Global Ethics


「改めて「自由」を考える」 by limitlesslife
January 10, 2017, 3:13 am
Filed under: 自由
https://www.kinokuniya.co.jp/c/20140122105900.html

「改めて「自由」を考える」

J.S.ミル(1806-73)の『自由論』(1859年)の新訳が出ている(斉藤悦則訳、光文社
古典新訳文庫、2012年)。後期に一年生向けの少人数ゼミを担当したので、ミルを取り
上げることにした。翻訳は数種類あるので、どれを選ぶかは学生の自由に任せていた。
私はほとんど原文を読んでいたが、ときどきこの新訳に目を通したところ、全体的に改
行を増やし、読みやすくなっていると思った。「自由」とは何か-これは古くて新しい
問題である。

ミルは経済学者というよりも19世紀を代表するイギリスの偉大な知識人といったほう
がふさわしいが、ゼミで読んでいた時期がたまたま特定国家秘密保護法案の審議と重な
っていたので、『自由論』を読んでいても、「多数の専制」という問題を論じていると
ころがとくに気にかかった。
ミルの「自由」についての基本的な見解は、よく知られているように、19世紀中頃と
いう時代を反映して「国家からの自由」という意味での「消極的自由」が中心である。

「自由の名に値する唯一の自由は、他人の幸福を奪ったり、幸福を求める他人の努力を
妨害したりしないかぎりにおいて、自分自身の幸福を自分なりの方法で追求する自由で
ある。人はみな、自分の体の健康、自分の頭や心の健康を、自分の自分で守る権利があ
る。
人が良いと思う生き方をほかの人に強制するよりも、それぞれの好きな生き方を互い
に認めあうほうが、人類にとって、はるかに有益なのである。」(同書、36-37ページ

しかし、国家による権力の行使を制限するという考え方は、多数派が権力を掌握し、
その他に自分たちの意志を押しつけようとする場合にも当てはまる。

「・・・・・人民の意志というのは、じっさいには人民のもっとも多数の部分の意志、
あるいは、もっともアクティブな部分の意志を意味する。多数派とは、自分たちを多数
派として認めさせることに成功したひとびとである。それゆえに、人民は人民の一部を
抑圧したいと欲するかもしれないので、それにたいする警戒が、ほかのあらゆる権力乱
用への警戒と同様に、やはり必要なのである。したがって、権力の保持者が定期的に社
会に、すなわち社会内の最強のグループに説明責任をはたすようになっても、個人にた
いする政府の権力を制限することは、その重要性を少しも失わない。」(同書、18ペー
ジ)

だが、「多数の専制」から身を守るのはそれほど簡単ではない。なぜなら、多数派の
思想や感情が、知らず知らず、「行動の規範」としてその他の人々の思想や感情を抑圧
する危険性があるからだ。ミルがとくに憂慮するのもこの点である。それゆえ、ミルは
、「社会の慣習と調和しない個性の発展を阻害し、できればそういう個性の形成そのも
のを妨げようとする傾向、あらゆるひとびとの性格をむりやり社会の規範的な型どおり
にしたがる傾向、それにたいする防御が必要である」と言っている(同書、20ページ)

『自由論』は、経済思想史の立場からは、いわゆる「自由経済」の原則を確立し、そ
の例外となる分野はどこにあるのかという読み方をするのがふつうだし、ミルも、「自
由経済」の考え方が、「本書で主張してきた個人の自由の原理と、根拠は異なるけれど
も、根拠の堅固さの点ではひとしい」と言っている(同書、231ページ)。詳細は、ミ
ルの『経済学原理』(1848年)をひもとく必要があるが、「個人の自由の原理」が「政
治」と「経済」を貫いていることは間違いない。だが、『自由論』は経済思想プロパー
の本ではないし、全体的に思想一般の自由の問題のほうが大きく扱われているのは当然
のことである(注1)。

本書を読み返して改めて興味深く思えたのは、ミルが、「多数の専制」(ミルはとこ
ろによって「世論の専制」という言葉も使っているが)のなかでは「変わった人」がい
ることがきわめて重要なのだと繰り返し主張していることである。

