特集ワイド:「粛々と基地移設」封印される沖縄の叫び 落合恵子さん、詩に託す

毎日新聞 2015年04月10日 東京夕刊

落合恵子さん=関口純撮影
落合恵子さん=関口純撮影

沖縄が声を上げている。叫んでいる。もう基地はいらない、なぜ、沖縄だけが重い犠牲をしいられるのか、と。そんな沖縄への思いを作家の落合恵子さん(70)が一編の詩にした。これからもずっと沖縄とつながっていくためにも。【鈴木琢磨】

 ◇あなたよ、わたしよ

あのひと言だった。菅義偉官房長官が沖縄県の翁長雄志知事との初めての会談で口にした「粛々と」。落合さんはこだわった。いくら官房長官が「粛々と」を「封印」したとしても。

「言葉は人を傷つける凶器にもなれば、人の心をノックもする。私は詩人じゃないから、詩のようなものを書くしかないんですが」

トレードマークの怒髪は脱原発集会やデモでよく見かけてきた。行動でなく、詩でも世界を変えられますか? いきなり意地悪な質問をしてみた。「言葉ってどれほどの力を持ち得るか、わかりません。青春時代に聴いたサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』。苦しいとき、激流に架かる橋のようにこの身を投げ出す、といった歌詞でね。言葉はじかに世界を変えられなくても、変えようとしている人の心のささやかな支えになったり、変えようとする人と人をつなぐブリッジになったりはするかもしれない、と信じていたいです」

初めて沖縄の地を踏んだのは大学3年生のころ。「アルバイトでお金をためて、友だちと。みなギターを抱えてました。反戦平和を歌うためです。お気楽でした。あれからどれくらい沖縄に行ったか、私たち本土で暮らすものの安全のため、沖縄の人を安全と遠いところにおきっぱなしにしてしまった。私たちは考えないといけない。そして積極的に動かなければ。戦争をなくすために。それが本当の積極的平和主義でしょう」

エッセーやコラムと違って詩を書くのは苦しかったらしい。それも沖縄をテーマにした詩が。「ええ、つらいというか。オマエはこれまで何をしてきたのか、自分への問いでしたから。イギリスの女性詩人、スティービー・スミスの詩が浮かびました。『手を振ってるんじゃない 溺れているんだ』っていう不思議なタイトルなんです。沖縄の人たちと別れるとき、いいほほえみを返してくれる。手を振りながら。でも実は手を振っているだけではないのかもしれない。私の詩のタイトルではありませんが、沖縄の辞書と共にありたい、もっと読み解きたいと思います」

3・11以降、東日本大震災の被災地も歩いている。日本のいま、そして未来が不安だから。「福島から戻ってきたばかりです。沖縄と相似形のものを感じます。そこには歴史の長さは違っても、ひとつの地域への差別がある。私はまた東京へ帰り、そのまま福島で暮らす人がいる。ふるさとに帰れない人もいる。そう、無関心を突破するしかないんだ、と詩を書きながら思いました。いままで触れてきた言葉とは違った言葉でなければいけないとも思いつつ、混乱のなかで立ち止まりながら、なんとか書きました」

気がつけば、70歳。戦後と同い年。

「この詩は自分との約束です。どこまで戦争のない、平和な日本を守りうるかという自分との約束です」

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 ◇沖縄の辞書

あなたよ

世界中でもっとも愛(いと)おしいひとを考えよう

それはわが子? いつの間にか老いた親? つれあい?

半年前からあなたの心に住みついたあのひと?

わたしよ

心の奥に降り積もった 憤り 屈辱 慟哭(どうこく)

過ぎた日々に受けた差別の記憶を掻(か)き集めよ

それらすべてが 沖縄のひとりびとりに

いまもなお 存在するのだ

彼女はあなたかもしれない 彼はわたしかもしれない

沖縄の辞書を開こう

2015年4月5日 ようやくやってきたひとが

何度も使った「粛々と」

沖縄の辞書に倣って 広辞苑も国語辞典も

その意味を書きかえなければならない

「民意を踏みにじって」、「痛みへの想像力を欠如させたまま」、「上から目線で」と

はじめて沖縄を訪れたのは ヒカンザクラが咲く季節

土産代わりに持ち帰ったのは

市場のおばあが教えてくれた あのことば

「なんくるないさー」

なんとかなるさーという意味だ と とびきりの笑顔

そのあと ぽつりとつぶやいた

そうとでも思わないと生きてこれなかった

何度目かの沖縄 きれいな貝がらと共に贈られたことば「ぬちどぅ たから」

官邸近くの抗議行動

名護から駆けつけた女たちは

福島への連帯を同じことばで表した

「ぬちどぅ たから、いのちこそ宝!」

「想像してごらん、ですよ」

まつげの長い 島の高校生は

レノンの歌のように静かに言った

「国土面積の0・6%しかない沖縄県に

在日米軍専用施設の74%があるんですよ

わが家が勝手に占領され 自分たちは使えないなんて

選挙の結果を踏みにじるのが 民主主義ですか?

本土にとって沖縄とは?

本土にとって わたしたちって何なんですか?」

真っ直(す)ぐな瞳に 突然盛り上がった涙

息苦しくなって わたしは海に目を逃がす

しかし 心は逃げられない

2015年4月5日 知事は言った

「沖縄県が自ら基地を提供したことはない」

そこで 「どくん!」と本土のわたしがうめく

ひとつ屋根の下で暮らす家族のひとりに隠れて

他の家族みんなで うまいもんを食らう

その卑しさが その醜悪さが わたしをうちのめす

沖縄の辞書にはあって

本土の辞書には載っていないことばが 他にはないか?

だからわたしは 自分と約束する

あの島の子どもたちに

若者にも おばあにもおじいにも

共に歩かせてください 祈りと抵抗の時を

平和にかかわるひとつひとつが

「粛々と」切り崩されていく現在(いま)

立ちはだかるのだ わたしよ

まっとうに抗(あらが)うことに ためらいはいらない

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■人物略歴

 ◇おちあい・けいこ

1945年、栃木県生まれ。文化放送アナウンサーを経て作家に。児童書専門店「クレヨンハウス」主宰。「さようなら原発1000万人アクション」呼びかけ人。「『わたし』は『わたし』になっていく」など著書多数。

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