Global Ethics


「本当の人権とは、その本に書いてあることを実際にやってみた人たちの記録だと思う」 by limitlesslife
October 29, 2013, 1:18 am
Filed under: 行動
弱い立場の人に寄り添えぬ社会  東京新聞より

平成25年 6月30日 あの人に迫る

遠藤 比呂通 弁護士
えんどう・ひろみち
1960年(昭和35)年山梨県生まれ。東京大法学部卒業後、同学部助手を経て、8
7年に東北大助教授(憲法学)。96年に辞職し、大阪市西成区に移り住む。97年に
弁護士登録。98年、西成区に西成法律事務所を開業した。日雇い労働者らの法律相談
なども手掛ける。関西大法科大学院の非常勤講師も務める。 著書は「市民と憲法訴訟
」(信山社)「不平等の謎」(法律文化社)「人権という幻」(勁草書房)など。奥平
康弘氏ら編著「改憲の何が問題か」(岩波書店)では「改憲の条件となる民主主義がま
ったく備わっていない」として、改憲に反対している。

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大阪市西成区の釜ヶ崎で、日雇い労働者の支援を続ける弁護士の遠藤比呂通さん(五三
)は、憲法学者から転身した。見えてきた人権とは「個人の尊厳を踏みにじられた釜ヶ
崎のおじさんたちが権力と闘ってきた記録だ」と言う。弱者が生きづらい現代を「憲法
が病んでいる」と警告する。(加藤隆士)

本当の人権とは、その本に書いてあることを実際にやってみた人たちの記録だと思う。

釜ヶ崎で弁護士をしていて何を感じますか。
憲法が非常に病み、死にそうになっている。参院選を前にして憲法改正が議論になって
いるが、本当の憲法の病理は憲法改正ではない。憲法が守られていないことにある。
例えば私が釜ヶ崎で事務所を開業した一九九八年のこと。事務所近くの大阪市立中学校
に隣接する歩道でテントを張って生活している野宿者たちがいた。大阪市はその野宿者
八十人を強制的に排除した。それも寒い十二月末に。高齢の人や病気持ちの人も多く、
テントがあってもしんどい生活をしているのに、追い払った。それで結核にかかって亡
くなった人も出てきた。私は相談に来た野宿者たちを原告にして、強制立ち退きの違法
性を訴える裁判を起こした。

何を主張しましたか。
憲法は最低限の義務として排除したあとの行き先、住居を保証することを課す。そこを
主張し、原告の野宿者の男性にも「お兄さんとやっていた飲食店が倒産し、家に居づら
くなって大阪に出てきた」と、野宿者になってしまった経緯を語ってもらった。
しかし、負けた。裁判所にはまったく聞く耳を持ってもらえなかった。裁判所が憲法を
守るならば、原告の野宿者には排除された後、住居が用意されなければならなかった。
実際は放り出されただけだった。裁判所は憲法をまったく無視した。

ほかにはどんな事件がありましたか。
日雇い労働者は定まった住所を持っていないことが普通です。そこで釜ヶ崎解放会館と
いう施設を住所として登録し、失業手当を受け取るために必要な手帳の交付を受け、選
挙権も持っていた。しかし大阪市は二〇〇七年、労働者二千人以上に対しこの住民登録
を一斉に削除する暴挙に出た。それで労働者たちは手帳も選挙権も奪われた。これは主
権者が主権を行使する機会を奪われたということで、重大な問題だ。憲法改正を問題に
する前に、この問題を政治家はなんとかしないといけない。私は今年三月十一日、橋本
徹大阪市長に、住民登録を奪われた野宿者たちが住民登録できるよう、早急に措置を取
るべきだと請願した

いずれも厳しい闘いですが、闘う意味はどこにあるのですか。
闘うことによって初めて、どうして負けたのか、当事者の声のどこが無視されたのか、
そこがはっきりするのです。例えばテント生活をしている野宿者のおじさんたち。そん
な当事者の置かれている境遇は裁判官個人には分かってもらえたはずだ。
では、なぜ負けるのかというと、裁判官も官僚として判断を縛られてしまっているから
です。裁判官は本来、権力を縛る憲法に従い権力から市民を守らなければならない。憲
法は、国家権力から個人を守るために人権を定めている。しかし現実には裁判官が官僚
として権力側に立ってしまい、人権を無視する。それば最大の憲法の病理だ。

