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日米政府による原発推進と核兵器政策は最初から表裏一体のものであった by limitlesslife

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日米政府による原発推進と核兵器政策は最初から表裏一体のものであった: 田中利幸バンクーバー講演録

Posted: 08 Apr 2012 09:54 AM PDT

この講演録は必読です。

広島市立大平和研究所教授・田中利幸さんは3月19日、バンクーバーの「ピース・フィロソフィー・センター」で地元の市民向けに日本語で講演しました(共催:バンクーバー九条の会)。米国公文書館からの最新の資料もまじえて、戦後日本、特に広島をターゲットにした原発推進、「科学立国」を盾にした科学者たちも含む無批判の「平和利用」推進、その背景には日本に原爆を落とした上、戦後も「核」で日本を支配し続けようとしてきた米国と、核兵器製造への野望を抱き続けてきた日本の共謀や駆け引きが行われてきたことを明解に説明してくれました。私にとっては、50年代、米議員イエーツが広島に原発をプレゼントしようとした動機に、被爆者のための病院を作るより「有効」であるという考えがあったということが衝撃的であり、日米の一連の核政策が、結局は市民の命や安全や健康を犠牲にすることで成り立ってきたということを象徴する発言であると思いました。

そして以下の田中氏の結論にもあるように、

・・・かくして、日本の反核運動の主流ならびにその重要な一部を担ってきた被爆者たちのみならず、国民のほとんどが、「原子力平和利用」についてはほとんど本質的な検討をしないまま、核兵器保有・使用・持ち込みにだけは反対という態度をとってきた。しかし、核兵器保有・使用に関してもまた、我々は、これが基本的には単にアメリカをはじめとする核兵器保有国の問題であるとしかとらえず、いつもこの問題を「原爆被害者」の立場のみから見るにとどめ、日本政府自体が核兵器製造・所有を核エネルギー導入の最初から企て、その製造能力維持を長くはかってきたことを、いわば「加害者となる可能性」という観点から直視しようとはしてこなかった。

原発と核兵器が別ものであるとの錯覚によって双方の存続を許してきてしまったことを認識し、原発と核兵器の問題を自分たち自身の問題として捕え、市民が活動・発言していく大事さを改めて確信しました。@PeacePhilosophy

3月19日バンクーバー「ピース・フィロソフィー・サロン」で講演する田中利幸氏

講演概要

「原子力平和利用」と日本の核兵器製造能力維持政策
田中利幸
広島平和研究所
A)はじめに 講義の概略
「原子力平和利用」導入の三つの動因
(1)  米国の覇権戦略としての「原子力平和利用」— とくに日本の被爆者・反原水禁運動への心理戦略を目的とする「平和利用」—
(2)  科学者を含めた戦後進歩的潮流の科学技術進歩志向と近代イデオロギー
(3)  戦後保守政治勢力の改憲・核武装への野心と核持ち込みへの経過

B) 原爆開発と「原子力平和利用」の歴史的背景

1938年、ドイツの化学物理学者オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーが、人類史上初めてウランの核分裂実験に成功。そのわずか7年後の1945年7月16日午前5時半、米国アラモゴードで史上初の核実験「トリニティ」。その3週間後の8月6日午前8時15分、広島上空に投下されたウラン爆弾が炸裂し、7万人から8万人の数にのぼる市民が無差別大量虐殺の犠牲となる。その3日後の午前11時2分、今度は長崎にプルトニウム爆弾が投下され、4万人が即時に殺戮され、年末までに7万4千人近い人たちが亡くなっていった。

広島・長崎原爆投下からほぼ2年後の1947年7月26日、米連邦議会で「国家安全保障法」が成立し、これをもって「冷戦」が正式に始まった。戦後の核技術の新しい応用の重要な一つが、潜水艦の「動力源」。原子炉を使い、燃料交換なしで長時間、長距離を潜水航行でき、核弾頭を装備したミサイルを適地近辺の海域から発射することができる潜水艦ノーチラス号の開発。この潜水艦用の原子炉が沸騰水型の「マーク I 原型」=福島第1原発の原子炉と同型。

第2次大戦直後の数年間はアメリカが核軍事力を独占していたが、それも1949年8月29日にセミパラチンスクで行われたソ連初の核実験の成功で終わりを告げた。さらにソ連は、1953年8月12日に水爆実験と思われる核実験を行った。これに対抗して、アメリカ側は、1951年から53年にかけて、合計36回の爆発実験を実施し、軍事力の誇示に努めた。こうした事態のために、近い将来に米ソ間で核戦争が引き起こされるのではないかという不安が高まってきた。

このような緊張した状況を緩和する手段として、1953年12月8日、米大統領アイゼンハワーが、国連演説で “Atoms for Peace”、すなわち「原子力平和利用」なる政策を打ち出した。このアメリカの平和政策の背後には、アメリカ軍事産業による西側同盟諸国資本の支配という野望が隠されていた。

史上初の核兵器攻撃の被害国である日本も、アメリカのこの「原子力平和利用」売り込みのタ−ゲットにされ、アメリカ政府や関連企業が1954年の年頭から様々なアプローチを日本で展開し始めた。その結果、日米安保体制の下で、兵器では「核の傘」、エネルギーでは「原発技術と核燃料の提供」、その両面にわたって米国に従属する形をとるようになった。その結果、日本政府は、核兵器による威嚇を中心戦略とする日米軍事同盟と、原発からの放射能漏れならびに放射性廃棄物の大量蓄積の両面で、これまで多くの市民の生存権を長年脅かしてきただけではなく、そのような国家政策に対する根本的な批判を許さないという体制を維持してきた。

C)広島ターゲット作戦第1弾:「広島に原発建設を」

1954年3月、ビキニ環礁における米国の水爆実験で第5福竜丸が死の灰を浴びるという大事件によって急激な高揚をみせた日本の反核運動(3千2百万人が反対署名)と反核感情を押さえつけ、さらには態勢を逆転させるため、さまざまな「原子力平和利用」宣伝工作を展開。

1954年9月21日:

米国原子力委員会のトーマス・マレーが、アトランティック市で開催された米国鉄鋼労組大会で、アメリカ援助による原発の日本国内建設を提唱。

「広島・長崎(原爆投下)の記憶が鮮明にまだ残っている今、日本のような国にそのような(原子力)発電所を建設することはひじょうに劇的なことであり、かつまた、これら二つの都市に対して行われた殺戮の記憶から我々を遠ざけるキリスト教的行為ともなる。」「このようにして、我々は、汝の敵を赦せという十戒に現実的な意味をもたせることができるのであり、暗澹として疑心に満ち、分裂状態にある現在の世界に対して、我々が関心をもっている核エネルギーは、単に兵器にのみ限られたものではないということを知らしめることができる。」

1955年1月27日:

米国下院の民主党議員シドニー・イエーツが広島市に日米合同の工業用発電炉を建設(建設費2億2,500万ドル、出力6万キロワット、資源はアメリカから持参3年計画)する緊急決議案を下院本会議に提案し、2月14日の本会議でも再度この決議案に関して演説。

「日本の場合、戦争が産み出した原子が日本人に与えた焼印の傷を消し去ることで役立ちたいという我々の願い、そのような友情を築く上で、原子を平和という形で利用し、自然資源が極めて少ない彼らを助けるという形での奇跡を可能にするほど現実的なやり方はない。」

「(その意味で、)原子力の平和利用に向けての原子炉を、原爆による破壊を初めて受けた場所に建設することは極めて適切であると私は考えます。」

同年2月4日、イエーツは、上下両院合同原子力委員会およびアイゼンハワー大統領に書簡を送り、同決議案の実現を要請したが、その書簡の中で次の3点を明らかにしている。

1. 広島を原子力平和利用のセンターとする。

2. 私の考えでは広島の原子力発電所は3年以内に操業できる。

3. 私は最初原爆に被災し、いまなお治療を要する6千名の広島市民のため病院建設を計画したが、原子力発電所建設の方が有用だと考えるに至った。

広島側の反応:

浜井市長:「医学的な問題が解決されたなら、広島は“死の原子力”を“生”のために利用することは大歓迎」。

渡辺市長(5月に市長に就任):「原子炉導入については世界の科学的水準の高い国々ではすべて原子炉の平和利用の試験が行われ、実用化の段階に入っているので、日本だけ、広島市だけいたずらに原子力の平和利用に狭量であってはならない。適当な時期に受入れる気持である。」

