安倍責任、前川今年、朝鮮戦争、NGO,ほか

「事実は全くない」「全ての発言が責任を伴う」「説明するのはそちら側ではないか」

「事実は全くない」「全ての発言が責任を伴う」「説明するのはそちら側ではないか」

今後国会で時の首相がどんないいかげんなことを言っても「謝れば済む」という前例ができてしまう

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幕引き? そうはいかない
西日本新聞 2021/1/3 オピニオン面 永田 健

2021年の年頭の当コラムは、安倍晋三前首相の「桜を見る会」前日夕食会を巡る政治資金規正法違反問題を取
り上げたい。
「それって去年の話でしょ?」「正月の新聞ってもっと一年を展望したりするものでは?」と読者はお考えに
なるかもしれない。
確かに年末に書いてもよかった。しかし、バタバタと年内に安倍氏の謝罪会見と国会説明を済ませ、早く幕引
きを図ろうという菅義偉政権や自民党の思惑が見え見えなので、あえて年明けに持ち越したのだ。
おとそを飲んで駅伝でも見ていれば、国民も「桜」なんか忘れるだろう-。
そうはいくか。

◇    ◇

「桜」問題で東京地検は、安倍氏の事務所が夕食会の費用を補填(ほてん)していたのに、政治資金収支報告
書に記載しなかったのを違法として秘書を略式起訴したが、安倍氏については「嫌疑不十分」で不起訴とした
。安倍氏の不起訴が妥当かどうかは今後検察審査会で審査される可能性が高い。
ただ私が「桜」問題で一番ひどいと思うのは、安倍氏が国会審議で118回も「虚偽答弁」を繰り返しておきなが
ら、議員辞職をせず、通り一遍の謝罪で済ませようとしていることだ。
これが許されるのなら、今後国会で時の首相がどんないいかげんなことを言っても「謝れば済む」という前例
ができてしまう。それでは国権の最高機関たる国会の議論が無意味になる。
安倍氏の言い分は、秘書の虚偽の説明を真実と信じていたので「結果として事実に反する答弁になった」とい
うことだ。しかし誰が考えても不自然な秘書の説明を「おかしい」と疑う能力が本当になかったのなら、むし
ろ安倍氏は自分で「政治家不適格」と認めているようなものではないか。

◇    ◇

ここで改めて安倍氏の国会発言を振り返る。
「事務所側が補填をしたという事実は全くない」
「私がここで総理大臣として答弁するということについては、全ての発言が責任を伴う」
「私がここで話しているのがまさに真実」
「私がうそをついているということを説明するのはそちら側ではないか(立証責任はそちら、の意)」
「(自分を追及する野党議員に対し)根拠のないことをおっしゃるのはうそをつくのと同じことですよ」
答弁の虚偽がばれないうちは、安倍氏はこんな態度だった。居丈高でさえある。特に最後の発言がすごい。相
手への批判が回り回って自分に突き刺さることを政治報道で「ブーメラン」などと言うが、「安倍氏は政界一
のブーメランの名手」と認定してよさそうだ。

◇    ◇

今月始まる見通しの通常国会で、野党は安倍氏の証人喚問などを要求し、疑惑追及を続ける構えだ。自民党は
「説明責任を果たした」として幕引きを図るだろう。国会での勢力構図を見れば、自民党の企ては成功するか
もしれない。
幕引きに待ったをかけるものがあるとすれば、それは世論だ。国民がこの問題にどれだけ怒り、その怒りをど
れだけ持続させるかにかかっている。安倍氏が国民が注視する国会であんな答弁をしたのは「野党をなめてい
たから」ではなく「国民をなめていたからだ」と怒るかどうかである。

(特別論説委員・永田健)

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「今年こそは」 前川喜平氏   「東京新聞」2021年1月3日

思えば悪夢の8年だった。時代を80年も昔に戻そうとする人たちが政治権力を握り、学校に教育勅語を持ち込も
うとしたり、自己抑制や自己犠牲、全体への奉仕や親と祖父母への敬愛を押しつける道徳教育を教科化したり
、大日本帝国の侵略戦争や植民地支配や人道に反する残虐行為をなかったことにする歴史教育を推進したりし
た。