遠藤さんは弁護士の前は憲法学者でした。
もともとは、ノンポリで、実践派の憲法学者ではなかった。釜ヶ崎という日雇い労働者
のまちが大阪のど真ん中にあることすら知らなかった。
それが東北大の助教授だった一九九五年夏、大阪で人権集会に参加し、そこで釜ヶ崎で
日雇い労働者の支援をしているメンバーに出会った。その人に半ば強引に誘われ、釜ヶ
崎に連れて行かれた。そこで「大学で憲法を教えています」と自己紹介すると、一人の
労働者に「日本に憲法はあるんか」「学生にどう説明するんだ」と責められ、返す言葉
がなかった。
もう一度、その年の冬、学生たちと釜ヶ崎に来た。そのとき、目の上に、青いたんこぶ
をつくった労働者が「八万円奪われた。警察に行っても相手にしてくれん」と駆け込ん
できた。そこで、一緒に警察署に向かうと、数百人の労働者が集まってきた。これに対
し警察は機動隊を出してきて騒然とした。私は前に出て「警察は労働者を守れ」と叫ん
だ。
釜ヶ崎では憲法で保障された当たり前の人間としての権利、人権が守られていない。私
は、特権の与えられた大学で憲法を学ぶのではなく、その人たちに憲法が保障されて初
めて日本全体で憲法が保障されたといえるような、最も虐げられている人から学ぼうと
思った。それで九六年九月、大学を辞めて釜ヶ崎に来たのです。

これまでどんな苦労がありましたか。
弁護士は技術者です。私は司法試験に受かったのではなく、大学院で五年以上、法律を
教えていたために与えられる資格で弁護士を始めた。だから最初、技術がなかった。一
年間は別の弁護士事務所で働かせてもらったが、そのとき「あんた、学者をやっていた
かもしれないが、そんなの弁護士には何の役にも立たないよ」と言われた。
大学の先生は学生相手にしゃべっていればいい。相手が分かろうが、分かるまいが関係
なかった。それが弁護士は違う。裁判官の立場や当事者の立場に立たないといけない。

日雇い労働者はどんな人たちですか。
小便臭いとか、酒臭いとか言われるが、私は一切、哀れみの目で見ない。敬意を持って
いる。弁護士になる前、四十日間、日雇いの鉄筋工をやった。釜ヶ崎の日雇いのおじさ
んたちは、正社員で雇われている若い人たちよりも技術的にはずっと上手。おじさんた
ちは若い人たちより早く割り立てられた工事を終える。それでもやっているふりをして
、若い人たちが終わるのを待っている。そうして若い人たちを立てる。でも昼休みに必
ずパチンコをする。日雇いの仕事はするがサラリーマンの気質はない。だから日雇いを
しているんだけれど。

弁護士に転身されて、学んだ人権とは何ですか。
学者のときは、人権をロックとか、ルソーとかの本で勉強した。それが無駄とは言わな
い。でも本当の人権とは、その本に書いてあることを実際にやってみた人たちの記録だ
と思う。釜ヶ崎のおじさんは人権という言葉は使わないかもしれない。女性問題や家庭
内暴力を起こして刑務所に入ったり、逃げてきた人かもしれない。でも、そういう人た
ちがおかしいじゃないかと言って、闘ったときに人権がある。

生活保護受給者ら、弱い立場の人たちに対する厳しい見方が強まっています。
人の痛みを共有できない世の中が差別を助長している。兵庫県小野市はパチンコなどギ
ャンブルで浪費する受給者を見つけたら、市民が通報するよう求める条例をつくった。
憤りを感じる。パチンコをしてはいけないのか。生活保護は憲法二五条で保障された生
存権だ。生活保護は憲法上の権利に基づいて、必要な人が受給している。その人がどん
なことをしようと本人の自由。監視すること自体が差別につながる。