長田新((おさだあらた)広島大学名誉教授で、子供たちの原爆体験記『原爆の子』を編集):「米国のヒモつきでなく、民主平和的な原子力研究が望ましい。」
森瀧市郎(当時、広島大学教授、原水爆禁止広島協議会の中心的人物):「アメリカ人に広島の犠牲のことがそれほどまっすぐに考えられることならば、何よりもまず現に原子病で苦しんでいる広島の原爆被害者の治療と生活の両面にわたって一部の篤志家だけに任せないで、国として積極的な援助をしてもらいたい」と拒否反応。のみならず、反対の理由として、原発が原爆製造用に転化される懸念、平和利用であってもアメリカの制約を受けること、さらに、戦争が起きた場合には広島が最初の目標になる危険性を挙げている。
しかし、全般的には、多数の被爆者が「原子力平和利用」に対し、最初から「条件付き賛成」という態度を表明。
アイゼンハワー大統領ならびに国務省の意見:
「広島に原子炉の贈り物をという提案は、ある人々には米国が(原爆投下という)罪を認めたと受け取られ、米国の対日本政策を損なうものとなるであろう。」
「このような提案は、広島で核兵器用の(高濃度)プルトニュウム生産が可能となり、それが米国に輸送されるということであり、そうなれば、我々が広島で生産したプルトニュウムを兵器用のために貯蔵しているという非難にさらされるという、心理的ブーメランについても考慮する必要がある。」
D) 広島ターゲット作戦第2弾:「原子力平和博覧会」
「ホプキンス原子力使節団」訪日(1955年5月9日から1週間):
読売新聞社主・正力松太郎が、原子力援助百年計画の提唱者であるゼネラル・ダイナミック社長のジョン・ホプキンスを代表とする「ホプキンス原子力使節団」を東京に招待。滞在中に、鳩山首相と懇談させたり、随行員として連れてきたノーベル物理学賞受賞者、ローレンス・ハウスタッドに「平和利用」に関する講演会を日比谷公会堂で開き、テレビ中継を行ったりした。
「原子力平和利用博覧会」(東京:読売新聞主催、1955年11月1日〜12月12日):
この博覧会は、アメリカが当時、“Atoms for Peace”政策の心理(=洗脳)作戦の一部として、CIAが深く関与する形で、米国情報サービス局(USIS)世界各地で開いていたものであった。
広島での開催(1956年5月27日〜6月17日の3週間):
東京の後、名古屋、京都、大阪、広島、福岡、札幌、仙台、水戸と巡回。広島の場合には、広島県、市、広島大学、アメリカ文化センター(ACC=USIS)および中国新聞社の共同主催で、予算は728万円を計上。会場=平和公園内に前年8月に完成した広島平和記念資料館と平和記念館(現在の平和記念資料館東館)。
展示物の中で広島にとって「適当」とみなされるものを、アメリカ側が広島平和記念資料館に寄贈=アメリカ側は、最初から「原子力平和利用」宣伝が、広島で、しかも原爆被害の実情を伝える目的で建設された平和記念資料館内で、繰り返し行われることを狙っていた。
展示内容:
(1)原子力の進歩に貢献した(湯川秀樹を含む)科学者の紹介(2)エネルギー源の変遷(3)原子核反応の教育映画(4)原子力の手引(5)黒鉛原子炉(6)原子核連鎖反応の模型(7)放射能防御衣(8)ラジオアイソトープの実験室(9)原子力の工業、農業、医学面における利用模型(10)田無サイクロトロン模型(11)マジックハンド(12)動力用原子炉模型(13)CP5型原子炉模型(14)水泳プール型原子炉模型(15)原子力機関車、飛行機、原子力船の模型(16)移動用原子力炉、実験用原子炉模型(17)PGD社原子力発電所模型(18)原子物理学関係図書室
配布パンフレット『原子力平和利用の栞』:
「原子医学が無数の人々の命を救ったことは周知のことである。原子力によって農場では食糧が増産された。商業面では、洗濯機・たばこ・自動車・塗装・プラスチック・化粧品など、家庭用品の改良のために。アトム(原子)は一生懸命はたらいてきた。
豊富な電力は冬にはビルをあたため、夏にはビルを冷房してくれる。だが、原子力はそれ以上の意味があるのだ。医者は本世紀の終わりまでには、ある種の危険な病気は完全になくなるだろうと予言する。もし、われわれが賢明であれば、原子力はすべての人に食を与え、夢想にも及ばぬ進歩をもたらすことになろう。」
「病院では、ラジオアイソトープは奇跡をあらわす名医である。その放射線は腫瘍やガンの組織を破壊する。それは赤血球の異常増加を抑止し、アザをとり除き、甲状腺の機能状態を明らかにして、その機能昂進を抑制する。血液の中に注射されると、その放射線は人間が生きるためには何リットルの血液が必要か、また血球の補充力が低下しているかどうかを医者に告げる。」
かくして、原子力利用は、発電のみならず、医療、農業、工業など様々な分野で、今後飛躍的な一大進歩を遂げることが期待されており、「全人類の福祉のために、その前途は無限に輝いている」というメッセージになっていた。
広島で開催された「原子力平和利用博覧会」への入場者数は記録的な数となり、中国新聞報道によると、「広島会場の総入場者数は10万9,500名。広島の男女知識層を中心に遠くは長野県、茨城県、北九州からの見学者、全国校長会議出席者、中国5県からの団体見学者など各地のあらゆる階層の老若入場者を集めた。」この博覧会で上映された原子力利用に関する11種類の映画は、広島アメリカ文化センターの管理下に置かれ、学校や文化団体に貸し出すという制度も設置された。
博覧会閉会後、原爆関係の展示物がもとに戻された資料館では、悲惨な原爆展示物を見終わった見学者が、見学の最後には、突然に、「原子力平和利用」に関する展示が置かれた、輝くような明るい部屋に誘導され、そこを通過して退館するような見学コースに変更。
E) 「広島復興大博覧会」
広島復興大博覧会:(1958年4月1日から50日間の会期)
平和公園、平和大通り、新しく復元された広島城の三カ所に、テレビ電波館、交通科学館、子供の国といった合計31の展示館を設置。中でも最も人気を集めたのが、史上初のソ連の人工衛星を展示した宇宙探検館と原子力科学館。原子力科学館には、アメリカが期待していたように、「原子力平和利用博覧会」の際に寄贈された展示物が再び展示され、その展示館として広島平和祈年資料館が再度当てられた。
今回は、原爆関係の展示物を別会場に移すことなく、「原子力平和利用」展示物と並列させるというスタイルがとられている。展示物を並列させることで、「核兵器=死滅/原子力=生命」という二律背反論的幻想を強烈に高めた。
『広島復興大博覧会誌』:「近い将来実現可能な原子力飛行機、原子力船、原子力列車などの想像模型が並べられている。人類の多年の夢が、今や現実のものとなってくるかと思えば本当に嬉しい限りだ。原子力の平和利用は、世界各国が競うて開発しているところであるが、ここには各国最新の情勢が写真でもって一堂に集められている。今や日進月歩の発展を遂げつつある世界の原子力科学の水準に一足でも遅れないようにわが国も努力をつづける必要があると痛感させられる。」
この復興大博覧会を訪れた見学者は、「原子力平和利用博覧会」の見学者のほぼ9倍にあたる91万7千人。
まさに地獄のような原爆体験をさせられ、放射能による様々な病気を現実に抱え、あるいはいつ発病するか分からないという恐怖のもとで毎日をおくっている被爆者たち、しかも被爆者の中の知的エリートたちまでもが、なぜゆえに、かくも簡単にこの二律背反論的幻想の魔力にとり憑かれてしまったのであろうか?
かくも苦しい体験を強いられ、愛する親族や友人を失い、自分も傷つけられた被爆者だからこそ、「貴方たちの命を奪ったものが、実は、癌を治療するのに役立つのみならず、強大な生命力を与えるエネルギー源でもある」というスローガンは、彼らにとっては、ある種の「救い」のメッセージであったと考えられる。
アメリカにとって、とりわけ原子力推進にかかわっていた政治家や企業家にとっては、「毒を盛って毒を制す」ごとく、原爆被害者から「原子力平和利用」支持のこのような「お墨付き」をもらうことほど有利なことはない。それゆえにこそ、広島が、とくに被爆者が、「原子力平和利用」宣伝のターゲットとされ、繰り返し「核の平和利用」の幻影が彼らに当てられ、被爆者たちはその幻影の放つ輝かしい光に眩惑されてしまったのである。その意味では、被爆者たちは「核の二重の被害者」とも言える存在である。
F) 「原水爆禁止世界大会」での「原子力平和利用」支持
被爆者を支える意図も含めて立ち上げられた「原水爆禁止世界大会」が、「原子力平和利用」幻想を打ち砕くのではなく、逆にその発足当初から支持してしまい、被爆者の眩惑をさらに強めてしまったのみならず、反核運動にひじょうな熱意をもって全国から大会に参加した多くの市民をも同じ幻想におとしめてしまった。
1955年8月6日に広島市公会堂で開かれた第1回原水爆禁止世界大会:
オルムステッド女史(国際婦人自由平和連盟代表、米国人)の挨拶:
「私の国の政府が、人類の生活の向上に使わねばならない原子力を、破壊のために使ったことを深くおわび申し上げます。 …… 原子力は人間のエネルギーと同じく、あらゆる国であらゆる人に幸福をもたらさねばなりません」(強調:田中)。
「広島アピール」に含まれた文章:
「原子戦争を企てる力を打ちくだき、その原子力を人類の幸福と繁栄のために用いなければならないとの決意を新たにしました」。
長崎での第2回原水爆禁止世界大会では、「原子力平和利用」に関する独自の分科会がもたれた。しかし、ここでも「平和利用」そのものを全面的に支持しながらも、原子力が巨大資本に独占されていることに対する批判に議論が集中。したがって、秘密主義、独占主義を排除し、「民主・公開・自主」という日本学術会議が打ち出した平和利用三原則を支持するという結論で終わっている。
かくして原水爆禁止世界大会では、「原子力の民主的な平和利用」こそが、様々な経済社会問題を解決する魔法のカギでもあるかのようなメッセージが、1963年に分裂するまで毎年、反復され続けたのである。(原水爆禁止世界大会は63年、原水爆禁止国民会議[原水禁]と原水爆禁止日本協議会[原水協]に分裂。1969年に原水禁が初めて公式に「原子力平和利用」反対の方針を打ち出した。しかし、実質的に原水禁が反原発で行動をとるのは、スリーマイル・アイランド原発事故後の1979年以降である。)
G) 科学者を含めた戦後進歩的潮流の科学技術進歩志向と近代イデオロギー
8月16日に天皇から新内閣の組閣を命じられた東久邇宮((ひがしくにのみや)は、戦時中の日本の最大の欠点は「科学技術」を軽視したことであると述べ、自国の敗北の原因を敵国の最新科学技術=原爆に求めた。新内閣の文部大臣に就任した前田多門は、就任直後の記者会見で「われらは敵の科学に敗れた。この事実は広島市に投下された1個の原子爆弾によって証明される」(強調:田中)のであり、「科学の振興こそ今後の国民に課せられた重要な課題である」と述べた。
「科学立国」という基本方針は戦後もそのまま持続され、様々な形で科学教育の推進がはかられた。しかし、それは、占領軍の民主化政策と絡み合いながら、日本独自の展開をみせる。とくに平和憲法の理念と密接に結びついて、「科学技術」は「平和と繁栄」と同義語であるかのような、情緒的とも言える受け止め方が日本社会に急速に浸透していった。戦争があまりにも悲惨であったため、平和の促進と経済繁栄のために「科学技術」の大いなる利用をという極めて短絡的な論理展開で、平和と科学技術を直結させてしまうという現象がみられるようになった。
