慶良間諸島「集団死」74回忌
みなさま
今日3月26日は、
慶良間諸島「集団死」から73年目の、74回忌です。
1945年3月26日午前8時、米軍が慶良間諸島に上陸し、沖縄戦がはじまりました。
座間味島では26日、渡嘉敷島では28日、追い詰められた住民が集団で命を絶ちました。
日本軍第32軍(沖縄駐留軍)は、本土決戦をできるだけ遅らせ、皇居を守るための持久戦と、沖縄戦を位置づけ、
沖縄県民に犠牲を強制する、「軍官民共生共死」の思想を植えつけました。
座間味島においても渡嘉敷島においても、
派遣部隊である海上挺身隊は米艦隊を迎え撃つ特攻出撃が適わず
山地に逃げ込んだのですが、住民はそれを追いかけ合流を求めました。
しかし部隊長は合流を拒否。住民たちを追い払いました。
逃げ場を失い追い詰められた住民たちは、むごたらしい集団死(いわゆる「集団自決」)をとげました。
(8月降伏まで持久戦と称して立てこもった海上挺身隊の犠牲者は少なかった)
沖縄地上戦、20万人の犠牲のはじまりです。
いまも沖縄は、本土防衛の捨石として防衛戦略が描かれ、
米軍基地の沖縄集中、辺野古基地埋め立て増設、南西諸島自衛隊ミサイル基地化が進められており、
中国、北朝鮮危機が煽られるなかで、
沖縄県民の命を捨石とする思想は、ヤマトンチューに、なお生き続けています。
『沖縄戦新聞』第6号より
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ni0615田島拝
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