インタビューを終えて
私が大学法学部に在学中、突然、憲法の先生が辞めた。それが遠藤さんだった。特別親
しかったわけではなく、当時の私はおそらく、「せっかくの地位を捨てて、もったいな
いなあ」ぐらいに軽く考えていたのだろう。以来、遠藤先生の存在を忘れていた。
それが十数年後、ふと見た新聞の書評で著書が紹介され、遠藤さんが釜ヶ崎で弁護士を
していることを知った。ぜひ、話を聞きたかった。
遠藤さんは弱い立場の人に寄り添えない世の中に、目を赤くしながら憤っていた。聞い
ていた私も胸が熱くなった。この気持ちが新聞記者の原点なんだと肝に銘じた。



自主独立の日本をつくろう! by limitlesslife
March 6, 2012, 2:13 am
Filed under: 自由, 自治, 行動 | Tags:
自主独立の日本をつくろう!

知人友人の皆さんへ
            杉浦公昭
 国家・国民を騙して国を売る防衛官僚と政府
辺野古アセス訴訟で暴露された売国官僚と政府

 普天間(辺野古)アセス手続きに不備があるとして、沖縄県内や私を含む沖縄県外の622人が国にアセスの方法書や準備書作成のやり直しなどを求めた訴訟の証人尋問が5日、那覇地裁(酒井良介裁判長)で行われ、防衛省防衛研究所の高見沢将林所長が証人として呼び出された。

高見沢氏は1996年、同施設建設に向けた日米交渉時、防衛庁(当時)の運用課長として垂直離着陸輸送機・MV22オスプレイの配備を念頭に米側と交渉しながら、地元側に明言しないように米側と想定問答集を調整したとされる人物。

 [想定問答集を調整した証拠: サンフランシスコ米連邦地方裁判所で行われた沖縄のジュゴン訴訟で、米国防省が提出してきた書類中に、1996年11月27日、在日米軍司令部から東京のアメリカ大使館、ハワイの太平洋軍司令部などに送ったファックスがあり、防衛庁のミスタータカミザワが持参し提案したオスプレイ隠蔽の想定問答が書かれており、模範解答まで付け加えてあった。]

 しかし、防衛大臣の尋問制限を理由に多くの質問に具体的な回答を避けた。

証人尋問で、高見沢氏は、オスプレイ配備について米側と議論はあったとしながらも、「1996年当時は開発中で、配備する基地を決める段階ではなかった」と答えた。
また、配備隠しが明らかになった米側の内部文書には「コメントできない」と従来通りの供述にとどまった。
   (ソース:琉球新報 http://ryukyushimpo.jp/  参照)

 日本政府は、名護市民、高江区民に「オスプレイ配備は聞いていない」とウソをついた事を侘び、また国会での「答弁偽装」を撤回して国民に謝るべきである。

その上で、「ウソをついた償いとして」・・・沖縄での基地建設計画を全て白紙撤回して、アメリカ政府に、「新たな基地建設はできません」と断る主体性が求められている。

 日本人にはそのような日本政府をつくる責務もあると考える。



3/4(日)第68回街頭行動のお知らせ:長岩 by limitlesslife
March 3, 2012, 10:56 pm
Filed under: 自由, 自治, 行動 | Tags:

[uniting-peace][19516] 3/4(日)第68回街頭行動のお知らせ:長岩

3/4(日)第68回街頭行動を定席となった数寄屋橋公園で午後2時から行います。

まことに1週間とは速いもので、もう明日は日曜日。
僕たちにとって、この街頭行動は、
心地よいけれど、反面険しい震災を胸に刻むメトロノームとなりました。
3.11を前に、響かせたい言葉と震わせたい唄はいっぱいです。
どうぞ、一分スピーチでも結構です。マイクをお使い下さい。

長岩


貴方は何処で誰と何をしていた? by limitlesslife
December 6, 2011, 12:59 pm
Filed under: Act, 行動, Occupy

Where Were You When They Crucified My Lord?

