カール・マルクスもそうです。

カール・マルクスもそうです。
マルクスは『共産党宣言』で歴史上の四つの社会的対立の事例を取り上げて、歴史の動
力は階級闘争であるという結論に一気に持ってゆく。四つの個別的な事例から「すべて
の・・・は・・・である」という全称言明を導くのは帰納的推理の仕方としてもいささ
か乱暴に過ぎるんですけれど、手順としては「これらすべてを説明できる一般的な法則
はこれしかない」というかたちで「跳ぶ」わけです。

 マックス・ウェーバーもそうです。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
』の冒頭で、ウェーバーは「これから資本主義の精神とプロテスタンティズムの倫理の
関連について話そうと思うが、『資本主義の精神』というのは単なる仮説にすぎない」
と断定します。「資本主義の精神」というのは自分の脳内に浮かんだ一つのアイディア
に過ぎない。これまで誰もそんなものがあると言ったことがない。でも、自分はそれを
思いついてしまった。何だか知らないけれども、「資本主義の精神」というものがある
のではないかという気がしてきた。もし、そのようなものがあるのだとしたら、それが
どのようなかたちを取って現れてくるのか、その具体的な事例をいくつか例示してゆこ
うと思う、と。そういうふうに話を始めるわけですね。

 これは名探偵の推理の仕方の本質を、いわば裏側から明らかにしているんだと思いま
す。結論がいま頭の中にぽっと浮かんだ。どういう根拠でそういうアイディアが浮かん
だのか、まだ自分にはわからない、というところから話を始める。推理が逆転している
のです。どうして自分はこんな結論を思いついたのか、何を見てそう直感したのか、そ
れを逆方向に遡行してゆく。それが『資本主義の精神』におけるウェーバーの手法なの
ですけれど、これはたしかに名探偵の推理の本質なんです。

 さきほど名探偵は「散乱している断片をすべて説明できるストーリーを見つける」と
いうふうに言いましたけれど、ほんとうは違うんです。名探偵はなぜか最初に「犯人は
あいつだ」ということがわかってしまうんです。わかった後に「どうして私はあいつが
犯人だとわかったのか」という問いを遡行していって、自分が直感した根拠となった「
断片」を列挙してゆくのです。

 これは卓越した知性についてはだいたいそうなんです。たしかに論文を書くときには
、いくつかの実証された事実を前にして、それらをすべて説明できる仮説を立てる、と
いう順序で進むんですけれど、実際に脳内に起きているのは「結論が先」なんです。い
きなりアイディアが浮かぶ。どうしてその結論に自分は立ち至ったのか、何を見て、私
はそう思ったのか、・・・というふうに時間を遡って、自分が着目した断片的事実を列
挙してゆく。

「資本主義の精神」というアイディアがふとウェーバーの頭に浮かぶ。きっとそういう
ものがあるに違いないという気がする。でも、どうして「そんなこと」を思いついたの
だろう。おそらく、何かを見て、そう思ったのだ。さて、私は何を見たのか。これがウ
ェーバーの推理の順序です、、、

 レヴィ=ストロースもやはり「20世紀で最も頭のいい人」の中の一人だと僕は思って
います。レヴィ=ストロースも論理的に助走してから「跳ぶ」人です。

『悲しき熱帯』は彼がブラジルのマト・グロッソのインディオたちの生活を観察したフ
ィールドワークですけれど、レヴィ=ストロースは観察しているうちに、文化人類学者
である自分自身の思考形式、自分自身の論理形式そのものが実はヨーロッパに固有の「
民族誌的偏見」ではないのか、という疑問に取り憑かれます。この世界には、自分たち
がしているのとは違う論理形式で思考している人がいるのではないか・・・と思い始め
る。インディオたちは、未開人だから、文明人であるヨーロッパ人よりも幼児的な仕方
で思考をしているので、いずれ「開花」されると、ヨーロッパ人と同じように思考する
ようになる。というのが進化論以後の「ふつうの考え方」でしたが、レヴィ=ストロー
スはそれを退けます。彼らの理解しがたい様々な制度や習慣は「幼児的」であるのでは
なく、われわれとはまったく独自の体系と論理をそなえてすでに完成された一つの世界
理解の方法に基づくものではないのか。彼らの「野生の思考」もまた人間が達成した堂
々たる文明史的な到達点の一つであり、その知的な尊厳・威信に対して、われわれはそ
れにふさわしい敬意を示すべきではないのか、と、、、

 子供たちに学校教育を通じて何を教えようとしているのか。もし、子供たちの中で知
性が活発に働くことを教えようとしているのだとしたら、子供たちに教えるべきことは
「知性はジャンプする」ということだと僕は思います。

