米兵オダネル氏撮影の「焼き場に立つ少年」

知人友人の皆さんへ
    杉浦公昭
 米兵オダネル氏撮影の「焼き場に立つ少年」
                                      杉浦公昭
 長崎の原爆で亡くなった幼子を背負い「焼き場に立つ少年」・オダネル氏撮影
 ====この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことは出来ないであろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ち尽くしていた。====

 これを撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネル氏の妻・酒井貴美子さんが夫の生涯をたどり、今年の長崎原爆の日の9日に著書が出版された。
 署名は、「神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産」 (いのちのことば社) (ForestBooks) 単行本(ソフトカバー) – 2017/7/5
 オダネル氏は原爆投下国の軍人でありながら、原爆投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている。購読をお薦めします。

 なお、時間の許す方は、以下の動画もご覧ください

2008 87日オダネル氏を追いかけて放映したNHKスペッシャル

解かされた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI(語り:柴田祐規子)

動画Dailymotionより見つけましたのでご紹介します。(所要時間:約50分)


 

 

 

http://www.dailymotion.com/video/xzghxa_yyyyyyy-yyyyyyyyyynagasaki_news#.UYKKBxyILXp

さらに朝日新聞DIGITALより関連する動画を紹介させて頂きます。【写真特集】ナガサキ、フィルムの記憶

  http://www.asahi.com/special/nuclear_peace/gallery/nagasaki/?iref=pc_extlink


 参考までに

 「焼き場に立つ少年の写真」(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より

昭和2089日午前1102分、長崎に原爆が投下されました。原爆は浦上地区の中央で爆発し、この地区を壊滅させました。被災して亡くなった方々の遺体を焼いているところに、幼い弟(妹?)を背負い、はだしで、歩いてきた少年。この写真を撮った米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏です。オダネル氏はこの写真に次のようなコメントを残していす。

オダネル氏のコメント。

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。少年の様子はあきらかに違っていました。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。私は、背中の幼子が、すでに死んでいることに気づきました。
 男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気づきました。少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
 夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。

Leave a comment

search previous next tag category expand menu location phone mail time cart zoom edit close