基地が国中、特に沖縄という一地域に集中してあること自体すごく異常ですね。

そうです、世界中こんな場所はどこにもありません。だから我々は、今の状況は「構造的差別」が作り出したものだと思っているんです。

サンフランシスコ平和条約によって日本は独立を勝ち得ましたが、その時に1つの条件が、奄美大島以南を沖縄も含めて米軍の占領下に置くとういことでした。そうしたなかで、このサンフランシスコ平和条約に関連した識者の書籍などを見ると、実は米国の最終目的は、在日米軍の日本における地位を取り決めた日米地位協定だったという見方もあるんです。

逆算して見てみるとよくわかります。アメリカの最大の狙いは、アメリカが望むだけの軍隊を望むところへ望む期間だけ確保する、ということです。形としてはサンフランシスコ平和条約があり、次に日米安保条約があり、それに基づいて日米地位協定――当時は行政協定と言ったんですが、実はこの日米地位協定こそが、やっぱり今、日本にある米軍基地を自由に使え、しかも日本の憲法も法律も及ばない状況を作り出している。この地位協定を勝ち取るために日米安保条約が必要で、日米安保条約を結ぶためには、日本を独立させるためのサンフランシスコ条約があったと。実は因果関係が本当は反対だったんだという見方については、今、我々が置かれている状況からすると納得、説得力のある話だと思いますね。

――なぜ日本政府とアメリカ政府は、沖縄にこだわるように見えますか?

「もうアメリカは何も沖縄にこだわっているわけではない」
Photo by T.U.

いえ、これは日本政府が意図的に行っているものだと思います。もうアメリカは何も沖縄にこだわっているわけではありません。

さきほど構造的な差別と言いましたが、例えば海兵隊は元々沖縄にいたわけではないんです。1950年代に本土で基地の反対運動が非常に激化してきた時に、このまま放っておくと日米関係にも軋みが出るので、何とかせんといかんという事で、当時岐阜県、山梨県にいた海兵隊が全部沖縄県に移されました。

実は海兵隊が移された当時、沖縄県は米軍の占領下にありました。当時の仕組みは、琉球政府があり、今の県議会に当たるものが立法院、県知事に当たるものが行政主席でした。ただその行政主席も県民の公選ではなく、米軍の琉球軍司令官が勤める高等弁務官が任命をするものでした。また、議会で決議したものでも弁務官の発する紙一枚でひっくり返され、本当の自治は何もありませんでした。ある弁務官は「沖縄に自治があるなんて神話だ」と言ったほどやりたい放題だった。しかし、日本政府もそれをよしとしてきたわけです。東京から見えない遠いところで起こり、ほとんど情報も提供されない、知らされない中で起きたこと。ずっと沖縄に問題を閉じ込めることによって、日米安保は実は沖縄が担保になって成立していたわけで、それが今もなお続いている。

今度の辺野古移設も日本政府が問題を沖縄に閉じ込めることによって、あるいは沖縄の問題として矮小化をしておくことで、本土に住むみなさんは安心して暮らせる、それで安住の恩恵を受けていることをよしとしたのが、今の状況を作り出していると思います。

沖縄に基地が置かれ続けるのは
「抑止力」ではなく「政治的な理由」

――民主党は普天間基地の県外移設を掲げて、総選挙に勝ちましたが、結局、政権についた後で断念する結果になりました。それは、どう見ていらっしゃいましたか?

当時、鳩山首相は学べば学ぶ程に沖縄に基地があることによる抑止力が必要ということが分かり、結局戻らざるを得なかったと言っていますが、実は抑止力なんて本当の理由ではなかった。というのは民主党時代の森本防衛大臣は辞める直前に、「軍事戦略的には何も沖縄でなくてもいい」「政治的に一番適切な場所」と言っているんですね。つまり、「抑止力」と「地政学上の優位」というこの2つの意味合いを否定したわけですから、今や米軍基地は沖縄でなくても良いのです。

こうして、いわゆる抑止力や地政学的な根拠が破綻をしてしまっているのに、日本政府だけは今なお抑止力の話や、地政学的には尖閣諸島問題や中国の脅威を口実にして「だから沖縄になきゃいけない」と繰り返している。それは、いわゆる思考停止状態がそうさせているのでしょう。

もう1つ、日本政府が引けないのは、これまでに日米同盟という形で辺野古移設を何度も約束しているからでしょう。つい最近岸田文雄外務大臣は「決意を持って進める」というような話をケリー国務長官としている。要するに何度も何度も「やりますよ、頑張ります」「続けています」とずっと言っている手前、自ら方向変換できなくなっている。引っ込みがつかなくなって、やっているだけではないでしょうか。

――市長は選挙で選ばれるわけですから、民意をどう行政に反映するのかが非常に重要になります。ただ、一方で政治的には最終的に妥協が必要な場面もあります。

「『政治は妥協の産物』という話もありますけど、やっぱり妥協できないものはできない」
Photo by T.U.