Truthdig, drilling beneath headlines
http://www.truthdig.com/report/item/where_were_you_when_they_crucified_my_movement_20111205/

Posted on Dec 5, 2011

By Chris Hedges

Chris Hedges gave an abbreviated version of this talk Saturday morning in Liberty Square in New York City as part of an appeal toTrinity Churchto turn over to the Occupy Wall Street movement an empty lot, known as Duarte Square, that the church owns at Canal Street and 6th Avenue. Occupy Wall Street protesters, following the call, began a hunger strike at the gates of the church-owned property. Three of the demonstrators were arrested Sunday on charges of trespassing, and three others took their places.

The Occupy movement is the force that will revitalize traditional Christianity in the United States or signal its moral, social and political irrelevance. The mainstream church, battered by declining numbers and a failure to defiantly condemn the crimes and cruelty of the corporate state, as well as a refusal to vigorously attack the charlatans of the Christian right, whose misuse of the Gospel to champion unfettered capitalism, bigotry and imperialism is heretical, has become a marginal force in the life of most Americans, especially the young. Outside the doors of churches, many of which have trouble filling a quarter of the pews on Sundays, struggles a movement, driven largely by young men and women, which has as its unofficial credo the Beatitudes:

Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.
Blessed are they who mourn, for they shall be comforted.
Blessed are the meek, for they shall possess the earth.
Blessed are they who hunger and thirst for justice, for they shall be satisfied.
Blessed are the merciful, for they shall obtain mercy.
Blessed are the pure of heart, for they shall see God.
Blessed are the peacemakers, for they shall be called sons and daughters of God.
Blessed are they who suffer persecution for justice sake, for theirs is the kingdom of heaven.

It was the church in Latin America, especially in Central America and Augusto Pinochet’s Chile, which provided the physical space, moral support and direction for the opposition to dictatorship. It was the church in East Germany that organized the peaceful opposition marches in Leipzig that would bring down the communist regime in that country. It was the church in Czechoslovakia, and its 90-year-old cardinal, that blessed and defended the Velvet Revolution. It was the church, and especially the African-American church, that made possible the civil rights movements. And it is the church, especially Trinity Church in New York City with its open park space at Canal and 6th, which can make manifest its commitment to the Gospel and nonviolent social change by permitting the Occupy movement to use this empty space, just as churches in other cities that hold unused physical space have a moral imperative to turn them over to Occupy movements. If this nonviolent movement fails, it will eventually be replaced by one that will employ violence. And if it fails it will fail in part because good men and women, especially those in the church, did nothing.

Where is the church now? Where are the clergy? Why do so many church doors remain shut? Why do so many churches refuse to carry out the central mandate of the Christian Gospel and lift up the cross?

Some day they are going to have to answer the question: “Where were you when they crucified my Lord?”

Let me tell you on this first Sunday in Advent, when we celebrate hope, when we remember in the church how Mary and Joseph left Nazareth for Bethlehem, why I am in Liberty Square. I am here because I have tried, however imperfectly, to live by the radical message of the Gospel. I am here because I know that it is not what we say or profess but what we do. I am here because I have seen in my many years overseas as a foreign correspondent that great men and women of moral probity arise in all cultures and all religions to fight the oppressor on behalf of the oppressed. I am here because I have seen that it is possible to be a Jew, a Buddhist, a Muslim, a Christian, a Hindu or an atheist and carry the cross. The words are different but the self-sacrifice and thirst for justice are the same. And these men and women, who may not profess what I profess or believe what I believe, are my brothers and sisters. And I stand with them honoring and respecting our differences and finding hope and strength and love in our common commitment.