「世論の専制は、変わった人を非難するものだ。だから、まさしく、この専制を打ち破
るためには、われわれはなるべく変わった人になるのが望ましい。性格の強い人がたく
さんいた時代や地域には、変わった人もたくさんいた。そして一般的に、社会に変わっ
た人がどれほどいるかは、その社会で、ずば抜けた才能、優れた頭脳、立派な勇気がど
れほど見出されるかにも比例してきた。したがって、現在、あえて変わった人になろう
とする者がきわめて少ないことこそ、この時代のもっとも危うい点なのである。」(同
書、163ページ)

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace



大垣警察市民監視違憲訴訟 12/21提訴 by limitlesslife
December 6, 2016, 1:38 am
Filed under: 自由
いよいよ、というか、やっと、というか・・・
大垣警察市民監視違憲訴訟の提訴日が決まりました。
「ニュース号外」を添付します。
「もの言う」自由を守る会
  ↑ ここにもアップしています。
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近藤ゆり子 k-yuriko@octn.jp
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国連調査と監視-藤田早苗さんのエセックス大学のウェブサイトへの寄稿 by limitlesslife
November 9, 2016, 2:44 am
Filed under: 秘密保護法, 自由, 共謀罪
4月に来日した「表現の自由」国連特別報告者ディビッド・ケイ氏は、は日本政府に対して厳しい中間報告を発表しましたが、実は日本政府は特別報告者とその調査の手助けをしていた数人を監視していました。
ご自身も調査の手助けをした英国エセックス大の藤田早苗さんは、この国連調査と監視について、エセックス大のウェブサイトに寄稿しました。(10月6日付け)
今、全世界で閲覧され、衝撃を与え続けています。
この寄稿文の日本語訳をアップしました。(トップページから入れます)
  ↓
日本の表現の自由を伝える会
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近藤ゆり子 k-yuriko@octn.jp
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[wam_ml: 6053] 新聞各社・通信社へ呼びかけ文「言論を暴力に結びつけない社会を」を送付 by limitlesslife
October 31, 2016, 7:15 am
Filed under: 自由
みなさん、

重大な事件に関する喫緊の声明であるとおもいますので、転送します。
「大東亜戦争」へとつっこんでいったあの時代に頻発し、政治家や官僚や言論界をはじめ
社会全体を恐怖と自粛に追いこんだのが右翼によるテロでした。
今回のこのような脅迫は、まさに、その轍を践むものであると考えます。

安倍政権が煽動しているまやかしのテロにではなく、
今回のこのたぐいのテロにこそ屈してはならないでしょう。
屈しないためには、社会全体に、このような脅しを糾弾する空気を醸成していかなければならないでしょう。
WAMの運営委員へ連帯と激励のあいさつをおくってください。

ひこ

—–Original Message—–

Subject: [wam_ml: 6053] 新聞各社・通信社へ呼びかけ文「言論を暴力に結びつけない社会を」を送付

会員のみなさま、

昨日、以下の通りの呼びかけ文を、産経新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、
日経新聞、東京新聞、共同通信、時事通信あてに送付しました。

以下、転送・転載(PDFを含め)歓迎です。

———————————————————————-
http://wam-peace.org/20161030/

産経新聞社、及び日本軍「慰安婦」問題を報道する各メディアの方々へ

「言論を暴力に結びつけない社会を」

2016年10月5日、私たちが運営するアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と
平和資料館」(略称wam)に、「朝日赤報隊」を名乗る者からwamの爆破を予告す
る葉書が届きました。文面は「爆破する 戦争展示物を撤去せよ 朝日赤報隊」、
消印は「9月30日 新宿局」です。wamでは直ちに戸塚警察署に被害届を出しまし
た。

wamは戦時性暴力の根絶をめざし、いまだ解決されていない日本軍「慰安婦」問
題について、その被害と加害の事実を、証言を中心に展示を行って11年が経過し
ました。日本軍「慰安婦」制度に焦点を当てた特別展を行うときも、日本軍以外
の軍隊による現代の性暴力被害を併せて展示しています。加害者への不処罰の連
鎖を食い止めるために、勇気を奮って証言した被害者の被害事実を記録し記憶し
ていくことを大切に、活動を続けてきました。

設立以来、さまざまな形での嫌がらせは日常的にありましたが、このような爆破
予告は初めてです。その原因を考えると、最近急激に増えた産経新聞やそのデジ
タルニュースでwamを名指しした記事の増加に思い当ります。特にユネスコ記憶
遺産の「『慰安婦』の声」を被害国とともに登録申請して以降、産経新聞には櫻
井よしこ氏の連載や(2016年10月3日)や高橋史朗氏の記事(2016年6月15日)に、
wamの名前だけでなく、個人名も挙げた批判記事が掲載されるようになりました。