「政治は妥協の産物」という話もありますけど、妥協はできるものとそうでないものがあります。例えば、この辺野古の問題は、ここで一度妥協してしまうと100年も200年もずっと残り、取り返しがつかないんですよ。ですから、やっぱり妥協できないものはできないと強く申し上げていくしかありません。

――2月中旬には、ケネディ駐日大使と面会されましたね。どのようなお話をされましたか。また大使の反応はどうでしたか。

ケネディ大使には、今回の選挙で私が再選されたことについて「選挙結果が市民の民意である。辺野古へ新基地を造ることはやめてほしい」と伝えました。また、絶滅危惧種のジュゴンやサンゴが生息する辺野古海域周辺の豊かな自然環境に加え、新基地の規模についてお伝えいたしました。大使から新基地についての言及はありませんでしたが辺野古の自然環境について非常に関心を持って聞いてもらったと思っています。



「名護市長選挙から何を学ぶか」 (沖縄・ヤンバルより…目取真俊) by limitlesslife
February 20, 2014, 2:36 am
Filed under: 稲嶺ススム, 選挙

 

M.nakata です。
メールをいつも送らせていただき、ありがとうございます。 
  
 <以下転送拡散歓迎> 
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 「名護市長選挙から何を学ぶか」 (沖縄・ヤンバルより…目取真俊)のブログ記事からの提言を、
  本土の市民・私達は、今回も都知事選の苦い分裂の問題を振り返り、
  本当に一人一人が自分の姿を謙虚に反省し、学びたいと思います。
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■ 
(貼り付け開始)
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http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/8bdb909faef6127a022fb5de9bd41fa5
 
名護市長選挙から何を学ぶか
 
2014-02-17 06:47:08 | 米軍・自衛隊・基地問題
 
以下の文章は『思想運動』2014年2月1日号に〈名護市長選挙に勝利して思うこと/この選挙から何を学ぶか〉という見出しで掲載されたものです。
 
 一月十九日に行われた沖縄県名護市長選挙は、辺野古新基地建設阻止を掲げた現職の稲嶺進氏が、建設推進を掲げた末松文信氏を破り再選を果たした。四一五五票差は前回の一五八八票の二・六倍であり、稲嶺氏の大差での勝利となった。辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない。初当選以来その公約を守り通してきた稲嶺氏を再度市長に押し上げることで名護市民は、末松氏はもとより辺野古埋め立てで結託する日本政府と仲井真弘多知事にも、はっきりと拒否の意思を示したのである。
 
● 基地問題が大きな注目点となった選挙だったが、稲嶺氏はこの四年間で名護市の財政の健全化を進めてきた。●新基地建設受け入れとリンクした再編交付金を打ち切られても、市政を滞らせることなく、●市の一般会計予算や建設事業費、基金積立額を前市政よりも増やしている。●そのような実務面での実績があってはじめて、金(振興策)で票を買おうとする日本政府の圧力をはねのけられた。
 
 ●稲嶺氏は市長になってからも毎朝、地域の子どもたちの通学時に横断歩道に立ち、交通安全指導をやっている。●選挙になれば「子育て支援」を公約にする政治家は多いが、たんに予算配分を論じるだけでなく、●地域で教育活動を普段着でやっている姿を市民は見てきた。●真面目な人柄への市民の信頼は一朝一夕でできたものではなく、それだけ根強い支持を生み出していた。
 
 名護市長選挙では毎回、全国から多くの人が応援にやってくる。選挙期間中は、政党、市民団体関係者、市民活動家で名護はあふれかえる。名護市で暮らしている者の一人として、新基地建設に反対するためやってきた人たちに対しては感謝しなければならないのだろうが、●本稿ではあえて苦言を呈しておきたい。名護市長選挙を共にたたかって勝利の美酒を味わうのはいい。●しかし、問題はその後だ。
 