戦時下の日本でも極めて小規模ながら「原爆開発研究」が行われていた。理化学研究所の仁科芳雄をリーダーとする「ウラン爆弾開発研究」、別名「ニ号研究」と呼ばれるプロジェクトと、京都帝国大学理学部の荒勝文策教授の指導の下に行われた、通称「F研究」と呼ばれる開発研究。この2つの研究プロジェクトには、当時の日本の原子物理学者のほぼ全員が動員されたが、「ニ号研究」の中には武谷三男が、「F研究」には戦後ノーベル物理学賞を授与された湯川秀樹が含まれていた。戦後、武谷も湯川も原水禁運動や核兵器廃絶運動に積極的に関わるようになるが、両者とも自分が「原爆開発研究」に携わったことに対する自己批判はまったく行っていない。もちろん、その当時、仁科や荒勝をはじめ、ほとんど誰も原爆を実際に製造できるなどとは考えてはおらず、原爆開発研究を科学者温存のための隠蓑として利用したことは周知のとおりである。
そのため、原爆開発研究に深く関わったという意識が薄かったためであろうか、湯川、武谷のみならず、多くの物理学者たちは、自分が関与したはずの軍事科学技術開発の批判的検討を行わないまま、1950年代半ばから始まった「原子力平和利用」の動きには、「基本的に賛成」という形で、いとも簡単に「軍事利用」から「平和利用」に横滑りしていく。「原子力平和利用」が、いかに密接に「軍事利用」と連結しており、「平和利用」の実体がいかなるものであるかを十分に検討しないまま、当時のほとんどの物理学者たちが横滑りしていった。しかし、こうした傾向は日本だけに見られた特殊なものではなく、1957年に、ラッセル・アインシュタイン宣言によって発足したパグウォッシュ会議に世界各地から参加した学者たちに、共通に見られた傾向であった。その後、世界パグウォッシュ会議も、また湯川や朝永振一郎がリードした日本パグウォッシュ会議も、中心テーマはあくまでも「核兵器廃絶」であって、「平和利用」の問題は完全に蚊帳の外におかれてきた。
H) 戦後保守政治勢力の改憲・核武装への野心と「核持ち込み」への経過
原子力平和利用の裏に隠された真の目的:
1951年9月8日、吉田茂首相がサンフランシスコで対日平和条約と日米安全保障条約に調印し、翌52年4月28日に講和発効。講和発効の1週間前、4月20日の読売新聞が、「(政府は)再軍備兵器生産に備えて科学技術庁を新設するよう具体案の作成を指令した」と報じた。科学技術庁設置の中心人物であった前田正男(自由党衆議院議員)は、科学技術庁の附属機関の一つとして「中央科学技術特別研究所」設置を提案。その目的は「原子力兵器を含む科学兵器の研究、原子動力の研究、航空機の研究」であったと言われている。[1956年1月1日:原子力委員会発足(初代委員長 正力松太郎)、同年3月13日:科学技術庁開庁(初代長官 正力松太郎)]
1953年夏、中曽根康弘(改進党 衆議院議員)は、米国諜報機関のお膳立てて渡米し、ハーバード大学でヘンリー・キッシンジャーのセミナーに参加。このセミナーには20数カ国から45人が参加。冷戦時代にアメリカの影響力を確固たるものとするため、若い政治家の教育と相互の人脈形成が目的。中曽根は、この時、とくに核兵器に興味を示し、日本の核兵器保有実現を強く望むようになったと言われている。かくして中曽根の「原子力平和利用」も、最初から改憲・再軍備・核武装を狙うための不可欠な手段と位置づけられていた。
1954年3月2日(ビキニ米水爆実験被災の翌日)、原子炉建造のため、2億3千5百万円の科学技術振興追加予算が、突然、保守3党の共同提案として衆議院に出され、ほとんどなんの議論もなく可決された。衆議院本会議で小山倉之助(改進党)が行った提案主旨では、次のような説明が含まれている:
「この新兵器[=核兵器]の使用にあたっては、りっぱな訓練を積まなくてはならぬと信ずるのでありますが、政府の態度はこの点においてもはなはだ明白を欠いておるのは、まことに遺憾とするところであります。……新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります。」(強調:田中)
かくして、原子炉建設は、新しいエネルギー開発が目的などではなく、当初から「原子兵器を理解し、これを使用する能力を持つため」であったことを、はっきりと小山は述べていた。
1950年代のアメリカ側の核兵器持ち込み政策:
朝鮮戦争で朝鮮半島の政治状況が悪化し、北朝鮮への核攻撃が真剣に検討されていたこの時期、米国ペンタゴン統合参謀本部は、日本にも核兵器への持ち込みを強く要望していた。しかし、国務省がこれを許可しなかったが、核物質を取り外した核兵器がすでに1954年6月段階で持ち込まれていたことを示唆する最高機密書類が存在する。
「1954年6月23日、統合参謀本部は日本に(核兵器の)非核兵器部分を配備する権限を与えられた。この段階では、核物質の配備は許可されなかった。」
「戦争という緊急事態においては、米国支配下にある日本近辺地域に貯蔵されている核物質を即座に日本に配備することを、日本の軍司令部に貴下が勧告する権限が貴下には与えられている。」
国防長官から統合参謀本部宛に送られた最高機密覚え書き 1955年3月3日
「原子力平和利用博覧会」も、最終的には、日本への核兵器持ち込みを可能にさせるための準備手段であったことが下記の資料からも明らかとなる。
「日本の市民指導者たちを、通常兵器による国防という点で教育を行うことが一旦完了すれば、原子兵器を受け入れられるような状態に彼らはなるであろうし、たぶん、最終的には彼ら自身が日本での原子兵器が利用可能になることを望むようになるであろう。………… 短期的には、原子力平和利用に集中したほうが最も効果的であろうし、米日関係の信頼性をもっと高める上で、すでに我々は、その目的を半ば達成した段階にある。」
国務長官特別補佐官ジェラルド・スミスより国防副長官ゴードン・グレイ宛の極秘手紙
1956年12月3日
日本の核兵器生産研究への具体的な動きと「核兵器持ち込み」の裏取引:
1967年〜70年にかけ、佐藤栄作首相の指示で、日本の核武装についての研究・検討が、内閣、外務省、防衛庁、海上自衛隊幹部などによって、半公式、私的形態で精力的に推進。核保有問題を、岸政権以来の法律論、抽象的議論から、製造プロセスへという具体的な政策レベルへと押し進めた。
しかし、日本の核兵器保有を許さず、日本(とくに沖縄基地)をアジアにおけるアメリカ軍事覇権維持のために利用するというアメリカの政策=安保条約のために、佐藤政権は、「核武装カード」をちらつかせながらも、当面は核兵器を保有しないと譲歩。それを「非核三原則」で保証してみせ、それと引き換えに沖縄の「核抜き返還」を承諾させ、さらには核保有断念との引き換えに、日本に対する米国の核の傘を保証させるという取引を成立させようとした。ところが、現実はそう甘くはなく、アメリカ側の「核抜き返還」は全く形式的なもので、実質的には、「核兵器の持ち込み」という裏取引を日本政府は要求され、「非核三原則」は最初から尻抜け状態。
その後も日本政府は、核兵器保有を許さない米国支配の「安保体制」の中で、「核武装カード」を維持し続け、高純度プルトニウムを製造するためのプロジェクトとして動力炉・核燃料開発事業団(動燃)を科学技術庁傘下に設置。再処理工場と高速増殖炉の技術開発を目指しながら、核兵器運搬手段となるロケットの技術開発を国家戦略の下に統合するため、宇宙開発事業団を同じく科学技術庁傘下に設置。
「プルトニウム開発」が核兵器製造目的のものではなく、あくまで「エネルギー政策の一環」であることを、自国民のみならず、海外に向けても宣伝するため、「核燃料サイクル」計画を打ち出し推進してきた。「平和利用」の裏にはこの真実が隠されていたことに、我々は今こそ気づくべきである。
I) 結論 − 反核・反原発を統合的に推進するために
かくして、日本の反核運動の主流ならびにその重要な一部を担ってきた被爆者たちのみならず、国民のほとんどが、「原子力平和利用」についてはほとんど本質的な検討をしないまま、核兵器保有・使用・持ち込みにだけは反対という態度をとってきた。しかし、核兵器保有・使用に関してもまた、我々は、これが基本的には単にアメリカをはじめとする核兵器保有国の問題であるとしかとらえず、いつもこの問題を「原爆被害者」の立場のみから見るにとどめ、日本政府自体が核兵器製造・所有を核エネルギー導入の最初から企て、その製造能力維持を長くはかってきたことを、いわば「加害者となる可能性」という観点から直視しようとはしてこなかった。
このような歴史的背景から、一方では、反原発運動では、スリーマイル・アイランドやチェルノブイリのような大事故が起きた時にのみ、反核運動にはかかわっていないが、身の危険を感じた一般の主婦、母親、環境保護運動家たちが立ち上がるという現象を見せてきた。反核運動組織や被爆者からの支援をほとんど受けないそのような市民運動は、電力会社、原子力産業と政府が打ち出す「安全神話」の反撃によって弱体化され、おおきなうねりを全国的規模で持続させるということができなかったのである。
また他方、反核兵器運動においては、基本的に核兵器は自国の問題ではありえないという態度のもとで、他国にのみ核軍縮・廃絶や核実験停止を求めるだけで、自国の核兵器製造能力である「核再処理施設」に対する問題に対して強い関心を示し、それを自分たちの反核兵器運動の中に深く取り込んでこなかった。
現在、福島第1原発事故による大惨事という経験を強いられている我々市民、とりわけこれまで反核運動に取り組んできた組織に身をおいてきた者たちは、このような歴史的背景を持つ自己の弱点を徹底的、批判的に検討する必要がある。
原爆が無数の市民を無差別に殺戮したのと同じように、核実験ならびに核兵器関連施設や原発での事故も、放射能汚染の結果、予想もつかないほどの多くの人たちをして、無差別に病気を誘発させ死亡させることになる恐れがある。
核兵器使用は明らかに「人道に対する罪」である。「人道に対する罪」とは、「一般住民に対しておこなわれる殺人、殲滅、奴隷化、強制移送、拷問、強姦、政治的・宗教的理由による迫害」などの行為をさすものであり、核攻撃は、そのうちの「一般住民に対しておこなわれる殺人、殲滅」に当たる。核実験ならびに核兵器関連施設や原発での事故は、核兵器攻撃と同じく、放射能による「無差別大量殺傷行為」となりうるものであり、したがって「非意図的に犯された人道に対する罪」と称すべき性質のもの。「人道に対する罪」が、戦争や武力紛争の際にのみ行われる犯罪行為であるという既存の認識は、ウラルの核惨事、チェルノブイリや福島での原発事故が人間を含むあらゆる生物と自然環境に及ぼす破滅的影響を考えるなら、徹底的に改められなければならない。
この最も根本的な点にもう一度立ち返り、我々は、反核兵器と反原発の統合的な反核運動のあり方について深く再考し、今後の運動のあり方について広く議論する必要がある。
参考文献:
有馬哲夫著『原発・正力・CIA』(新潮新書 2008年)
武藤一羊著『潜在的核保有国と戦後国家 フクシマ地点からの総括』(社会評論社 2011年)
槌田敦、藤田裕幸ほか著『隠して核武装する日本』(影書房 2007年)
田中利幸、ピーター・カズニック著『原発とヒロシマ 「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット 2011年)
田中利幸著「<原子力平和利用>の裏にある真実」『科学』(岩波書店)2011年12月号
米国公文書館所蔵関連資料