権力者は国政を私物化し、官僚組織は権力者の下僕になり下がり、戦争放棄、罪刑法定主義、国民の知る権利
、表現の自由、学問の自由、三権分立といった憲法原則に反する政治がまかり通った。
首相が数え切れない虚偽答弁を行い、それを覆い隠すために官僚も虚偽答弁をした。あったことをなかったこ
とにする文書の改竄(かいざん)や放棄、黒を白と言いくるめる詭弁(きべん)も横行した。

新型コロナウィルスに対しては、科学的根拠のない場当たり的な対策が続き、アベノマスクに何百億もの税金
が無駄遣いされ、全国一斉休校が子どもたちに災難を与え、GoToキャンペーンの中で第3
波の感染爆発を招いた。失業者、廃業者、路上生活者、自殺者が増え続けているのに株価だけは上がる異常さ

これが悪夢でなくて何だろう。今年こそは、この悪夢を振り払い、真っ当な政治、真っ当な生活を取り戻す年
にしたい。みながそうしたいと思えば、そうなる。

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戦争当時、日本各地から合計641人の在日義勇兵が参戦したことは、あまり知られていません、、、

当時、韓国側を支持する民族団体では率先して志願兵を募っていました。鄭�纊Δ呂垢阿忙峇蠅掘��厩軌年の9
月から51年の10月まで、国連軍に従軍して韓国に赴きました。
ですがこの人は、単なる正義感の強い愛国青年というだけではなかったのです。彼はかつて、共産主義者とし
て韓国でゲリラ活動をしていました。
それまでの経歴を見ますと、鄭�纊Δ��厩慨年、9歳のときに日本に来て日本で教育を受け、1943年には日本陸
軍に特別志願兵として入隊しています。終戦は朝鮮半島北部の咸鏡北道で迎え、ソ連軍に投降しました。あわ
やシベリアに送られて重労働かと思われましたが、朝鮮語ができたので民族意識が高いとほめられ(このとき
面談したのが、後に北朝鮮の外相となり、休戦会談で首席代表も務めた南日(ナム・イル)だったというのだ
からすごい)、逆に政治訓練所に送られて政治教育を受けます。
そして朝鮮共産党(後に南労党)の秘密党員となり、慶尚南道(キョンサンナムド)の田舎町で、表向きは教
師として働きながら組織拡大活動の責任者として働いたのです。それが1946年のことですが、当時は朝鮮半島
の信託統治反対運動が全土に広がり、左右陣営の対立が激化する一方でした。そんな中で彼は、党の方針に疑
問を抱きながらも活動を続けますが、1947年に逮捕。そのころには完全に党が自分を盾としてしか見ていない
ことに気づき、この国の共産主義に失望していたといいます。
結局、死刑は免れないと思っていたところ、父が賄賂を使って彼を助け出し、日本へ密航させました。小さな
漁船で門司に着き、兄を頼って東京へ行き、米軍基地のクラブで働いていたというわけです。国連軍に志願し
たときには26歳でした。
日本軍兵士から共産党員へ、そして密航者から米軍基地のクラブマネージャー、さらに国連軍兵士へ。8年ほど
の間にこれぞ波乱万丈という人生です。

https://bit.ly/35489vz
在日コリアンの作家たちは朝鮮戦争をどう伝えたか/斎藤真理子の韓国現代文学入門【2】

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ある報告書によると、非政府組織(NGO)にもいろいろあって、マイペースで協調性がなく、ほかのNGOとあま
り連絡のないのが存在する。私たちペシャワール会はこれに入るのだろう。
一九八四年以来、パキスタン北西辺境州とアフガニスタンで医療NGOとして活動している。その悪戦苦闘ぶりは
人を感動させるかもしれないが、何も私たちは人を感動させようと思ってやっているわけでない。必要とされ
るニーズがあるからやっているわけで、現地で求められているものに応じ、自分たちの能力に合わせて動いて
いる。
アフガン復興援助ラッシュで、現地には各国のNGOがやってきたが、自分や自分の国の人々を喜ばすための援助
が多い。よく聞く名前のNGOが目立つ。ソマリアとかカンボジアとか、話題性があり新聞に載る所を転々とし、
新聞からニュースが遠のいていけば引っ込む。小さいながらも土着で頑張っているところもあるが、話題性の
ある所にしか行かないようなNGOを私は信じないし、提携もしない。
昨年九月十一日の米中枢同時テロ後、アフガン国境のペシャワル(ペシャワール会の基地病院があるパキスタ
ン北西辺境州の州都)に世界中からNGOが集まってきた。「そのうち空爆が始まって難民がこちらに来るだろう
。それを待って助けるのだ」と押し寄せた彼らに、私は「難民は来ない」と言った。来ることができる人々は
、すでに始まっていた大干ばつから逃れてきていたわけで、アフガンのほとんどの貧しい人々は難民にさえな
れず、国内にとどまっているほかはなかったのだ。