ユネスコの記憶遺産に関してさまざまな意見と見解がありその主張はお互いに尊
重されなくてはなりません。しかし、日本の言論は、右翼のテロによって傷つけ
られてきた歴史があります。近年では1987年、赤報隊を名乗る何者かによって朝
日新聞の新聞記者小尻知博氏が殺害されました。1990年には本島等長崎市長が
「天皇にも戦争責任はあると思う」と発言したことを理由に、右翼団体幹部に銃
撃されました。そして現在も、「慰安婦」の記事を書いたことのある元朝日新聞
記者の植村隆氏と家族への脅迫などがあります。日本の言論空間には、国家中心
の思想や政府を批判する者たちに対する暴力による恫喝と圧殺が、その底流に
脈々と流れていると言わざるをえません。

産経新聞は歴史認識の違いを「歴史戦」と名付け、歴史をめぐる言論を「戦争」
という暴力に結び付けて語っています。同調者たちへの影響力は計り知れないも
のがあり、紙面で個人を名差しすることは「攻撃命令」でもあると指摘するブロ
グ・ウォッチャーもいます。

日本の自由な言論空間を豊かにしていくことこそが人権を守り、日本の民主主義
を豊かにすると私たちは信じています。言論を暴力や人権侵害に結び付けない努
力こそが、今私たちに求められています。私たちは「言論を暴力に結び付けない
社会」の実現を、産経新聞及び報道に携わる全ての方々に、あらためて呼びかけ
ます。

2016年10月29日

特定非営利活動法人「女たちの戦争と平和人権基金」理事一同
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」運営委員一同

東京都新宿区西早稲田2-3-18 AVACOビル2F 〒169-0051
t 03-3202-4633 f 03-3202-4634
mail: wam@wam-peace.org
URL: http://www.wam-peace.org/

Attac’j,emt:


「市民の政治的表現の自由とプライバシ-」/法学セミナー11月号 by limitlesslife
October 12, 2016, 1:45 pm
Filed under: 自由
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法学セミナー11月号が発売されました。
特集は「市民の政治的表現の自由とプライバシ-」です。
「大垣警察市民監視事件」も採り上げられています。
そのほかの10本の論文の全てに興味が持てます。
是非買って読みたい、と私は思いますが、いかがでしょうか?
法学セミナー2016年11月号(日本評論社)
[特集]
市民の政治的表現の自由とプライバシー
【1 実態編】
1 自衛隊情報保全隊による国民監視事件……十河 弘
    ─平成28年2月2日言渡の仙台高裁判決の内容と問題点
2 ムスリム監視捜査の憲法上の問題点……井桁大介
3 大垣警察市民監視事件……山田秀樹
4 表現の自由と駅……石埼 学
    ─JR大阪駅前事件(大阪高判平成27年9月28日)
5 萩之茶屋投票所事件の意義……遠藤比呂通
   ─政治的表現の自由と公民権
【2 理論編】
6 市民の表現活動を阻むもの……塚田哲之
   ─日本社会の現況と理論的課題
7 「公共空間」と憲法理論……平地秀哉
8 駅前の表現の自由……中川 律
9 市民的自由と警察の現在……石川裕一郎
   ─「スノーデン・ショック後」の監視社会と国家
10 街頭表現活動への監視に対する抗議と威力業務妨害罪……安達光治
   ─大阪駅事件を機縁として
11 萎縮効果論と公権力による監視……毛利 透
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近藤ゆり子 k-yuriko@octn.jp 090-8737-2372「もの言う」自由を守る会
http://monoiujiyu-ogaki.jimdo.com/
徳山ダム建設中止を求める会事務局長ブログ
http://tokuyamad.exblog.jp/
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強制するよりも、好きな生き方を認めあうほうが、はるかに有益 by limitlesslife
October 5, 2016, 6:36 am
Filed under: 自由

ジョン・スチュアート・ミル ?@jsmill_bot  10月1日
人は行動をすることによっても、行動をしないことによっても、他者に害を与えること
がある。そして、いずれの場合であれ、他者を害したことについては責任を負うのが当
然である。とはいえ、行動をしなかった場合については、強制的に責任を負わせること
には、やや慎重でなければなるまい。-自由論

