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小出先生 ラジオフォーラム2014/10/25のお話(政府はSPEEDIを放棄し責任を取らない)&孫たちへの証言、私たちの記憶を風化させない、福山琢磨さんのお話 by limitlesslife

永岡です、第94回ラジオフォーラム、今週は社会学者の景山佳代子さんの司会で放送されました。今週も朝のFMharoと夕方の三角山放送を聞きました。三角山放送で、小出先生の原発の話を聞かないといけないとのコメントがありました。

リスナーから番組にメッセージがたくさんあり、第88回で原発賠償関西訴訟を取り上げたら、関西サポーターに参加したとの声、県外の避難者のことをしり、世の中に埋もれた声を届けて欲しいという声もありました。市民の視点から、歴史を見直し、新たなものも見えてくるのです。

今週のゲストは自分史研究家の福山琢磨さん、戦争の証言を記録・伝承しておられ、戦争の記憶を孫たちに伝承する意義について語られます。証言集を出版され、この番組、当事者の声を聞いて行きます。ラジオフォーラムは当事者の声を伝えるのです。

前半のテーマは記憶を記録する意義、景山さん天満(日本最長の商店街、天神橋筋商店街のところ)にお住まいで、お年寄りに目をむけ、戦争体験を聞きたいと思い、あの記憶を風化させてはいけないという孫たちへの証言を知り、今年で27集、これを1984年から活動、87年から出版されています。証言集、広島での空襲体験、焼夷弾が落ちて直撃、限界状況では自分が早くこの地獄から逃れたかったというのです。子供が、目の前で人が無残に殺される記憶を見せられます。

福山さん、自分史を始めたのが84年、50歳のときで、日本の高齢化社会の入り口、当時戦後40年、今書いておかないといけない動きになり、自分史を始めて、自分史は成功者の体験談だけではなく、本にするのは、本にしなくても、子孫に分かるように記録するもので、記録を残すのが自分史。本にするからハードルが高くなり、ノートに書き込み、生まれたときの記録、名前の意味などを400の質問・インタビューになり、思いついたところからやる。

そうすると、400ある質問から150くらい書けて、そういう記録を残し、書き残すことが意味があり、ノート、本に残し、生き続ける。記録は時代を超えて子孫に残る。自分がどういう考えで残したか意味がある。

景山さんの祖父は、景山さんの生まれる前に亡くなり、祖父が大阪の学校に勤め、テニスで優勝したトロフィー、戦争への物資供出で取られて、トロフィーを取り上げないと戦争できない国とは何かと思われ、この話、叔父や伯母から聞き、これを次世代に伝えたいと言われて、福山さん、書くことで永遠に伝えられる。記憶は風化し、記憶を記録するのが大事、親、祖父母の立場で伝えるとインパクトがあり、身近なところに先人がいて、伝えるのは大事なのです。

景山さんも身近な人からしか聞けず、しかし体験を想像し、顔も知らない人も話を聞ける、他人との関わりも自分史で聞けると言われました。

 

小出裕章ジャーナル、今週の小出先生のお話はSPEEDIのことで、原発事故の際の放射能の拡散を予測するもの、福島では住民避難に活用されず、今回(8/25)規制委が予算大幅削減、避難に使わないもののとした(10/8)、SPEEDIが格下げされ、ではどうして避難するか、規制委は実測値を重視するもので、しかし実測値は福島でもほとんど得られず、原発の近くのオフサイトセンター(国の検査官が常駐)に線量計が設置されていたのに、役人は事故で住民を捨ててトンズラしてしまい、放射線は測定されなかった、機械はごくまばらにしか配置されず、住民はこれでは避難できず、だから実測値ではなくSPEEDIの計算が必要なのです。

79年のスリーマイル事故以来、各国は放射能拡散の予測を始めて、日本も130億SPEEDIに使い、しかし福島事故では、計算結果を米軍には渡したのに住民には伝えず、住民は国に見捨てられた、国は都合悪いものは無視するのです。

防災、減災のために、計算値+実測値がいり、しかし実測値はまばらで、SPEEDIは必要で、住民に知らせて避難させるべきなのです。

(永岡補足:災害情報は、台風では予測値で警報等を出すことから分かるように、災害対策の基本は予測で、実測値では間に合いません。また、科学の世界では実測できないものを予測・計算するのは常識で、予測放棄は科学の否定です)

予測は、放射能の動きを知るもので、しかし実測ならもう放射能は来ており、それでは逃げられない、被曝を避けるには実測値と計算値が要るのに、SPEEDIを使わないのは歴史を逆に戻すものです。

欧米ではSPEEDIのようなものは開発され、放射能の動き、福島事故で日本政府が隠しても、ドイツ、フランスが公表したのです。だから、SPEEDIの代替案は何もなく、大気拡散は普遍的、風でどこに流れるか計算でき、しかしきっちりした計算には時間・経験・お金も要り、SPEEDIも20年かけて制作し、これを捨てるなら、お金をかけた責任者の追求が要り、民間も計算コードを持つが、事故時に、国家がSPEEDIを使わないなら国家が責任を持つべきであり、規制委、保安院が責任を取るべきなのです。