https://bit.ly/3rP1K1m
【アフガン最新報告・中村哲医師】③外国人が破壊し、外国人が建設する

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「日本人は学校が始まって以来、君が二人目だ」という。
「いや実は、君を香港かシンガポール出身だと思っていた」と述べ、懐かしそうにビルマの思い出を語った。
イラワジ川を挟んで日本軍と対峙(たいじ)、日本兵の勇敢さに畏敬(いけい)の念を抱いた。「だが、投降
を拒んだのが理解できなかった。最後の一兵までというのは大抵レトリックだが、英国の戦史上、アフリカの
ズールー族と日本兵だけだ」という。
教授の最大の疑問は、日本人が何故(なぜ)はるかリバプールまで学びに来るかだった。私が「日本で熱帯病
の臨床を学ぶ施設が皆無だ」と伝えると、「それはおかしい。あのとき日本も我々(われわれ)以上に熱帯病
に苦しめられたはずだ」といぶかる。そして、これを見てくれと、地図入りの寄生虫病学書を突きつけた。
これが何と、戦前の日本語の本を英訳したもの。座右の銘だという。私もまた絶句、教授と同じ疑問をいだい
た。学問の分野だけでなく、住血吸虫症の根絶モデルなどは一九三〇年代に日本で完成、世界各地で踏襲され
ている。誇りにしてよいのか、恥なのか分からない。おそらく、日本の閉鎖性だろう。自国で問題が去れば、
重視しないのである。国際貢献・国際化ブームが程なく日本で起きたが、何だか眉唾(まゆつば)のようで仕
方なかった。

https://bit.ly/3hB3SFb
「日本のテキストに絶句」2000年 西日本新聞コラム 
中村哲 「辺境で診る 辺境から見る」p202

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第四、馬の国(フウイヌム)