他者に害を与えたら責任を問われる。これは世間一般で通用する規則である。一方、害
を防ぐ行動をしなかったために責任を問われるのは、どちらかといえば例外だ。しかし
、こうした例外を認めてもよいほどに、責任が明瞭でかつ重大なケースもたくさんある
。-自由論

人は、他者と関係するあらゆる場面において、そのすべての関係者にたいし、また、必
要であれば全体の保護者としての社会にたいし、理屈の上では責任があるのだ。-自由

責任を問わないでおくのが適切である場合もしばしばあるが、その場合はそうしたほう
が社会にとって特に都合がよいという理由がなければならない。-自由論

すなわち、社会が個人を力ずくで統制するよりも、個人の自由裁量にまかせたほうが、
その人の行動が全体として良くなる場合とか、もしくは社会が害悪を防止しようとして
統制に乗り出せば、また新たな害悪が生じ、しかもそれが元の害悪よりも大きいような
場合である。-自由論

社会が個人にたいして、せいぜいのところ間接的にしか関与できない活動の領域がある
。個人の私生活と私的な行為の部分である。それは自分にしか影響を与えず、また、か
りに他者にも影響を与える場合には相手もきちんとした情報にもとづいて自由かつ自発
的に同意し、関与している分野である。-自由論

自分にしか影響を与えない、というのは、自分がまず最初に直接的に影響をこうむるこ
とを意味するに過ぎない。なぜなら、自分に影響を与えれば、自分をとおして他者にも
影響を与えることがあるかもしれないからである。-自由論

自分にしか影響を与えない部分こそが、人間の自由の固有の領域なのである。-自由論

自由の名に値する唯一の自由は、他人の幸福を奪ったり、幸福を求める他人の努力を妨
害したりしないかぎりにおいて、自分自身の幸福を自分なりの方法で追求する自由であ
る。人はみな、自分の体の健康、自分の頭や心の健康を、自分で守る権利があるのだ。
-自由論

人が良いと思う生き方をほかの人に強制するよりも、それぞれの好きな生き方を互いに
認めあうほうが、人類にとって、はるかに有益なのである。-自由論

社会は、ひとびとが優れた社会性のみならず、優れた人間性とされるものを身につける
よう、(その社会の文明度に応じて)強制する努力をしてきた。古代の共和国は、個人
の私的行為を国が上からの権限でことごとく統制できると考えてきたし、古代の哲学者
たちもそれを是認してきた。-自由論

市民ひとりひとりの身体および精神を鍛錬することは、国家の重大な関心事だったのだ
。(略)短期間でも気力や自制心をゆるめればたちまち命にかかわるところでは、すぐ
にはあらわれない自由の長期的な効能をのんびり待つわけにはいかなかったからだ。-
自由論

支配者はもちろん、同じ市民の立場であっても、人間は自分の意見や好みを、行動のル
ールとしておしつけたがるものだ。この性向は、人間の本性に付随する感情の最良の部
分と、そして最悪の部分とによって、きわめて強く支えられているので、それを抑制す
るには権力を弱めるしかない。-自由論

人間の良識にとって不幸なことに、人間は間違いを犯すものであるという事実が、理論
上ではかならず重視されても、じっさいの場面においてはほとんど軽視される。-自由

誰でも自分は間違えることがあると知っているのに、そのことをつねに心にとめておか
ねばと考える人はほとんどいない。自分も間違えることがあるとわかっていても、自分
にとってかなり確実と思える意見がその一例かもしれぬと疑う人はごく少ない。-自由

時代というものもまた個人と同じくらい間違いを犯す。それは山ほど証拠があるし、ほ
とんど自明のことである。どの時代にも、後の時代から見れば間違った意見、馬鹿げた
意見がたくさんあった。-自由論

政府は自分の判断と責任において、さまざまなことを実行するが、それは絶対に間違っ
ていないとの想定に立つものではない。間違った意見の流布を禁ずる場合も同様で、自
分は絶対に間違わないとの想定に立つものではない。人間に判断力が与えられているの
は、それを使ってもよいからである。-自由論

有害だと判断したものを禁止するのは、自分は間違っていないと主張することではない
。間違っている可能性はあっても、良心と確信にもとづく行動を自分の義務として果た
すことなのである。-自由論

