東京を壊した小池都知事をさらに追い込む「元都職員の重大告白」

東京を壊した小池都知事をさらに追い込む「元都職員の重大告白」

「築地移転騒動」の真実

築地移転騒動とは何だったのか

東京都知事選が、6月18日、公示され候補者が出揃った。

焦点は、小池百合子都知事の再選だが、事前評は優勢。れいわ新選組の山本太郎氏、立憲民主、共産、社民などが推薦の宇都宮健児氏、日本維新の会推薦の小野泰輔氏、NHKから国民を守る党の立花孝志氏らが名乗りをあげたものの、知名度に加え新型コロナウイルス対策で見せた手綱捌きで、一歩、リードする。

〔PHOTO〕gettyimages

ただ、都知事4年の実績を振り返った時、成果は心もとない。待機児童、介護、残業、都道電柱、満員電車、多摩格差、ペット殺処分など「7つのゼロ」は、ペット殺処分以外、達成されていない。

なにより都知事になって華々しかったのは、「築地移転」と「五輪施設」の見直しをぶち上げ、マスメディアを存分に使った「小池劇場」で人気を高め、17年9月、希望の党を立ち上げるまで。「排除発言」で失速、翌10月の総選挙で惨敗してからは、コロナ禍で注目を集めるまで、ひっそりと都知事業務をこなしていた。

だが、再選に名乗りをあげた以上、築地から豊洲への移転騒動が何であったかは、改めて問うべきだろう。

16年11月の豊洲市場の開場予定は2年、延期され、追加工事など経費は嵩んだものの、結局、「安心」は得られないまま、移転はなし崩しで実施された。

確実なのは、「小池劇場」が野党第一党の民進党を飲み込む勢いを小池氏に与え、都知事を降り、希望の党から出馬していれば、女性初宰相の可能性があったことだ。「豊洲」も「五輪」も群を抜くパフォーマーの小池氏にとっては踏み台だった。

小池百合子の本質、騒動の真実

そのことを最も知る人物が、今年3月、都政新報社から『築地と豊洲』を上梓した。著者は澤章氏。一橋大学を卒業して都庁入り。知事本局計画調整部長、環境局次長などを経て、騒動の最中に中央卸売市場次長として、豊洲移転の決定までを見届けた。

それだけに本書は、常に空気を読みながら、言動を次々に変える「政治家小池百合子」の本質を伝える。東京都環境公社理事長として、今も都のOB人事の枠のなかに居ながら、澤氏は「騒動の真実を伝えたい」と、筆を取った。

『築地と豊洲』著者の澤章氏

――時系列で書かれていて読みやすい。最初の難関は「盛り土問題」だった。

「市場部に移動の直後、盛り土(汚染土を除去して新しい土を入れる)をせず、モニタリング室という地下空間を設置していることが明らかになりました。最初の仕事は、なぜそうなったかを調べ、責任の所在を明らかにすることでした」

――結果は、「納得いかない」ものだったが、知事はむしろそれで良かったのでは?

「ヒアリングは30名以上に及びましたが、内部調査には限界があった。なかなか本当のことを言わない。コンクリートで遮蔽した地下空間があるのは、建物構造上、当然という技術職の思考回路と、盛り土の約束は守るべきという事務屋の考えには落差があった。真相が解明されなかったのはともかく、注目を集めたのは、知事にとって好都合だった。移転延期の正しさをある意味、証明しました」

――小池知事と顧問団などが、半年ぐらいでの早期移転を思い描いていたのには驚いた。

「長引かせるつもりはありませんでした。一気に問題点をあぶり出し、一気に敵をたたいてケリをつけ成果を上げる。それが都議会自民党を始め、敵の多い議会で政権発足直後に主導権を握る方策でした」

――そのシナリオがベンゼン79倍で崩れる。「胃薬あげよか」のエピソードは面白い。

「17年の年初に明らかになったモニタリング調査で、ベンゼンが基準値の79倍でした。それまでほとんど検出されず、『安全を確認した』として、遅くとも(17年)5月頃には豊洲に移転するつもりの知事にはショックでした。『胃が痛い』といい、その後、『胃薬あげよか』と、自分でツッコミを入れてました」