1 馬の主人

 私は家に戻ると五ヵ月間は、妻や子供たちと一しょに楽しく暮していました。が、再び航海に出ることにな
りました。今度は私に『アドベンチュア号』の船長になってくれというので、すぐ私は承知しました。
 一七一〇年九月七日に私の船はプリマスを出帆しました。ところが、熱い海を渡ってゆくうちに、船員たち
が熱病にかゝってたくさん死んでしまいました。そこで、私はある島へ寄って、新しく代りの船員をやとい入
れました。ところが、今度やとい入れた船員たちは、みんな海賊だったのです。この悪漢どもは、ほかの船員
たちを引き入れ、みんなして船を横取りして、船長の私をとじこめてしまおうと、こっそり計画していたので
す。
 ある朝のことでした。いきなり彼等は、なだれをうって、私の船室に飛び込んで来ると、私の手足をしばり
あげて、騒ぐと海へほうりこむぞ、と脅しつけます。私は、もうこうなっては、お前たちの言うとおりになる
、と降参しました。
 そこで、彼等は私の手足の綱を解いてくれました。それでも、まだ片足だけは鎖でベッドにしばりつけて、
しかも、戸口には弾丸をこめた鉄砲を持って、ちゃんと番兵が立っていました。食物だけは上から持って来て
くれましたが、もう私は船長ではなく、今ではこの船は海賊のものでした。船はどこをどう進んでいるのか、
私にはまるでわかりませんでした。
 一七一一年五月九日、一人の男が私の船室へやって来て、船長の命令により、お前を上陸させる、と言って
私をつれ出しました。それから彼等はむりやりに私をボートに乗せてしまいました。一リーグばかり漕いで行
くと、私を浅瀬におろしました。
「一たいこゝはどこの国なのか、それだけは教えてください。」
 と私は頼みました。しかし、彼等もそこがどこなのか全然知らないのでした。
「満潮にさらわれるといけないから早く行け。」
 と言いながら、彼等はボートを漕いで行きました。
 こうして、私はたった一人で取り残されました。仕方なしに、歩いて行くと、間もなく陸に着きました。そ
こで、しばらく堤に腰をおろして休みながら、どうしたらいゝものか考えました。少し元気を取り戻したので
、また奥の方へ歩きだしました。私は誰か蛮人にでも出会ったら、さっそく、腕環うでわやガラス環などをや
って、生命だけは助けてもらおうと思っていました。
 あたりを見わたすと、並木がいくすじもあって、草がぼう/\と生え、ところ/″\にからす麦の畑があり
ます。私はもしか蛮人に不意打ちに毒矢でも射かけられたら大へんだと思ったので、あたりに充分眼をくばり
ながら歩きました。やがて、道らしいところに出てみると、人の足跡や牛の足跡や、それからたくさんの馬の
足跡がついていました。
 ふと、私は畑の中に、何か五六匹の動物がいるのを見つけました。気がつくと、木の上にも一二匹いるので
す。それはなんともいえない、いやらしい恰好なので、私はちょっと驚きました。そこで、私は叢くさむらの
方へ身をかゞめて、しばらく様子をうかゞっていました。
 そのうちに、彼等の二三匹が近くへやって来たので、私ははっきり、その姿を見ることができました。この
猿のような動物は、頭と胸に濃い毛がモジャ/\生えています。背中から足の方も毛が生えていますが、その
ほかは毛がないので、黄褐色の肌がむき出しになっています。それに、この動物は尻尾を持っていません。そ
れから、前足にも後足にも、長い丈夫な爪が生えていて、爪の先は鈎形かぎがたに尖っています。彼等は高い
木にも、まるでりすのように身軽によじのぼります。それからとき/″\、軽く跳んだり、はねたりします。
 私もずいぶん旅行はしましたが、まだ、これほど不快な、いやらしい動物は、見たことがありません。見て
いると、なんだか胸がムカ/\してきました。
 私は叢から立ち上って、路を歩いて行きました。この路を行けば、いずれどこかインド人の小屋へでも来る
かと思っていました。だが、しばらく行くと、私はさっきの動物が真正面から、こちらへ向ってやって来るの
に出くわしました。このみにくい動物は、私の姿を見ると、顔をさま/″\にゆがめていました。と思うと、
今度はまるではじめての物を見るように、目を見張ります。そして、いきなり近づいて来ると、何のつもりか
、片方の前足を振り上げました。
 私は短剣を抜くと、一つなぐりつけてやりました。が、実は刃の方では打たなかったのです。というのは、
私がこの家畜を傷つけたということが、あとで住民たちにわかると、うるさいからです。
 私になぐりつけられて、相手は思わず尻込みしましたが、同時に途方もない唸り声をあげました。すると、
たちまち隣りの畑から、四十匹ばかりの仲間が、もの凄い顔をして吠えつゞけながら集って来ました。私は、
一本の木の幹に駈け寄り、幹を後楯にして、短剣を振りまわしながら彼等を防ぎました。すると、二三匹の奴
等がヒラリと木の上に躍り上ると、そこから私の頭の上に、ジャー/\と汚いものをやりだします。私は幹に
ピッタリ身を寄せて、うまく除けていましたが、あたり一めんに落ちて来る汚いものゝために、まるで息がふ
さがりそうでした。
 こんなふうに困っている最中、私は急に彼等がちり/″\になって逃げて行くのを見ました。どうしてあん
なに驚いて逃げ出すのか、不思議に思いながら、私も木から離れ、もとの道を歩きだしました。
 そのとき、ふと左の方を見ると、馬が一匹、畑の中をゆっくり歩いて来るのです。さっきの動物どもは、こ
の馬の姿を見て逃げ出したのでした。