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace



自由と信仰 仏週刊紙銃撃を考える by limitlesslife
October 5, 2016, 2:07 am
Filed under: 自由

原理が全く異なっている

自由と信仰 仏週刊紙銃撃を考える

同志社大大学院 内藤正典教授

パリの風刺新聞シャルリエブドなどに対する卑劣なテロは
世界を震撼(しんかん)させた。
表現の自由はどこまで許されるか、信仰を侮辱することが許されるか
という議論が盛んに交わされた。
だが、衝突の原因は表現の自由だけではない。

フランスのイスラム教徒はかつての植民地だった北アフリカや
西アフリカから20世紀後半に渡った移民が多い。
第一世代の人たちは、
食べるのに精いっぱいで信仰の実践に熱心ではなかった。
ところが世代が代わるにつれて、イスラムに回帰していく若者が増えた。
多くが社会的、経済的に底辺層にとどまったため、
彼らはフランス社会の格差にあえいでいた。

2005年にはパリ郊外で起きた警官隊との衝突で、
少年が命を落とし暴動に発展している。
移民の若者はフランスの自由・平等・博愛を実感できなかったのである。
彼らの中からイスラムへの回帰が起こる。
イスラムは戒律の煩瑣(はんさ)な宗教だと思われているが、
人間に規範を示す一方、許された範囲では快楽を求めることが奨励される。

若者たちは、フランス社会に求めても得られなかった自由や平等を
ムスリムのコミュニティーに発見していく。
移民同士の思いやりや相互扶助、これもイスラムの根本的価値であり、
すさんだ生活から抜け出し、生きがいを見つけることができた。
だが、イスラムは内面の信仰だけでは成立しない。
規範が示されている以上、それを社会でも実践しなくではいけない。
社会を「聖」と「俗」に分ける発想はないのである。
そこでフランスと衝突が起きた。

フランスには、公の領分は宗教から中立という原則がある。
これは、長い教会との闘いの末に、フランス共和国の市民が勝ち取った
権利であり絶対に譲れない。
フランスは宗教から切り離された世俗の国なのである。
言論空間でも自由は高度に保障され、
教会や神を冒涜(ぼうとく)するのも権利のうちとされる。

信仰の道を進もうとする若者たちは、イスラムを表に出した途端に
国から制止された。
成人したイスラム教徒の女性は髪やうなじなどに羞恥心を感じるので
スカーフなどで覆う。
フランスは法律で公教育の場での着用を禁じた。
スカーフはイスラムのこれみよがしなシンボルだというのである。

フランスの自由とは「神から離れることによる自由」であり、
イスラム教徒の自由とは「神と共に在ることによる自由」である。
イスラム教徒にとって、預言者ムハンマドは、彼がいてくれたからこそ
今の自分があると言ってよい存在である。
シャルリエブドはその預言者を執拗(しつよう)に嘲笑し風刺した。
フランス市民にとってはこれも権利の一つだが、
イスラム教徒にとっては自己を全面的に否定されるに等しかった。
暴力に訴えない圧倒的多数の信者も怒りを胸に秘めていることに
疑いの余地はない。

イスラム教徒にとって預言者の冒涜はヘイトスピーチでしかない。
フランスでも人種や民族をあざけることは禁じられる。
フランス人にとって信仰は選択的なものだが、一度覚醒したイスラム教徒
にとっては選択の余地のない、人種や民族と同じ属性なのである。

この問題について歩み寄る余地はない。
双方が全く異なる原理に基づいていることを一刻も早く認識し、
共存の道を見いだす以外に衝突回避の道はないのである。

ないとう・まさのり
56年東京都生まれ。
東京大大学院中退。
一橋大教授を経て10年から現職。
専門は現代イスラム地域研究。
著書に「イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北」など。

(信濃毎日新聞 2015年1月17日掲載)

 

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名瀬町民大会に先立つこと3年、1930年、ここ大垣では「美濃ミッション排撃運動」が起こりました。
全国の「キリスト教ファンダメンタリスト」(とレッテル貼りをした)排撃はこの「大垣ミッション事件」から広がった、という説もあります。
1990年代半ばに、日本基督教会大垣教会の久保牧師が、この事件について調べ直して、教会関係の雑誌などに発表し、先輩牧師の誤りを謝罪しました。
戦時中の苛烈な弾圧にもかかわらず、今も大垣に「美濃ミッション」は存在しています。
美濃ミッションHP
http://www.cty-net.ne.jp/~mmi/
中にこの事件について載せています。
http://www.cty-net.ne.jp/~mmi/introduction002.html
ウィキにもそこそこの解説が載っています。
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