麻生と安倍 挫折が結ぶ首相一家の「同盟」  ワルぶる閣下~その虚実 麻生太郎物語

麻生と安倍 挫折が結ぶ首相一家の「同盟」 
ワルぶる閣下~その虚実 麻生太郎物語(3)

麻生太郎物語

 

コラム(経済・政治)

 

政治
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2019/2/4 2:02 (2019/2/6 2:00更新)
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「麻生さん、辞めるとか言ってないですよね? 絶対に言わないでください」

「いや部下にだけ責任を押しつけることはできない。私の美学に反します」

「麻生さんに今、辞められたら政権がおかしくなる。デフレ脱却を2人でめざそうと言ったじゃないですか。ここはどうかこらえてください」

■「森友」が課した試練

2018年3月初旬。副総理・財務相の麻生太郎と首相の安倍晋三は電話で何度も押し問答をしていた。安倍はその後も麻生の側近議員に電話をかけ、麻生が辞任しないよう説得するよう促した。

学校法人「森友学園」を巡る問題では2人の関係が試された。国有地取引への安倍の妻、昭恵の関わりが疑われ、財務省は公文書改ざん問題に揺れた。当時の理財局長で国税庁長官となっていた佐川宣寿が辞任する事態になり、財務相として残った麻生は「トカゲのしっぽ切りだ」との批判を一身に浴びた。

■惨敗が強めた絆

2007年参院選開票日の安倍(自民党本部)

2007年参院選開票日の安倍(自民党本部)

安倍と麻生だけにしか分からない感情がある。安倍と麻生は09年9月に自民党が下野してからというもの、ともに党内で戦犯扱いをされて肩身の狭い思いをしていた。「麻生さんには本当に申し訳ないことをした」。安倍は第1次政権時の07年参院選での惨敗が、麻生政権で自民党が下野を余儀なくされた遠因だったと何度か麻生にわびている。

2009年8月の衆院選で麻生政権は惨敗し、民主党に政権交代した(自民党本部)

2009年8月の衆院選で麻生政権は惨敗し、民主党に政権交代した(自民党本部)

麻生にも内閣支持率が高かった麻生政権の発足直後に衆院解散をしておけば政権交代は避けられたのではないかと自問自答することがある。「あんな惨めな思いは二度としたくない」。第2次安倍政権発足後の2人の不思議な連帯感を紡いでいるのは首相として共に失敗した記憶だ。麻生側近議員は2人の関係を「悔しさの同盟関係」と表現する。

12年12月の第2次安倍政権の発足以降、麻生は安倍の口から一度も事前に財務相への就任を伝えられたことがない。言わなくても伝わる、という安倍からの信頼の証しだと受け止めている。

■バーで誓いを立てた夜

自民党の野党時代、麻生は安倍と何度も会合を重ねながら、政権復帰への思いを交わしてきた。民主党政権への支持率も下がり、いよいよ政権復帰への王手がかかったころ、麻生が「安倍を支えていく」と誓った夜がある。

自民党の野党時代も安倍と麻生は交流を続けてきた

自民党の野党時代も安倍と麻生は交流を続けてきた

 

その夜、安倍と麻生は都内のバーで目前に迫った安倍政権の優先課題について話し合っていた。麻生は安倍が最優先課題に憲法改正を挙げると思っていた。ところが安倍は「最優先は東日本大震災からの復興、次いでデフレ脱却。憲法改正はその次だ」と語った。

麻生にとって、麻生政権発足当時、リーマン・ショック直後の政権運営に奔走した苦しい記憶は今も鮮明によみがえる。だからこそ「政権の安定はまず経済から」との考えが強く、予想外の安倍の回答には膝を打つ思いで伝えた。「思いは全く同じだ」

やはり安倍とはあうんの呼吸が通じる――。こう感じた麻生は「安倍政権を最後まで支える」と誓った。麻生は周囲に「脱デフレなど俺の政権でやりたかったことが、安倍の下でようやくできるようになった」と語るなど、今の立場に満足している様子をうかがわせている。

■「首相の娘」の恐ろしさ

麻生太郎(右)と母・和子(中)、妻・千賀子(麻生太郎事務所提供)

麻生太郎(右)と母・和子(中)、妻・千賀子(麻生太郎事務所提供)

麻生と安倍の雑談は多岐にわたる。なにより、お互いに祖父を首相に持つ政治家一家に育ったという気安さがある。安倍と家族の話をするたびに麻生の中では「自分こそ安倍のことを本当に理解してあげられる数少ない政治家だ」という思いが強まる。

「『首相の娘』同士の会話は聞いていて恐ろしくなることがある。人物評などが的確で、思わず聞いていないフリをするときがある」

故安倍晋太郎元幹事長への弔辞や追悼演説を傍聴席で聞く洋子未亡人(右)=1991年8月、国会

故安倍晋太郎元幹事長への弔辞や追悼演説を傍聴席で聞く洋子未亡人(右)=1991年8月、国会

麻生が「首相の娘」と言ったのは吉田茂の娘である母親の和子と、鈴木善幸の娘である妻の千賀子のことだ。今では千賀子と、娘の彩子の会話も「首相の娘」同士の会話にあたる。安倍も渋谷区富ケ谷の私邸に帰ると、岸信介の娘である母親の洋子がいる。麻生の発言に思い当たるフシがあったのか、このときは安倍も大いに笑った。

■消費税を巡る攻防

ただ第2次政権発足後、2度にわたる消費増税の先送りでは安倍と麻生は対立した。特に2度目の判断となった16年春には麻生が増税を先送りするなら衆院を解散して信を問うべきだとまで迫ったが、安倍は頑として聞き入れなかった。

麻生周辺からは「このままでは足元を見られてしまう。財務相を辞任して抗議の意思を示してもよいのではないか」といった強硬論も出た。だが、麻生はそれ以上、安倍に反対しなかった。

麻生はどんなに親しい間柄でも安倍のことを常に「総理」と呼ぶ。「首相としての決断がいかに孤独か、俺は分かっている。安倍も十分に考えた上でのことだろう」と麻生。首相であることの孤独と厳しさを身をもって知っている麻生だからこそ、安倍の覚悟をもった決断には、最後は敬意を持って従う腹はできている。

今年1月3日夜。安倍は新年早々、麻生を富ケ谷の私邸に招いた。「政権発足前に話していたことが、おかげさまで今のところほぼ順調に進んでいますね」。安倍は上機嫌に麻生に語った。

安倍の私邸と麻生の私邸は徒歩で数分、安倍邸からは麻生邸の大きな屋根もみえる。安倍はこれまでに何度も麻生を私邸に招き、夕食をともにしてきた。時に安倍の母・洋子も顔を出し、麻生をねぎらうこともある。

=敬称略、つづく

(島田学)

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