このサイトの田中利幸氏による寄稿・関連投稿はこちらのリンクをどうぞ。

関連投稿:

櫻井春彦
日本の原子力村はアメリカが全面核戦争の準備を進める過程で作り上げられた
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/10/blog-post_02.html

ピーター・カズニック
原発導入の背景に「広島長崎の意図的な忘却と米国の核軍拡」
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/05/peter-kuznick-japans-nuclear-history-in.html

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中川保雄著『放射線被曝の歴史』目次&序文にかえて by limitlesslife
[2012(H24)年01月13日(金曜)AM02:35送信]
《パレスチナに平和を京都の会》諸留です

**転送/転載/拡散 歓迎**
————————————
昨年秋に出版されました
<増補>『放射線被曝の歴史』
中川保雄著
島薗進氏推薦
明石書店
ISBN: 9784750334820
2011年10月20日初版第一刷
本体2,300円+税
http://www.akashi.co.jp/

は、大変優れた著書です。
 地道な「実証史学的方法論」を縦横に駆使し、
本書巻末に掲載されているアメリカ側の膨大な公開情報(公文書資料等)を、
丹念に収集・分析することで、対象とする問題の根底を、
深く、鋭くえぐり出すことに成功した著者、中川保雄氏の手腕に深い敬意を表します。
 著者中川保雄氏の用いた「実証史学的分析方法」と同様の分析方法を用いた秀作として、私たち圧倒的多数の日本人、とくに京都人の「神話」を、完璧に打ち砕くことに成功した、日本史研究会の吉田守男氏著の『京都に原爆を投下せよ—原爆投下目標は京都だった』(角川書店)の著書と並ぶ、記念碑的な著書と言っても過言ではない。
 ジャーナリスト界のシンクスが2つある。
ひとつは【世間で言われている「秘密情報」の90%は
「公開情報」の中に既に隠されている】と言うもの。
もうひとつは【「うそ」は「真」の皮、「真」は「ウソ」の皮】というのです。
 決定的に重要な情報は、秘密にされ、市民大衆に知らされないから解らない・・・のではなく、既に今までに、一般市民大衆に流された、公開情報の中にこそ、決定的な情報が含まれているのだが、一般大衆はそれに気付かないだけ・・・という意味です!
 また、「あぁ・・これはウソだなぁ・・・」と世間の人から思われ、
棄て去られ無視されるような情報でも、
その「ウソ情報」の皮を、一皮めくれば、
実は意外な真実をそこに発見できる。
逆に、世間から「あぁ・・これだけは確かな情報だ」と、
「真実」と思われてる情報でも、
その「確かな情報」の皮を一皮めくれば、その情報が実は「ウソ」か、
あるいは「確かさを疑わせるだけの十分な情報がそこに含まれている」ということ。
 市民大衆は、そこまで、公開情報をコツコツ収集したり
分析まではしないから、気付かないだけ。
私(諸留)自身も、この「法則」がかなりの確率で正しいことを
半年費やして分析収集して、
この「実証史学的分析方法」の有効性を確認した経験があります。
 今回、本書の
「目次」と
「1 放射線被害の歴史から未来への教訓を —- 序にかえて」
の2箇所だけに限り、ウェブサイト掲載に伴う、
電子化や公衆送信権使用の許諾を、
出版者の「明石書店様」並びに、(2012年1月現在)の著作権者の
中川慶子様(著者中川保雄氏の奥様)から
私(諸留)が承諾を給わりましたので、
以下、公開掲示します。
拡散・拡大・複写・転送など大歓迎!
 「今回の福島第一原発事故の事態の重大性を鑑み、
著作権の保護より有益な情報の提供・公開を優先するべきと考えています」と
ご判断下さいました本書出版社の明石書店様と、
著作権者の中川慶子様のお二人に、
ここで、改めて厚く感謝の意を表します。
 福島第一原発事故による放射能汚染、
とりわけ低線量被曝の危険が日増しに増大・拡散する兆しが
強まりつつある現況下にあって、
一人でも多くの日本国民が、本書を読んで下さることを願います。
 東電や政府・官僚・自治体・保育教育現場管理者・地域住民の
圧倒的多数が「盲信している」ICRPの放射能安全値が、
核兵器と原発の核エネルギーの開発推進を画策する、
アメリカを中核とする、日本も含む欧米核独占超大国の
「政治的判断だけに基づいて恣意的に決定された我慢強制値」
でしかない値であることは
本著の随所で確認できる。
とりわけ低線量被曝量の人体への影響如何に関しては
放射線医学的、疫学的科学的検証や確認などは、
その出発当初からほとんど考慮されることなく
決定された値であったことは、本書以外にも
昨年暮れにも再放送された
NHK特集ドキュメント 追跡!真相ファイル「低線量被縛 揺らぐ国際基準」
(関西地方:011チャンネル)
2011年12月28日(水曜)PM22:55再放送(30分)
このTV番組は、以下のULRから見れます
http://matome.naver.jp/odai/2130135738661742901/2132514465921397203
の中で、国際放射線防護委員会(ICRP)名誉委員(複数)が
「低線量のリスクはどうせわからないのだから半分に減らしたところで問題はない」
「科学的根拠はなかった。我々の判断で決めたのだ」
言明していたり
更には国際放射線防護委員会(ICRP)科学事務局長の
クリストファー・クレメント氏も
「これまでICRPでは低線量の被曝のリスクは低いと見なし、半分に留めてきていることが、
本当に妥当なのか議論している」との
驚くべき無責任な発言を質問したNHK担当者に対し公言している!
しかもその事実は
1980年代後半から既に始まっており、
その頃から、ICRP基準値のデーターの基礎となっていた
広島・長崎の被爆者データーが、アメリカの核戦略の「政治的意図」によって
修正」されることになったという!
このことからも、著者の慧眼の正しさが傍証できる。
本著か広く読まれ、拡散することで、
原発廃止イコール核兵器廃絶であることが、
国民的規模で自覚され、拡大・深化していく
一助となって頂くことを切望する次第である。
※【註】
以下の「1 序にかえて」の本文は、
原著の段落表記とは異なって表記されています。
改行を頻繁に挿入しないで長文で送信すると、
しばしば発生する「文字化現象」を回避する為、
原著には無い改行を適宜挿入させました。
 改行冒頭部で「一文字下げしてある」改行開始箇所が、
原著本来の段落(改行箇所)です。
改行冒頭部で「一文字下げしてない」改行箇所は、
原著では改行無しで、全段に直結しています。
 従ってこの「1 序にかえて」の、
原著の段落改行箇所数は、全部で20段落です。
===========以下原著からの転載=====================
もくじ
1 放射線被害の歴史から未来への教訓を —-序にかえて—
2 アメリカの原爆開発と放射線被曝問題
・全米放射線防護委員会の誕生
・マンハッタン計画の放射線科学者
・戦前の被曝基準と放射線被害
3 国際放射線防護委員会の誕生と許容線量の哲学
・ICRPの生みの親
・許容線量の誕生
・アメリカの核開発と許容線量
・ICRP一九五〇年勧告
4 放射線による遺伝的彰響への不安
・原爆傷害調査委員会(ABCC)の設立
・ABCCによる遺伝的影響研究
・倍加線量と公衆の許容線量
5 原子力発電の推進とビキニの死の灰の影響
・原子力発電でのアメリカの巻き返し
・ビキニの死の灰の影響
・BEAR委員会の登場
・許容線量の引き下げ
・ICRP一九五八年勧告
・国連科学委員会
6 放射線によるガソ・白血病の危険性をめぐって
・微量放射線の危険性への不安の広がり
・死の灰によるミルクの汚染
・ガン・白血病の「しきい線量」
・広島・長崎での放射線障害の過小評価
7 核実験反対運動の高まりとリスク — ベネフィット論
・核実験反対運動の高まり
・リスク – ベネフィット論の誕生
・一九六〇年の連邦審議会報告とBEAR報告
・ICRP一九六五年勧告
8 反原発運動の高まりと経済性優先のリスク論の “進化”
・反原発運動の高揚
・科学者による許容線量批判の高まり
・原発推進策の行きづまり
・放射線被曝の金勘定とコスト – ベネフィット論
・BEIR – 1報告
・ICRPによるコスト – ベネフィット論の導入
・生命の金勘定
・原子力産業は他産業よりも安全
・ICRP一九七七年勧告
9 広島・長崎の原爆線量見直しの秘密
・原爆線量見直しの真の発端
・マンキューソによるハンフォード核施設労働者の調査
・絶対的とされたT65D線量の再検討へ
・軍事機密漏らしの高等戦術
・BEIR – 3報告をめぐる争い
・日米合同ワークショップによるDS86の確定
10 チェルノブイリ事故とICRP新勧告
・ICRP勧告改訂の背景
・新勧告につながるパリ声明
・チェルノブイリ事故と一般人の被曝限度
・新勧告とりまとめまでの経過
・アメリカの放射線防護委員会と原子力産業の対応
・国連科学委員会報告
・BEIR – 5報告
・線量大幅引き下げのカラクリ
・新勧告の最大のまやかし
11 被曝の被害の歴史から学ぶべき教訓は何か
・時代の変化とともに広がる被曝の被害
・防護基準による被害への対応の歴史
・現在の被曝問題の特徴
・日本における被曝問題の最近の特微
・食品の放射能汚染
12 おわりに
増補 フクシマと放射線被曝
1 フクシマ事故の特徴と労働者・住民の大量被曝
2 一〇〇ミリシーベルト以下の被曝も危険
3 フクシマの汚染・被曝対策とICRP
4 放射線被曝との闘いから脱原発へ
5 フクシマが示すもの
旧版 あとがきにかえて
増補版 あとがき
文献
=====================================
1 放射線被害の歴史から未来への教訓を —- 序にかえて
=====================================
 人類が原子力の開発を始めてからおよそ半世紀たった。通常、その前半はもっぱら核兵器の開発の歴史として、そして後半はそれに加えて原子力発電の歴史として語られる。
 しかし原子力を、開発と技術的発展の側面からのみ語ることはできない。また許されない。なぜならこの半世紀は、原子力開発に必ずつきまとう放射線被曝の歴史でもあったからである。しかもその被曝は、人類を死滅させるかもしれない恐るべき危険性をもつのである。
 ところが人類の生存を左右する放射線のこの被曝の危険性について、歴史的にどのように認識され、どのように対処されてきたのかを体系的に扱った書物はいまだない。
わずかに、放射線被曝防護の歴史を表面的に扱った書物がいくつか存在するが、それらはすべて放射線被曝を管理する立場から書かれたものばかりである。