ひとつの指標に過ぎないSPEEDIすらなくなると問題で、規制委、原発の再稼動を判断し、川内は機械そのものは基準に合致するとしたが、事故は起こらないとは言ってはおらず、避難計画は自治体に丸投げであり、しかし自治体に対処できず、避難計画もまともには出来ない=再稼動は許されないのです。以上、今週の小出先生のお話でした。やり取り全文は以下にあります。

http://www.rafjp.org/koidejournal/no94/

維持会員からのメッセージ、88回を聞いてカンパした人などありました。

ここで音楽、ビクターヤング、エデンの東です。これも、ユーチューブにありました。

http://www.youtube.com/watch?v=3rHpcOrbZXQ

 

後半のお話。戦争証言から何が分かるがであり、孫たちへの証言27集が2014年に出版され、過去に約17000通寄せられ、掲載されたのは約2100であり、27集では、597の応募があり、応募者の平均年齢81歳、証言者は高齢化し、記憶を風化させないために孫たちへの証言を続けてきた。

福山さんの戦争体験、今80歳で、子供のときは鳥取にいて、農村地帯、学童疎開で、農村に空襲はなく、孫たちへの証言でも疎開の体験が多く、引率の先生が家から子供に来る荷物をピンハネしていたとあり、都会から来た先生がこういうひどいことをやり、今ならけしからんであるが、当時は食糧難で、それがあった。

親が面会に来て、ものを持ってくるが、親が帰ると、子供は下痢して、普段食べないもの、腹八分目どころではなく、急に食べたら下痢をする。

田舎の地域がさびしいと、帰ったら下痢して、慢性的に栄養のあるものを食べていない。孫たちへの証言、その中に、景山さんのびっくりしたこと、長岡市での爆撃、1945年7月23日、B29が来て宣伝ビラ、米軍が攻撃するから逃げろとあり、一般市民を傷つけたくないという意図で、空襲前のアナウンスがあり、全国でもあり、米軍がビラを撒いて、日本の憲兵は拾うなとしており、空襲はこないとした。細菌があるとかも言われた。

しかし、そういう情報はアメリカが各地に置き、このビラは憲兵、市役所の人が回収し、そのため一般の人は知ることが出来なかった。ビラを信じて逃げた人は利口ともあり、しかしそんな人は少なく、情報を信じて逃げていたらと言っても、逃げる場所はなく、田舎に逃げることも出来ず、残った人は逃げられず、留まらざるを得ない。

新聞も、大阪魂は焼けずとかあり、精神論で武器もなく、そういう報道で市民をコントロールした。福山さんは空襲にもあわなかったが、17000通の証言を見て、戦争は何があってもおかしくなく、決まりもなく、やられたらやり返す、恨みの増幅で、戦争になったらどうなるか、市民が体験を起こし、事実が浮かび上がるのです。

孫たちへの証言、第28集への応募で、戦後70年への思い、来年3月31日まで募集しており、新風書房宛です。

新風書房の連絡先は、

http://www.shimpu.co.jp/

以上、福山さんのお話でした。

 

みんなジャーナル、東日本大震災の被災地、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)での子供会議に出られた高校3年生の菊池雄也さんのお話がありました。景山さんも夏に訪れられて、宮城県名取市、海に面して海抜も低く、地震時に津波が予想され、しかし閖上の人は津波は来ないと思い、安全神話、7100人のうち750人が犠牲になり、名取市の犠牲の大半が閖上での犠牲者です。

閖上の子供の会議を2012年4月に立ち上げ、菊池さん、子供会議の代表で、他のメンバーは同級生4人で始めて、街づくり、大人の手助けをして、閖上を詳しく知ることから始まり、震災後祭りも出来なくなり、祭りを自分たちで再開し、教育で記憶を残し、お年寄りと子供の絆を残し、閖上を知ることを始めたのです。

避難経路など調べて、避難時に大変なのは、道路が複雑、狭く、渋滞して津波に巻き込まれ、避難路の確保、遠くへの避難が困難で、高い塔などが必要であった。2012年から話し合った内容をこの10月末に提言書にして、昔の閖上の良さ、歴史的な世界、子供たちのために残したい。

菊池さんが大人になり、その時の子供たちへのもので、高い建物、逃げられるものを確保し、避難しやすい場所、以前より活気のある地区にしたいのです。

菊池さん、街づくりで町を見直し、ふれあいの公園が多く、お年寄りと子供がふれあい、絆が多く、最近は日本で一人では歩けないところもあり、安全な場所が閖上で、よかったところであり、閖上は海が見えて、今は防潮堤が並び海が身近でなくなり、これをどうするか、建築家の人とも話をして、海の見える町にしたいと思うのです。

海が身近でなくなると、被害も忘れられるのです。そして、菊池さんの、リスナーへのメッセージ、震災が風化しつつあり、宮城でもそうであり、日本は海に囲まれどこでも津波はあり、日本各地から閖上に来てくれるのはありがたく、防災につなげてほしい、自分たちと同じ思いをして欲しくない、津波の被害から守れるようにして欲しいというのです。以上、菊池さんのお話でした。

 

今週のお話、自分史の出版、津波、戦争、事故が起こるはずがないとして、安全神話が人を殺すもので、これを否定するものが要るということでした。以上、今週のラジオフォーラムでした。