「東京五輪は先進国のお葬式」 近現代史家の辻田真佐憲さん

「東京五輪は先進国のお葬式」 近現代史家の辻田真佐憲さん

近現代史研究者の辻田真佐憲さん=東京都千代田区で2017年6月14日、渡部直樹撮影

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言によって大きな逆風にさらされている東京五輪。新型コロナウイルスの感染拡大に加え、五輪の「顔」である人物自らが、時代遅れの発言で世間の反発を招いている。「大本営発表」などの著書がある近現代史研究者の辻田真佐憲さん(36)は「東京五輪は先進国のお葬式になってしまった」とツイートした。詳しく話を聞くと、五輪の行方だけでなく「その後」も心配になってきた。【古川宗/統合デジタル取材センター】

森氏が会長で居続けるのはスポーツ界のゆがみ

 ――森氏が女性蔑視の発言をしたことを受け、辻田さんは4日、ツイッター上で「東京オリンピックは本当に先進国のお葬式になってしまいましたね」とつぶやいていました。どういう意味でしょうか。

 ◆1964年の前回の東京五輪は、日本が先進国としてデビューする華々しい大会だったと今では言われています。今回の東京五輪についても、安倍晋三前首相が「もう一度世界の中心で活躍する国として再生する」と述べていたように、開催したい人たちにとっては「あの感動をもう一度」という思いが込められていました。

 しかし、実際には、水質汚染や酷暑、費用の膨張など開催国としての問題点が次々に明らかになり、ここにきて森氏の女性蔑視発言が出てしまった。つまり、森氏の発言によって、先進国としてはありえないような時代遅れの価値観が日本に存在していることを国内外に示してしまったわけで、東京五輪が先進国としての日本の「お葬式」になると皮肉を込めて、つぶやいたわけです。

 そもそも、森氏は「私はマスクをしないで頑張る」と言っており、これまでも問題のある発言を続けてきました。しかし、そんな人物を大会組織委員会の会長という地位から代えることができなかった。そこに問題があるのだと思います。明らかに、国民からも不人気であるにもかかわらず、あの地位に居続けられたのは、政界での立場など複雑な力学が働いていたわけですが、日本のスポーツ界のゆがみもあると思います。

大義名分が怪しい「東京五輪」

 ――開催は現実的でしょうか。

 ◆私は一貫して東京五輪に批判的な立場ですけれど、開催は難しいのではないかと思っています。仮に開催したとして、当初想定していたように大勢の観客を集めて、華々しく開催するのは難しいでしょう。無観客で、しかも、ものすごい批判を浴びた形での開催になるわけで、開催前から失敗がわかっているような大会になると思います。

 そもそも、私が五輪に批判的なのは、元々アマチュアのスポーツ大会だった五輪が変容し、国威発揚や経済振興のイベントになり、さまざまな動員をかける参加への同調圧力を感じるからです。しかし、国威発揚や経済振興の側面すらも、今夏の五輪では期待できないでしょう。むしろ逆に、五輪を通じて、日本は国威を失い続けているように感じます。

 ――菅義偉首相は「人類が新型コロナに打ち勝った証し」として開催したいと言っています。

 ◆東京五輪は元々大義名分が怪しいイベントです。「復興五輪」として、福島の復興などを叫んでいましたが、実際に開催する場所はほぼ東京であることも、おかしいですよね。そして、コロナによって延期が決まった後は、政府はどうにかして開催への国民の支持を集めるために、急に「コロナに打ち勝った証し」というスローガンを持ってきたわけです。しかし、収束への見通しが見えない中、それも白々しいものになりつつありますね。

 組織委員会側の発想として、「一旦開催してしまえば、結局人々は感動し、涙があふれる中、円満に終わるだろう」とおそらく考えていたのだと思います。しかし、コロナの感染拡大で、経済が回らず、国民の生活が苦しくなってくると、もはや感動の大会にすることは難しい。これまでは、テレビなどメディア側も、東京五輪開催に向けた雰囲気作りのキャンペーンなどをしてきましたが、今ではそのメディアもコロナの危険性を連日伝えているわけで、コロナと五輪を切り分けて、開催に向けた雰囲気を作るのは難しいでしょうね。