放射線防護の行政と実務に深くかかわる種々の組織や学会、協会の人たちの手になるそれらの放射線被曝問題の扱いは、原子力発電の推進あるいはその容認の立場から記述されている。
 したがってこれまでに出版されたそれらの書物から、原子力の推進をはかってきた政府や原子力産業の放射線被曝問題に対する政策への批判を見いだすことはほとんどできない。
また、国際的な科学的権威とされている「国際放射線防護委員会」(ICRP)」などが、核兵器開発策や原子力発電推進策とどのように結びついていたのかを知ることはできない。ましてや原爆被爆者や原発労働者など「ヒバクシャ」の真の被害や苦しみを見いだすことなどとうていできない。
 原子力の問題に関心を抱く多くの人びとにとって現在最も必要なことの一つは、原子力が人類の未来を約束するものかどうかを、ありとあらゆる原子力開発に共通し、その基礎に横たわる放射線被曝の問題から考えることであると私は思う。
 一九七九年のアメリカのスリーマイル島事故は、原発重大事故が現実に起こることを教え、一九七九年のソ連のチェルノブイリ原発事故は、原子力発電が地球的放射能汚染と分かちがたいものであることを示した。
原発と核燃料サイクルによる放射能汚染は、人類と地球上のすべての生物にとって、死活の脅威となっている地球環境問題の筆頭にあげなければならない。
 核戦争による人類の滅亡を避けうる可能性が現在大きく高まっている。逆に、たった一つの原発の重大事故でさえ核戦争に匹敵する深刻な被害を引き起こすことをわれわれは今、身をもって教えられている。
核戦争ではなく原発・核燃料サイクル施設の重大事故で、人類と地球上の生物が滅ぼされることはないと誰が断言できようか。
 しかし人類の将来の発展に原発は不可欠とする考えが依然として世界を支配している。いやむしろ最近は、主要な先進工業国は原発の新たな推進に未来を託そうとしている。
日本はその先頭を走っている。しかも、広島・長崎の惨害を経験して放射能の恐さを熟知していると思われているがゆえに、日本の原発推進策は世界のその動きを大いに鼓舞する役割を果たしている。
 われわれは放射線被曝の影響についてどれほど知っているのであろうか。いや、その危険性や被害について、核兵器や原発の開発を進めてきた人びととどれほど違った観点から考えてきたであろうか。放射能の恐さや放射線被曝の危険性に関する公的なあるいは国際的な評価は、核兵器を開発し、それを使用し、その技術を原発に拡張した人びとと、それらに協カしてきた人びとによって築きあげられてきたのである。
それらの「定説」とされている考えを批判的に受けとめることから始めなければ、被爆国のわれわれが世界の他の国の人びとよりも放射能の恐さについてよく知っているなどとはとても言えない。
 被害をどうみるかが問題とされる事柄を、加害した側が一方的に評価するようなことが、しかもそれが科学的とされるようなことが、まかり通ってよいものであろうか。そのような問題のある評価を基にして、現在の放射線被曝防護の基準と法令が定められている。
言い換えれば、一般には通用しないようなやり方で、放射線被曝の危険性とそれによる被害を隠し、あるいはそれらをきわめて過小に評価することによって、原子力開発は推し進められてきたのである。
 原子力の時代が始まってから、放射線被曝の危険性はどのように考えられてきたのであろうか。それは、どのような人びとによって、いかに過小評価されてきたのであろうか。
被害者たちはどのように扱われてきたのであろうか。これらの事柄を、従来の説明とは全く異なる視点と証拠から明らかにするのが本書の大きな目的である。
 秘密で覆われていることが、核・原子力問題の本質的な特徴ではある。しかし、公表されている資料と情報もまた膨大な量にのぼる。それらの入手可能な資料から、隠されているものを丹念に拾い、それらを結びつけることによって、本質的に重要なことがらを見いだすのがここでのやりかたである。
 時間の経過に従って述べるなら、私がまず試みたのは、アメリカの「マンハッタン計画」の下で行われた、放射線の人体への影響の研究を洗い直すことだった。原爆放射線の研究は広島・長崎から始まる、と言われる。たしかにその面がある。
しかし破壊を目的とするものが、破壊の程度をなんら予測することなく開発されるということはありえない。そう考えて、マンハッタン計画から放射線の被害について見直すことにしたが、調べてみて驚いた。放射線をあびせる人体実験まで行われていたことが解ったからである。
この事実は後に、アメリカの議会で一九八六年に秘密が暴露されて日本でも多くの人の知るところとなった。しかしそれまでは、マンハッタン計画での放射線被曝の問題など調べても秘密の壁に遮られて何も得られないと考えたのか、誰もそのことすら指摘しなかった。
この例をみても、マンハッタン計画に関する日本の研究に大きな問題点があると指摘することができよう。同時に、誰もがよく知っていると考えている広島・長崎の原爆災害の放射線被害に関する研究に、基本的な視点で欠けるものがあると教えられる。
 広島・長崎の放射線被害に関しては、これまで日本でも豊富な研究がある。そのうえ、アメリカ占領軍がプレスコードをしいて被害の実情が多くの人びとに知られることを阻んだという歴史的な経過もあったため、すでに日本やアメリカで公表されているものからは放射線の被害に関して本質的な点で新しい事実は見いだされないのではないか、と考えている人が多い。
最初は私もそのように考えていた一人である。しかし加害した側のアメリカ軍によって調査された事柄を、被害者の側に立つべき日本の研究者たちも大筋において受け入れているという事情は、なんとしても説明しがたいことではないか。
 原爆が投下された直後の広島・長崎を調査したのは、日本では「日米合同調査団」とされている。しかしアメリカの公式文書では、それは「アメリカ軍合同調査委員会」と称される。この一例が示すように、調査を行った主体についてすら日本で正しく理解されているとは言えないのである。
このことは、放射線被曝の危険性に関する調査内容の評価にもあてはまる。じつは、アメリカ軍による原爆被害の隠ぺいや過小評価に、日本の代表的研究者たちも同意を与え続けてきたのである。その結果、多くの被爆者たちが、その急性死や急性障害を放射線のせいではないとされたり、ガンや白血病などの晩発的な影響についての評価を歪められてきたのである。
 なぜそのようなことがまかり通ってきたのか。それを明らかにするのもこの書の目的の一つである。広島・長崎の原爆被害を調査した日本人の主だった研究者たちが、日本の侵略戦争に協力していたということが、そのことを説明してくれる。
あるいは、戦争中に日本の原爆開発に従事していたり、戦後に日本の原子力開発に関係していたことが絡んでいる。
 それらの原爆被爆者の調査が基になって、原子力発電における放射線被曝の防護基準が作られている。その防護基準に集約される放射線被曝の危険性の評価については、「アメリカ原子力委員会」とその関連組織が最も大きな役割を果たしてきた。
これらアメリカを中心とする放射線被曝問題の扱いについて、筆者は一九八七年から一九八八年にかけてニューヨーク市立大学に滞在したおりに、この問題の当事者にも直接あたって調査した。
たとえば、本書の中でしばしば登場するL・S・ティラー・アメリカ放射線防護委員会名誉委員長やK・Z・モーガン・国際放射線防護委員会委員などがその一、二の例である。またアメリカ原子力委員会関係の文書の中には、情報公開法によって機密扱いが解かれたり、その結果出版されたりしたものも少なくない。
それらを基に、これまでほとんど知られていなかった「アメリカ放射線防護委員会」の放射線被曝問題に対する対応や、「アメリカ原子力委員会」による国際的な体制づくりの秘密を明らかにすることができた。その実態を解明し、従来の「定説」と異なる歴史を示すことが本書の大きな目的である。
 もとより本書で明らかにされうる事柄は、隠されていた秘密のごく一部でしかないであろう。それにもかかわらず、核兵器と原子力発電の開発に伴う放射線被曝の被害者が、これまでいかにして無視されたり切り捨てられたりしてきたのか、その基本的な仕組みを明るみに引き出すことが可能である。
ここで明らかにしえたその仕組みは、原子力開発とそれによる放射線被害の問題にとどまらず、地球的問題を含む環境汚染問題とそれらによる被害の問題にも基本的にはあてはめることができるであろう。
 人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は、最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断されると私は思う。ここで扱う問題に即して言えば、放射線をあびせられたヒバクシャの被害や、将来の時代を担う赤ん坊や子どもたちへの放射線の影響をどのように考えてきたかで測られると思う。
その子どもたちの安全を守るという場合、放射線の人体への影響という科学的な判断とともに、安全をどのように考えるかという社会的な判断が絡むことになる。その判断は、情報と社会的な権力を握る人たちが、自分たちに都合のよいように行ってきた。
その結果、原子力産業と原発を推進する人びとは、子どもたちを放射線の被害から守るという問題においてすら、経済的な利益を至上とする原理や、人の生命すら貨幣的価他に換算する仕組みを作り上げたのである。
本書のめざすところは、この原理や仕組みが、いかにして「科学」とされていったのかを解き明かし、闇に消され、切り捨てられた被害を新しく見出された証拠とともに示すことにある。
 安全なものは「安全」でございますなどとことさら宣伝などしない。人びとが原発に抱く不安は、そのような「原子力広報」などでなくなりはしない。いや、大金を使ったうさん臭いその安全宣伝に、いっそうの不安を感じている。チェルノブイリ事故は、われわれ自らが不安を直視することを求めている。
われわれはその警鐘を受けとめて、この半世紀の放射能被害の歴史を直視することからまず始めよう。そして、放射能被害者を生み出す根源を見据え、新たな被害者を生み出さないためには何が必要か、を考えたいと思う。
=======以上 終わり========
**転送/転載/印刷/拡散 歓迎**
————————————
真の文明は
山を荒らさず
海を荒らさず
村を荒らさず
人を殺さざるべし (田中正造)
社会が激動している今この時
歴史に残る最大の悲劇は
「悪しき人々」の過激な言葉や暴力ではなく
「善良な人々」の沈黙と無関心である
我々の世代が後世に恥ずべきは
「暗闇の子」の言動ではなく
「光の子」が抱く恐怖と無関心である (M.L.キング牧師)
*******************
《パレスチナに平和を京都の会》
“Peace for Palestine” in Kyoto Movement(PPKM)
代表:諸留(モロトメ)能興(ヨシオキ)
*******************
※ 諸留宛への送信は本メールの送信人アドレス宛にメール下さい