 しかし、実際に、子供たちも「ジャンプ」しているのです。それは子供を観察してい
るとわかります。子供たちを自然の中に連れていって、そこにしばらく放置していると
、わかる。子供たちの知性は「論理的に」活動し始めるのが観察されます。

 養老孟司先生が、「子供たちなんて学校で教育なんかすることないんだ。自然の中に
放り込んどきゃいい」と割と乱暴なことをおっしゃいますけれども、これは一理あるの
です。子供たちを自然の中に連れて行って、ゲーム機や携帯やマンガや玩具の類を全部
取り上げてしまう。何も持たせずに、ぽんと自然の中に放り出しておく。するとどうな
るか。子供たちは死ぬほど退屈する。まず退屈するというのがとてもたいせつなのです

 退屈しのぎに、子供たちは必ず何かを観察し始めます。ほうっておいても、そうなり
ます。退屈しているんだけれど、手元に退屈をまぎらわすための道具が何もない。そん
なとき、人間は何かをぼんやり観察し始めます。空の雲を見たり、鳥の声を聴いたり、
虫を眺めたり、川の流れを見たり、海の打ち寄せる波を見たり。何か自分の好みの対象
を選んで、それをぼんやりと観察し始める。

 最初のうちは、ただぼーっと見ているだけです。自然をぼんやりと観察している。で
も、そのうち、何かの弾みで、子供の目がきらりとする瞬間がある。それは「パターン
」を発見したときです。

 自分の前に展開しているランダムな自然現象の背後に、実は法則性があるのではない
か・・・というアイディアが到来したときに、子供の目がきらりと光る。そういうもの
なんです。一見するとランダムに生起する事象の背後に数理的な秩序があるのではない
か、という直感が到来する。雲の動きでも、虫の動きでも、波の動きでも・・・ずっと
観察しているうちに、そこに繰り返しある「パターン」が再帰しているのではないかと
いうアイディアがふと浮かんでくる。そうするといきなり集中力が高まる。もし自分の
仮説が正しければ、「次はこういう現象が起きるはずだ」という未来予測が立つからで
す。果たして、その予測通りの現実が出来するかどうか・・・子供だって、そのときは
息を詰めるようにして、次に起きることに意識を集中させます。

 うちの娘は、子供の頃、とても植物が大好きでした。小学校はすぐ近くで、子供の足
で歩いても5分もかからない一本道でした。学校が終わって、友達が遊びにきて、うち
の娘は、るんちゃんというのですけれど、「るんちゃん、いますか?」と訊くから「え
、まだ帰ってないよ」と言うと「おかしいなあ。一緒に出たのに」と言う。自分たちは
一度家に帰って、ランドセルを置いて、それからうちに遊びに来ているのに、学校から
一番近いうちの娘だけがまだ帰っていない。

 気になって、とことこ坂道を降りて学校の校門の方に向かったら、坂の途中にいまし
た。しゃがみ込んでいる。何をやっているのだろうと思って、遠くから見ていたら、道
ばたの雑草をじっと見ているのです。ずいぶん長いこと見ていて、そのうちに、「ふう
」とため息をついて、立ち上がって、歩き出す。でも、また数歩歩いて違う雑草を見付
けると、立ち止まって、座り込んで、また観察を始める。

 遠くから娘の姿を見ながら、ちょっと声をかけるのがはばかられました。それくらい
に深く観察対象にのめり込んでいたから。きっと、何か植物学的な仮説を立てて、それ
を実物に即して検証していたところなんだと思います。ある法則性を発見したことに興
奮して、友だちと学校が終わったら遊ぼうねと約束していたことも忘れて、植物の観察
にのめりこんでいた。そういうものだと思います。

 自然の前に子供を長時間放置しておくと、いずれ何かを選んで観察し始める。そして
、パターンや法則性を発見したと思うと深く対象に沈潜してゆく。自分で仮説を立てて
、その仮説を実験的に検証しているときの顔は、それが子供でも、ノーベル賞級のアイ
デアを思いついて実験で検証しているときの科学者の顔とあまり変わらないんじゃない
かと思います。たぶんそれこそ人間が最も知的に高揚するときだから。ふと思いついた
仮説が現実に適用できるかどうか、実験してその結果を待っているときの高揚感にまさ
るものはありません。

 子供たちを知的に成長させるために必要な経験は、極言すれば、それだじゃないかと
思います。世界の背後には数理的で美的な秩序が存在する。そう直感して、その秩序の
一部を自分がいま発見したという高揚感。これは探偵の推理と同じですね。断片的に散
乱している事象の背後に、きれいな1本のストーリーが見えたと感じたときに探偵が感
じる達成感。平たく言えば、これが論理的であることの「報奨」だと思うのです。