 ●今のヤマトゥに名護市のように社民党・共産党が共闘して首長選挙に勝利する自治体がどれだけあるだろうか。●かつての革新自治体はどこに消えたのか。●消えた原因はなんなのか。自分が生まれ育った自治体、住んでいる自治体は保守王国で、●住民は基地問題に関心がない。そういう現状があるなら、それを変えるために名護市の選挙から何を学ぶのか。●稲嶺氏の当選を喜ぶと同時に、そのことを真剣に考えなければならないはずだ。
 
 ●その際、沖縄は軍事基地が身近にあるから住民の意識が違う。●そういう安易な発想はやめてほしい。●私が生まれ育った今帰仁村は、米軍基地も自衛隊基地もない農村だが、一九六八年以来革新系の首長が続いている。●一方で嘉手納町のように町面積の八三パーセントを米軍基地に占拠されていながら、保守系の首長が続いている自治体もある。
 
 ●名護市にしても、かつての革新共闘では市長選をたたかえず、★保革相乗りで稲嶺氏を当選させている状況だ。●辺野古の海にも陸にも新しい基地は造らせない、という一致点で結集するために、●既存のキャンプ・シュワブや日米安保条約、自衛隊の問題は棚上げにしている問題もある。
 
 その共闘のあり方は十一月の県知事選挙にも影響していく。●自民党の内部対立や公明党の動向、革新共闘解体と共産党排除を進め、●県知事選挙を保・保対決に持ち込もうとする動きなどによく目を凝らしておきたい。
 
ジャンル: 
政治
キーワード: 
名護市長選挙自衛隊基地日米安保条約革新自治体
 
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[米大使・市長会談]切実な訴えは届いたか by limitlesslife
February 13, 2014, 11:28 pm
Filed under: 稲嶺ススム, 辺野古, 日米, 沖縄

琉球朝日放送(2014年2月13日 11時45分)

稲嶺名護市長 ケネディ大使に「辺野古反対」伝える

http://www.qab.co.jp/news/2014021349885.html

沖縄を訪問しているケネディ駐日大使は、12日名護市の稲嶺市長とおよそ20分間にわたり会談しました。

ケネディ大使は、12日夕方、知事や議員、各市町村の首長らを招いて開かれたレセプションに出席。スピーチでは父親と沖縄とのかかわりや訪問先の印象を話していました。

公の場では、辺野古については、触れることがなかった大使ですが、この直前、名護市の稲嶺市長とおよそ20分間、会談していました。

総領事から会談のオファーがあったのはいつですか?という質問に市長は「きょう(12日)です」と話し、「(辺野古の)写真などを使って説明を致しまして、こんなに素晴らしいところです、と(説明した)」「今度の選挙の結果が移設反対を示しているのだと伝えました」と言いました。

移設問題について大使から具体的な話はなかったものの、稲嶺市長の「移設反対を大統領に伝えてほしい」という要請に、「わかりました」と話したということです。

琉球新報社説2014年2月13日 05:10 より

[米大使・市長会談]切実な訴えは届いたか

 沖縄を訪れている米国のキャロライン・ケネディ駐日大使は12日、那覇市のホテルで、稲嶺進名護市長に会い、米軍普天間飛行場の辺野古移設について意見を聞いた。

 米側からの申し出で、当日になって急に決まった日程である。

 稲嶺市長は、ジュゴンやサンゴの写真を見せながら説明し、生物多様性に富んだ辺野古の海を「埋め立てるべきではない」と訴えた。ケネディ大使から明確な回答はなかったが、「非常に関心を持っておられる雰囲気だった」(稲嶺市長)という。

 会談時間約20分。那覇市内で開かれたレセプションの前の、わずかな時間を利用しての会談であった。

 今回の沖縄訪問は、パブリック・ディプロマシー(対市民外交)の側面を色濃く持っている。外国の一般市民や世論、NGOなどに働きかけ、自国の政策への理解を深めたり影響を与えたりするのが対市民外交である。

 大使は、12日に糸満市の「平和の礎」や首里城、首里高校を訪ね、首里高では高校生と親しく接する機会を持った。ここにも本人が得意とする対市民外交の性格がよく表れている。

 他国の世論を正確に把握し、「大統領や国務大臣などに報告・助言する」のも対市民外交の重要なねらいである。

 過重な基地負担と辺野古の海の生物多様性、沖縄の多数意見を正面から受け止め、政策判断を誤らないようオバマ大統領に適切な助言をすること-ケネディ大使にはそれを求めたい。