新着原発関連3篇(共謀、隠蔽、恐怖) by limitlesslife

[uniting-peace][18432] デモクラシー・ナウ!ジャパンから、新着原発関連3篇

みなさまへ   (BCCにて)松元
おなじみデモクラシー・ナウ!ジャパンの新着ストリーミング原発関連3篇を紹介させていただきます。ぜひ動画をご覧ください。
http://democracynow.jp/=====以下転載====

新着ストリーミング ********************************************
2011/4/14 高木仁三郎の盟友マイケル・シュナイダーが語るプルトニウムの恐怖と平和利用のペテン
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マイケル・シュナイダーは、28年間エネルギー問題を追い続けている理由を「エネルギーの利用や生産が政治権力と結びついている」からだと説明し ます。もともと
はドイツの反戦活動家で、良心的兵役拒否者だったと言います。社会奉仕活動を課せられた後、世界を渡り歩き、フランスに落ち着きます。しかし軍事問題への関心を持ち続けたシュナイダーは、軍事用核と民生用核の問題に気づき、独自に調査を始めます。1992年以降、環境団体と 協力して
『世界の原子力産業現状報告』を発行、原発産業の動向を報告してきました。

報告の中でシュナイダーが一貫して指摘しているのは、原発産業 は1980年代末にピークを迎えた斜陽産業だということで
す。しかし「原子力ルネサンス」は「安全神話」と共に世界中で喧伝されました。シュナイ ダーは、「原子力ルネサンス」は権力構造を
維持するための壮大な「誇大宣伝」であり「ペテン」だと言っています。効率的なエネルギー生産という名 のもとに世界をだます「無用の長
物」だと。半年後の2011年3月11日、日本でそれが証明されることとなりました。
つづきはこちら→ http://democracynow.jp/video/20110414-9 (動画 17分)

*マイケル・シュナイダー(Mycle Schneider)パリ在住のエネルギー&原子力政策コンサルタント。プルトニウムの危険性を世界に訴えたとして高木仁三郎と共に 1997年の
ライトライブリフッド賞Right Livelihood Award in 1997を受賞。

字幕:桜井まり子/全体監修:中野真紀子/サイト作成:丸山紀一朗

新着ストリーミング ********************************************
2011/8/9  米国が隠したヒロシマとナガサキ
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3.11の福島原発事故は、核エネルギーを安全に使いこなせるという原子力「安全神話」をくつがえしました。原子力の平和利用という謳い文句の下、放射能の危険を軽んじたのは日本も米国も同じでした。あまりにも残虐な武器の使用を正当化するために、被爆者の惨状を隠そうとする動きは、終戦直後から始まりましたが、さらに冷戦下の核軍拡競争と原子力発電推進の中で、米国は原爆の全貌を国民の目から隠しました。ウソで固めた核の時代 が始まったのです。
つづきはこちら → http://democracynow.jp/video/20110809-1 (動画 26分)

*グ レッグ・ミッチェル(Greg Mitchell)米国新聞業界誌『エディター・アン
ド・パブリッシャー』誌や『ニュークリア・タイムズ』誌で長らく編集者を務
め、また1960年代の伝 説的音楽雑誌『クラウダディ!』誌の上級編集者としても名を馳せた。現在は、『ネイション』誌とそのウェブサイト
(TheNation.com) で執筆活動を行なっている。ロバート・ジェイ・リフトン
(Robert Jay Lifton)との共著『アメリカの中のヒロシマ』をはじめ広島と長
崎の原爆投下について多数の著作があり、新刊著はAtomic
Cover-Up: Two U.S.Soldiers, Hiroshima & Nagasaki and
The Greatest Movie Never Made (『原爆の隠蔽 2人の米兵 ヒロシマ&ナガサキ、制作されなかった偉大な映画』)。2011年には、ネイション誌のサイトでブロ グ
“Countdown to Hiroshima1945″を展開し、7月25日からヒロシマに原爆が投下された8月6日にいたるまでの1945年のいきさつを1日ごとに詳細にたどった。日本語翻訳書 に、
『ウィキリークスの時代』もある。

字幕翻訳:内藤素子/校正:桜井まり子/全体監修:中野真紀子/サイト作成:丸山紀一朗

新着ストリーミング ********************************************
2011/6/24 AP記事が暴露 米原子力規制委員会が業界と共謀して安全基準の緩和に動く
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AP通信の連載企画記事“Aging Nukes”(老朽化する原子力発電所)(2011年6月20日から28日にかけて配信)は、業界となれ合い状態にある米国の原子力規制、放射性物質の漏 出、漏
出の実態調査の不備など、お寒い状況を明らかにしました。記事を執筆したジェフ・ドン記者が連載の渦中にデモクラシー・ナウ!に登場です。
つづきはこちら→ http://democracynow.jp/video/20110624-1 (動画 14分)

**ジェフ・ドン(Jeff Donn) AP通信記者。2011年6月20日から28日にかけてAPから配信された「老朽化する核発電(Aging Nukes)」と題する4本の連載企
画記事を執筆。

字幕翻訳:田中泉/校正:桜井まり子/全体監修:中野真紀子/サイト作成:丸山紀一朗

(以上、転載終わり)

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パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭
〒004-0841  札幌市清田区清田1-3-3-19
TEL/FAX : 011-882-0705
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振込み口座:郵便振替 02700-8-75538
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After Fukushima: Enough Is Enough by limitlesslife

Published on Friday, December 2, 2011 by the New York Times

After Fukushima: Enough Is Enough

by Helen Caldicott

The nuclear power industry has been resurrected over the past decade by a lobbying campaign that has left many people believing it to be a clean, green, emission-free alternative to fossil fuels. These beliefs pose an extraordinary threat to global public health and encourage a major financial drain on national economies and taxpayers. The commitment to nuclear power as an environmentally safe energy source has also stifled the mass development of alternative technologies that are far cheaper, safer and almost emission free — the future for global energy.