――そこから迷走する。17年6月に玉虫色の基本方針を発表した。

「確かに、どっちつかずでした。『築地は守る、豊洲を生かす』は、知事自慢のキャッチコピーです。しかし、それでは移転するのかしないのか、移転しても戻ってくるのか、市場関係者や都民はもちろん、我々役人もわからなかった。結論を出したくない。風を読んで判断したい。それまで二股をかける戦略。それで最後まで引っ張った」

――その直後の都議選で小池私党の都民ファーストの会は大勝した。

「豊洲移転に五輪利権で、これまでの馴れ合い都政を批判、内田茂自民党都連幹事長らを『黒い頭のネズミ』と呼んで批判。『闘う都知事』という良きイメージのまま、都民ファーストの会は第一党になりました。選挙では、『移転やむなし』という本音は伏せた。仲卸や築地女将さん会、反対派の市民団体を敵に回すわけにはいかなかった」

――大勝を受けて、都政に興味を失ったように、17年9月、希望の党を設立した。

「私も含め、多くの都の職員が、都知事の国政への転出を願っていました。都のトップでありながら、第三者的に過去の都政とそれに関わった幹部を批判して処分。そのうえ朝令暮改でいうころがクルクル変わる。役人は、なんとかトップに合わせようと努力するものですが、みんな疲弊していました」

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――国政をリードする勢いだった希望の党は惨敗、以降、小池氏は表舞台から遠ざかった。

「マスコミは現金です。都政クラブから記者の数は減り、総選挙以降、小池都知事が取り上げられる回数は、極端に少なくなった。その間に、安全宣言が出され、江東区との調整も済み、17年12月、都知事は18年10月11日の開業を発表しました」

――結局、「豊洲移転」は小池氏にとって何だったのか。

「頭の回転が良く、勉強家ではあります。ただ、判断基準は、自分にとって有利か不利かであって、都民のためではない。だから目の前の事象に流され、よく考えずに動きます。豊洲移転の見直しは、自民党が牛耳ってきた都政を、自分に引き付ける材料に過ぎなかった。そうして敵を作り、闘っている間は強いんですが、材料がなくなると目立たなくなり、それがとても嫌な人です」

――確かに、18年以降、今回のコロナ騒動まで、小池氏の影は薄い。

「自分が真ん中にいて、有名どころを周囲に置き、写真を撮らせて話題になるのが好きな人です。だから、『私の出番を作って!』と、事務方は要請されるんですが、ニュースになるような話がない。だから、国際金融都市構想といった中身のない話題作りをします。木造密集地域の防災対策など、都民の安全安心のためにやるべき施策は山ほどある。だけど地道を嫌います」

――都知事選では大勝が予想される。2期目の小池都政につける注文は?

「自分の話題作りのために、都の人とカネを使うようなイベントはやめていただきたい。それと、人事権の乱用は慎むべきだと思います。歴代知事は、仕事をやりやすくするために、周囲にお気に入りを配置するようなことはありました。ただ、小池知事の場合、有力局長を格下の事務局長にするなど、見せしめ人事を行うことがあります。また、女性活躍社会を演出したいのか、副知事、局長、部長クラスに適材適所でない女性を持ってきて、役に立たないと簡単に配置換え。そうした思いつき人事もやめていただきたい」

浮き彫りになった「孤独な姿」

「築地」と「五輪」で明らかなのは、安全安心に気を配ったわけでも、都政のブラックボックス化を正すわけでもなく、それを使った権力闘争であったこと。小池氏は、その初戦に勝ち、国政に乗り出して敗れた。

宿敵の自民党都連に、頭を下げて「推薦」「支持」をもらうことはなかったにせよ、盟友の二階俊博自民党幹事長に根回し、候補者を出させないことで勝利の方程式へとつなげた。

「しがらみ政治からの脱却」が、希望の党のキャッチフレーズだが、二階氏との関係を絶やさず、「二階カード」となることで、将来の国政復帰を目論んでいるという意味では、小池氏もまたしがらみの人である。

図抜けた情報発信力を持ち、名誉欲と権力欲も人並み以上の小池氏は、政治家として一級の人なのかも知れないが、人と組織を安易に利用してきた歴史は、子飼いも側近もいない孤独な姿を浮き彫りにする。

それは「小池百合子の生き方」ではあるが、再度、都民と都政をステップボードにしてはならないのは、『築地と豊洲』の教訓である。

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