    ■    ■

 ケネディ大使は午前中、仲井真弘多知事に会った。面談時間約25分。大使は「burden(重荷)」という言葉を使って、こう語った。

 「基地の重荷の軽減に力を尽くしていかなければならない」

 普天間の危険性除去だけに焦点を当てると、辺野古に移設することが「重荷」の解消につながるように見えるが、それは事の一面を語っているにすぎない。

 県内に米軍飛行場を新設し、北部地域に拠点集約化する試みは、県民に半永久的に負担を強いることを意味する。そもそも「負担軽減」と「抑止力維持」という相反する政策を沖縄の中だけで達成しようとすることに大きな無理がある。

 オバマ大統領に近い「人権重視のリベラル派弁護士」と形容される大使にぜひ考えてもらいたいことがある。それは米国民の権利保護と沖縄住民の権利保護の関係である。

    ■    ■

 もし米本国で辺野古と同じような事例が起きた場合、米政府は、基地建設のため米国民や地元自治体の意思を無視して埋め立てを強行するだろうか。

 沖縄では、米軍は地位協定によって「特権づくし」の状態にある。地域住民は、米国民が享受している米本国の法律の保護を受けられず、日本の国内法による保護も受けられない場合がある。

 米軍絡みの事件事故が発生したとき、地域住民はしばしば「法のクレバス」に落ち込む。それが沖縄の現実だ。



稲嶺ススム後援会から礼状届く by limitlesslife
January 31, 2014, 12:16 am
Filed under: 稲嶺ススム
知人友人の皆さんへ
        杉浦公昭

 

2014年01月30日

Posted by kyutono9 at 23:38 Comments( 0 ) │ 平和の文化

稲嶺ススム後援会から礼状届く

「稲嶺ススムさんを応援する本土の会」呼びかけ世話人代表 杉浦公昭

 「辺野古の海にも陸にも基地は作らせない」と公約した稲嶺ススム名護市長候補への応援とカンパ真に有難う御座いました。心から感謝いたします。私たちが応援した稲嶺ススムさんが、19,839票を得て相手候補と4,155票差で当選を勝ち取りました。昨日、稲嶺ススム後援会から礼状と領収書が届きましたので、その写しを添付してお届け致します。(PCが下手で画面を固定できませんでしてので済みませんが、画面を右に90度回転してご覧ください)。

税額控除の件ですが、稲嶺ススム後援会事務所から法律で政令都市以外は税額控除できないことになっているので、皆さんに宜しくお伝え下さいとのことでした。なお、領収書をカンパされました個々人に切ると大変な作業に成りますので、代表の方宛にまとめて切らせて頂いたとのことでした。なにとぞご理解とご了承をお願い致します。

本日は瀬長亀次郎と民衆資料館館・「不屈館」館長の内村千尋さん(瀬長亀次郎の次女)の1月29日付琉球新報掲載の随筆を「沖縄日記」さんの紹介により引用させて頂きますので、時間のある方はお読み下されば幸いです。