 自然科学というのは、まさにそういうものです。ある仮説を思いつく。実験でそれを
検証する。反証事例が見つかる。仮説を書き換える・・・この無限のサイクルが自然科
学的に思考するということです。信仰を持つこともそうです。一見するとランダムに見
える事象の背後に「神の摂理」が働いていると感じること。宗教的知性と科学的知性は
構造的には同じものなのです。だからニュートンのライフワークが聖書解釈であり、伝
道の実践だったということには少しも不思議はない。

 ネガティヴなかたちでは、陰謀史観もそうです。すべての政治的・経済的事件の背後
にはユダヤ人の世界政府がいる、フリーメーソンがいる、イリュミナティがいる、コミ
ンテルンがいる・・・という類の理論は思考パターンとしては同一です。一見すると無
関係に見えるさまざまな事象が「すべてを差配している張本人」を仮想するとみごとに
説明がついてしまう。その高揚感と全能感があまりにも大きいので、人々は簡単に陰謀
史観にアディクトしてしまう。

 でも、これは確かに責められないわけで、「複雑に見える事象の背後にはシンプルな
パターンがある」という直感ほど人をわくわくさせるものはないからです。だから、陰
謀史観というのも、幼児的ではあるけれど、ひとつの知性の活動ではあるのです。ただ
、そういうものに溺れるのは、子供の頃から世界を観察して、繰り返し自力で仮説を立
て、そのつど知的高揚を味わった・・・という仕方で論理を突き詰めた経験を持たなか
った人たちなんだと思います。子供の頃から「知的興奮」をし慣れていたら、こんな薄
っぺらな仮説には何の知的高揚も感じないはずだからです。そんな単純な説明のどこが
面白いのか、さっぱりわからないから。だから、そんなものは相手にしない。子供のこ
ろから繰り返し「宇宙の真理を発見した!」とひとり興奮しては、「あ、違った・・・
」という落胆を味わうということを繰り返ししてきた人は、こんなシンプルなストーリ
ーにはひっかかりません。

 学校教育で教えるべきことは、「跳ぶ」ことの喜びだと先ほど申し上げました。目の
前に散乱している断片的な情報や事実を観察しているうちに、すべてを説明出来る仮説
を思いつく。おお、ついに統一的で、包括的な真理を発見したと思って、欣喜雀躍する
。論理的思考が導くならば、それがどれほど法外な「コロラリー」であっても、それを
検証しようとする。それが「跳ぶ」ことです。

 でも、「跳ぶ」ためには勇気が要ります。ある程度までは論理的に思考しながら、最
後に「そんな変な話があるものか・・・」と言って、立ち止まって、論理が導く結論よ
りも、常識の方に屈服してしまう人たちがいます。彼らに欠けているのは、知性という
よりは勇気なんです。

 今の日本の子供たちに一番欠けているのは、こう言うと驚かれるかも知れませんけれ
ど、知力そのものではなくて、知力を駆動する勇気なんです。自分の知力に「跳べ」と
言い切れる決断力なんです。

 でも、子供たちに向かって「勇気を持ちなさい」と語りかける言葉を学校で聞くこと
はほとんどありません。文科省がこれまで書いた教育についての指示や提言を読んでも
、そこに「勇気を持て」という文言はまず出て来ません。逆です。文科省が教員や子供
たちに語って聞かせているのは、いつでも「怯えろ」「怖がれ」ということです。学力
がないと社会的に低く格付けされ、人に侮られ、たいへん不幸な人生を送ることになる
。それがいやなら勉強しろ・・・というタイプの恫喝の構文でずっと学習を動機づけよ
うとしてきました。

 知性は勇気によってドライブされるという言明を過去に日本の教育行政が認めたこと
は一度もないと思います。でも、僕が見て来た限り、すべての卓越した知性は、世間の
誰もが同意しないアイディアについても、自分の直感を信じて、それを現実で検証して
みせた。

「勇気」という言葉で、最も印象に残っているのは、スティーブ・ジョブズのスタンフ
ォード大学の卒業式の式辞です。今もYouTubeで検索すれば見られます。感動的なスピ
ーチでした。

 ジョブズがスタンフォード大学の卒業生たちに向かって言ったのはこういう言葉でし
た。The most important is the courage to follow your heart and intuition, beca
use they somehow know what you really want to become

「最も重要なのは、あなたの心と直感に従う勇気です。なぜなら、あなたの心と直感は
、あなたが本当は何になりたいのかをなぜだか知っているからです。」

http://blog.tatsuru.com/2020/01/06_1024.html
内田樹の研究室 「国語教育について」より抜粋 2020-01-06 lundi

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