Officials in protective gear check for signs of radiation on children who came from the evacuation area near the Fukushima Daini nuclear plant in Koriyama, March 13, 2011. (Reuters/Kim)When the Fukushima Daiichi reactors suffered meltdowns in March, literally in the backyard of an unsuspecting public, the stark reality that the risks of nuclear power far outweigh any benefits should have become clear to the world. As the old quip states, “Nuclear power is one hell of a way to boil water.”

Instead, the nuclear industry has used the disaster to increase its already extensive lobbying efforts. A few nations vowed to phase out nuclear energy after the disaster. But many others have remained steadfast in their commitment. That has left millions of innocent people unaware that they — all of us — may face a medical catastrophe beyond all proportions in the wake of Fukushima and through the continued widespread use of nuclear energy.

The world was warned of the dangers of nuclear accidents 25 years ago, when Chernobyl exploded and lofted radioactive poisons into the atmosphere. Those poisons “rained out,” creating hot spots over the Northern Hemisphere. Research by scientists in Eastern Europe, collected and published by the New York Academy of Sciences, estimates that 40 percent of the European land mass is now contaminated with cesium 137 and other radioactive poisons that will concentrate in food for hundreds to thousands of years. Wide areas of Asia — from Turkey to China — the United Arab Emirates, North Africa and North America are also contaminated. Nearly 200 million people remain exposed.

That research estimated that by now close to 1 million people have died of causes linked to the Chernobyl disaster. They perished from cancers, congenital deformities, immune deficiencies, infections, cardiovascular diseases, endocrine abnormalities and radiation-induced factors that increased infant mortality. Studies in Belarus found that in 2000, 14 years after the Chernobyl disaster, fewer than 20 percent of children were considered “practically healthy,” compared to 90 percent before Chernobyl. Now, Fukushima has been called the second-worst nuclear disaster after Chernobyl. Much is still uncertain about the long-term consequences. Fukushima may well be on par with or even far exceed Chernobyl in terms of the effects on public health, as new information becomes available. The crisis is ongoing; the plant remains unstable and radiation emissions continue into the air and water.

Recent monitoring by citizens groups, international organizations and the U.S. government have found dangerous hot spots in Tokyo and other areas. The Japanese government, meanwhile, in late September lifted evacuation advisories for some areas near the damaged plant — even though high levels of radiation remained. The government estimated that it will spend at least $13 billion to clean up contamination.

Many thousands of people continue to inhabit areas that are highly contaminated, particularly northwest of Fukushima. Radioactive elements have been deposited throughout northern Japan, found in tap water in Tokyo and concentrated in tea, beef, rice and other food. In one of the few studies on human contamination in the months following the accident, over half of the more than 1,000 children whose thyroids were monitored in Fukushima City were found to be contaminated with iodine 131 — condemning many to thyroid cancer years from now.

Children are innately sensitive to the carcinogenic effects of radiation, fetuses even more so. Like Chernobyl, the accident at Fukushima is of global proportions. Unusual levels of radiation have been discovered in British Columbia, along the West Coast and East Coast of the United States and in Europe, and heavy contamination has been found in oceanic waters.

Fukushima is classified as a grade 7 accident on the International Atomic Energy Agency scale — denoting “widespread health and environmental effects.” That is the same severity as Chernobyl, the only other grade 7 accident in history, but there is no higher number on the agency’s scale.

After the accident, lobbying groups touted improved safety at nuclear installations globally. In Japan, the Tokyo Electric Power Co. — which operates the Fukushima Daiichi reactors — and the government have sought to control the reporting of negative stories via telecom companies and Internet service providers.

In Britain, The Guardian reported that days after the tsunami, companies with interests in nuclear power — Areva, EDF Energy and Westinghouse — worked with the government to downplay the accident, fearing setbacks on plans for new nuclear power plants.

Nuclear power has always been the nefarious Trojan horse for the weapons industry, and effective publicity campaigns are a hallmark of both industries. The concept of nuclear electricity was conceived in the early 1950s as a way to make the public more comfortable with the U.S. development of nuclear weapons. “The atomic bomb will be accepted far more readily if at the same time atomic energy is being used for constructive ends,” a consultant to the Defense Department Psychological Strategy Board, Stefan Possony, suggested. The phrase “Atoms for Peace” was popularized by President Dwight Eisenhower in the early 1950s.

Nuclear power and nuclear weapons are one and the same technology. A 1,000 megawatt nuclear reactor generates 600 pounds or so of plutonium per year: An atomic bomb requires a fraction of that amount for fuel, and plutonium remains radioactive for 250,000 years. Therefore every country with a nuclear power plant also has a bomb factory with unlimited potential.The nuclear power industry sets an unforgivable precedent by exporting nuclear technology — bomb factories — to dozens of non-nuclear nations.

Why is nuclear power still viable, after we’ve witnessed catastrophic accidents, enormous financial outlays, weapons proliferation and nuclear-waste induced epidemics of cancers and genetic disease for generations to come? Simply put, many government and other officials believe the nuclear industry mantra: safe, clean and green. And the public is not educated on the issue.

There are some signs of change. Germany will phase out nuclear power by 2022. Italy and Switzerland have decided against it, and anti-nuclear advocates in Japan have gained traction. China remains cautious on nuclear power. Yet the nuclear enthusiasm of the U.S., Britain, Russia and Canada continues unabated. The industry, meanwhile, has promoted new modular and “advanced” reactors as better alternatives to traditional reactors. They are, however, subject to the very same risks — accidents, terrorist attacks, human error — as the traditional reactors. Many also create fissile material for bombs as well as the legacy of radioactive waste.

True green, clean, nearly emission-free solutions exist for providing energy. They lie in a combination of conservation and renewable energy sources, mainly wind, solar and geothermal, hydropower plants, and biomass from algae. A smart-grid could integrate consuming and producing devices, allowing flexible operation of household appliances. The problem of intermittent power can be solved by storing energy using available technologies.

Millions of jobs can be created by replacing nuclear power with nationally integrated, renewable energy systems. In the U.S. alone, the project could be paid for by the $180 billion currently allocated for nuclear weapons programs over the next decade. There would be no need for new weapons if the Russian and U.S. nuclear arsenals — 95 percent of the estimated 20,500 nuclear weapons globally — were abolished.

Nuclear advocates often paint those who oppose them as Luddites who are afraid of, or don’t understand, technology, or as hysterics who exaggerate the dangers of nuclear power.

One might recall the sustained attack over many decades by the tobacco industry upon the medical profession, a profession that revealed the grave health dangers induced by smoking.

Smoking, broadly speaking, only kills the smoker. Nuclear power bequeaths morbidity and mortality — epidemics of disease — to all future generations.

The millions of lives lost to smoking in the era before the health risks of cigarettes were widely exposed will be minuscule compared to the medical catastrophe we face through the continued use of nuclear power.

Let’s use this extraordinary moment to convince governments and others to move toward a nuclear-free world. Let’s prove that informed democracies will behave in a responsible fashion.

© 2011 Helen Caldicott
Helen Caldicott


Nuke Map by limitlesslife
December 2, 2011, 5:00 am
Filed under: Nuclear bombs, nuclear disaster, nuclear radiation, radiation, 原爆, 原発 | Tags:
The Nuclear Zombie

Map: The Nuclear Bombs in Your Backyard

Look up where in the United States the Pentagon keeps its atomic weaponry.

—By Adam Weinstein and Tasneem Raja

| Wed Nov. 9, 2011 3:00 AM PST

The United States currently has 5,113 atomic warheads deployed in silos, bombers, and submarines, mostly in the continental US. That doesn’t include thousands of “zombies” being kept in reserve and a backlog of more than 3,000 warheads awaiting dismantlement. Meanwhile, we’re telling the world that we’re on the path to disarmament, even as we’re spending more on the nuclear weapons complex than we did during the Cold War.

Zoom in on the map below to find the warheads near you as well as the nuclear labs that maintain the stockpile and develop the next generation of atomic weaponry. (For reference, we’ve also included the locations of the nation’s civilian nuclear power plants.*)

Note: This map was made with 100% unclassified, public information. Even the military doesn’t hide where it keeps its missiles and bombers. See links to sourcing below.

View full screen map

 

 

http://batchgeo.com/map/a87855317fdfab0922206bca2dbd19b9

View Mother Jones: Nuke Facilities in the US in a full screen map

Sources: Bulletin of the Atomic Scientists and Federation of American Scientists (PDF), Office of the Deputy Assistant to the Secretary of Defense for Nuclear MattersNuclear Energy Institute

Correction: An earlier version of this map misplaced some nuclear power plants. We have updated the map.


Adam Weinstein is Mother Jones’ national security reporter. For more of his stories, click hereor follow him on Twitter. Get Adam Weinstein’s RSS feed.



