国会で審議中の安全保障関連法案は憲法違反である――。

3人の憲法学者の指摘に、安倍政権が50年以上前の最高裁判決を持ち出して反論している。だが、その主張は牽強付会(けんきょうふかい)というしかない。

安倍首相はG7サミット後の記者会見で、「今回の法整備にあたって憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない。この基本的論理は、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にする」と語った。

政府の反論は、要は限定的な集団的自衛権の行使は最高裁が認めた自衛権の範囲内であり、問題はないというものだ。

59年の砂川判決は、「わが国が、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述べているに過ぎない。

そもそも裁判では日本の集団的自衛権の合憲性など問われていない。争点は憲法9条のもと在日米軍の駐留が認められるかどうかであり、最高裁は違憲との一審判決を破棄し、日米安保条約のような高度に政治的な問題に裁判所の審査はなじまないとの判断を示しただけだ。

現に政府が集団的自衛権の行使は認められないとの解釈を固めていったのは、判決の後だ。

自民党は昨夏の閣議決定にいたる議論の中で「最高裁は個別的、集団的を区別せず自衛権を認めている」と、集団的自衛権を認める根拠に判決を持ち出した。ただ、これには公明党からも「論理の飛躍がある」との強い異論が出た。

政府は結局、安全保障環境の変化を理由に「集団的自衛権の行使は認められない」とした72年の政府見解の結論を変更する形で閣議決定にこぎ着けた。

今回、政権側が砂川判決をまたも無理やり持ち出したのは、違憲かどうかを判断する権限があるのは学者ではなく、最高裁だと強調する狙いがある。

しかし、それは学者の違憲との指摘を無視して法案を成立させていい理由にはならない。

日本の制度では、最高裁が合憲性を判断するのは具体的な事件に基づく訴訟が起きてからだ。なおかつ、最高裁はまさに砂川判決がそうであったように、「高度に政治的な問題」への判断は避けてきた。

政権側は高をくくって、最高裁を錦の御旗にしているようにも見える。

だからこそ国会で違憲かどうかの根本的な議論を尽くすことが重要だ。政権側の理屈をやすやすと受け入れるようでは、立法府の存在意義はない。

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コメント:砂川判決は行政に対して司法がその権利を放棄(少なくとも保留)した判決であり、米国の圧力下に出されたことは周知の事である。間違った行政(政府)によって戦争の惨禍を受けないようにするのが憲法の趣旨である(下記参照)。戦争は(莫迦な)政権による戦争の惨禍が日本のみならず世界の庶民に及ばないようにとの真理・倫理の浅見の明の吐露・決意である。その普遍の真理・倫理が見えずに、こんな(私的で短見な)政権の愚駄愚駄・愚図愚図に何時まで付き合うのか???!!!(戦争は人類史の千分の一の出来事で小見・短見・破滅の業であり、共・友の生命共存の真理・倫理に反する)

憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。