森発言は泥船から脱出する最高の口実

 ――森氏の発言は、五輪開催に影響を与えるでしょうか。

 ◆もちろん影響はあると思いますが、それと同時に、関係者が五輪に関わることをやめるための口実になっていく可能性もあると思います。五輪から撤退するにしても、大義名分があった方がいいわけで、そういう意味では、森氏の失言はその大義名分になるわけです。今回の女性蔑視発言とは別ですが、森氏が「コロナがどうであろうと必ず(五輪を)やり抜く」と発言したことを受け、タレントの田村淳さんが聖火ランナーを辞退しました。五輪という泥船から脱出したい人にとっては、森氏の発言は最高の口実になっているわけで、撤退への引き金を引いたとも言えます。

駅の売店で売られているスポーツ紙や夕刊紙など。森喜朗氏の発言問題を伝える見出しもある=東京都港区で2021年2月5日、丸山博撮影

五輪後に自粛圧力が高まるのではないか

 ――五輪を巡る今の日本の「空気」をどう分析していますか。

 ◆五輪に関しては、「開催は難しい」という雰囲気になっているので、かつてのような参加への同調圧力はありません。むしろ、気をつけなければならないのは、五輪が中止あるいは大幅縮小での開催となった後に、自粛への圧力が強くなるリスクです。どういうことかというと、「五輪を犠牲にささげたのだから、もっと自分たちも生活を変えていかなければならない」といった理屈の自粛圧力が強まる可能性があるということです。

 そうなると、政府が一気に私権制限に向けた動きを加速させていく可能性もあります。菅政権には、移動の自由や集会の自由を守ろうという意識は特にないと思います。単に、五輪を開催するために私権制限に抑制的だったわけですが、もし、五輪がなくなったら、政府が「私権を制限するために法律を変えていこう。必要ならば、憲法を改正しよう」といった方向に突き進んでいく可能性を私は恐れています。

記者会見に臨む東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長=東京都中央区で2021年2月4日午後2時1分(代表撮影)

 ――中止するにしてもしないにしても、五輪後に、圧力が高まるというわけですね。戦前との比較ではどうでしょうか。

 ◆戦前を参照すれば、自粛の同調圧力は、上からやってくるだけではなく、むしろ民間側、下から自発的にやってきたという面があります。「前線の兵士たちが大変だ」という美談がまん延して、「だから、私たちも我慢しなければならない」という空気が強まり、自由がどんどん失われていきました。

 今の日本も、前線で働いている医療従事者に対する感動的なお話がまん延している点では、似ていると思います。もちろん、前線の医療従事者が大変なのは間違いないし、医療従事者たちに対する配慮が必要であることは言うまでもありません。しかし、そのことと私権制限の議論は分けて考えなければなりません。

 気がかりなのは、昨年の第1波の時に、いわゆるリベラル派にもロックダウン(都市封鎖)を支持している人がいたことです。ロックダウンは、現行の日本の法制上できないので、それをやるには憲法改正を議論しなければなりません。本来なら自由を擁護するはずのリベラル側から、そういう意見が出てくるとなると、自由を擁護する人がいなくなってしまうのではないかという危うさを感じています。

 これから感染者数もどうなっていくかわからないですし、ワクチンも行き渡るかどうかわかりません。五輪後の日本社会の変容も含めて、さまざまな想定をしておく必要があると思います。

つじた・まさのり

 1984年、大阪府生まれ。作家、近現代史研究者。慶応大文学部卒業、同大大学院文学研究科中退。「古関裕而の昭和史」「大本営発表」「空気の検閲」など著書多数で、最新刊に社会学者、西田亮介さんとの共著「新プロパガンダ論」。

古川宗

1988年福島県生まれ。2013年入社。高松支局、富山支局、政治部を経て2020年4月から統合デジタル取材センター。富山時代には政務活動費の不正受給問題、政治部では首相官邸や参院自民党などを取材し、この春には育児休暇を2カ月取得しました。趣味は海外の文芸書の収集で、好きな作家はトマス・ピンチョン。

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