例え這ってでも稲嶺ススムさんを当選させたい!(その2)
日本科学者会議埼玉支部代表幹事
杉浦公昭
1月23日は晴れで、ゲート前の座込みは腰痛が比較的少なく楽でした。初対面の参加者・四国のなかむら九条の会 渡辺晶弘さんが撮られた写真を、添付させて頂きます。
1段目はゲート前での県警の立ち退き命令と座込み者達。
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2弾目は、県警の強制排除と公道不法待機自動車軍団
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3段目は、留置場から解放された座込み者達の後ろの旗と旗の間に座っている白髪頭が私。 遂に開けられてしまったゲート。
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わざわざ渡辺晶弘さんに私を撮ってもらったのがこの写真です。。
この夜は、稲嶺ススム総決起集会が21世紀の森屋内運動場で開かれ、宿泊者全員が参加しました。
余りの人の多さに驚くと共に、杖つきの私は足がのろく、仲間とはぐれそうになりました。
最初に後援会副長が稲嶺ススム候補の出馬表明から今日の決起集会までの経過報告をしました。
次に渡久地武明後援会長が挨拶 しました。
いよいよ決戦の時がやってきました。…
この様に熱い思いを持った方々が県内外から集まって頂き敬意を表します。
稲嶺市政は、子供たちの未来の幸せを目標としてやってきました。
子供たちが健康で安心、安全の環境で成長できることは、全世代の幸せになります。
安倍政権とは全面的な対決市政となっています。
何が何でも勝利して沖縄のために役立たねばなりません。
相手候補は胸を張って堂々と対決してきません。
孫たちに誇りある実積を残すために、我が郷土を守って行こうではありませんか?
相手は、安倍政権です。すべての戦術を尽くして戦うことが求められています。
一人一人が一致団結して奮闘しましょう!
最後の最後まで頑張って行きましょう!
稲嶺ススムさんの挨拶メモは、(その1)で書きましたので省略します。
赤嶺政賢日本共産党衆議院議員の激励電と伊波洋一沖縄の風衆議院議員の激励電の読み上げ紹介
玉城デニーズ自由党代表は今回の市長選で辺野古の米軍新基地問題の争点隠しをしながら、基地再編交付金をもらうことを表明し、基地建設に賛成の立場を自ら暴露した相手候補が、稲嶺市政が米軍基地再編交付金を打ち切られていることの非難に対して、稲嶺市政は、2期8年間で前市政よりも、予算を287億円から382億円へ、建設事業費を64億円から89億円へ、基金積立金を38億円から72億円に増やしたと実績で反論しました。
今、名護市には赤字はなく、財政は健全と主張しました。
翁長知事の応援趣旨
辺野古の新基地は、絶対に許さない。
米軍基地は、沖縄経済の最大の阻害要因。
誇りを持った市民、県民を育てていきたい。
前々日の21日、南城市長選で67票差で反翁長知事の大御所だった現職を破り、初当選を勝ち取ったオール沖縄推薦の瑞慶覧長敏氏も駆け付け、「新基地反対し、自由に生きる権利を勝ち取るため、稲嶺市長を再び必ず名護のリーダーにしよう」と呼びかけました。
オール沖縄代表の胡屋守将氏のメッセージが紹介された。
民主党は鳩山氏が米軍の新基地建設は「少なくとも県外」と言いながら県内の辺野古へ回帰して以後、初めて立憲民主党代表が辺野古反対の市長候補の応援にきて挨拶をしました。
その(23日)夜はみんな疲れていて宿に戻っても集会の感想を述べ合うこともなく寝ました。
翌(24日)は曇りで午前9時、石材満載のダンプやセメントミキサー車等数十台に埋めたて中止要望ビラと稲嶺ススム選挙ビラを仲間が撒くのを「海を壊すな!」「違法埋め立てはやめて欲しい!」と声援しましました。