 馬は私を見ると、はじめちょっと驚いた様子でしたが、すぐ落ち着いた顔つきに返って、いかにも不思議そ
うに私の顔を眺めだしました。それから私のまわりを五六回ぐる/\廻って、私の手や足をしきりに見ていま
す。
 私が歩きだそうとすると、馬は私の前に立ちふさがりました。しかし、馬はおとなしい顔つきで、ちょっと
も手荒なことをしそうな様子はありません。しばらく私たちは、お互に相手をじっと見合っていました。とう
/\私は思いきって片手を伸しました。そして、この馬を馴らすつもりで、口笛を吹きながら首のあたりをな
でてやりました。
 ところが、この馬は、そんなことはしてもらいたくないというような顔つきで、首を振り眉をしかめ、静か
に右の前足を上げて、私の手を払いのけました。それから、馬は二三度いなゝきましたが、なんだかそれは独
言でも言っているような、変ったいなゝき方でした。
 すると、そこへもう一匹、馬がやって来ました。この馬はなにかひどく偉そうな様子で、前の馬に話しかけ
ました。それから、二匹とも、静かに右足の蹄ひづめを打ち合せると、代る/″\五六度いなゝきました。だ
が、そのいなゝき方は、これはどうも、普通の馬の声ではないようです。それから、彼等は私から五六歩離れ
たところを、二匹が並んで行ったり来たりします。それは、ちょうど、人間が何か大切な相談をするときの様
子とよく似ています。そして、彼等はとき/″\私の方を振り向いて、私が逃げ出しはしないかと、見張って
いるようでした。
 私は動物がこんな賢い様子をしているのを見て、大へん驚きました。馬でさえこんなに賢いのならこの国の
人間はどんなでしょう。たぶんこゝには、世界中で一番賢い人たちが住んでいるのでしょう。そう思うと、私
は早く家か村でも見つけて、誰かこの国の人間に会ってみたくなりました。それで、私は勝手に歩いて行こう
としました。
 そのとき、はじめの馬が、私の後から、「ちょっと待て」というようにいなゝきました。なんだか私は呼び
とめられたような気がしたので、思わず引き返しました。そして、彼のそばへのこ/\近づいて行きました。
一たい、これはどうなるのか、実はそろ/\心配でしたが、私は平気そうな顔つきでいました。
 二匹の馬は、一匹は青毛で、もう一匹は栗毛でしたが、彼等は私の顔と両手をしきりに見ていました。その
うちに、青毛の馬が前足の蹄で、私の帽子をグル/\なでまわしました。帽子がすっかりゆがんだので、私は
一度脱いで、かむりなおしました。これを見て、彼等はひどくびっくりしたようでした。今度は栗毛の馬が私
の上衣に触ってみました。そして何か不思議そうに驚いています。それから彼は私の右手をなで、ひどく感心
している様子でしたが、蹄ひづめに挟はさまれて手が痛くなったので、私は思わず大声をたてました。そうす
ると、彼等は用心しながら、そっと、触ってくれるようになりました。彼等は、私の靴と靴下が、いかにも不
思議でならないらしく、何度も触っては互にいなゝき合いました。そして、しきりに何か考え込むような顔つ
きをしていました。
 こんな利口な馬は魔法使にちがいないと私は考えました。そこで次のように話しかけてみました。
「諸君、どうもあなたたちは魔法使のように思えるのですが、魔法使なら、どこの国の言葉でもわかるのでし
ょう。だから一つ申し上げます。実は私はイギリス人ですが、運悪くこの島へ流れ着いて、困っているところ
なのです。それで、どこか私を救ってもらえる家か村までつれて行ってくださいませんか。ほんとの馬のよう
に私を乗せて行ってほしいのです。そのお礼には、この小刀と腕環を差し上げますよ。」
 こんなふうに私がしゃべっている間、二匹の馬は黙ってじっと聞いていましたが、私の話がすむと、今度は
互に何か相談するようにいなゝき合いました。
 私は馬の声を注意して聞いていましたが、何度も「ヤーフ」という言葉が聞えるのです。二匹ともその「ヤ
ーフ」という言葉をしきりに繰り返していますが、私には何の意味なのか、さっぱりわかりません。けれども
、彼等の話が終ると、私は大声で、はっきり、
「ヤーフ」
 と言ってやりました。
 すると彼等は大へん驚いたようです。それから青毛が近寄って来ると、
「ヤーフ ヤーフ」
 と教えるように二度繰り返しました。私もできるだけ、その馬の声をまねしてみました。すると今度は栗毛
が、別の言葉を教えてくれました。これは、「フウイヌム」という、むずかしい言い方でした。とにかく私が
馬の言葉がまねできるので、彼等はとても感心したようです。それから、彼等はまだ何かしばらく相談してい
ましたが、それがすむと、また前と同じように、蹄を打ち合せて二匹は別れました。
 青毛の方が私を振り返って、手まねで歩けと言いました。私は黙ってついて行くことにしました。私がゆっ
くり歩くと、彼はきまって、「フウン、フウン」と叫びます。これはたぶん、ついて来いという意味なのでし
ょう。
 三マイルほど行くと、一つの建物がありました。材木を地に打ち込んで、横に木の枝を渡したもので、屋根
は低く、藁葺わらぶきでした。馬は私に先に入れと合図しました。
 中に入ってみると、下の床は滑らかな粘土で出来ていて、壁には大きな秣草棚まぐさだなや秣草桶がいくつ
も並んでいます。子馬が三匹と牝馬が二匹いました。別に物を食べているのでもなく、ちゃんと、お尻を床の
上につけて、坐っているのです。私はびっくりしました。