At times like these I hear the voices of the saints who went before us. The suffragist Susan B. Anthony, who announced that resistance to tyranny is obedience to God, and the suffragist Elizabeth Cady Stanton, who said, “The moment we begin to fear the opinions of others and hesitate to tell the truth that is in us, and from motives of policy are silent when we should speak, the divine floods of light and life no longer flow into our souls.” Or Henry David Thoreau, who told us we should be men and women first and subjects afterward, that we should cultivate a respect not for the law but for what is right. And Frederick Douglass, who warned us: “Power concedes nothing without a demand. It never did and it never will. Find out just what any people will quietly submit to and you have found out the exact measure of injustice and wrong which will be imposed upon them, and these will continue till they are resisted with either words or blows, or both. The limits of tyrants are prescribed by the endurance of those whom they oppress.” And the great 19th century populist Mary Elizabeth Lease, who thundered: “Wall Street owns the country. It is no longer a government of the people, by the people, and for the people, but a government of Wall Street, by Wall Street, and for Wall Street. The great common people of this country are slaves, and monopoly is the master.” And Gen. Smedley Butler, who said that after 33 years and four months in the Marine Corps he had come to understand that he had been nothing more than a gangster for capitalism, making Mexico safe for American oil interests, making Haiti and Cuba safe for banks and pacifying the Dominican Republic for sugar companies. War, he said, is a racket in which newly dominated countries are exploited by the financial elites and Wall Street while the citizens foot the bill and sacrifice their young men and women on the battlefield for corporate greed. Or Eugene V. Debs, the socialist presidential candidate, who in 1912 pulled almost a million votes, or 6 percent, and who was sent to prison by Woodrow Wilson for opposing the First World War, and who told the world: “While there is a lower class, I am in it, and while there is a criminal element I am of it, and while there is a soul in prison, I am not free.” And Rabbi Abraham Heschel, who when he was criticized for walking with Martin Luther King on the Sabbath in Selma answered: “I pray with my feet” and who quoted Samuel Johnson, who said: “The opposite of good is not evil. The opposite of good is indifference.” And Rosa Parks, who defied the segregated bus system and said “the only tired I was, was tired of giving in.” And Philip Berrigan, who said: “If enough Christians follow the Gospel, they can bring any state to its knees.”

And the poet Langston Hughes, who wrote:

What happens to a dream deferred?
Does it dry up
Like a raisin in the sun?
Or fester like a sore—
And then run?
Does it stink like rotten meat?
Or crust and sugar over—
Like a syrupy sweet?

Maybe it just sags
Like a heavy load.

Or does it explode?

And Martin Luther King, who said: “On some positions, cowardice asks the question, ‘Is it safe?’ Expediency asks the question, ‘Is it politic?’ Vanity asks the question, ‘Is it popular?’ And there comes a time when a true follower of Jesus Christ must take a stand that’s neither safe nor politic nor popular but he must take a stand because it is right.”

Where were you when they crucified my Lord?

Were you there to halt the genocide of Native Americans? Were you there when Sitting Bull died on the cross? Were you there to halt the enslavement of African-Americans? Were you there to halt the mobs that terrorized black men, women and even children with lynching during Jim Crow? Were you there when they persecuted union organizers and Joe Hill died on the cross? Were you there to halt the incarceration of Japanese-Americans in World War II? Were you there to halt Bull Connor’s dogs as they were unleashed on civil rights marchers in Birmingham? Were you there when Martin Luther King died upon the cross? Were you there when Malcolm X died on the cross? Were you there to halt the hate crimes, discrimination and violence against gays, lesbians, bisexuals and those who are transgender? Were you there when
Matthew Sheparddied on the cross? Were you there to halt the abuse and at times enslavement of workers in the farmlands of this country? Were you there to halt the murder of hundreds of thousands of innocent Vietnamese during the war in Vietnam or hundreds of thousands of Muslims in Iraq and Afghanistan? Were you there to halt Israel’s saturation bombing of Lebanon and Gaza? Were you there when Rachel Corriedied on the cross? Were you there to halt the corporate forces that have left working men and women and the poor in this country bereft of a sustainable income, hope and dignity? Were you there to share your food with your neighbor in Liberty Square? Were you there to become homeless with them?

Where were you when they crucified my Lord?

I know where I was.

Here.

With you.

Illustration by Mr. Fish