沖縄県警のゴボウ抜き排除も終わり、疲れてテントに戻り休憩中にガム島からのお客さん3人を迎えました。
ガム島の原住民チャロモ族も基地公害に悩まされ反対運動をしているので、辺野古の闘いと連帯したいということでした。
従って、人殺しの練習場の基地は県外、国外移設ではなく、無くすことが重要と再確認しました。
1月25日は雨がパラついたので、一人テントで座っていると、文子オバーがやってきた
ので、二人で雨よけしながら話し合いました。
オバー曰く、「千葉、埼玉、等から10人程がやってきてオバーの写真を撮って帰ろうとした。
『貴方々は、ここに何しに来たんですか?私の写真を撮って辺野古に行ってきましたと報告するのですか?ここで何を学んだんですか?それじゃあ報告する中身がないでしょう。中身を作って帰ったらどうでしょう?』と本人たちに考えさせた。
すると彼らは、すごすごとゲート前に行って座り込みました」という。
私は、海岸のテント村の村長が「本土からの訪問客は帰りしなに、『皆さん頑張って下さい』といって帰って行く。どうして『本土でも頑張るから、共に頑張ろう』と言えないのか?非常に寂しい思いをすると語っているのを耳にしています」と返しました。
「私はインターネットで、オバーが車椅子に乗り意気揚々と警察の事情聴取に向かう動画を見ましたよ」と水を向けると。
オバーは、「機動隊の向こうにいた若い男が、車椅子に乗っていた私から暴力を受けたと訴えた。私の手はそんなに長くはないので、何も暴力をふるいようもない。作り話だ!」と言いました。
「その件で私に警察から任意出頭の要請があったが、長野、台湾の講演予定が有り、任意出頭する暇がなかった。
帰宅後、このまま放置するのもまずいとの名護市議の薦めで、出頭して取り調べを受けることにした。
何も思い当たる暴力をふるった覚えはないので、誰が誰の依頼でこの取り調べをすることにしたのか、それを言わねば何も答えない」と頑張った。
取調官は、「国会議員と来た青年が告訴し、取り調べを命じたのは、私ではなく別な上司だ」と逃げの答えをした。
「それならその上司を連れて来なさい」と言ったが連れてこなかった。
そして最後に「この調書に署名押印して欲しい」と言ったので、「何もしていないのに、署名や押印は出来ないと断って退署した」と語りました。
オバーの次の予定地に向かう迎えの車が来たので、「お互いに命ある限り平和のために闘い続けましょう」
と声を掛け合い握手して別れました。
1月26日6時起床、早めの朝食を済ませ、玄関で宿泊者全員の連帯の握手を受け、7時5分第二辺野古前発の路線バスの乗車員になりました。
沖縄県庁前で下車しタクシーを拾い、セナガ亀次郎と民衆資料館「不屈館」へ向かい、そこでJNNドキュメンタリ― ザ・フォーカス「おしえてよ亀次郎」のDVDを見ました。
そのDVDの音声起こしをした冊子が近々発行されることを、瀬長亀次郎次女の館長・内村千尋さんから聞きました。
その夜は疲れて着替えることもせず就寝しました。
1月27日那覇12時発のJALで帰宅すると、我が家は留守でした。妻の書置きを見ると「家の前の道路の雪かきで滑って転び、左手を痛めたので病院に出かける」と書かれていました。医者の見立ては、骨折で手術が必要とのことでした。
お互いに年を重ねると思わぬことが起こってくるものと思い知らされました。しかし、これらのことに負けず、話し合って一つづつ解決しています。
久々にパソコンを開いてみて、親友からは第3次の稲嶺ススム支援カンパが届けられたり、匿名でカンパしたいが選挙違反にならないか?との質問が届けられたりしていて、それらの対応をしながら、稲嶺ススム候補の終盤の応援になればと今回の訪中報告(その1、2)を急いで書き、知人友人の皆さんに知らせています。
(2018年2月2日記す)