 もっと驚いたのは、ほかの馬たちが、みんなせっせと家の仕事をしていることでした。なにしろ、馬をこん
なふうに数え、仕込むことのできる人間なら、よほど偉い主人にちがいないと、私は感心しました。
 この部屋の向うには、まだ三つ部屋がありました。私たちは二つ目の部屋を通って、三つ目の部屋へ近づい
て行きました。青毛は、そこで私に待っておれと合図しました。私は戸口で待ちながら、この家の主人と奥さ
んに贈るつもりで、小刀を二つ、真珠の腕環を三つ、小さな鏡、それから真珠の首飾などを用意しておきまし
た。
 青毛は、その部屋に入って、三四度いなゝきました。すると、彼の声よりもっとかん高い声で、誰かゞいな
ゝきました。人間の声はまだ聞えません。しかし、私は向うの部屋に、どんな貴い人が住んでいるのだろうか
、と考えました。面会を許してもらうのに、こんな手数がかゝるのでは、この国でも、よほど位のいゝ人なの
でしょう。だが、それにしては、そんな貴い人が、馬だけを家来に使っているのは、少し変です。
 これは私の頭の方が、どうかしたのではないかしらと思いました。私は今、立っている部屋の中をよく/\
見まわしてみました。何度、目をこすってみても、そこは前と変らないのです。夢ではないかしらと、目がさ
めるように、脇腹をつねってみました。が、夢でもないのです。それでは、これはみんな魔法使の仕業しわざ
にちがいない、と私は決めました。
 ちょうど、そのとき、青毛が戸口から顔を出して、私に入れと合図しました。中に入ってみて、私は驚きま
した。上品な牝馬が一匹、それに子馬が一匹、小ざっぱりした筵むしろの上にきちんと坐っているのです。
 牝馬は延から立ち上ると、私のそばへ来て、私の手や顔をジロ/\眺めました。それから、いかにも私を軽
蔑するような顔つきで、
「ヤーフ」
 とつぶやきました。そして、青毛の方をかえりみては、お互に何回となく、この「ヤーフ」という言葉を繰
り返しているのです。
 青毛は私の方へ首を向けて、「フウン、フウン」としきりに繰り返しました。これは、ついて来い、という
合図なのでした。そこで私は彼について、中庭のところへ出ました。家から少し離れたところに、また一棟、
建物がありました。そこへ入ってみて、私はあッと思いました。
 私が上陸してすぐ出くわした、あのいやったらしい動物がいたのです。その三匹の動物がいま、木の根っこ
や、何か生肉をしきりに食っていました。三匹は首のところを丈夫な紐でくゝられ、柱につながれたまゝ、食
物を左右の前足でつかんでは、歯で引き裂いています。
 主人の馬は、召使の馬に命じて、この動物の中から一番大きい奴を、取りはずして、庭の中へつれて来させ
ました。私とこの動物とは、一ところに並んで立たされました。それから主人と召使の二人は、私たちの顔を
じっとよく見くらべていましたが、そのときもまたしきりに「ヤーフ」という言葉が繰り返されたのです。
 私はそばにいるいやらしい動物が、そっくり人間の恰好をしているのに気がついて、びっくりしました。こ
の動物は顔が人間より少し平たく、鼻は落ち込んでいて、唇が厚く、口は広く割れています。だが、これくら
いの違いなら、野蛮人にだってあるはずです。ヤーフの前足は、私の前足より、爪が長くて掌がゴツ/\して
いて、色が違っています。とにかく、この動物は人間より毛深くて、皮膚の色が少し変っているだけで、あと
は身体中すっかり人間と同じことです。
 だが、二匹の馬には、私が洋服を着ているので、ヤーフとは違っているように思えたのです。この洋服とい
うものを、馬はまるで知っていないので、彼等にはどうも合点がゆかないのでした。
 ふと栗毛の子馬が、木の根っこを一本、私の方へ差し出してくれました。私は手に取って、ちょっと臭を嗅
いでみましたが、すぐていねいに返してやりました。すると、彼は今度はヤーフの小屋から、驢馬の肉を一き
れ持って来てくれました。これは臭くてたまらないので、私は顔をそむけてしまいました。しかし彼がそれを
ヤーフに投げてやると、ヤーフはおいしそうに食べてしまいました。
 その次には乾草を一束とからす麦を私に見せてくれました。しかし、私はどちらも自分の食物ではないと、
首を振ってみせました。私はもしこれで同じ人間に出会わなかったら、いずれ餓死するのではないかと心配に
なりました。
 すると、このとき、主人の馬は蹄を口許へ持って行って、私に、どんなものが食べたいかというような身振
りをしました。だが、なにしろ私は相手にわかるように返事ができませんでした。
 ところが、ちょうどいゝことに、いま表を一匹の牝牛が通りかゝりました。そこで、私はそれを指さしなが
ら、ひとつ牛乳をしぼらせてくれという身振りをしました。これが相手にもわかったのです。彼は私を家の中
へつれて帰ると、たくさんの牛乳が器に入れて、きちんと綺麗に並べてある部屋へつれて行きました。そして
、大きな茶碗に牛乳を一ぱい注いでくれました。私はグッと一息に飲みほすと、はじめて生き返ったような気
持がしました。
 正午頃、一台の車が四人のヤーフに引かれて、家の前に着きました。車の上には身分のいゝ老馬が乗ってい
ました。彼は非常にていねいに迎えられて、一番いゝ部屋で食事することになりました。部屋の真中に秣草桶
を円まるく並べ、みんなはそのまわりに、藁蒲団を敷き、尻餠をついたように、その上に坐るのでした。そし
て、馬どもは、それ/″\、自分の乾草やからす麦と牛乳の煮込みなどを、行儀よくきちんと食べるのでした