赤十字、赤新月の核兵器廃絶運動 by limitlesslife

赤十字と赤新月が核兵器廃絶運動に乗り出しました。

核兵器、原発の危機は喫緊の課題です。その両方

を経験した日本人はその撤廃に全力を傾注すべきです。

決議文を翻訳しましたので広めてください。(マーク

等ここには現れませんのでワード文書を入用の方は

コメントでお知らせ下さい。)

私達の世界。貴方達の運動。

国際赤十字社と赤新月運動の代表協議会             

ジュネーブ、2011年11月26日-人類のために

EN

CD/11/4.1

原文:英語

決定用

 

 

 

国際赤十字社・赤新月運動の代表協議会

代表者会議

 

 

 

スイス、ジュネーブ

2011年11月26日

 

 

核兵器廃絶に向けての活動

 

 

 

決議草案

 

および

 

背景文献

 

 

 

 

国際赤十字連盟、赤新月社及び諸国家組織と

協議して赤十字国際委員会により

準備された文献

 

 

 

ジュネーブ、201110

 

 

 

 

CD/11/4.1

 

決議草案

 

国際赤十字連盟、赤新月社及び諸国家組織と協議して赤十字国際委員会により準備された文献

核兵器廃絶に向けての活動

 

 

代表協議会は、

核兵器の破壊力、それが引き起こす言語に絶する人間の苦悩、時空にわたりその影響を統制する事の困難さ、それが環境と未来世代に課す脅威及びそれが生み出す段階的拡大の危険を深く憂慮して、

また何万の核弾頭の継続的保持、その様な兵器の拡散及びそれらが再び使用される常にある危機を憂慮して、

人道的援助活動及び世界の広い領域にわたる食糧生産に核兵器使用が如何なる由々しい含みを持つかという事に困惑して、

核兵器の存在が戦争において人間がそれを使い、またはそれを許す事で苦悩が広く存在する事について深い疑義を起させるものであると信じて、

核軍縮の外交努力の更新、特に2009年の核不拡散と核軍縮についての国連安全保障委員会サミットにおける諸国家の誓約、2010年の核兵器不拡散条約再検討会議及びアメリカ合衆国とロシア連邦の追加削減と戦略的攻撃兵器制限条約を歓迎して、

また核不拡散と核軍縮の分野での具体的行動による核兵器の無い世界を創る条件を生み出す上記フォーラム(公開会議)で諸国家の最高水準の誓約を歓迎して、

国際人道法の諸原則と諸規則が核兵器に適用される事を確認し、その様な兵器による脅迫及びその使用は一般に国際人道法の諸原則及び諸規則に反すると結論した国際司法裁判所の勧告意見を歓迎して、

原爆被曝生存者の証言、広島と長崎の原爆炸裂の犠牲者を助けてきた日本赤十字及び国際赤十字委員会の経験及び日本赤十字原爆被曝生存者病院の継続中の施療を通じて得られた知見に基いて、

一般的には大量破壊兵器について、特殊的には核兵器廃絶についての、1948年、1952年、1957年、1965年、1969年、1977年及び1981年の赤十字および赤新月の国際会議;2009年の代表者会議;そして2010年4月にジュネーブ外交官団への赤十字国際委員会委員長による核兵器についての言明及び2010年11月の広島でのノーベル賞受賞者達への赤十字国際委員会委員長と赤新月社による声明、の諸決議に留意して、

赤十字社・赤新月運動が核兵器無き世界への状況を生み出す努力において歴史的で重要な役割を持つ事を信じて、

1.核兵器使用の結果予想される測り知れない人間の苦悩、如何なる適切な人道的対応能力も欠如すること、及びその使用を避ける絶対的命令がある事を強調して、

2.核兵器の如何なる使用も国際人道法の諸規則に適合し、特に区別、予防及び(攻撃

に対する報復の)釣合いにおいて適合すると見ることは困難であるから、

3.諸国家に訴える:

‐核兵器の合法性についての見解如何に拘わらず二度と再びそれを使用しない事を確

実にし、

‐現存の誓約(コミットメント)と国際的責務に基いて法的に拘束する国際合意によ

り核兵器使用を禁止し、撤廃する交渉を誠意をもって追及し、緊迫感と決意をもっ

て決着させ、

4.私達の人道的外交への共同誓約(コミットメント)に照らして、本運動の全ての構

成員に要求する:

‐公衆、科学者、健康専門家、意思決定者に核兵器の如何なる使用も破局的な人道的

結果を招き、その使用により生ずる国際人道法の問題があり、その使用禁止と撤廃

に導く具体的行動の必要があるということに目覚めさせる活動に可能な限り従事し、

‐政府や他の関連する行為者と核廃棄に関係する人道的及び国際的人道法の諸問題

について継続的な対話をし、この決議に概説された運動の立場の種を広く植えつけ

るよう可能な限り従事するように。

2011年10月4日時点での決議共同支持者:

赤十字国際委員会(ICRC)

オーストラリア赤十字

オーストリア赤十字

ブルガリア赤十字

カナダ赤十字

クック島赤十字協会

チェコ赤十字

日本赤十字協会

ヨルダン国立赤新月協会

マレーシア赤新月協会

モザンビーク赤十字

ニュージーランド赤十字

ノルウェー赤十字

フィリッピン赤十字

スウェーデン赤十字

他の共同支持者は2011年11月26日まで追加



核兵器廃絶を!(赤十字社、赤新月協会国際連盟決議) by limitlesslife
ネズミはネズミ捕りを作らない。なのに私たちはどうだろう?“No mouse would ever construct a mousetrap.” Why would we?

David Hart
Director of Security Programs
Physicians for Social Responsibility (PSR)
US Affiliate of International Physicians for the Prevention of Nuclear War

これから私たちが生きていく時代を書いた歴史書では、まさに今週、小さなステップだが、世界を存続させるのに重要な役割を果した出来事があったと、記述するかもしれない。米国では、この出来事はほとんど気にされることはなかった。そして、ブラックフライデー(クリスマス商戦の開始)に突入した。その一方で、強力かつ信頼のあついグループが、地球的大災害を回避するのに役立つ作業を成し遂げたのだ。今や私たちに与えられた課題は、その明快な発言に注目し、これと共同し、たとえどのようなものでも、とにかく未来が存在しえるように、私たちの運動方針を構築していくことである。
赤十字社および赤新月協会国際連盟は、核兵器の廃絶を呼びかけ、傘下全組織に対し、人類の破滅に至る核戦争の結末について、啓蒙活動を行なうよう要求するユニークな歴史的決議を採択した。
この全面的に信頼されている組織が、世界のこの決定的危機に際し、行動を起こしたのである。地球の至る所で、人々は、私たちの前途が危険に曝されている悲しい現実に気づいている。活動家、組織者、および普通の人々が、共同歩調を取れば、実際に世界を変えられると、感じ始めている。
この目覚めの時機は、新たな、さらに新たなエネルギーを注ぎ、核兵器の破滅的な破壊力に、注意を喚起する絶好の機会でもある。近年、多くの人々は、安全保障についての危険なごまかしに騙されてきた。ある人々は、冷戦が終わったので、核兵器などの恐怖の兵器について心配する必要がなくなったと信じるようになってきた。現実には、この(核兵器)技術は拡散しており、私たちの健康、および、まさに生存そのものに対する重大な脅威は存続している。
今日、世界で最も権威のある一つの組織が、私たちの惑星と人類の将来を懸念するすべての人々の名において、その意見を明確に言い切ったのである。一人の代表は、アルバート・アインシュタインの次の言葉を引用した。「人類は原子爆弾を発明した。しかし、ネズミは絶対にネズミ捕り器を作らない」
私たち人類は、自身を破滅させるツールを構築する知的能力を持った。今や私たちは、崖っぷちから後戻りし、違う道を選ぶ知恵を示せるのだろうか?
今回の決議は、まさにそれを成し遂げるまたとない機会を提供している。総会は、これは、国境や政党の垣根をのり越えるべき課題であり、まさに私たち人類の存続を保証するために、この惑星のすべての市民にとっての、共同スローガンであるべきだと訴えている。危機に際し、最も救助を必要とする人々の健康維持、救済に携わってきた医療関係者として、彼らは、核兵器爆発に対する妥当な医療対処は不可能なことを認識している。そんな対処は誰にもできない。唯一の処置は、未然の防止である。
この現実世界の非道さは直視しがたい。当然、真実を一瞥しただけで、ほとんどの人が目を背け、自分の命だけを何とか守ろうとする。しかし、この忍び寄ってくる災害を回避したいのなら、私たちは厳しい現実を直視し、共同行動しなければならない。遅すぎることのないよう、今、取り組まなければならない。
私たちは、朝起きたら、きのこ雲が世界を永久に変えたことが判り、もっと何かしておけばよかったなどと、思いたくはない。そうならないように、人類の一員として連帯しようではないか。この(核)兵器は、実際には、私たちがいとおしむもの全て、過去のすべての美、および、私たちの未来のすべての可能性を抹殺するものであることを、宣言しようではないか。
この瞬間には、未来がどうなるか予測できない。しかし、私たちは、未来そのものが失せそうなことを知るにに至った。長い歴史を通じ、人類は莫大な美を創作した。だが、これからも持続可能な道を見つけ、旅を続け、何かを遂行できるのかどうか、誰が知りえようか?
この傑出した国際的危機対応組織(国際赤十字、国際赤新月)は、私たちに明瞭な目覚ましコールを発信した。私たちは、スヌーズボタンを押し、休日のクリスマス・ショッピングに行くのか、それとも、直面している危険の非道さを認識し、未来のすべてを持ち続けるために、共同する道を見つけるか、そのどちらを選ぶのだろう?
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この決議が可決されたころ、すでに活動を開始した組織がある。以下はオーストラリア赤十字社の“Make Nuclear Weapons The Target” サイトである。
http://targetnuclearweapons.org.au/#/moreInfo.

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The 31st International Conference of the Red Cross and Red Crescent

ジュネーブ、1911年、11月28日-12月1日

の核兵器決議草案の英文

http://homepage1.nifty.com/thinkbook/CD11_Nuclear_Weapons_EN.pdf