                           敬具。

———————————————————————

以下随筆内容

名護市民の今回の選択は、政府のあからさまな金をちらつかせた利益誘導にも屈せず誇りある決断をしたことに、心から敬意を表したい。
 それに引き換え、昨年11月26日付1面の写真、石破茂幹事長の後方でうなだれている沖縄選出の自民党国会議員たち、あまりに惨めで、恥ずかしく、正視できない写真だった。県民との公約を裏切った姿を県民は決して忘れないだろう。
宣誓拒否の写真
 その日以来、「不屈館」の1枚の写真が注目を集めている。1952年4月1日、琉球大学本館で行われた琉球政府創立式典での、米軍への宣誓拒否の写真である。居並ぶ米軍高官の前で立法院議員(現在の県議)が起立して米軍への忠誠を誓う式典で、ただ1人最後尾に鳥打ち帽をかぶったまま座っているのは瀬長亀次郎だった。
 亀次郎は、ハーグ陸戦条約の「占領地の住民に忠誠を強制してはならない」という国際法を根拠にして座っていた。県民に選ばれた議員であり、県民には忠誠を誓うが、米軍に忠誠を誓う必要はないと堂々と座っていた。その場にいた人は「こんなに勇気のある人がいるのかと鳥肌が立った」「亀次郎さん殺されないだろうか」と心配したという。
 その時以来、亀次郎にはすさまじい弾圧が降りかかった。翌53年4月3日、米軍は布令109号「土地収用令」を出し、軍事基地拡張の新たな土地接収が通告された。農民は激しく抵抗し、その闘いを支援していた人民党や亀次郎に弾圧が降りかかった。島外退去命令が出ていた奄美大島出身の人民党員をかくまうことに関わったという罪で逮捕され、弁護士もつけず、軍事法廷で2カ年の刑が言い渡された。その逮捕は不当であると、集会の準備をしていた人も次々逮捕され、40人余の人民党員、支持者が逮捕された「人民党弾圧事件」である。
 亀次郎は刑期を終えて出獄し、それから8カ月後に行われた那覇市長選挙に立候補した。米軍はさまざまな妨害をした。亀次郎の体が蛇になった漫画など数種類のビラをヘリコプターでばらまいた。それでも市民は屈することなく、亀次郎を那覇市長に当選させた。
 米軍は就任前から弾圧をふりかざした。米軍からの補助金を打ち切り、銀行も那覇市の預金を凍結した。だが、兵糧攻めにすれば辞めるだろうとの考えは、市民の反撃によって打ち砕かれた。あの生活が苦しい時代に、借りてでも市民税を納める市民の行列ができたという。
 那覇市議会の中には、米軍に睨(にら)まれたら商売ができない、米軍に協力した方がいいという勢力があり、瀬長市長の不信任を画策し、バージャー民政官とたびたび密会している市議がいた。それは現在の仲井真弘多知事の父、仲井真元楷(げんかい)一議だった。何という歴史の皮肉だろうか。今度は息子が東京で閣僚たちと密会し、県民を分断する決断をし、新たな苦難を県民に押し付けている。
繰り返すアメとムチ
 現在の状況と瀬長市長のころの状況が、あまりにも似ていて、これから降りかかるだろう困難を乗り切るヒントになればとの思いで、あえて57年前の出来事を記した。
 当時は米軍が、今度は日本政府が、「アメとムチ」で迫ってくる。しかし今は、県民が米軍の弾圧を恐れず活動ができ、パスポートなしで自由に県外へ行ける。インターネットでさまざまな情報を発信できる時代である。みんなで名護市長を支えていける。「ふるさと納税」も続けよう。弁護士や研究者は知恵を出そう。瀬長市長は当時、沖縄の弁護士が弾圧を恐れて協力せず、東京の自由法曹団や自由人権協会に協力を求め、法律的なアドバイスを受けていた。その時の手紙も残されている。
 民主的な選挙で選ばれた市長を、米軍は一片の布令で追放した、それが国際的に非難され、沖縄統治政策を見直すきっかけになったという。安倍政権の沖縄への理不尽な基地押し付けが国際的に見ても許されるはずはない。海外の著名な識者29人の声明にはとても励まされた。
 私も以前から、沖縄の基地問題は国際世論を動かさないと解決しないと思っていた。特にアメリカの国民は沖縄の現実を知らない。自国の軍隊がレイプ、殺人などひどいことをするはずがない等の声がある。以前、今回の海外識者声明に参加した1人であるマイケル・ムーア監督の映画を見た感想を新聞に投稿し、「次は沖縄の映画を作ってください」と提案したことがある。昨年のオリバー・ストーン監督の講演会の時も、「沖縄の映画を作ってください」との呼び掛けに聴衆が万雷の拍手を送った。2人の監督がタッグを組めばすごいインパクトのある映画ができるだろう。世界中の人に見てもらえる映画作りに期待したい。
 仲井真知事の辺野古埋め立て申請の承認を受け、不屈館では辺野古の闘いの歴史が学べるように、写真やDVDなどの資料展の準備をしている。壁には次のようなポスターを掲示している。
 県民よ!
 今こそ立ち上がろう、迫りくる嵐から子、孫を守るガジュマルになろう
 強く深く根を張って、沖縄の大地と海をまもろう!
 連帯の握手を送る  
               瀬長亀次郎
 沖縄の戦後史から学ぶことは数多くあり、先輩たちの闘いに学び、そのことに誇りを持ち、不屈に闘おう。 (「不屈館」瀬長亀次郎と民衆資料館長)
(随時掲載)
 うちむら・ちひろ 1945年生まれ。手工芸作家。元衆院議員瀬長亀次郎の次女。昨年3月に亀次郎の残した資料を中心に展示する「不屈館」を那覇市若狭に開設。編著に「瀬長フミと亀次郎」