 子馬でも非常に行儀がいゝのです。特に、お客をもてなす主人夫妻のやり方は、気持のいゝものでした。ふ
とそのとき、青毛が私を招いて、こちらへ来て立て、と命じました。
 客たちは、しきりに私の方を見ては、『ヤーフ』という言葉を言っています。これは、私のことを今いろ/
\話し合っているのでしょう。
 彼等は私に、知っている言葉を言ってみよと言いました。そして、主人は食卓のまわりにあるからす麦、牛
乳、火、水などの名前を教えてくれました。私はすぐ彼のあとについて言えるようになりました。
 食事がすむと、主人の馬は私を脇へ呼びました。そして言葉やら身振りで、私の食物がないのが、とても心
配だと言います。私はそこで、
「フルウン、フルウン」
 と呼んでみました。『フルウン』というのは、『からす麦』のことです。はじめ私はからす麦など、とても
食べられそうになかったのですが、これでなんとか、パンのようなものをこさえようと考えついたのです。
 すると主人は、木の盆にからす麦をどっさり載せて持って来ました。私はこれを、はじめ火でよく暖めて、
もんで殻を取り、それから石で擂すりつぶし、水を混ぜて、お菓子のようにして火で焼いて、牛乳と一しょに
食べました。
 これははじめは、とても、まずくて食べにくかったのですが、そのうちに、どうにか我慢できました。私は
、たまには、兎や鳥を獲って食べたり、薬草を集めてサラダにして食べました。はじめ頃は塩がないので、私
は大へん困りました。が、それも慣れてしまうと、あまり不自由ではなかったのです。

2 不思議なヤーフ
・・・

3 楽しい家庭
・・・

4 ヤーフ君、お大事に
・・・

https://www.aozora.gr.jp/cards/000912/files/4673_9768.html  
ガリバー旅行記 (青空文庫、原民喜訳)

ーーーーー
色平
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